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(8)ごきげんよう

 魔法でブルーが強引に停めた馬車の御者は、サンソムといった。歳は40前後といったところである。少年であるブルーが警察手帳を掲示したのには多少怪訝そうな目を向けたものの、魔法捜査課だと説明したらなんとか納得してくれた。

「オジサン、この辺でキャンディ売りの女の子から、万年筆を買わなかった?」

 ブルーはあれこれ回りくどい話も面倒なので、単刀直入に切り出した。御者サンソムは、唐突に言われて面くらいながらも、記憶を辿るとすぐに思い出す素振りを見せた。

「ああ、はい。確かに公園の道路沿いで、女の子から買いましたよ」

「それ、いま持ってる?」

「え?ああ、はい」

 そう言うとサンソム氏は、馬車の御者台の横に据え付けてあるボックスを開け、何やら綴じてある紙の束にクリップを引っ掛けた状態の万年筆を持って来た。

 そこへ、アーネットが遅れて駆け付ける。

「ブルー、どうだ」

「当たりだよ。このサンソムってオジサン、万年筆を買ったって」

「そうか。失礼、私は警視庁魔法捜査課のレッドフィールド巡査部長です」

 アーネットも警察手帳を示すと、ブルーと交代してサンソムから万年筆を受け取った。

「ふむ。形状からして間違いなさそうだ」

「だね」

 アーネットとブルーのやり取りを、まるで理解できない様子でサンソム氏は見守っていた。

「あ、あのう、その万年筆が何か」

「サンソムさん、この万年筆、主にどういった用途でお使いですか」

「用途、ですか。ええ、それは…」

 そう言うと、サンソム氏はペンを留めてあった紙束の表紙に書かれた文字を示した。


[ 領収証 ]


 その文字列で、アーネットもブルーも即座に合点がいった。

「あー、なるほど」

「そういう事か」

 領収証の記入用紙の束を見ながら頷く刑事二人に、何の事か見当もつかない御者サンソムは首を傾げた。

「あのう、な、何か私しましたでしょうか」

「いえ、あなたに何らかの責任があるという話ではありません」

 いちおう安心させるために、アーネットはそう切り出した。

「これは我々、魔法捜査課の案件になるので、詳細はできれば伏せておきたいのですが。サンソムさん、申し訳ないがこの万年筆は、我々が押収させていただきます」

「はい?」

 いよいよサンソム氏の脳内には、疑問符が増大していった。一体この刑事たちは何を言っているのか。

「その万年筆がどうかしたんですか?」

「できれば一般の方には伏せておきたい事柄なので、昨今増加している魔法犯罪事件に関わる物品だ、という事だけ申し上げておきます」

「魔法犯罪!?」

 そう言われて再びサンソム氏が狼狽えたため、アーネットは再びフォローしなくてはならなかった。

「繰り返しますが、サンソムさんに責任が発生するわけではありません。ただ、この万年筆は非常に危険な代物で、それと知らずあの女の子が売ってしまったというわけなんです」

「その万年筆をこっちが押収すれば、とりあえず話は終わるんだ。代替品は警察持ちで用意するからさ」

 ブルーの言いようもだいぶ大雑把ではあったが、どうにか遠回しに伝える事はできた。サンソム氏は女の子が不憫で買ってあげただけなので、代替品も特に必要ないという事であった。


 馬車の馬を目覚めさせ、サンソム氏が走り去るのを見送ると、アーネットとブルーはドッと疲れが押し寄せてうなだれた。

「要するにだ」

 アーネットは、肩をゴキゴキ鳴らしながら言った。

「あの御者のおっさんが、客に領収書切るのに魔法のペンを使ったせいで、その領収書を持ち歩いてる客に魔法が発動したってわけか」

「そんなとこだろうね。というか、それ以外に考えられない」

「だが、あれって自分の名前じゃないと発動しないんじゃないのか」

 そう言われてみればそうだ、とブルーは思った。魔法の万年筆は基本的に、それで自分の名前を書くことで、魔法発動の「命令」が完了する仕組みである。領収書で書くのは自分でなく、客の名前だ。今までの魔法犯罪事件のパターンからすると、魔法は不発で終わりそうに思える。

