(4)お昼時
割れた看板からは、「ビリング・ブックス」という店名が読める。店主らしい少し神経質そうな、白髪をなでつけた男性が、しかめっ面で突然の災厄に見舞われた建物を見ていた。
「失礼。メイズラント警視庁、魔法犯罪特別捜査課の者ですが」
アーネットとブルーが刑事手帳を示して話しかけると、男性は少し驚いたような表情を見せたあと、すぐに落ち着いて応対した。
「はい。どのようなご要件でしょうか」
この状況でも、努めて落ち着きを崩さない。一冊で公務員の給与ひと月分が吹っ飛ぶ難解な大百科が当たり前のように置いてある、高級専門書店のプライドだろうか。
「いままさに起きた出来事に関してです。少々、確認したい事がありまして」
アーネットは、胸元から例の魔法の万年筆を取り出すと、店主に示した。店主が、何か思い出したような顔をしたので、アーネットは当たりだ、と確信した。
「単刀直入にお訊きします。ごく最近、街頭で物売りの少女から、このようなデザインの万年筆をお買いになりませんでしたか」
さすがに驚いた表情で、店主は小さく頷く。
「はい、仰るとおりです。しかし、なぜその事をご存知なのですか」
「店内でお話しします」
アーネットは他人に聞かれないよう、薄いものから巨大なものまで様々な書籍が並んでいる店内の奥で話をした。
「詳しい事は話せないのですが、この万年筆は、実は我々メイズラントヤード、魔法捜査課が追跡しているものなのです」
「追跡、と申しますと?」
「端的に言うと、非常に危険な代物だという事です。今しがた発生している、この不可解な器物損壊は、おそらくこの万年筆に原因があります」
「ふむ」
睨むようにアーネットが持つペンを見ると、店主はいったん奥に引っ込んで、何かを手にして戻ってきた。
「これがそうです」
店主の手にあるのは、やはり例の魔法の万年筆と同じものだった。
「当たりだね」
ブルーはそれを借りて、杖で精査する。
「うん。魔力が込められている。実際に使わないで何の魔法か確認するには時間がかかるけど」
そこでカラカラとドアベルが鳴って、先程の出版社の男性が店内に入ってきた。
「あなた方、一体どういうおつもりですか」
そう言って、署名を破かれた注文書を手にずかずかとアーネットに凄んでくる。アーネットは構わず、書店の店主に訊ねた。
「ビリングさん、でよろしいんでしょうか。こちらの署名は、そのペンで書かれたものですね」
「はい、そのとおりです」
店主は店名のとおりの名前らしい。ビリング氏は出版社の男性が示す、破かれた注文書を見て言った。
「警視庁の魔法犯罪特別捜査課として、ご協力をお願いしたい。そちらの万年筆、同等品と交換いたしますので、引き取らせてください」
再度、刑事手帳を提示してアーネットは言った。ビリング氏は少し面食らったようだったが、何か察したようである。
「なるほど。魔法捜査課については新聞紙で存じております。先日の暴動事件収束の件など」
「恐れ入ります」
「となると、この万年筆には何かある、という事なのですかな」
アーネットは、どこまで説明するべきかと一瞬悩んだ。しかし、すでに魔法犯罪というキーワードは世間でもじわじわと浸透しつつある。
「ビリングさん、そして出版社の…」
アーネットが訊ねると、男性は答えた。
「アーサー出版社のコリンズです」
「では、コリンズさん。これから話すことは、極力他言無用に願います。この万年筆を売っていた少女に、責任がない事を証明するために説明します」
そう言ってアーネットは、この魔法のペンによって犯罪が起きている事と、バイヤーの存在、そのバイヤーから何も知らず少女がペンを受け取った事を説明した。
「なるほど。つまり、私がそのペンで注文書に署名したために、何らかの魔法が発動したというわけですな」
飲み込みが早いビリング氏は、興味深そうにペンを眺めていた。
「そうです。その証拠に、署名を破いて効力を失わせたため、今は現象が収まっているでしょう」
アーネットは言葉を途切れさせ、外界の音に耳をすませた。さっきまで連続していた騒音が、ぱったりと止んでいる。アーサー出版社のコリンズ氏も、なるほどと頷いた。
「魔法そのものの内容に関しては、我々の専門領域になりますので、ここでは申し上げられません。お二人にお願いしたいのは、これを売っていた少女には法的にも道義的にも責任がない事を、ここで認めていただきたい、という事です」
アーネットは、さらに続けた。
「ビリングさん、あなたもこのペンについては何も存じなかった以上、法的な責任は生じません。本官がここで保証します。なのでコリンズさん、ビリング氏への責任追及はなさらないようお願いします」
