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(20)エピローグ

 結局、政治レベルでの議論と混乱はあったものの、今回の市民や警官隊が暴走した件については「災害」扱いとし、明らかに外的要因、不可抗力で暴走した人間の責任は問わない、との決定がなされた。

 これは魔法捜査課からの、魔法と霊能力を悪用した犯罪である、との意見も参考にしての決定である。


 しかし、アズーラ・エウスターチオを容疑者として上に納得させるのは非常に困難であった。アズーラと事件の関係を理解できるのは、魔法捜査課とその周辺にいる、ごく限られた人間だけだからである。そして不可解なことに、犯人は現時点で不明、という線で上は決着をつけたいようだった。


「そんなバカな話があるかよ」

 地下室のオフィスでアーネットは、上の決定に慨嘆した。

「アズーラの犯行の証明ができないからって理由つけて、早々に迷宮入りさせたいのか。まだ、うちに魔法関係の報告書も上がってないのに。それでいいなら、魔法犯罪特別捜査課なんていなくても良い、って言ってるのと同じだろう」

 憤るアーネットに、ナタリーは眉間にシワを寄せて黙っていた。

「政治的圧力ってやつ?」

 ブルーも流石に面白くなさそうに、頬杖をついてぼやいた。

「ああ、そうだ。バンデラ海運と組んでいるアズーラを刺激したら、自分たちの贈収賄をはじめとした過去が明るみに出るかも知れない、と気付いたんだろう。何しろ相手は魔女だ、どんな手を使われるかわからない。それよりは、頭が代わったバンデラ海運と、今までどおり懇意にしておく方が得だって事だろうよ。どっちが悪人なんだか、わかりゃしねえ」

