⑵キャンディ売りの少女
その、よく見覚えがある万年筆をアーネットとブルーはまじまじと見た。
「見間違いじゃないよね」
とブルー。
「見間違えるわけないだろう」
アーネットはゆっくりとキャップを外す。現れた太めのペン先は、捜査の過程で発見、一部は魔法捜査課が押収・保管している、何者かが流通させている魔法の万年筆と同一である。
これは、使用者が自身のフルネーム、あるいは広く認識されている名前などを書くことで、万年筆に封じられた魔法が発動するという代物で、魔法の素養や修練を必要とせず使う事ができる。そのため、犯罪に悪用されるという問題をはらんでいた。
「その万年筆がどうかしたの?」
背後からレベッカが突然訊ねたので、アーネット達は背筋が凍りついた。魔法の万年筆の存在は、公的には伏せておく事になっているのだ。
「いや、あのね」
狼狽するブルーを遮るように、アーネットはレベッカに訊ねた。
「レベッカ、この万年筆、どこから仕入れた?」
「え?」
「誰かから仕入れたんだろう?」
レベッカは、何でそんなことをわざわざ聞くのだろう、という顔をしたが、少し間を置いて答えた。
「うん、実はね。ちょっと特殊なルートなんだ」
「黒服の男か!?」
アーネットがそう訊ねると、レベッカは「何それ」と怪訝そうな顔をした。
「ぜんぜん違うよ。街角で、いつもはキャンディを売ってる女の子から、私が買ったの」
「キャンディ?」
アーネットとブルーが同時に言って、顔を見合わせた。
「うん。いつも、たぶん住み込み先の家の人に言われてるんだろうけど、キャンディのカゴを下げてる女の子がいるのよ。売れないと家で叩かれたりするらしいから、同情半分でここいらの人達はよく買ってあげてるの。そこにあるキャンディも私やお母さんがその子から買ったの、ほら」
レベッカが指差した棚には、色とりどりの紙に包まれたキャンディがガラスのポットに詰めてあった。
「ひどい人もいるもんだね。叩かなくてもいいのに」
万年筆の事を忘れてブルーは同情したが、アーネットはそれに頷きつつも、本題を忘れてはいなかった。
「その子が、この万年筆を売ってたってのか」
「うん。たまたま通りかかったら、いつもはキャンディを入れてるカゴに万年筆が一本だけ入ってて。どうしたのって聞いたら」
アーネットとブルーは、少し緊張して続きを待った。
「白いハットとスーツのおじさんが、君は頑張ってるからキャンディを全部買ってあげよう、ついでにこの万年筆もあげるから商品にしなさい、ってくれたんだって」
なんだそれは、とアーネット達は狐につままれたような顔をした。不審者か、あるいはただのいい人のどっちかではないのか。
二人は、これが「単なる万年筆」だったらどうするのか、と思い始めた。そこでアーネットは兎にも角にも、これを魔法捜査課として押収するべきだと考え、財布を取り出して言った。
「レベッカ、これを買おう」
「その万年筆を?」
「ああ」
ふうん、と少しだけ何か考え込むと、レベッカは頷いて言った。
「3ペナンでいいよ。毎度あり」
「そんなんでいいのか」
値札には7ペナンとある。半額以下だ。アーネットは代金を払い万年筆を受け取ると、レベッカを向いた。
「レベッカ、せっかくだから今日のランチは3人でどこかの店で食べよう。俺が持つ」
「いいの?やった、ありがとう!」
「昼時にまた来るよ。それまで俺たちはそのへんをちょっと見てくる」
そう言うと、アーネットとブルーは足早にレベッカの雑貨店を後にした。
近くの公園でベンチに座ると、アーネットが買ったばかりの万年筆を取り出した。
「やっぱりあの万年筆だよな」
「うん」
ブルーはそれを受け取ると、魔法の杖を取り出し、ごく短い呪文を唱えてから、杖で万年筆をコンと叩いた。
すると、青白い光が一瞬万年筆にベールのように被さり、表面に文字のような文様が浮かぶ。
「当たりだ」
ブルーは、アーネットの目を見て言った。当たりとは、万年筆に何らかの魔法が封印してある事を突き止めた、という意味である。アーネットも頷く。
「どんな魔法かはわかるか」