アーネットが細かく責任の所在について説明するのを、ブルーは感心して観察していた。法律については現在、ナタリー指導のもと勉強中である。
少し考えて、ビリング氏は神経質そうな顔を縦に振った。
「よろしいでしょう。私は、あの少女について責任を追及しません。ここにいる全ての人に誓います」
「わ、私も、その少女については知りませんが…ビリングさんに責任がない事を、保証します」
コリンズ氏が続いてフォローする。
「安心しました。警察への協力、感謝します」
アーネットが敬礼するのに合わせて、ブルーも手を斜めにして直立した。
ビリング氏は代替品は不要だと言って、ペンをそのままアーネットに引き渡した。アーネットは、同じものを見つけたらすぐ手近な警察に届けるよう言い含めると、ペンを受け取ってその場を後にした。
「あの壊れた屋根とかの処理、どうすんの?」
ブルーが心配そうに訊ねる。ただし、自分達が面倒事に巻き込まれる事への心配である。
「いちおう、魔法犯罪事件として俺が本庁に届けは出しておく。あとは、保険屋だとかの仕事だ」
「丸投げか」
「俺たちは刑事だ。畑違いの事に首を突っ込むわけにもいかん」
要するに、死人が出たわけでもないので、あとの事は知らない、という事である。とりあえず回収したペンを持ち、アーネット達はレベッカのもとへ戻った。
「待たせた」
「やっぱり例のペンだった?」
「ああ」
レベッカが所有していたのと同じデザインのペンを、アーネットは見せた。
「へえー、やっぱりホントなんだ」
「そうだ。そして、残り4本が現在、行方不明ということだ」
「じゃ、あと4件どこかで事件が起きるんだ!」
レベッカは色めき立ってアーネットを見る。
「あのな、奇術ショーじゃないんだぞ。下手すれば死人が出るんだ」
そう言うとアーネットは、周囲を見回す。
「この辺の駐在所って、どこだ」
「あっちだよ。ちょっと距離があるけど」
レベッカが広場の奥の通りを指差す。アーネットはウォレットから紙幣を取り出して、ブルーに手渡した。
「屋台で好きなものを買うといい。俺は、この件を駐在所から各署に通達するよう連絡してくる」
完全に仕事モードに切り替わっているアーネットは、重犯罪課時代に鍛えた脚でその場を走って行った。
その場に残された同世代の少年少女は、なんとなく話の接点が見付からず、ブルーは紙幣を持ったまま辺りを見回した。
「あの屋台、なんだろう」
とりあえずアーネットに言われたとおり、屋台で何か買う事にした二人は移動する。ブルーが見つけた屋台は、焼いたポテトにチーズを載せたものの屋台だった。
「無難そうだね」
「お昼前に食べたらお腹いっぱいになりそう」
そう言いながらレベッカは遠慮なく自分の分も頼み、アーネットと待ち合わせている場所まで戻った。
「ねえ、アドニス君だっけ」
「ん?ブルーでいいよ」
「じゃあ、ブルー」
湯気の立つポテトを食べながら、レベッカはそれとなく訊ねた。
「お姉さんいるでしょ。もしくは、彼女」
「ぐっ!」
唐突に話を振られて、ブルーは思い切り熱いポテトを喉につまらせて咳き込んだ。
「げほっ、げほん」
「ふふふ、当たり?彼女の方かな、そんな慌てるのは」
「い、いないよ!?」
慌ててブルーは否定した。約一名の顔が脳裏に浮かんだが、明確に交際を宣言した覚えはない。が、交際関係にないのかと言われれば、そうでもない。向こうは完全に恋人の認識でいるようだが。
「な…なんでそう思うの」
「うーん。なんか、そんな雰囲気がある」
「動物のカンかよ」
「それ、それ。なんかそういう、女の子慣れしてる感がある」
「アーネットじゃあるまいし」
本人がいない所で過去の女好きを弄られるアーネットだった。
「…該当するといえばする人物が一人いるけど、ちょっとデートしたくらいだよ」
「デートしてるんじゃん!」
すかさずツッコミを入れるレベッカである。
「ふうん、何歳の子?あたしと同じ?」
「…僕のふたつ上」
「年上かあ!へー。ほー。ふーん」
いかにも興味ありげだ。このままでは根掘り葉掘り訊かれる。魔法の万年筆で爆発事故でも起きてくれないか、と願うブルーだった。
二人が10代らしい会話をしている所へ、アーネットが戻ってきた。
「仲良くやってるか、少年少女」
「完全におっさんだ」
「完全におっさんね」
出迎えで言われ放題のアーネットである。レベッカはアーネットに、少し冷めかけたポテトを渡す。
「はい、アーネットのぶん」
「サンキュー」
ポテトを受け取ると、食べる前にアーネットはブルーに言った。
「ブルー、とりあえず警視庁と、リンドン市警にも連絡しておいた。扱いは、通常の魔法犯罪案件ということでな。何かあれば、自動的に俺たちに連絡が来る」
「通常の犯罪案件ってすごい言葉だなあ」