 ドスンと音を立てて、アーネットは椅子に背中を投げた。

「ドロテオ・バンデラの身柄も、まだ安全とは言えないな。獄中だろうと、なりふり構わず始末に動く可能性もある」

「どうするの?」

 ナタリーは、アーネットに迫るように言った。

「向こうがそう来るなら、こっちだって考えがある。俺がドロテオの取り調べをする。政治家連中を黙らせるチャンスだ」

「本気で言ってるの!?」

 いくら何でも、危険すぎるとナタリーは思った。

「ここまでコケにされて、黙ってられるか。クビになったらカミーユの真似をして、探偵社でも開くさ」

「ちょっと、待って」

 クビで済むならまだいい、下手をすると口封じに殺される側になるかも知れないとナタリーは思って、アーネットの前に立ちふさがった。

 その時、ブルーは廊下を進んでくる、足音がある事に気が付いた。

「死人が出てるんだ。私利私欲の権化みたいな連中のために。それを握りつぶすのを見過ごしたら、俺達は奴らと同じになっちまう」

 その言葉に、この人は根っからの正義漢なんだなとナタリーは実感した。怒りのスイッチが入ると、自分の保身などどうでも良くなるのだ。

 その時、オフィスのドアが開いた。

「お前は、わしの下に配属された時のままだな」

 それは、デイモン・アストンマーティン警部であった。今の話を聞いていたらしい。ナタリーは、すがるように警部に頼み込んだ。

「警部、なんとか説得してください」

「その必要はない」

 デイモン警部はそう、きっぱりと言い切った。

「なぜなら、レッドフィールド君がヘヴィーゲート監獄に乗り込んだところで、取り調べの対象が他の場所に移されたからだ」

「なんですって」

 アーネットが怪訝そうに訊ねる。警部は、苦虫を噛み潰すような顔で言った。

「ドロテオは、精神に異常をきたして専門の病棟に移送された。監獄にはおらん」

「それは本当に精神異常なんですか。偽装ではないのですか」

「わしもそう思った。しかし、わしの信頼する筋の情報によると、どうやら本当らしい。取り調べどころか、生活すらまともにできない状態だ」

 参った、という表情でデイモン警部は共用テーブルに座った。

「ということでレッドフィールド君、残念だがレッドフィールド探偵社の設立はだいぶ先になりそうだな。その時はわしにも声をかけてくれ、掃除夫くらいならできるだろう」

 皮肉っぽく警部は笑う。アーネットは、力が抜けたようにデスクに戻った。ナタリーは、心の底から安堵の吐息をついたのだった。

「わかりましたよ。今回は俺の負けです」

「まあ、そう言うな。必ずしも実りがなかったわけでもないぞ」

 デイモン警部は、何やら抱えてきた書類の束とは別のバインダーを開いて、何かの報告書を見せた。

「なんです」

「今回の件で、一部ではあるが市民の中から、魔法に関する犯罪の情報を開示せよ、という声が上がっているんだ」

 それは、国に対する署名活動の報告書であった。

「今日の昼の時点で、73人。まだ署名としては、さざ波程度のものだがな。わしのように、魔法の存在に改めて気付かされた人間が少しずつ増えているのだよ」

 その報せに、ナタリーはアーネットの肩をポンと叩いた。

「少しだけど、あなたの努力が実りつつあるという事よ」

 そう云うナタリーに、アーネットは弱々しく笑った。

「みんなの努力だ。君もブルーも警部も、ここにいない皆も」

「レッドフィールド君、この仕事に勝利というものはない。なぜなら殺人事件の場合、捜査が始まった時点で、被害者は既にこの世にいないからだ」

 それは、重犯罪課に配属された時の、デイモン警部の言葉だった。

「だが、それを覚悟の上なら、引き分けに持ち込めるチャンスは、犯人が生きている限り常にある。奴らに刹那的な逃げ場はあっても、我々の意志を止める事は永遠にできないのだ」

「引き分けが我々の勝利。むかし言われましたね」

「そうだ。気を落とすな、いずれ機会は訪れる」

 そう言って、デイモン警部はアーネットのデスクに報告書の束をドンと置いた。アーネットは露骨に嫌そうな顔をする。

「ちょっと、ここは古紙回収はしてませんよ」

「ばかもん。今回の事件で、リンドンのあちこちでわけのわからん現象が起きている。こんなのに目を通して発狂しないのは君らぐらいのものだ」

「それ、褒めてます?」

 そう言いながらアーネットは、あからさまに見たくなさそうにパラパラと書類の束をめくる。

「君らには今、やるべき事があるという事だ。探偵社なぞ開かれたら困る」

 デイモン警部はニヤリと笑って立ち上がった。すると、廊下の奥からゆっくりと足音が聞こえた。何やら足音のたびにガチャガチャと音がする。

「あの…」

 開いていたドアから、久々に見る顔が現れた。

「魔法犯罪特別捜査課ってこちらでよろしいでしょうか」

 それは、以前の事件で関わったもと貴族の警官、ドーン青年であった。ガチャガチャ鳴っていたのは、制服に装備している官給品らしかった。

「ドーン!久しぶりだな、どうした」

「ああ、レッドフィールド巡査部長お久しぶりです。実は、今回の騒動で、わけのわからない情報が駐在所に山程寄せられてしまって…」

 とたんに魔法捜査課の3人の顔が曇った。

「本庁に相談したら、ここに持って行けと」

「そら、レッドフィールド君。はやく手を付けんと、あとあと大変な事になるぞ」

 アーネットは今度こそ参ったという顔をして、パンと手を叩いてナタリーとブルーを招き寄せた。

「そういう事なので、まず書類の分類から始める」

「ホントにやるの!?まとめて焼却炉にぶち込んだ方がいいと思うよ」

 ブルーは魔法の杖を取り出して、言ってくれればいつでも燃やせるぞ、というポーズを見せた。

「お前も分類するんだよ!ほら!」

 アーネットはドーンから受け取った書類の束を、ブルーに押し付けた。

「あっ、あの、僕これで失礼します!」

 ドーンは、久しぶりだと言ったそばから敬礼もそこそこに、さっさとその場を逃げ出してしまった。

「ほう、あの青年は状況を把握するのが早いと見える。わしを前にしても平然としていたな。ドーンと言ったか、覚えておこう」

 デイモン警部は感心したように言った。どこまで本気かは不明である。


「警部、どうでもいいレベルの報告書はその場で棄てますからね」とアーネット。

「任せるよ」

「ところで、なんで警部がわざわざ書類の配達係なんて引き受けたんです」

 さっきから聞きたかった事をアーネットは訊ねた。ナタリーとブルーも手を動かしながら耳を傾ける。警部の答えは呆れるものでもあり、納得がいくものでもあった。

「なに、わしも騒々しいオフィスから抜け出す口実が欲しかっただけだ」

 


