(6)家庭の事情
アーネット達はレストランのシェフ、ペーテル氏の養子マリエの話を、彼女が住む邸宅の食堂で聞く事になった。マリエはブルーの放った魔法にだいぶ驚いていたが、アーネットが警察手帳を示すと、とりあえず安心してくれたようである。
ちなみにマリエが振り回していたレイピアは、この古い邸宅に飾られている、そこそこ貴重な中世の品物であったらしく、弾き飛ばしたブルーはもし壊れていたら、カミーユに修繕を頼むべきかとヒヤヒヤしていた。
「うん、売ったよ」
マリエは紅茶を出しながら、あっけらかんと魔法のペンを何人かの人間に売った事を認めた。自分のぶんもカップに注ぐと、席についてアーネットに向き合う。なんだか手慣れてるな、とブルーは思った。
「その、売った人達の顔とか、名前はわかるかい」
アーネットがメモ帳を手に訊ねる。
「全員覚えてる自信はないわ。覚えてるのは、あの高級な本屋さんのおじさんと、このお姉ちゃんと」
そう言ってレベッカを見る。
「あと、馬車で降りた黒いカバンを持ったオバサンに…ごめん、あと二人は覚えてないや。名前は全員わからない」
「そうか…ん?」
アーネットは、首を傾げてマリエに訊ねた。
「全部で6本じゃないのか?だよな、ブルー」
「うん、レベッカの店にあったのと、あの本屋さんのと、この1本と…」
確か今までの情報だと、マリエがバイヤーらしき人物から受け取ったペンは6本のはずである。もう1本はどうしたのかと思っていると、マリエは答えた。
「そうだよ。あのスーツのおじさんから受け取ったのは6本。でも、そのうちの1本は自分で使おうと思って、うちに持ってきたの。で、お母さんに取られた」
「取られた?」
「子供がそんな高級そうな万年筆なんか持たなくていい、って」
「…ペンを、怪しげな男からもらった事は話したのか」
「うん。べつにそこは深く考えてないみたい」
それはいいのか、と3人は思った。しかしそこで、アーネットはひとつの事に気が付いた。
「その、お母さんは今お出かけしてるのかい。今、君しかこの邸宅に人の気配がないけれど」
「うん。いないのはいないけど、入院してるの」
「なに?」
アーネット達は驚いて顔を見合わせた。
「いつからだ」
「その、私からペンを受け取った次の日だよ。というか、実をいうとお手伝いのおじさんとお姉さんも、お腹壊して入院しちゃったの」
「お腹を壊して?」
それを聞いて、即座にアーネットとブルーは事態を察知した。もうだいたい、何が起こったか想像がつく。
「…その、お母さんたちがお腹を壊した時、君はここにいたのか」
「ううん。キャンディを売りに出かけてて、帰ってきたらみんなが倒れてたの。慌ててみんなを介抱してたら、ちょうど郵便屋さんが来たからお医者さんを呼んでもらった」
「…なんだか、出来た子だな」
アーネットは感心しながらも、次の質問を投げかけた。
「3人とも、同じ症状だったんだな」
「うん。お医者さんの話だと、胃の中に毒素が出来てたって。わたし、慌ててみんなに水を飲ませて吐かせたんだけど、もしそれが遅れてたら、死んでたかも知れないって」
軽い調子で恐ろしい事を語られ、ブルーとレベッカは背筋がゾクゾクしていた。
「ブルー、見当つくか」
「毒素を生成させる魔法はある。そのペンには、そういった魔法の失敗作が封じられていたのかも知れない。お母さんか、使用人の誰かはわからないけど、そのペンで名前を試し書きしちゃったんだろうね」
「それで、無差別にその場にいた人間が魔法の対象になっちまったって事か」
「検証しないと、何とも言えないけどね。検証したとたん、ここにいる全員が食中毒で入院って事にもなりかねない」
アーネットとブルーの会話を、マリエはキョトンとして聞いていた。
「おじさん達、何言ってるの?魔法?」
「マリエちゃん、おじ…お兄さんの言う事をよく聞いてくれ」
それとなく自分への呼び方の修正を誘導したアーネットは、魔法のペンが存在する事、それを広める悪い奴らに注意しなければならない事を、子供にわかるよう精一杯簡略化して説明した。
「そんな事がホントにあるの!?信じられないけど…うん、わかった」