「失敗作の万年筆だから発動パターンもおかしい、って事なんじゃない?」

 ブルーはそう結論づけた。アーネットは、魔法の専門家であるブルーが言うならそうなのだろう、と納得する事にした。

 その後、劇場の支配人と、帰る寸前だった女優イライザをつかまえて、魔法の万年筆の詳細は極力ごまかしつつ、客が公演中に爆笑したのは魔法犯罪が原因の不可抗力によるものだ、と一応は説明しておいた。説明するだけしてさっさと切り上げたので、女優が納得したかどうかまでは、刑事二人には不明である。

「なんか普通の犯罪捜査より疲れる」

 ブルーの感想に同意しつつ、アーネットは劇場を振り返る。先刻の笑い上戸の人物が、ぐったりとなって担架で大きな馬車の荷台に乗せられるのが見えた。

「あーあ。このペンの検証、後回しでいいよね」

 いい加減、目まぐるしい一日にウンザリしてきたらしいブルーは、万年筆を指でブラブラさせた。もう帰りたい、と顔どころか全身に書いてある。すでに陽は傾いており、アーネットも残りはどうせ一本だし、今日はもうゆっくり食事をしてさっさと帰ろう、と思い始めていた。

 そこへ、レベッカとマリエが中途半端な足取りで歩み寄ってきた。

「アーネット、終わったー?」

「レベッカ、いいタイミングだ」

「なにが?」

 レベッカは、マリエと一緒に首を傾げた。


 アーネットはレベッカとマリエを連れて、手近なレストランで夕食を取ることにした。少女二名の保護という大義名分を、残りの捜査を後回しにする口実にしたのだった。

「おいしい!」

 マリエは、心から嬉しそうに貝殻型のパスタのスープを頬張った。

「ねえ、まだ1本残ってるんでしょ?呑気にディナーしていいの?」

 レベッカは四角いシート状のパスタを積層させたグリルを、熱そうに食べながらアーネットを見た。

「刑事だって収穫がなけりゃその日の捜査は打ち切るんだ。早く帰ってしっかり寝て、明日からの捜査に備える。これがプロの刑事だ」

「すごいね。そういう口の上手さで刑事十年やってきたんだ」

 そう言うブルーも皮肉だけは上手くなったな、とアーネットは苦々しい顔を向けた。誰の君徳だろう。

「まあ、この調子じゃ最後の1本も、大したものでもなさそうだけどね」

 ブルーは余裕の笑みを浮かべながら、やや酸味の効いたトマトソースのスパゲティを巻く。そこへ、皮肉のお返しとばかりにアーネットがスプーンを向けた。

「油断してると、予想外の出来事が起きるぞ」

「大げさだな」

「ま、何もない事を祈るんだな」

 そう言うとアーネットは、ボーイを指で招くと二言三言告げ、おもむろに席を立った。

「ブルー、ここは支払っておくから二人を家まで送ってやってくれ。馬車を拾ってもいい。今日の手間賃込みだ」

 ブルーの手元に紙幣を何枚か置くと、アーネットは時計を見る。

「アーネットはどうするのさ」

「一応、戻りがてら何か起きてないか聞き込みする。いま、デザートも頼んでおいたからお前達はゆっくりしてろ」


 少年少女だけになったテーブルを囲み、三人は運ばれてきた真っ白なフワフワのチーズケーキを口に運んだ。ちょっと今まで食べた事がない。

「アーネットって妙に気前がいいけど、財布大丈夫なのかな」

 常日頃の疑問を、ブルーはボソリと呟いた。アーネット本人が言うには、女性関係が華やかだった頃に比べれば「慎ましいもの」だそうである。

「そんな遊んでたイメージないけどね。どっちかっていうと、パッと見はカタブツに見える」

 レベッカの感想に、9歳だか10歳だかのマリエも頷いた。

「そうだね。真面目な刑事さんに見える」

 ブルーは複雑な顔をして、女の子二人の会話を聞いていた。実際、アーネットは基本的に「真面目な刑事さん」である。もともとは、そういうタイプだったのかも知れない。

 そう思っているところへ、レベッカが放った一言にブルーは顔をしかめた。

