(11)デボラ生花店
デボラ生花店は、キングス・ホテルから徒歩だと15分位の所にあった。ブルーとジリアンは、魔法で強化された脚力と反射神経によって、残り10分は必要だった距離を、あっという間に駆け抜けた。
「あのジャービスとかいうギャングが、メッセージカードつきの花束をデボラ生花店に注文したのなら、宣戦布告まがいの文面を書いた落とし前をつけさせようと乗り込んで来るかも知れない」
ブルーは、それらしい者が店に向かっていないか注意を払いながら疾走していた。強化魔法は視神経や聴覚にも作用し、夜の闇でも生身の状態よりは視界が明瞭になる。
やがて、目指すデボラ生花店の看板が見えてきた。さすがにもう営業は終了している。
「あそこだ!」
「急ごう、アドニス君!」
二人は鮮やかに着地し、肉体強化魔法を維持したまま生花店に近付いた。だが、すぐに異変が起きている事に気付く事になった。
「あっ!」
ブルーは声を上げた。「デボラ生花店」と書かれた看板の下に、叩き壊された店のドアが倒れていたのだ。ガラスが割れており、入り口の奥に見える棚や鉢が床に散らばっている。
「やばい!ジャービスの奴らだ!」
二人は迷う事なく、明かりが消えた店の中に突入した。しかし店内に足を踏み入れた瞬間、ブルーの眼前に黒い影が迫ってきた。
「わあー!!」
ブルーは突然奥から飛び出してきた人影に激突し、外に弾き出されてしまう。反射神経が強化されていたとはいえ、あまりの咄嗟な出来事に反応ができなかった。
「アドニス君!」
ジリアンが慌ててブルーを抱え、横に退避した。すると、ブルーを弾き飛ばした人影が、地面に転がってそのままぐったりとなった。
「なっ、なんだ!?」
「アドニス君、大丈夫?」
「僕は平気だけど…あっ!」
ブルーは、その倒れている黒いスーツの若者の風体が明らかに、さっきホテル前で乱闘騒ぎを起こしていたようなギャング、チンピラの類であることに気付いた。
「どういう事だ…」
近寄って様子を確認しようとしたその時、店の奥から男の悲鳴が聞こえてきた。
「うっ、うわあ!!」
「あたしが何を書いたって!?言いがかりもほどほどにおし!!」
今度はドスの効いた女性の声が響いてきたかと思うと、次の瞬間また一人、別なギャングらしきグレーのスーツの若い男が、何かに弾き飛ばされて先の男と同じように道路に倒れた。
「ひっ、ひいい!」
チンピラ2人は何かに怯えるように、尻もちをついた状態で後ずさった。何事かと見守るブルーとジリアンの前に、入り口からノシノシと別な影が現れて、二人をジロリと睨む。堂々たる胴回りで、右手には園芸用のハサミが光っていた。
「ひっ!」
思わずジリアンも怯むその眼光の持ち主の姿が、ガス灯に照らされてようやく見えた。
「なんだい。あんたたちもこのチンピラの仲間かい」
その太い声は、女性のものだった。年齢は30代後半から40代半ばといったところか。まくった袖から見える腕は、牛の脚と見紛うほど隆々たるものである。真っ赤な髪は後頭部で結い上げられ、白いエプロンには何やら赤い飛沫が染み付いている。いまそこで人をハサミで刺し殺してきました、と言われても何の不思議もない。
「ちちち、違います。ほら、アドニス君!」
「えっ!?」
「手帳!警察手帳!」
ジリアンに背中を叩かれて、ブルーは慌てて警察手帳を示した。
「けっ、警視庁の魔法犯罪研究会の…」
「捜査課!」
「ままま、魔法犯罪特別捜査課のブルーウィンド刑事です!」
ブルーが震える手で掲示した手帳に、その巨体を誇る女性の顔が寄せられて、ブルーは噛み殺されるのではないかと一瞬本気で考えた。
「ふうん。こんな子供を雇うとは、警察も人手不足なのかね」
女性は突然振り返ると、逃げようとしていたチンピラ2人に怒鳴りつけた。
「逃げるんじゃないよ!!!」
「ひえええ!!」
ギャングのチンピラ達はその迫力に本当に腰を抜かし、動けなくなってしまった。そこへ、女性は園芸ハサミを逆手に握ってゆっくりと近づく。どう見ても、切り裂き魔に哀れな被害者が追い詰められている構図である。騒ぎを聞きつけた周りの家や商店、通行人が周囲に群がり始めた。
「もう一度言ってもらおうか!あたしが何を書いたって!?」