「さすがに、こればかりは実際に試してみるしかない。…ん?」
何やらブルーが首を傾げたので、アーネットは訊ねた。
「なんだ」
「いや、今ちょっとこのペンの魔力に、乱れみたいなのを感じたんだ」
「乱れ?」
「気のせいかも知れない」
とりあえずブルーは魔法を解除して、改めてペンを見る。インクはまだ減っていないようだ。
「試してみる?」
「ここでか」
アーネットは周りを見る。それほど大きな公園ではないが、人が他にいないわけでもない。犬を連れた老人もいれば、足早に駆ける少女、買い物カゴを下げた中年女性もいる。もし広範囲に効果を発揮する魔法なら、彼らに被害が及ばないという保証はない。
「もっと広い、人気のない場所でテストするべきだろうな。万が一、爆発魔法なんかが封じてあったら大変だ」
アーネットは、いちおう大人の警察官として最低限、市民の安全を優先すべきだと考えて言った。ブルーはそれに従って頷く。
「といっても、この辺あまり知らないしな」
「広いとこならあっちにあるよ」
「ほんと?」
背中から声がしたのでブルーは振り向いて、声の主の顔を確認して硬直した。
長い黒髪の、同い年くらいの少女である。わりと最近どこかで会った気がする。つい、10分くらい前に。
「レレレレレレレベッカ―――!?」
ブルーは急速に背筋が冷えるのと、首周りの筋肉が引きつるのを感じた。背後から唐突に声をかけたのは、今しがた彼女の店でいったん別れたはずの、レベッカ・ピカリング嬢であったのだ。
「いっ、いつからいたの!?」
ブルーは目をむいて訊ねる。隣でアーネットが「まずい事になった」というふうな顔をしているので、レベッカは頬に指をあてて言った。
「あー、なんとなく、だいたい察した。なんか、あたし達に知られちゃまずい事が、その万年筆にあるって事ね。だからさっき、お店で妙にソワソワしてたんだ」
どうしてこうも自分の身の周りには、察しが良すぎる女性が多いんだろうなとブルーは思う。しかもその半分は同じ10代である。
「どこまで聞いた!?」
引き続きブルーは問い詰める。レベッカはあっさりと答えた。
「爆発魔法が封じてあったら大変だ、ってあたりから聞いた」
「……」
ブルーとアーネットは目線を合わせる。どこまでバレたか、と互いに不安なのがわかった。それに構わずレベッカは言う。
「あっ、わかった。その万年筆をどうにかして使うと、魔法が出てくるって事ね!?違う!?当たり!?」
どこまでバレた、どころではない。ほぼ完璧に理解している。モリゾ探偵社の3人目の所員として紹介できるのではないか。
もはや隠すのも無意味だと悟ったらしいアーネットは、ベンチに腰掛けて諦めたように溜息をついた。
「レベッカ、まあ君はすでに半分魔女みたいなものだからな。話してもいいだろう」
「ちょっと、アーネット!」
ブルーは止めるものの、自分もすでにアーネットと同じ諦めの気持ちになっていた。アーネットはレベッカを向いて両手を組む。
「君の推測どおりだ。その万年筆は、非常に危険な代物だ」
アーネットは、魔法の万年筆について包み隠さずレベッカに説明した。メイズラント国内、主に首都リンドン市で、その万年筆によって犯罪が起きている事も。
「そうなんだ…ちょっと、信じられない話ではあるけど」とレベッカ。
「不思議でも何でもない。ここにいる3人とも、魔法が使えるんだぞ。万年筆の助けもなしに」
「あ」
レベッカは、自分自身が一般人からすれば「信じられない」部類の人間になってしまっている事に、いまさら気付いたようだった。
「だいたい魔法を信じていたって、ちょっと疑り深い人間なら思い至るはずだ。そんなにホイホイと素人が魔法を使えるはずがない。何らかの手段が介在しているに違いない、ってな」
アーネットの説明になるほど、とレベッカはうなずいた。
「魔法犯罪の全てがこの万年筆に由来しているわけじゃないが、何件も発生しているのも確かだ。俺たち警察は、世間には極秘でこの万年筆と、それを流通させている奴らについて捜査している」
「なるほどね」
