(18)誰そ彼
陽がだいぶ傾き始めたリンドンでは、魔法犯罪特別捜査課をはじめ全警察機構、および魔女と称する存在の介入のもと、ようやく収まった暴動事件の事後の対応で第二の混乱をきたしていた。
まずひとつは単純に、夥しい負傷者の治療と看護、病院への移送など医療の問題である。ざっと報告されているだけで重傷者が140人に及び、軽傷者は把握しきれず、最低でも500人以上と見積もられていた。
それでいて驚くべきことに、先だっても報告されていた事だが、死者はゼロであるらしい。正確に言うと、10数名から20名以上いるとされた死亡者が、突如として「蘇生」したという報告が入っているためだった。実際にどの現場に行っても死亡者は見当たらず、蘇生した本人や、それを目撃したという証人もいた。警察や衛生局は、不可解な現象に関わっているヒマがないので「死者なし」として片付けてしまった。
「病床の確保、医療物資の確保、そして対応する医師、看護婦の確保。俺たちは直接対応する部署じゃないが、考えただけで頭が痛くなる」
情報局のキャプテン、ジェフリーはこめかみに指を当てて唸った。
「人間もそうだが、器物損壊や、どさくさに紛れての窃盗も多発した。被害の全容がどんなものになるのか、考えただけで恐ろしいよ」
「まったくね」
ナタリーは一言だけ相槌を打つのに留めておいた。なぜかと言うと、そのナタリーが属する魔法犯罪特別捜査課の少年刑事ブルーもまた、大聖堂前の舗道などを魔法で、間接的ではあるが破壊している事が明らかになったためだ。大聖堂のシンボルである翼の女神像も、そっくり”消滅”してしまった。これには謎の”黒衣の女”が関わっている事が報告されている。
「協力者の報告によると、アズーラ・エウスターチオはヘヴィーゲート監獄の、ドロテオ・バンデラの獄舎外縁に出現したそうです。おそらく魔法でのドロテオ殺害を企てており、協力者によって阻止されました」
アーネットは、重犯罪課オフィスでデイモン警部に、カミーユに依頼した結果をそう報告した。
「その後、提供された情報に基づいてアズーラを追いましたが、ドロテオの腹違いの妹エスメラルダが現れ、アズーラを連れて逃走。取り逃がしました」
「そうか」
デイモン警部は、デスクに両手を組んでそれだけ言った。
「まあ、こういう状況では仕方あるまい。ドロテオ殺害を阻止できただけで上等だと考えるべきだろうな」
「次は逃がしません」
アーネットの目に、まるで20代の頃のような闘争心が見えることにデイモン警部は気付いた。
「レッドフィールド君、焦るなよ。焦りは常に最大の敵だ」
「はい」
「君もいったん、自分の部署に戻りたまえ。我々には扱えないと思われる報告が山ほどある。君達の領域だ」
これは、仕事を押し付けているのではなく、休めと言っているのだ。アーネットにはそれがよくわかっていたので、素直に聞き入れることにした。
「わかりました。その種の報告がまとまったら、俺たちに回してください」
「うむ。ご苦労だったな」
警部は立ち上がり、アーネットの背中をバンと叩いてオフィスから出るのを見送った。
「まったく、あと何年かで定年だという老刑事に、最後の最後でわけのわからない事件が起きるようになったものだ」
次第に陽が傾いてゆくリンドン市内を窓越しに眺めながら、警部は憂鬱そうに呟いた。
体力を使い果たして倒れてしまったブルーは、ジリアンとミランダによって、現場から近かったモリゾ探偵社の事務所で介抱を受ける事になった。病院は満杯であり、少なくとも怪我を負ってはいないブルーは門前払いを食らうのが目に見えていた。
「カミーユ、いる?」
ジリアンは暗い事務所に向かって呼びかける。しかし返事がない。
「どこ行ったのかしら」
「とりあえず、寝かせましょう」
ジリアンもミランダも体力は限界であり、ブルーを担ぎ込むだけでも一仕事であった。泊まり込み用の仮眠室のベッドに寝かせると、息の音を聞いて生存を確認する。
「魔法犯罪特別捜査課の方には連絡したのですか」
ミランダが訊ねた。そういえばしていない、とジリアンは気が付いた。
「おじさん…じゃなかった、アーネット忙しいかな」