もはや不可解な魔法犯罪も、ブルー達にとってはある意味ライフワークである。
「よくリンドン市警がOKしたね」
「魔法犯罪に関しては、組織をまたいで情報を共有するっていう暗黙の了解ができつつあるからな」
「ふーん」
ブルーが言うリンドン市警とは、リンドン市内にある「シティ・オブ・リンドン」と呼ばれる、小面積の半独立自治体の警察である。厳密に言えばリンドン全域を管轄とするメイズラントヤードからも独立しているため、時おり対立構造が見え隠れするという問題をはらんでいた。
「だからまあ、羽根をのばしていいってわけでもないが、とりあえずお前は休日のつもりでいていいぞ」
「ナタリーはどうすんの?」
「あいつもまあ、勤務態勢になるだろうなあ」
そこまで言って、アーネットは少々面倒な事になったと思った。ついこの間、ブルーに無理をさせないために、自分達もブルーの前では無理をしないように振舞おう、とナタリーと話したばかりである。
「二人が勤務態勢で僕だけ休みってのも、なんか気まずいものがある」
ブルーもブルーで、思った事はその通り言ってしまう。そこで、アーネットは提案した。
「じゃあわかった。お前は”待機”扱いだ」
「待機?」
「そうだ。何かあった時のために、魔力を温存しておくのがお前の今日の仕事だ。だから、お前でなきゃ対処できない事件が起きた時は、すぐに来てもらう」
なるほど、上手い事を言う、という目でレベッカはアーネットを見ていた。ブルーもなんとなく納得したように見える。
「待機、か。なるほど」
「そうだ。だから、なるべく体力を使うような事は避けろよ」
「うん、わかった」
アーネットは心の中で、胸を撫で下ろした。だが、重犯罪課でも待機任務は普通にある。何かあった時のために、体力を温存して即座に動ける人員を配備するのも、確かに警察の仕事である。
「半分ヒマになったってことね。じゃあブルー、私とデートする?」
からかうようにレベッカが言うと、アーネットが渋い顔をした。
「ブルー。経験者として言うが、二股かけるとあとが怖いぞ」
「アーネットは二股どころじゃないだろ!」
説得力全開の反論も、開き直ったアーネットはどこ吹く風である。
「レベッカ、いちおう忠告しておくが、こいつには実質彼女状態の、大変な女がまとわりついてるからな。手を出すなら相応の覚悟をしておけ」
そこまで聞いて、レベッカは吹き出した。
「もう聞いたわ。むしろ会ってみたい、その人。ふーん、どんな人なんだろ」
「まあ、浮気現場を目撃したら、その一帯に隕石のひとつも落としかねない女だ」
それは言い過ぎではないのかと言いかけて、ジリアンなら特に不思議はないと思ってしまったブルーである。
結局、とりあえず三人でカフェの昼食をとったのち、レベッカはアーネットに協力するという事で同行し、ブルーも他に行く所がないので、そのまま二人に同行するという事になった。
「さっきまでの話は何だったんだろう」
午前中と全く変わっていない面子を見ながらブルーは言った。アーネットは苦笑いする。
「ま、お前は適当に気を抜いていればいい」
「ある意味、慣れっこだけどね。デート中に遺跡で遭難した事だってある」
「なにそれ!?」
レベッカが興味津々で訊ねる。三人は談笑しつつレベッカの案内で、件の少女が河岸にしているという次のポイントへと向かった。
その少し前、アーネットから捜査態勢が整ったという報を受けたナタリーは、流行の女性用スーツを試着するカミーユに意見を述べていた。
「ちょっとあなたのイメージじゃないわね、赤は」
「そうですか」
「やっぱクール系が似合うと思うわ」
残念そうにカミーユはカーテンを閉める。
「意外とフツーの人なのね、あなたって。もっとミステリアスな人かと思ってた」
「ジリアンからは未だにミステリアスとか、何考えてるかわからないと言われます」
カミーユはカーテン越しに答える。
「お待たせしました」
元の薄手のコート姿に着替えたカミーユは、店員に礼を言ってナタリーとブティックを出た。時刻は正午過ぎである。ナタリーは時計を見て言った。
「ランチにしましょうか」
「あっ、じゃあ、お薦めのお店があるから行きましょう」
「リンドンにプロンス人お薦めの店なんてあるの?」
ナタリーは、食にうるさいプロンス人の気質をそれなりに知っている。
「バカにしたものでもありません。探せばあります」
「さすが探偵社の所長ね」
ふふふ、と笑ってカミーユは先導した。ナタリーより年上のはずだが、振る舞いは時おり少女のように見える。
何も起きなさそうな穏やかな昼時である。しかし、ここは魔法犯罪都市リンドン。いつ、どこで、どんな奇怪な事件が起きるか、誰にも予測はできない。
石畳には夏の到来を予感させる、強い日差しが降り注いでいた。