女性がそうチンピラに凄むのを聞いて、ようやくブルーとジリアンは冷静さを取り戻した。
「今の聞いた?ジリアン」
「ええ」
「予想は当たってたみたいだ」
ブルーはそう言うものの、その後の展開は全く予想ができていなかった。女性は立て続けにチンピラに凄む。
「あたしは、あんた達に頼まれた通り花束を納品して、カードも書き添えておいたんだよ!文面に間違いがないか、あの時あんたに確認させたろう!!」
「そっ、その通りです!」
「じゃあ何の文句があるってんだい!!」
女性がハサミを振り上げたところで、いよいよブルーとジリアンは止めに動いた。おそらくこのチンピラが花屋に乗り込んで来たであろう事は察しがつくものの、どう見ても今はそのチンピラの方が被害者になりかけている。
「落ち着いて、おばさん!」
「なんだい、あんたこのチンピラの肩を持つのかい!」
「そうじゃなくて!」
ブルーとジリアンが、花屋の店主と思われる女性の腕を押さえているところへ、だいぶ遅れてアーネットが到着した。アーネットは目的地の花屋の前で起きている事態が把握しきれず、ブルーとジリアンを怪訝そうな顔で見ていた。
「ブルー、こいつは…どういう状況だ?」
「アーネット、そのチンピラを取り押さえて!」
「なに?」
「早く!このオバサンに殺される前に!」
アーネットは何だかわからないまま、チンピラに近付くと鮮やかな手並みで彼らのネクタイを抜き取り、後ろ手に手首を縛りあげてしまった。群衆からは、よくわからないが拍手が起きる。
「これでいいのか」
チンピラが縛り上げられるのを見て、ようやくデボラ生花店の店主はハサミを下ろした。ブルーとジリアンは止まりかけていた心臓を撫で下ろし、ほっと息をつく。
「じっ、事情を伺っていいですか」
そう訊ねるブルーを、女性はジロリと見た。のちにブルーが述懐するところによれば、人生で何度か死を覚悟した瞬間のひとつが、この時だったそうである。
集まって来た群衆を解散させ、チンピラを駆け付けた駐在員に引き渡したあとで、ようやくブルー達はデボラ生花店の店主、キャロル・デボラ45歳の話を聞く事ができた。
「では、確かにジャービス組から花束の注文を受けたんですね」
ようやく酔いが醒めてまともになったアーネットが、刑事らしく聞き取りを開始した。アーネットはそれなりに肩幅もあるはずだが、キャロルの巨体の前では18かそこらの青年にしか見えない。ブルーに至っては少年というより児童である。
「ああ、そうさ。カードも全部、あいつらが指定したとおりの文面で書いた」
腕組みして仁王立ちしながら、キャロルは言った。この太い腕であの細やかな字を書いたのか、と3人は思ったが、それを言って張り倒されるのが怖いので、余計な事は言わなかった。
「それをあいつら、文面のおかげで決裂がどうの、とか訳のわからない難癖をつけてきたんだよ。どうせそれで代金返せとか言うつもりだったんだろうね!今すぐ乗り込んで行って、あいつらの親分を張り倒してやりたいよ」
この人に乗り込んでこられたら、その日のうちにギャングは解体するしかないのではないか、とブルーは思った。
「ふうん、あいつらジャービスっていうのかい。うちの店を荒らしてくれた落とし前はつけさせないとね」
もはや、どっちががギャングなのかわからない。この人こそ、昔ギャングか何かだったのではないのか、と3人は思った。百戦錬磨の刑事アーネットの経験からしても、その眼光は一般人のものではない。それはともかく、頭に血がのぼっているこの生花店店主をどう説得すればいいのか。
「デボラさん、状況はわかりました」
アーネットはとにかく話を進めるためにそう言うと、胸ポケットから回収した魔法の万年筆を数本取り出して、キャロルに示した。
「つかぬことを伺いますが、最近こんな万年筆を、キャンディ売りの少女からお買い求めになりませんでしたか」
突然そう言われて、キャロルはその厚ぼったいまぶたを大きく開けて驚いた。
「そうだよ。どうして知ってるんだい」
そう言うと、その巨体を揺すって棚に歩み寄り、抽斗から一本の万年筆を取り出す。
「これだよ。あんたが持ってるのと同じ」
キャロルの太い指につままれた万年筆は、間違いなく魔法の万年筆と同一のデザインだった。マリエは中年の女性にも売った、と証言している。アーネットとブルーは顔を見合わせて頷き合った。
