ガレージでかき鳴らす
スターではなかった。
父親も母親も。親戚たちも。
スターに親しい場所にはいたが、スター本人ではなかった。
映画のエンドクレジットやパンフレットに名は載るが、顔写真は載らない。
たまにインタビューされて、記事になることはあれども、大抵の人々は、彼等のことを知らない。
パーティーでは、スターと少年の両親は親しげに、グラスと会話を交わし、ほとんど対等なような関係にすら見えるのに、スポットライトを浴びるのはスターだけだった。
少年の両親がまばゆいカメラのフラッシュをたきつけられていることなど、少年は目にしたことがない。
映画は好きだった。
少年の両親の仕事場でもあったから、自然と親しんだ。
スターだけで映画が成り立っているわけではないことも知っている。
少年も、映画は好きだった。
だが、少年の心臓を掴んで激しく揺さぶったのは、映画ではなかった。
少年がテレビで目にしたロックバンド。
少年が両親にねだって、いくつかの有名なロックバンド、そのライブに楽屋へと連れて行ってもらったこともある。
メンバーの多くが髪を長く伸ばしていた。
ライブでは、頭を振ってシャウトしたり、マイクスタンドや楽器を振り回し、舌を出したり、気障ったらしい目線をファンやカメラに投げた。
売れているバンドのフロントマンは、大抵甘いマスクをしていて、女のファンがたくさんいた。
たまにフロントマンより顔のいいギタリストを擁するバンドもあった。そのギタリストは、フロントマンより人気があった。
当然だと少年は思った。
そのギタリストは、なんと言っても、かっこよかった。ギターの腕は抜群で、作り出す曲は耳にした途端に胸が熱くなる。
そんな才能に溢れた上、さらに言動は破天荒で、不良で、悪いこととイイコトをたくさん知っていそうだった。
音楽がいいことは当たり前。
だけど、顔がいいことも売れるためには必要だ。
見た目がマズくても、音楽がよければ売れる。
売れたのは見た目じゃなくて音楽がよかったから。
そんなのは綺麗事だ。
現実ではなく、霞だけ食って夢の世界で生きていきたいんだったら、それでいい。
だけど少年は現実の世界でスターになりたかった。
霞ではなく、栄光がほしい。
あの特別な人間にだけ許される場所。スポットライトの下に立ちたい。
裏方の業界人ではなく。
世間の誰もが少年の顔を知り。名を口にし、憧れ、恋い焦がれ、失神し、嫉妬する。
確かな実力を認められ、登場するだけで空気が変わり、場が華やぎ、圧倒させる。そんな存在に。
つまりはスターに。
少年の顔立ちは、特別だった。
それは自分でもわかっていた。
映画業界に身を置く両親や親戚からも称賛された。
彼等の審美眼は確かだ。身内可愛さで見誤ることもない。
親についていったパーティーでは、見る目の肥えた業界人たちから、お世辞とは思えないほど熱心に容姿を褒められたし、映画に出てみないかと誘われることもあった。
少年は正しく、美しい容姿をしていた。
時折モデルに誘われて、気分次第で引き受ける程度には、少年も自分の容姿を活用していた。
――俺が特別なのはわかってる。
しかし違うのだ。
少年がなりたいのは、そんなものじゃない。
「ジョン! いつまでガレージに籠もっているつもりなの!」
母親の金切り声。耳に入ってはいたが、少年の注意を引くことはなかった。
少年の手が止まることはなく、母親の耳に届くギターの音は休まることがない。
父親のためにガレージから立ち退け、譲り渡せ、と母親は続けた。
久々に帰宅した父親。
このところずっと、息つく間もなくLAとNYとを往復していたことは、少年も知っている。
ある役に対して、それを演じる俳優がなかなか見つからなかったのだ。
これだと思う俳優に打診したり、幾度もオーディションを開催させたり。
そういったことを、少年の父親は繰り返していた。少年の父親はキャスティングディレクターだった。
脚本のイメージに合い、監督やプロデューサー、脚本家が頷き。日程と金銭の都合がつき。主演俳優と同じ画面におさまったとき、うまい具合に化学反応を生じるような。
そんな俳優を探し求め、ようやく先日決まったのだ。
ホームに帰ってきた少年の父親。
仕事から解き放たれた彼は、趣味のバイクいじりをしたいらしかった。
だから少年には、ガレージから出ていってほしい。静かにバイクと対話したいのだから。
少年のかき鳴らすギターの音は、愛車との対話を邪魔してしまう。
それがどうした。たかが趣味だろう。
少年のこれは違う。ちっぽけな趣味で終わるものじゃない。
――俺はあそこに立つ。
必ずスポットライトを浴びるんだ。
あのギタリストより、誰より俺は特別な存在なんだから。
少年がギターをかき鳴らし、首を振る度、宙を舞う金色の髪から、汗が飛び散った。
他の色と交じることのない、純粋な青だけがあるような、珍しいくらいにくっきりとした少年の青い瞳。それは今、固く閉じられている。
少年は眉間にシワを刻んで、顎を天井に突き上げた。
派手な素振りで腕を振り回し、演奏が終わる。
パチパチと気のない拍手が耳に入り、少年は目を開けた。
額を垂れる汗が目に入って、しみる。
目のあたりを手で拭い、汗で束になった前髪をかきあげると、少年の父親がニッコリと笑った。
「さすがだ、ジョン。とてもよかったよ」
お遊戯会で張り切った子供を褒めるような父親の台詞。
「ありがとう、父さん」
少年は父親がしたのと同じように、ニッコリと笑い返した。
大人ぶった、余裕を見せつけるような笑顔だった。
「だけど俺は、ガレージで終わる男じゃない。俺の演奏も名も顔も。世界中に知れ渡る。そんな日が必ず来る」
父親は肩をすくめると「夢は大きいほどいい」と言った。
少年がロックスターになるなど、まるで信じていないような口ぶりだった。
我が子がスターになるかもしれない。
その可能性を疑ってはいなかった。だが、少年の父親は、少年が俳優になると信じているのだ。
彼は見る目のあるキャスティングディレクターだった。
どんな相手にも物怖じせず、へりくだることなく。大胆不敵。
それでいて無邪気すぎて考えなしの、よくある若者特有の愚かさを示すことなく。
相手の望む姿を察して、その通りに振る舞うことのできる、頭の回転の早さと想像力、センス、ユーモア。
なにより少年の持つ強い華は、ハリウッドで十分通用するだろう。
少年は口の端をつり上げ、父親の肩を叩いた。
「俺がスターになったら。そのとき父さんは、このガレージライブについて、自慢気に語ってくれていいよ。『あれこそが天才ギタリスト、ジョンの始まりだった』ってね」
少年はギターを手に、ガレージを出ていった。
父親は再び肩をすくめると、愛車へと向かった。
十数年後、『あれこそが天才ギタリスト、ジョンの始まりだった』なんて台詞を、本当に自分が口にするとは思わずに。
(了)