 その日の夜、モリゾ探偵社ジリアン・アームストロングの提案で、今回の労をねぎらって魔法犯罪特別捜査課と、モリゾ探偵社の全員で会食をしよう、という運びになった。

 久しぶりにカミーユと再会する事になるアーネットは食事の前に胃が痛みかけていたが、ナタリーが実はすでに会ったという事を明かしたため、いくらか気が楽になったようだった。


 カミーユが選定したレストラン「パスティス」の予約席に、魔法捜査課と探偵社の計6名が座ったのは午後6時すぎの事だった。

 カミーユ、ナタリー、アーネットの大人組は発泡の白ワイン、他3名の少年少女は炭酸入りレモネードをめいめい掲げた。

「今までたびたび協力関係にあった、魔法捜査課とモリゾ探偵社ですが。こうして一堂に会した事を嬉しく思います。乾杯」

 アーネットの音頭で、6人はグラスを合わせて乾杯した。それまで互いに、ほぼ事件でしか関わって来なかったため、こうして食事を共にするのは新鮮だった。


 前菜の、うさぎ肉のテリーヌを口に運んだジリアンとブルーは、ボーイが「うさぎ肉です」と説明した時のショックを忘れ、初めての美味に目を合わせて感激した。

「おいしい…」

「うさぎさん…」

 ブルーとジリアンは目を合わせて、感激すればいいのか悲しむべきなのか困惑しながら、結局あっという間に平らげた。

「私の国では、ウサギもキツネもテーブルに供されます。美味しいですよ」

 カミーユが、上品な手付きでフォークとナイフを静かに置いて言った。

「プロンス出身だったっけ。キツネって美味しいの?」

 ナタリーが、隣のカミーユに疑いの目を向けた。

「処理が肝心です。詳しくは申しませんが、臭み抜きに手間が要るんです。私の自元はシチューで食べる事が多いですね」

「カミーユはプロンス人だから、食べ物の話をすると止まらなくなるよ」

 ジリアンが指摘すると、ミランダが無言で頷く。

 次に運ばれてきたスープでも、カミーユの講義が始まった。

「堅苦しい事は申しませんが、プロンスではスープは奥から手前にすくい、皿を傾ける際は奥を持ち上げるマナーになっています。メイズラントでは逆ですね」

「今はどっちで飲めばいいんだ」

 アーネットが訊ねると、カミーユは笑って言った。

「お好きなように。かしこまった場ではありませんから」

「でもカミーユ、私にみっちりマナーを仕込んだよね、プロンス式もメイズラント式も」

 ジリアンが言うと、なるほどとアーネットもナタリーも納得した。

「どうりで、普段の言動はともかく作法は完璧だと思った」

「どういう意味よ!」

 ジリアンがアーネットを睨む。

「ふふふ」

 カミーユは、二人のやり取りを見て小さく笑った。その様子は、ジリアンとミランダにはとても珍しく映っていた。普段のカミーユは自分達以外の人間と接する時、どこか壁を隔てているのが目に見えてわかる。しかし、魔法捜査課の3人に対しては、心の底から気を許しているようだった。

 この人は今まで孤独だったのかも知れない、とジリアンは思った。かつてアーネットと関係があった事も、こうして再会した事でひと区切りついたようにも思える。何より、ナタリーと会話している時のカミーユが、とても楽しそうに見えた。思えば、同年代の女性の友人というものが、この人にはいない。