「やはりそうでしたか。デボラさん、例のギャングに注文されたメッセージカードも、その万年筆で書かれましたね」
「その通りだよ。ちょいとクセがあるが、買った以上使わないともったいないからね」
「なるほど」
「あんた、何でそんなことまでわかるんだい。この万年筆が、どうかしたのかい」
そう言われて、アーネットは迷った。この女性を納得させるためには、魔法の万年筆について説明しなくてはならない。しかし、出来る事なら一般人には、万年筆の存在は伏せておきたかった。
だが、ブルーは言った。
「アーネット、ここは説明する以外にないよ。万年筆のこと」
「それはそうなんだが…」
「この人なら大丈夫だと思う。おばさん、口固いよね」
唐突にブルーに言われ、キャロルはまたもジロリと睨んで言った。
「誰に言ってるんだい。このキャロル・デボラ、約束したら死んでも守るよ」
その言葉で、もうこの人はもともとカタギの人間ではないんだな、と何となくブルーは理解した。そう理解すると、むしろ安心して話ができるとさえ思ったのだった。
「だって、アーネット」
「…わかった」
アーネットはキャロルに向かって、理解できるよう精一杯言葉を選びながら、魔法の万年筆の事を説明した。最初は、魔法の存在そのものについて懐疑的に見えたキャロルも、以前のリンドン大暴動事件で新聞にまで載った怪奇現象などの事例を交えると、意外なほどすんなり理解してくれたのだった。
「へえ!あの子から買ったこの万年筆が、そんな代物だったとはね」
「そうです。ただし、あの子に罪はありません。あの子が知らないのをいい事に、わざと譲って売らせた愉快犯がいるんです」
アーネットの説明に、キャロルの目がギラリと光った。
「ふうん、そんな奴らがいるのかい。無知なカタギの人間に片棒担がせるとは、道義を知らない奴らだね」
カタギの人間は一般人の事をわざわざカタギ呼ばわりしないだろう、とジリアンは思う。キャロルは、持っていた万年筆をアーネットに差し出した。
「デボラさん、確認しますが、この万年筆はここ数日の間に、お仕事で何度か使われてますよね」
「ああ。メッセージカードもそうだし、運送屋だとかの伝票へのサインにも使ったよ」
なるほど、とアーネット達は合点がいった。ジリアンが確認したという、バックラー通りの文字書き換え事件は、キャロルが魔法の万年筆でサインした伝票が、街中を移動したために起きた現象だったのだ。
「話はわかった。あたしの罪ってわけではないんだね」
「当然です。そして、あのギャング達も刑法と立場的に、魔法犯罪の被害者だとは言えます」
言いながら、アーネットは頭が痛かった。この流れからいくと、あのギャング達にも魔法の万年筆について説明しなくてはならなくなる。話の途中で、腕を組んでひとり唸った。
「どうしたものかな。あのランプ一家の親分に、どこまで話が通じるか。だが、真相を説明しなくてはジャービス組と揉めたままだ」
アーネットが言うと、キャロルが意外な反応を見せた。
「なるほど。あのランプに話をつけなきゃいけないわけだね」
そう語るキャロルの目が、ますます一般人ではない「そのスジの人」の目になるのがわかった。もう間違いない。この人は今は一応カタギらしいが、以前何がしかの稼業についていたらしかった。アーネットは、恐る恐る訊ねる。
「…何か、ランプと面識があるようにお見受けされますが」
「ああ、今はないよ。あたしは既に足を洗った身だ」
やっぱりか、と3人は納得した。キャロルは続ける。
「だが、ツテはある。ランプ一家と繋がってるマッソン一家の相談役モリソンて奴が、あたしの顔なじみだ。そいつに話を通させる事はできるかも知れない」
「本当ですか」
アーネットが期待をこめて身を乗り出すと、キャロルはニヤリと笑った。
「貸しにしとく、と言いたい所だがね。あたしもその昔は、刑務所の厄介になった事もある。お上に迷惑かけた罪滅ぼしってわけじゃないが、話を通すくらいはお安い御用さ」
話をしていると、どんどんキャロルの正体がわかってくるのがブルーやジリアンには怖かった。そのうち、今まで何人殺したか、嬉々として語り始めるかも知れない。