「そこでだ、レベッカ。魔法犯罪特別捜査課として、協力を頼みたい。できるか」
「協力?」
その、意外な提案にレベッカと、ブルーも面食らった。
「そうだ。君は商売をしているわけだから、それなりに仕入れ業者だとか、出入りする人間の情報があるだろう。だから、君が知っているという例のキャンディ売りの少女みたいに、あの万年筆を売っている人間、あるいは受け取った人間がいたら、俺たちに教えて欲しいんだ」
「大丈夫なの?奴らにマークされるかもよ」
ブルーは、レベッカの身を案じて言った。主に黒服姿で現れるという謎の組織は、魔法による殺人事件が起きても一切関知していない冷酷な存在である。邪魔な人間がいれば、おそらく平然と消しに動くだろう。アーネットはうなずいて答える。
「そうだ。だからレベッカ、あくまでも『入って来た情報』だけをチェックしてくれればいい。間違っても、君一人で聞き込みなんてしたらダメだ」
アーネットの言う事を理解したのかどうか、レベッカは十数秒間黙ったあとで、こくりと首を縦に振った。
「うん。いいよ。入って来た情報、ね」
「そうだ」
「わかった。ピカリング雑貨店として、協力してあげる」
ニヤリと笑みを浮かべて、握手を求める。なんだかジリアンに微妙にノリが似てるな、とブルーは思った。アーネットはレベッカの細い手に握手を返した。
「ありがとう。無理はしなくていいからな」
「うん」
「ところで早速だが、こいつを試せるような場所はあるか。広い事と、人がいない事が条件だ」
レベッカは、握手を解いてひとつの方向を指差した。
「こっちに、古いレンガ造りの大きな廃倉庫がある」
取り壊し予定、危険のため近付かぬ事。と書いてある立札を避けて、アーネットたち3人はレベッカが案内した廃倉庫にやって来た。案の定、閂には錠がかけてある。
「閉まってるな」
「任せて」
ブルーは魔法で当たり前のように、その錠を開けてしまった。あまりに自然だったので、最初から開いていたのかと思うほどである。ついでに言うと、これはれっきとした警察の規則違反だったが、どうせ誰も見ていない、ということでアーネットも何も言わない。経験で、バレない違反のやり方がわかってきた魔法捜査課であった。
「ちなみに僕の先生なら、どこで誰が何の魔法を使ったのか、だいたい調べる事ができる」
「お前の先生が警察に就職したらまずいな」
「仕事とか生活とか、世俗的な事に関係ない人だから、それは心配ない」
どういう人なんだろう、とアーネットとレベッカは、各々の頭の中で人物像を考えていた。
レベッカがキャンディ売りの少女から買い取った、魔法の万年筆に封じられていたのは「幻覚魔法」であった。人や物体や空間を、別なものに見せかける魔法である。
「あはは、やだ可愛い!あはははは」
レベッカは、発動した魔法で女の子のドレス姿になったブルーを見て大爆笑していた。もともと女顔で、黙っていても女の子と間違われる事があるブルーなので、ドレスを着せれば洒落にならない。アーネットも肩を震わせて笑っていた。
「終わり!」
憤慨したブルーは、杖によって万年筆の魔法効果を一方的に解除した。一般人なら、魔法の効果が自然に解けるまで手出しはできない。このへんが素人とプロの違いである。
「でも、これでハッキリしたね。奴らは、何も知らない女の子まで利用して、このペンをばらまいているんだ」
ブルーの意見に、笑いをどうにか抑えながらアーネットが疑義を呈した。
「ああ…しかし、なんかヘンじゃないか?」
「ヘン?」
「過去に判明した事件じゃ、犯人はそれなりの額を払って万年筆を購入している。ところがだ。レベッカ、君はいくらでその少女からこれを買い取ったんだ」
唐突に問われてレベッカは、記憶をどうにか思い出した。
「4ペナンだよ」
「肉や魚レベルだな」
たしかに奇妙だ、とブルーも思った。あまりにも安すぎる。
なぜだろうとアーネットとブルーが思っていると、奇妙な事が起きた。
「ん?」
ブルーは、アーネットの容姿がおかしい事に気付いた。
「…あのさ、真面目な話してる時に、万年筆で遊ばないでくれる」