 主菜が運ばれてくる頃に話題は、ブルーの師の話に移っていた。

「先生にも声かけたんだけど、邪魔したら悪いから来ないって」

 ブルーが、主菜の鹿肉のローストにナイフを入れながら言った。

「邪魔なんてことないのに」

「アドニス君の先生って、何人なの?メイズラント人?」

「わからない」

「は?」

 ジリアンの疑問は当然だった。ブルーは師匠と何年もの付き合いのはずで、それが出身地も知らないとはどういう事なのか。

「先生の事は、何ひとつわからない。年齢もわからないし、本当の名前もわからない。テマ・エクストリームっていう名前は誰かが勝手に呼び始めて定着したんだって」

 ブルーがそう語るのを、カミーユは無言で聞いていた。

「カミーユ、あなたは知ってるんじゃないの?」

「はい。知ってます」

 ナタリーの質問に、カミーユはさらりと答える。一番驚いたのはブルーである。

「知ってるって、どこまで!?」

「さきほど挙げられた項目の全てです」

「ほんとに!?」

 ブルーは、鹿肉のローストが冷めるのも忘れるほど驚いていた。

「そもそも、君とブルーの先生はどういう関係なんだ」

 赤いワインを傾けながら、アーネットが訊ねる。もう、久々の気まずい再会は過去の話らしく、自然に会話できるようになっていた。

「ごめんなさい。詳しい事は、テマお姉さまが言われるまでは控えさせて下さい」

「お姉さんなの?」

 ジリアンが驚く。

「いえ、実の姉妹ではなく。そうですね、ざっくり言うと、警察で言うところの階級みたいなものでしょうか」

「なるほど。魔女の世界も上下関係があるという事ね」とナタリー。

「そうです。…これくらいはお伝えしてもいいでしょうか。そもそも、私に魔女の修行を勧めたのはテマお姉さまなんです。お姉さまには重要な任務があったので、私が師事したのは別な魔女なのですが」

 その話からすると、テマ以外にもカミーユ以上の実力者が存在する、ということらしかった。一体、魔女は何人このメイズラントにいるのか。


 そのあと、デザートのタルト・タタンが運ばれ、食後のコーヒーで締め括るまで、仕事の話は誰もしなかった。推理小説の新刊の話、酒の選び方、タロット占いについて等々、ふだんの雑事を忘れ、それぞれが初めて目にする個々人の側面に驚き、首を傾げ、笑い合った。


 レストランを出ると、困ったことに外はメイズラントのお約束、雨だった。だが、楽しい会食のあとは、雨さえも場を盛り上げる演奏に思えてきた。

「どうやって帰る?」とアーネット。

「歩こうよ!私達に雨なんて関係ない」

 ジリアンが魔法の杖を取り出した。

「考えてみると、ここにいるメンバー全員魔法を使えるんだよな」とブルー。

「そうよ。さっきのボーイ、魔法使いのグループに給仕してたのよ」

 ジリアンの言葉に全員が笑う。

 ブルーとジリアンが魔法の目に見えない巨大な傘を作って、雨の中を6人は悠然と歩いた。まだ混乱の跡が残る街中で、大笑いしながら歩くわけにもいかないので、それなりに節度を保ちながら談笑は続く。カミーユが髪の色を変えた話に始まって、その場で魔法で全員が髪の色を変えてみるといった、わけのわからない催しまでが繰り広げられた。



 その後、一人いなくなり、二人いなくなり、やがていつものように、ブルーとナタリーが二人で駅に向かって歩いていた。

「楽しかったね」

 ブルーが満足げにつぶやく。ナタリーも、心からそう思った。

「そうね。街が大変な事になってる時に、後ろめたい気持もあったけど」

「うん。でもさ、ナタリー。僕らが頑張ったから、こうしてまだ街はあるんだよ」

 ブルーはそう言って、雨ににじむガス灯の煌めきを見た。

「あのさ、ナタリー。変な事言うようだけど」

「どうぞ」

 ナタリーは、かすかに微笑んでブルーの言葉を待っていた。

「他のみんなには言わないでよ。僕、みんなに会えて本当に良かったと思ってる」

 それはなんとなく、別れの言葉に聞こえるような気がして、ナタリーはほんの少しだけ不安になった。ブルーは続ける。

「みんな、いい人だ。ナタリーも、アーネットも、ジリアンも。ミランダもカミーユも」

「ブルー」

「だからさ」

 ブルーは、星が見えない空を見上げる。

「これからも、できるだけみんなと一緒にいられたらいいなって思うんだ。大変な事もあると思うけど」

 その言葉に、ナタリーはほんの少し安心した。別れの言葉に聞こえたのは、ナタリーもブルーと同じ気持ちだったからだった。みんなと一緒にいたい、それはたぶん、全員が同じ気持ちだった。

「そうね」

 ナタリーは、ブルーの両肩に手を回す。

「きっと、みんなずっと一緒にいられるわよ。今日みたいに」

「うん。きっとそうだ」

 二人は、駅舎のガス灯の明りに照らされて微笑み合う。


 まだ、事件は片付いてはいない。けれど、みんなで立ち向かえばどんな難事件も解決できる気がした。


 この事件が終わったら、その次は何が起きるだろうか。


 奇妙な事件はメイズラントヤード・魔法犯罪特別捜査課まで。


(ローズガーデンの幽霊/完)


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