「話を通すだけだよ。そっから先はあんた達の仕事だ」
「お願いできますか」
「ああ」
その、どうという事のない返事から伝わる声の響きに、ひょっとしてこのキャロル・デボラなる女性は、とんでもない経歴の持ち主なのではないか、とアーネットは思い始めた。そもそも、キャロルが言ったマッソン一家といえば、その稼業はギャングというよりは一般企業に近いくらい比較的まっとうなものであるが、”怒らせたらランプ一家など比較にならない”と、重犯罪課時代にしつこく言われた一家である。
「ありがとうございます。それではデボラさん、申し訳ないがこの万年筆は、我々魔法捜査課が押収させていただきます。後日、代替品を用意いたしますので」
「ああ、そんなもの要らないよ。万年筆一本買うのに困るほど貧乏はしてないさ」
キャロルはケラケラと笑った。もっともその巨体からして、食費に困っているようにも見えないな、と聞いていた3人は思ったが、もちろん命が惜しいので言葉にはしなかった。
「ところで、あのキャンディ売ってた女の子だけど、このところ見ないね。大丈夫なのかい」
キャロルは、意外にもマリエの事を気遣っていたようだった。話を聞くと万年筆とキャンディを買ったのは、子供が街頭で売り子をさせられていて、不憫に思ったからだそうである。しかし親からの虐待という噂は、まったく的外れではないにせよ大部分が世間の誤解である事を知って、安心したようだった。
「ふうん、マリエね。あの子に伝えといてくれ。困った事があったら、この商店街が力になるってね」
その言葉で3人は完全に理解した。この花屋の店主は、この商店街の”ボス”なのだと。
ようやく目的を果たした3人は、達成感よりは疲労が勝る身体を引きずるように歩いていた。
「どうにか6本、回収できたな」
「奇跡でしょ。1日で全部回収とか」
ブルーは、アーネットの何気ない呟きに大げさな表情で返した。
「しかし、あのマリエって子、ひょっとしたら将来とんでもない大物になるかもな」
アーネットがそう言うので、ジリアンとブルーは「まさか」という顔をした。
「いやいや、ないでしょ」
「そう思うか?あの子は今日たった1日で、レベッカの商店街と、あのデボラっておばさんが仕切ってるらしい商店街、一気に味方につけたんだぞ。孤児だった所から、一歩間違えれば虐待になりかけてたのを、ろくな教育も受けてないのに計算の才能で義理の母親を感心させた所から始めて、この結果に行き着いたんだ」
刑事を十年やっているアーネットの言う事には、それなりに説得力がある。
「しかも、どうやらあのおばさん、いまだにマッソン一家に顔がきくらしい」
アーネットは、キャロルから受け取ったマッソン一家のモリソン相談役への連絡先を眺めながら言った。
「そうなると、あのおばさんを通じてマッソン一家まで味方についてしまう可能性もある」
「「それ大丈夫なの!?」」
ジリアンとブルーは声を揃えた。8歳だか9歳だかで、古参のギャングの後ろ盾ができてしまうのはどんなものだろう。レストラン経営の父親が家に戻ってくれば、それで十分ではないのか。アーネットは笑った。
「マッソン一家は道義ってものをわきまえてる組織だ。警察からも一目置かれているし、心配いらん」
十分心配だ、とブルー達は思った。あと30年くらいしたら、マリエは今のキャロルみたいになっているのではなかろうか。そんな事を思っていた、その時だった。
「ん?」
ジリアンが、何かに気付いてアーネットを見た。
「どうした」
「アーネット、その内ポケットどうしたの」
ジリアンに言われて、アーネットも内ポケットの異変に気がついた。何かというと、内ポケットから怪しい虹色のオーラが立ち上っているのである。
「なんだ?」
慌ててアーネットは上着を脱いだ。その行動がラッキーだった。
「うわっ!」
そのオーラの正体は内ポケットにあった、5本の回収した万年筆であった。それが、何かに反応するように共鳴し、魔力が漏れ出しているのだ。
漏れ出した魔力は、炎のようになって上着の胸部分に大きな穴を開けてしまった。すでに万年筆は燃え尽き、魔力だけが混沌とした状態で暴走を開始し、さながら炎の大蛇のように、ブルー達に襲いかかってきたのだった。




