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最初で最後の子猫のキス  作者: 羽多 奈緒
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第6話 銀斗の恋

 銀斗(ぎんと)の旅立ちに向けた訓練が激しさを増してきたのと時を同じくして、クロもまた、独り立ちに向け、保行(やすゆき)から訓練を施されることになった。但し、訓練と言っても、イエネコのクロには、縄張りや生存競争のようなものはほぼない。「手に職」を付けるというぐらいの意味で、これまで以上に体系立てて本格的に薬づくりについて教わるのだ。


「……猫獣人にしか使えない魔法というのも、色々あるはずなんじゃ。(わし)が知ってる範囲では教えるが、本当は、誰か猫獣人に頼んで教わるべきなんだろうなぁ」

 保行は申し訳なさそうに眉をハの字にしてクロに微笑みかけている。

「保行さん、まだ気にしてるの? 僕の母さんを助けられなかったこと。薬師(くすし)としても一流の保行さんが救えなかったんだから、母さんは仕方なかったんだよ。それに、その後、ずっと僕を育ててくれたのは保行さんだもの。……ありがとう」

 無邪気に微笑むクロ。物言いたげな表情を浮かべるが、微苦笑する保行。


「ところで、クロは、可愛いなと思う雌猫獣人はいないのか?」

「やたらめかしこんでて、何だか強い匂いがするし、勿体(もったい)付けた喋り方するから、僕、あんまり好きじゃない。……狼獣人の女の子たちもそう。彼女たちが銀斗から離れないから、僕、全然銀斗と遊べない。夜も、前みたいに一緒に寝ようって言っても嫌がられるし。つまんない」

 ずず、と無言で薬草茶を啜りながら、保行はクロの話に耳を傾けている。


 表の引き戸がカラカラと音を立てる。銀斗が手に立派なニジマスを提げていた。

「クロ、こないだ手当てしてもらった御礼。保行さんちにいれば、食べるものに困ることが無いのは分かってるんだけどさ」

 ふっくら育った、いかにも脂がのって食べごろな魚を前に、クロは目を輝かせた。

「えーっ、こんな立派なニジマス。いいの? すごいね、銀斗! 狩り上手だね。ねえ、せっかくだから保行さんに料理してもらって、一緒に食べようよ」

 チラリと銀斗に視線を向けられた保行は、深く頷いた。

「これだけ立派なニジマスだ。儂ら二人じゃ勿体ない。獲物は食べておくべきだ。良い獲物とはどういうものかの勉強にもなる」


 こんな立派な御礼を持って来てくれるほど、銀斗に感謝されたことが嬉しくて、少なくとも夕飯が終わるまでの数時間は銀斗を独り占めできることが嬉しくて、クロの頬は自然と紅潮し、声は弾む。保行が台所に立ったのを確認して、少し眉をひそめ、声を低めて囁いた。

「傷のほうはどう?」

「ああ。お蔭様で、もう殆ど治ったよ。痛みもない」

 照れくさそうな笑みを浮かべる銀斗に、ニコニコと満足げな表情を向けた後、もう一度クロは声を低めた。

「あのさ……。こないだ、護狼が、狼獣人の群れの掟の話をしてたよね。あれって、本当なの?」

 瞬時に、銀斗は真顔に戻った。


「ああ。アイツが言ったことは、全部本当だ」

 狼の群れには、序列があり、最も強い雄がアルファと呼ばれ、最上位の雌と(つが)い子どもを作る。それ以外の狼は番になったり子どもを作ることはないのだという。アルファとして認められるためには、一度は群れを離れて独り立ちし、強い雄として生き抜いて帰ってくることが条件だとも。


「じゃあ、もし銀斗が帰ってきたら、アルファになって、一番の雌狼と番になるの……?」

 先日護狼から聞かされた話の繰り返しではあったが、真剣な表情の銀斗から聞かされると、事の重みがまるで違う。

「……まぁ、普通に考えたらそうなるだろうな」

 銀斗は苦虫を嚙み潰したような表情だ。彼にとっても不本意なんだと察知したクロは、彼の腕を掴んで揺さぶる。

「そんなの、僕、やだよ! 雌と番になったら、きっとすぐ赤ちゃんが生まれて、次の年には次の子が生まれて……。子育てして、狩りをして。……僕とは、もう友達でいてくれないの?」


「じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ!」


 銀斗の声は押し殺したように静かだったが、目には怒りが滲み、(まなじり)が赤い。彼の立場を考えず、自分の気持ちだけで発言してしまったことを後悔し始めた時、銀斗の手がクロの腕にそっと触れた。

 銀斗の触れ方は、実の兄弟のように、親友としてじゃれ合う時とはまるで違った。そうっと、遠慮がちに袖口から指先を忍び込ませ、肌の表面を愛撫するように指先が上下にゆっくりと動き、細いクロの腕を優しくさする。クロは鳥肌を立てて震えた。初めての経験だったが、これが性的な快感だということは本能的に分かった。自分が漏らした吐息は甘えるような媚すら含んでいて、羞恥に頬が熱くなる。再びクロの手首に戻ってきた銀斗の五本の指は、一本一本が熱を(はら)んでいる。きゅっと恋人繋ぎで手を繋がれた。さっきの護狼みたいな思わせぶりな動きで、親指で手の甲をなぞられる。


「なあ、クロ……。お前は、俺のことをどう思ってる? 俺はクロが好きだ。……俺は、番にするならクロが良い」


 銀斗の吐息がかかる頬が熱い。たぶん今、クロは耳まで真っ赤だ。と言っても、クロの猫耳は毛が黒いから、内側を覗き込みでもしない限り分からないだろうが。おずおずと銀斗を見上げると、彼は熱い眼差しと緊張した表情でクロを抱き寄せ、少しかがみ込みながら顔を近づける。その動きがいつもの猫同士の鼻先をちょんとくっ付ける挨拶ではないことはクロにでも分かる。


 唇に銀斗の唇の熱を感じたその瞬間、クロの脳裏を走馬灯のようにある光景が駆け巡る。自分にとって初めての接吻(キス)は、産みの母親とだった。何らかの理由で猫獣人から追われる身となった彼女は息絶え絶えで保行のところに辿り着き、自分の命と引き換えに瀕死のクロを生き返らせたのだ。


「……あ、銀斗、だめ、っ」

 咄嗟(とっさ)にクロは自分の身体を守るように腕を突っ張り、銀斗を拒んでしまった。彼が唯一知る口づけは、生命のやり取りを伴う重い契約だったからだ。しかし、それを説明する時間はクロには与えられなかった。銀斗は傷ついたように顔を苦しげに歪め、無言のまま立ち去った。


 いくら鈍感で「ねんね」のクロでも、さっきの銀斗の意図は完全に、正確に理解していた。彼は互いの恋心を確かめたがっていた。そして、心の証として口づけを求めていたんだと。


「銀斗ーッ!」

 クロの切ない声は、むなしく暗闇に吸い込まれるだけだった。


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