大人の悪ふざけほどタチが悪いものもない、ここは青少年として言っておこう、とブルーはアーネットの全身を見た。ハットに片眼鏡に口ひげ、黒い燕尾服という恰好は、笑いを誘うというより、単純にふざけているように思える。
「何言ってんだ」
「万年筆で遊ばないでって言ってんの!」
「お前が持ってるのに、どうやって遊ぶんだ」
そう言われて、ブルーは自分が魔法の万年筆を持っている事に気がついた。そういえば、さっきから自分で持っていたのだ。では、効果を解除したはずの魔法が勝手に発動したのはなぜなのか。
「……」
とりあえず気が散るので、アーネットの姿も元に戻す。
しかし次の瞬間、今度は3人が一緒に声を出した。
「あっ!」
突然、広い倉庫の中が、宮殿の大広間のような光景に様変わりしたのだ。今にも舞踏会が始まりそうな雰囲気である。
「な、なんだ?」
「幻覚魔法だな、これも」
「きれーい」
レベッカは無邪気に喜んでいるが、ブルーは首を傾げている。
「無茶苦茶だ。術者の意志を無視して魔法が暴走してる」
「どういう事なんだ」とアーネット。
「魔法に対する命令が正しく機能してない。まるで、不完全な呪文を唱えたようだ」
「不完全な呪文?」
アーネットが変貌した空間を見ていると、今度はその中に馬車や、通行人の幻覚が現れた。かと思うと、騎馬隊が壁から壁に駆け抜けて行く。天井も唐突に青空になったり、星空になったり、目まぐるしい。
「いかれてるな」
「アーネット、さっき僕がこのペンを調べた時の事、思い出してみて」
「なに?」
言われて、アーネットはハッとした。
「何か乱れがあったとか言ってたな」
「そう。あれは気のせいじゃなかったんだ」
「どういう意味だ」
「つまり…簡単に言うと、このペン、魔法の万年筆は、”失敗作”なんだと思う」
その推理に、アーネットは合点が行ったようにうなずいた。
「なるほど。出来損ないを処分するために、街角の女の子に押し付けたって事か」
「そうだ。だから、いつもの黒服のバイヤーと違う人が現れたんだよ」
「わざわざ、この一本のためにか」
アーネットの指摘に、ブルーは考え込んだ。そういえばそうだ。たかが一本の失敗作、捨てるなりすれば済む話である。
しかし、そこへレベッカが予想外の事を言った。
「あのさ、そのキャンディ売りの女の子、6本受け取ったって言ってたよ」
サラリと言ってのけたレベッカに、アーネットとブルーは蒼白になった。
「6本だと!?」
「じゃっ、じゃあ…」
「失敗作の魔法の万年筆が、残り5本も市内に一斉に出回ったってことか!」
二人に戦慄が走る。今の話の流れからすると”組織”の人間は、溜まった失敗作をそのまま処分するのも勿体ないので、タダで街にばら撒いたのだ。それがどういう結果を生むのか、魔法捜査課の二人は考えただけで背筋が寒くなった。
この魔法の万年筆は、名前を書くと発動する。そして筆記用具というものは、名前を書く機会が非常に多い。つまり、何も知らない人間が、例えばどこかの画廊に入る際に台帳に記名して、そこで魔法が発動するといった事が起こり得るのだ。
「しかも、不完全な呪文ときた」
アーネットに、いよいよ焦りの表情が浮かぶ。魔法が無秩序に発動したら、どんな事になるかわからない。
これは、即行動に移らなくてはならない、とアーネット達は思った。
「レベッカ、そのキャンディ売りの女の子、どこにいるかわかるか」
「ええとね、顔と名前は知ってるんだけど。いつも違う場所で売ってるから、正直わからない。だいたい決まった場所ではあるけど」
「その子の所に、連れて行ってくれ。万年筆を買った人間を、突き止めないといけない」
アーネットの真剣な顔に、レベッカも触発されたようだった。
「事件が起きるってことね」
「そうだ。もう、起きてるかも知れない。最悪、人の命にかかわりかねない」
「わかった」
レベッカは力強く頷いた。
「いるかわかんないけど、案内する。ついて来て」
アーネット達は、黒髪の少女の案内でキャンディ売りの少女を追うために通りに出た。休日が一転、犯罪捜査の一日になってしまう、その始まりであった。