アーネットが事件後で混乱する街を歩いていると、杖がピンク色に光り始めた。この色はジリアンだ。
「もしもし」
魔法電話に出ると、いつものジリアンの甲高い声がした。
『もしもし、アーネット?』
「おう。無事だったか」
『いや大変だったんだわ』
『ジリアン、口調がおじさんっぽくなってます』
通話の向こうで、ミランダがツッコミを入れるのが聞こえる。
『無事は無事なんだけど、ブルーが倒れちゃったんだよね』
「なんだと!?」
アーネットは、よもや報告にあった魔女と戦って重傷を負ったのでは、と不安を露わにした。
『あ、大丈夫。魔法で応急処置して、いまうちの事務所で寝かせてる。生きてはいる』
『死にかけみたいな言い方は逆に不安を煽ります』
二人の会話からすると大丈夫らしいな、とアーネットは安心することにした。
「ま、下手に病院に行くより魔女にガードされてる方が安心か。すまないが、よろしく頼む」
『おっけー』
それきりジリアンは通話を切ってしまった。大変な状況の中で、少女の明るさはわずかに救いだった。
「ありがとうな、二人とも」
人々が慌ただしく行き交う中、アーネットは一人つぶやいて再び歩き出した。
情報局にナタリーを迎えにやってきたアーネットは、あまり会いたくなかった人物と再会する事になってしまった。
「何年振りかしら、アーネット」
真っ直ぐなミディアムの黒髪を揺らして、マーガレットはアーネットに微笑んだ。
「…元気そうで何よりだ」
「職場はそんな離れてるわけでもないのに、何千kmも離れてるような気分だったわ」
なんだか口調がナタリーっぽい、と思ったが、原因と結果を逆にしている事にアーネットは気付いた。もともと可愛らしい口調だったナタリーが、マーガレットと親友になってだんだん口が悪くなったのだ。
「ナタリーなら、さっきオフィスに戻るっていって出て行ったわよ」
「なに?」
「すれ違ったのね、残念でした」
書類の束をドンとデスクに置いて、マーガレットは笑った。
「今回は、無茶な作戦を実行してくれて助かった。礼を言うよ」
「本当に無茶だったわ。何の確証もない作戦を、よく考え付くものね。感心するわ」
壁にもたれて腕を組み、マーガレットは呆れたように溜息をつく。
「おかげで10代の頃以来、讃美歌を復習できたわ。聖歌隊にでも志願しようかしら」
「ナタリーと一緒にか、そいつはいい」
二人の声が、他に誰もいないオフィスに響く。
「他の局員はどうしたんだ」
「大会議室よ。保安局と連携して、今後どう動くか話し合ってるところ」
「君は参加しなくていいのか?」
「みんなが、歌姫は会議で喉を潰さないようにってね。どうせ私達の意見なんか上の人間は聞かないだろうし、お茶でも飲んでゆっくりしてろ、って。でも私だけ寛ぐのも悪いから、散らかった書類の整理くらいしておこうと思ったの」
そう言ってマーガレットは笑う。情報局というのも、名前とは裏腹に人間味のある部署だなとアーネットは思う。昔いた重犯罪課と、その辺はあまり変わらない。
「そうか。邪魔しちゃ悪いな」
「あら、私といるのがそんなに気まずい?」
言われたくなかった事を、マーガレットは遠慮なしに言ってくる。こういう所も完全にナタリーに継承されているようだった。
「…マーガレット」
「その先は言わなくていいわ」
そう言って、デスクに腰を下ろす。
「ごめんなさいね。あなたに突っかかりたいわけじゃない。ただ、そうね」
暮れなずむ窓の外の景色を見つめながら、マーガレットは言った。
「私に対して何か思っているのなら、それはナタリーにまとめて向けてあげてちょうだい」
「……」
「あの子と私も、ギクシャクした時期があったけど。今ではあの子は私の妹みたいなもの。半分は私だと思ってちょうだい」
「君の口調とユーモアが移ってしまって、たまに君じゃないかと思う事があるよ」
そう言ってアーネットは笑う。
「わかった」
「そうそう、あなた達向けの奇怪至極な報告が山積みになってるわ。いずれ、うちのキャプテンの名前でそちらに回されると思うから、楽しみにしていて」
冗談じゃない、とアーネットは思った。一体、何か所の地点で何があったというのか。明日以降の仕事を考えると、気が重くなる。