飲み込みが早いのか、あるいは理解できていないのかはわからないが、マリエは一通り説明を聞き終えるとそう言った。
「でも、それじゃマリエ逮捕されちゃうの?」
途端に不安そうな表情でマリエは訊ねる。アーネットは手を横に振った。
「安心してくれ、君に罪はない。もし心配なら、法務局にも頼りになる知り合いがいる。君の無実を法的に証明してくれる」
「そうなんだ。ありがとう、おじさん」
「……」
まあ10歳やそこらの少女からすれば、31歳の刑事は問答無用でオジサンだよなと、心で思って口には出さないブルーが改めて質問した。
「それで、マリエちゃん。その、お母さんに渡したペンはまだあるんだね」
「うん、台所にあるよ」
ブルーに言われてマリエは、その万年筆を持ってきた。間違いなく、いつもの「魔法の万年筆」である。
「試してみる?」
「ばかやろう、さっき危ないって言ったばかりだろうが」
「だよね」
ブルーは、マリエに万年筆を示しながら言った。
「マリエちゃん、悪いけどこれは警察が押収する事になる。そして、これと同じ物、あるいは似たような怪しい物を見付けた場合、メイズラント警視庁の魔法捜査課まで届け出て欲しい」
「うん、わかった」
「そして、さっきアーネットも言ったけど、怪しい人物を見かけたら、絶対に関わらないこと。不安なら僕たちか、リンドン市内のモリゾ探偵社に連絡するんだ。いいね」
ブルーの真剣な表情に少し気圧されたのか、マリエは黙って頷いた。
「さて。これで、問題の6本の万年筆のうち、3本が回収できたわけだな」
アーネットが少しぬるくなった紅茶をすすりながら、万年筆をクルクルと回す。
「それはそれとして、マリエちゃん。こんな広い家に一人でいたら、色々大変だろう」
「何とかなってるよ。…寂しいけど」
子供は正直だな、とアーネットは思った。
「なあ、マリエちゃん。気を悪くしないで聞いてくれ。さっき実は、君のお父さんに会ってきた」
「ほんとう!?」
突然、マリエの目が輝く。
「ああ。君の事を心配していた。その…ここにいて、何かつらい目に遭っていないか、と」
そう言われて、マリエは黙り込んだ。
「僕は刑事だ。だから、家庭の事情について口出しはできない。だが、同時に一人の人間でもある。何か、困っている事があったら、話して欲しい」
「キャンディ売りの事を言ってるの?」
ストレートに言われて、今度はアーネットたち3人が黙り込んだ。
「うん。あれは、お母さんに言われてやってるんだけど」
「…そうか」
「最近は、街の人達とお話できて楽しいって思ってるよ」
「…ん?」
若干予想外の回答に、アーネットは疑問符を浮かべた。
「お姉ちゃんも、時々キャンディ買ってくれてるよね」
今度はレベッカに笑顔を向ける。
「ありがとね」
「うっ…うん」
「ひょっとして、うちに変な噂流れてる?」
子供ながらに何かを察したのか、マリエは3人の顔を交互に見た。ブルーが訊ねる。
「うん、ひょっとして児童虐待案件じゃないかって」
「おい!」
あまりにストレートにブルーが言うので、ついアーネットはツッコミを入れた。しかし、おかげで話がしやすくなったのも確かである。
マリエは、少しだけ重い表情で答えた。
「…実を言うと、半分は当たってるんだ。お母さん、私を養子にするのは反対だったの」
やっぱり話が重くなってきたぞ、とブルーは身構える。
「お父さんとお母さんには子供ができなかったから、お母さんには色々な気持ちがあったんだと思う。だから、私に冷たく当たる事は確かにある」
「だったら…」
そう言いかけたブルーに、マリエは言った。
「けど、ちゃんと食事はさせてくれるし、態度は冷たいけど読み書きも教わってる。キャンディ売りも、正直に言うと最初は半分嫌がらせみたいだったけど」
やっぱりそうなのか、とブルーは思ったが、アーネットは複雑な表情で聞いていた。
「最初はね。キャンディの売り上げの簡単な計算も出来ないのかい、とか帰るたびに言われたよ」
「それは…虐待じゃないの?」
「そうだったのかも知れない。けど私、そのおかげで、だんだん計算の仕方を覚えてきたんだ。そしたら、お母さんの態度が少しずつ変わってきた。いつしか、問屋さんと仕入れの話まで私にさせるようになってきたの」