「むしろ女性関係は、ブルーの方が将来ややこしい事になりそう」

「…どういう意味さ」

 フワフワのケーキにフォークを突き刺したまま、ブルーはレベッカを睨んだ。

「うん、なんかね。無自覚に女の子を引き付けるタイプっていうか」

「何言ってるかわかんない」

 憮然としてブルーがケーキのかけらを口に運んだ、その時だった。胸ポケットに仕舞ってある魔法の杖が、ブルブルと振動を始めた。

「ん?」

 アーネットかナタリーからの連絡だろうか、と取り出してみる。しかし、杖がピンク色に点滅しているのを見て、ブルーの背筋が凍り付いた。

「…ちょっと外す」

 そう言うと、杖を片手にブルーは席を立った。残された二人の少女は、何だろうと目を見合わせた。


「…もしもし」

 ブルーは魔法の杖を耳にあてがう。すると、杖の向こうからは凛とした少女の声が聞こえてきた。

『アドニス君?あたしー』

 魔法の電話をかけてきた主は、他に誰あろうモリゾ探偵社勤務、魔女探偵ジリアン・アームストロング15歳その人であった。

『今電話、いい?』

「ああ、いいよ」

 ブルーは周囲を見回す。レストランの脇のスペースは、誰も来る気配がない。

『あのさ、今日ミランダとお出かけしてるんだけど、妙な事件が起きてるみたいなんだ』

「事件?」

 ひょっとして行方不明の魔法ペン最後の1本だろうか、とブルーは思って訊ねた。

「それって、ひょっとして広範囲でわけのわからない現象が多発してるような事件じゃない?」

『そうだよ!どうしてわかるの?』

 ジリアンの驚く声をよそに、ブルーは考えた。まだ、現在追跡中の魔法の万年筆が原因と決まったわけではない。

「具体的には、どういう事件?」

『うん。書類とか、看板だとかの文字が勝手に書き換えられちゃう現象が起きてるみたい』

「なるほど。ほぼ魔法の案件と確定だな…場所は?」

『あたし達が今いるあたり。えっとね』

 ジリアンの声の背後から『バックラー通りです』という、同じ魔女探偵のミランダの声が聞こえた。

『バックラー通り。アドニス君、あなた今どこにいるの?今日休みだよね。自宅?』

「あっ、や、休みは休みなんだけど」

 ブルーは、とりあえずジリアンのいる地域が、自分からだいぶ遠い場所である事にホッとしていた。しかし、そこでジリアンは持ち前のお節介根性を発揮する。

『ひょっとして、緊急で捜査してた?』

「えっ!?」

『そうなんでしょ?でなきゃ、いきなり事件の内容について、推測混じりで訊いてこないよね』

 出た。ブルーも人のことは言えないが、会話の内容から相手の状況を推察してしまうのは、刑事や探偵の職業病である。まずい、とブルーは先手を打つ事にした。

「そ、そうなんだけど、今日はもう切り上げる事になったんだ。アーネットとさっきまで一緒だったんだけど、もう解散した」

『ふーん。じゃあ、この件どうすればいいのかな』

「一般人からの通報って扱いでいいんじゃないかな」

『あはは、一般人は魔法の事なんかわかる筈ないじゃない』

 ジリアンが笑ったので、それもそうだとブルーもつられて笑う。その時、ブルーの背後で夕刻の何時だかを知らせる、街の鐘の音が響いた。

「わかった、情報ありがとう。とりあえず、アーネットにも連絡は入れておく。明日、僕らが改めて捜査するよ。そっちの力を借りるほどの案件じゃないと思う」

『そっか。わかった』

「暗くなるから、気をつけて帰ってね」

『うん。ありがと』

 それじゃ、と二人は通話を切る。ブルーはレベッカ達を待たせている事に気付いて、テーブルに戻った。


 レストランを出たブルーは、まず最年少のマリエを自宅まで送る事にした。暗くなってきた通りを少年少女だけで歩いていたので、駐在所の警官に呼び止められる場面もあったが、ブルーが警察手帳を掲示した事でさらに話が面倒になったりもした。