「期待してるよ。お疲れさん」
「お疲れ様」
じゃあな、と言ってアーネットは情報局を後にした。一日に二度も昔の恋人と会話するというのは、あまり胃と心臓に良くない。街は混乱している中で申し訳ないが、一人で酒を傾けてゆっくりしたい気分だった。
魔法捜査課オフィスに戻ったアーネットを、ナタリーが疲れ切った様子で出迎えた。
「お疲れ様」
「君もな。いい歌声だった」
「からかわないでちょうだい。緊張で死ぬかと思ったわ」
ナタリーの顔が半分引きつっている。言っている事は半分冗談ではないらしかった。
「皮肉で言ってるんじゃないさ」
「そう」
「今日はもう、俺たちの出る幕じゃない。早めに帰って、体を休めた方がいいぞ」
そう言ってアーネットは自分のデスクにつくと、情報局と重犯罪課から少しだけ受け取ってきた報告書に目を通す。ナタリーは、アーネットの前に手をついて顔をのぞき込んだ。
「あなたこそ、顔に疲れたって書いてるわよ」
「そいつはいかん。あとで拭いておくよ」
「冗談で言ってるんじゃないの」
ナタリーは、アーネットの手から書類を取り上げると脇にどけてしまった。
「ブルーがいないから言うけど、あなたが体力的に無茶するの、ブルーが真似てるのに気付いてる?」
「なんだって」
「どうしてか、わかる?あの子、父親がいないのよ」
それは知っている事だったが、アーネットの胸に突き刺さった。
「彼にとってあなたが疑似的な父親であり、兄であり、教師なの。あの子は自然と、あなたの真似をしてしまう。街で暴動が起きた時、あの子、独断で暴動鎮圧に向かったのよ」
「……」
「魔法のエキスパートだからとか、そんなのは無茶を許す理由にはならない。彼はまだ13歳、もうじきやっと14歳になる少年。その少年が、いま疲れ果てて魔女に介抱されている。その彼女たちだって、まだ15や16歳よ」
どうやら、ブルーがモリゾ探偵社に担ぎ込まれたという連絡が、ナタリーにも入っているらしかった。伝えたのはジリアンだろう。
「あなたを一方的に責めるつもりはないわ。私にも、ブルーの扱いに対して無神経な所はあったと思う。でも、これからはもう少し、彼を気遣ってあげたいの。大人として」
ナタリーの切々とした訴えに、アーネットは目を閉じて頷いた。
「わかった」
アーネットは静かに答える。
「君の言う通りだ。俺たちは、少年少女の手本にならなきゃいけないんだな」
そう言って、ブルーがいないデスクをアーネットは見た。ブルーがいないオフィスは、どこか気が抜けたようだった。
「ごめんなさい、一方的に言って」
「いいや。君は間違ってない。重犯罪課時代デイモン警部に、休むのも仕事だってしつこく言われたのを思い出したよ」
そう言うとアーネットはいつものように、腕を頭の後ろに回して椅子にもたれた。
「どのみち、今日はもうやれる事はないか。休める人間は、休める時に休んでおこう」
「…紅茶を淹れるわ」
ナタリーはそう言って微笑んだ。
リンドン市内、テレーズ川沿いにバンデラ海運所有の廃倉庫がある。アズーラ・エウスターチオとエスメラルダ・バンデラは、ここに隠れ家を作っていた。
「銀髪の魔女め…」
ベッドに横たわりながら、アズーラは言った。カミーユにかけられた束縛魔法により、しばらくの間魔法は使えなくなっているようだった。
「相手が悪かったと思うべきね。でも、私達は主要な目的を達成したわ」
エスメラルダは、ワインを傾けながらニヤリと笑う。
「私は不満だわ」
アズーラは、そう吐き捨てる。目的よりも、カミーユに完敗した事が悔しかった。
「今は、体を治すのに専念することね」
「あなたはどうするの。エスメラルダ」
「明日からは、むさ苦しい会社の重役たちと顔を突き合わせる事になる。そう考えると、うんざりね」
そう言って、再びグラスに赤いワインを満たす。
「あなたの美しい顔を見ていないと、私の精神が参ってしまう。だから、早く元気になって、アズーラ」
「はん、どっちが馬鹿よ」
そっぽを向いたアズーラに、エスメラルダは微笑んだ。
ようやく、全ての人間にとって長い一日が、終わりを告げようとしていた。