何なんだそれは、とブルーは思ったが、レベッカは興味深そうに聞いていた。
「言い方は相変わらずキツイけどね。問屋さんと私を部屋に残して、あとはお前が仕入れ手続きをやっておくんだよ、とか」
それもまた凄い話だな、とブルーは思う。読み書きを学んでいる子供に仕入れをさせるなど、傍から見れば無茶な話だ。しかし、とマリエは言う。
「うん、ハッキリ言うとね。最初は間違いなく、私への嫌がらせで、無理難題を押し付けてた」
やっと白状したマリエではあるが、「最初は」という一言が付け加えられている事も3人は気付いた。
「でも、私が複雑な計算を覚えてきたのが、お母さんには段々面白くなってきたみたいなの」
「ちょっと待ってくれ。読み書きや計算を教えられるって、君のお母さんは一体…」
アーネットの質問に、マリエは軽く答えた。
「ああ、お母さんは週に何日か、町で子供達に勉強を教える仕事してるの」
「先生なのかよ」
思わずブルーが突っ込む。
「うん。最初は、なんでこんな難しい事やらされるんだ、って思ったけど。逆に、全部覚えてやったらどんな顔するんだろう、って考え始めた」
「どんだけ肝が座ってるんだよ」
呆れ、かつ感心するようにブルーは溜息をついた。レベッカが笑う。
「じゃあ、私達が思ってるような虐待はないのね」
「あったかも知れないけど。実はね、病院にお見舞いに行ったら、なんか遠回しだけど、ごめんなさいって言われたの」
「ごめんなさい?」
3人が、揃って意外そうな目でマリエを見る。
「うん。やっぱり子供が出来なかった事とか色々あって、つい血の繋がらない私にきつく当たった、って」
「いきなり腹痛で倒れたところを、君が看病してくれた事もあって、大人として態度を改めるべきだと思ったんだろう」
大人代表として、アーネットが意見を述べた。
「大人といっても、要するに中身は人間だ。感情で、気持ちを制御できなくなる事もある」
「そうなの?」
「そうだ。だからって、冷たく当たられるのを我慢しろとは言わないが…もし、お母さんと仲直りできるなら、許してあげられるかい、マリエちゃん」
「…うん、たぶん大丈夫だと思う」
なんだかハッキリしない答えではある。そうそう簡単に白黒つけられないのだろうとアーネットは思った。
「わかった。あとは、俺がどうこう言える事でもない。ただ、一つだけ…君とお母さんの今の関係の事を、お父さんに伝えてやってもいいだろうか」
「いいの!?」
再び、マリエは目を輝かせた。
「お母さん、本心ではお父さんが別居して、寂しいみたいなの。色々あってこじれちゃったけど」
「俺にできるのは、伝える事だけだ。家族の問題にそれ以上、ああしろこうしろと警察の立場では言えない」
「それだけでも嬉しいよ。本当に、お願いしていいの?」
「ああ」
「ありがとう、おじさん!」
ついにおじさん呼ばわりが決定的になったアーネットだが、まあいいかと笑ってみせる。
「ところで、マリエちゃん。万年筆を売った相手の顔、全員はやっぱり思い出せないか」
改めてアーネットは本題に戻る。だが、マリエは難しい顔をした。
「うーん…その場所に行けば思い出すかも知れないけど」
「だってよ、アーネット」
ブルーはアーネットに、もう連れて行くしかないんじゃないか、と目線で訴える。
「…仕方ないか。マリエちゃん、もし良ければその場所に、一緒に行ってくれるか」
「いいよ!」
思ったより明るい返事だったので、アーネットは面食らいながらも少し安心した。
「よし、それじゃ一緒に来てくれ。どのみち今日中に事件が解決するとは思えないし、夕食はみんなで食べに行こう」
「やった!」
「やった!」
同時に喜んだのはブルーとレベッカである。小さく咳払いしてアーネットはマリエを向いた。
「じゃあ、とりあえずハッキリ覚えているっていう、女の人が馬車から降りて来た場所に案内してくれるか」
「うん、わかった!」
かくして、少年少女3名を連れてアーネットは街に出る事になったのだった。
「遠足の引率でもしてる教師の気分だな」