 ようやくマリエを自宅に送り届けた時には、もうだいぶ暗くなっていた。

「マリエちゃん、捜査協力ありがとう。あちこち歩かせちゃったね」

「ううん、楽しかったよ。美味しい食事もご馳走になったし。刑事のおじさんに、ありがとうって伝えておいて」

「わかった。おじさんに伝えておく」

 ブルーとマリエは笑う。

「マリエ、何か困った事があったら、私の所に来て。商店街のみんなも、力になってくれると思う」

「ありがとう、レベッカお姉ちゃん」

「レベッカ、でいいよ」

「うん。またね、レベッカ」

 レベッカと握手すると、マリエは門扉を締めて手を振りながら、まだ母親や使用人達がいない家に一人戻って行った。

「強い子ね」

 レベッカが感心したように言う。

「君だって似たようなもんだろ。一人で店をどうにかやってるんだし」

「それもそうか」

「さ、送るよ。行こう」

 ブルーは念のため魔法の杖を構えると、レベッカと一緒に歩き出した。


「以上、ジリアンからの連絡」

 ブルーは歩きながら、念のためアーネットにジリアンから伝えられた内容を、魔法通話で連絡していた。

『なるほど、わかった。念のため管轄の駐在所には、俺から連絡しておく。お前は帰っていいからな』

「アーネットは?」

『俺もさすがに疲れた。切り上げて一杯やりたい。明日、改めて捜査しよう』

「飲みすぎて二日酔いで出てこないでね。酔っ払いの介抱と捜査は同時にできないよ」

 ブルーはその光景を想像しつつ通話を切る。それを聞いていたレベッカが笑った。

「あはは、変なの。いつもそんな会話してるの?」

「アーネットのジョークが感染ったんだよ」

 これは冗談ではない。ブルーのみならず、ナタリーもアーネットの口調が感染した、と言う警察関係者は多い。アーネットのジョークは感染するらしかった。

 ブルーはようやくレベッカの会話のリズムがわかってきた。ジリアンは八方破れなようでいて意外と詩的な会話も好むのだが、レベッカは年相応というか、より世俗的な調子である。

「あれ?ブルー、こっち行った方が早くない?」

 レベッカは、唐突に大通りを外れたブルーを呼び止めてそう言った。ブルーは慌てて取り繕う。

「こ、こっち通った方が実は近いってアーネットが言ってた」

「ふうん…?」

 何か煮え切らない様子のブルーに、レベッカは「まあいいか」と合わせて一緒に歩き始めた。実際にはレベッカの自宅であるピカリング雑貨店までは、どっちを行っても大差はない。

「おや、レベッカ。今日は店を閉めてると思ったら、彼氏とデートかい」

 店仕舞いをしている花屋の顔見知りのおばさんが、若干驚きつつも笑いかけてきた。レベッカも笑顔を返す。

「ふふん、そう見える?」

「イケメンじゃないか。あんたも隅に置けないね」

「ま、そういう事にしておこうか」

 レベッカが勝手に暫定彼氏扱いしてきたため、ブルーは訂正せざるを得なかった。

「そういうのじゃないです。ちょっと捜査に協力していただいてました」

 と、警察手帳を示してみせる。しかし、花屋のオバサンは若干飲み込みが悪いようだった。

「レベッカ、刑事と付き合ってるのかい!?」

「違う!!」

 オバサンにツッコミを入れたのはブルーである。やはり大通りを行けば良かった、とブルーが後悔し始めた頃、進行方向に何やら仁王立ちする人影があった。

「ん?」

 さてはひったくり、または通り魔の類か、とブルーは身構える。しかし、ちょうど点灯したガス燈に照らされた、その人物の顔を確認すると、ブルーは唐突に縮み上がって「ひいい!!」と声を上げた。

 人影の正体は、女性だった。赤っぽいロングヘアと、凛々しい目が印象的なその女性は、腕を組んでブルーを睨みつけている。ブルーはというと、まさしくヘビに睨まれたカエルといった体で、ぴくりとも動けずにいた。レベッカは、二人の顔を交互に見て不思議そうな顔をしている。女性の、その綺麗な唇が動いた。

「ごきげんよう、アドニス君」

 どう見てもご機嫌よろしく見えないその女性は、誰あろうジリアン・アームストロングその人であった。

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