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(13)動乱

 結局、ドロテオ・バンデラの精神鑑定結果は「正常」と判断され、取り調べにおいてサリタ・バンデラ殺害も認めたため、ドロテオはヘヴィーゲート監獄への収監が決定した。

 事件の「真犯人」を特定し逮捕したことで、デイモン警部は名刑事としての経歴にまたひとつページを追加した事になるのだが、当の警部は浮かない顔であった。


 記者会見では当たり障りのない事を言ってやり過ごしたデイモン警部は、そのままオフィスに戻ると、何やら考え込んでいた。

「警部、連日の捜査でお疲れでしょう。今日はもう帰られてはどうですか。報告書は俺達がまとめておきますよ」

 若い刑事はそう提案し、他の面子も頷いた。

「いや。そうしたい所だがな」

 警部はそう言ったが、収監の手続きや犯人の護送などで、しばらくは重犯罪課のやる事はないため、若い刑事たちは首を傾げた。

「ん?カッターの奴はどうした」

 カッターの姿がない事に気付いたデイモンは訊ねた。

「ああ、なんだか用事があるって出て行きましたよ。レッドフィールドさんと話があるとか」

「なんだと?」

 警部は眉間にシワを寄せて身を乗り出した。

「あの二人が組むと必ず何かやらかす」

「心配しすぎでしょう。もう二人とも30過ぎてるんですよ。だいいち、事件が解決したのに何の無茶をするっていうんです」

「あいつらは、事件が終わったと思っていない」

 そう言うと、デイモン警部は上着とハットを掴んで立ち上がった。

「どこ行くんです」

「しばらく留守にする。任せたぞ」

 呆気にとられる刑事たちを尻目に、デイモン警部はオフィスを出ていってしまった。



 カッター刑事は、アーネットと話をするため魔法捜査課オフィスを訪れていた。

「昨日言いそびれたがな。ドロテオ・バンデラには、腹違いの妹がいる」

 カッターはアーネットに向けて言った。ナタリーは自分が集めてきた情報に目を通しながら、話を聞いていた。

「妹?」

「ああ。エスメラルダという名で、現在24歳だ。ドロテオの父は、ドロテオが若い頃に再婚している。その後妻の娘だ」

「だいぶ離れた妹だな。ドロテオは51歳だろう」

「ああ。父親が死去する前年に生まれているな」

 すると、ナタリーが口を挟んだ。

「私の集めたデータにもあるわよ。エスメラルダ・バンデラ24歳。21歳で大学を卒業後、ドロテオの仕事を補佐してるわね。優秀な人らしいわ」

「ドロテオとの仲は?」

 アーネットが確認すると、ナタリーは資料をペラペラめくって答えた。

「特に悪いという事はないわね。実の父がいない代わりに、ドロテオは実質的な父親として彼女を可愛がってきた。サリタとの間に子供は出来なかったから、サリタにとっても娘同然だったようね」

 その話を聞く限りでは、エスメラルダに怪しい所はなさそうだった。アーネットとカッターは同じように腕組みして唸った。

「それで、ドロテオがいなくなった後のバンデラ海運は誰が引き継ぐんだ?そのへんの情報はあるか」

 アーネットが訊ねる。

「ひとまず社長代行としては、そのエスメラルダが着任するのは間違いなさそう。でもその後、親会社のバンデラ商会から親族の誰かが出向するんじゃない?」

「穿った見方をするなら、兄がいなくなる事でその妹が、そのまま社長の座に就ける可能性もないでもないな」

「妹が魔女と組んで、兄を失脚させたということ?母親同然のサリタを殺害させて?」

 さすがにそれは考えにくい、とナタリーは言った。そこへ、アーネットが再び訊ねる。

「そういえば、ドロテオの父の後妻、つまりエスメラルダの母親っていうのは、どんな人なんだ」

「それがね、この人に関しては調べがつかないの。ビルギッタ、という名前だけはかろうじて確認できたけど」

「いま何歳だ?」

「それも不明。ただ、エスメラルダを産んだ時におおむね20代半ばだったらしいから、50歳前後ってとこかしらね。会社経営には関わっていないし、表にも出てこない」

「気になるな」

「さすがに、この短時間じゃ調べるのは難しいわね。時間があれば、調べられない事はないでしょうけど」

 そう語るナタリーを、カッターは奇異の目で見た。

「それより、ゆうべあなた達が襲われたっていう話の方が気になるわ。やっぱり魔女の仕業なのかしら」

「可能性は高いな」

「私の所は結局何もなかったけど」

 ナタリーは、カミーユに出会った事をアーネットには伏せておいた。カミーユはナタリーを自宅まで送り届けると、その夜は自らの使い魔である鷲を護衛につけてくれていたのだ。まだ、ブルーも見ていない大鷲である。

 すると、カッターが部屋を見回して質問した。

「おい、レッド。お前のところの秘蔵っ子はどうした」

「ん?ブルーのことか。あいつなら、例のローズガーデンの様子をチェックしに行ってる。何も起きてないかどうか」



 ルイン・ローズガーデンはいまだ閉園中である。ブルーは朝一番でライトニングを連れてガーデンを訪れ、庭師や管理人に何も起きていないか確認した。

「ええ、その後は特に幽霊が出たという話もありませんし、事故が起きているという話も聞きません」

 50代くらいの庭師は、園芸用のハサミを手に言った。

「じゃあ、もう開けちゃってもいいね。よし、ローズガーデン幽霊事件はこれで解決だ」

 ようやく、難解極まる事件の捜査から解放されるとブルーは喜んだが、ライトニングの様子はまだどこか変だった。一時の妙な落ち着きのなさは収まったが、それでも何か警戒し続けているように思えた。


『そういう事だから、もう開けちゃっていいよね』

 魔法の通話で、ブルーはアーネットに確認を取っていた。レイラインが若干弱いのか、会話に雑音のようなものが入る。

「もう大丈夫だろう。俺の方から、例のカーソンさんには電話しておくよ」

『じゃあ僕はもう帰っていいんだね』

「ああ。事故るなよ」

『馬車の御者に言ってよ。じゃあね』

 ブルーは通話を切ったが、アーネットは会話に絡んできた雑音が気になっていた。

「変だな。前に通話した時はあんな音しなかったのに」

 魔法の杖を見ながらアーネットが首を傾げる。

「レイラインの魔力も波があるからじゃない?」とナタリー。

「すまん、お前らが何を言ってるのかさっぱりわからん」

 カッターが怪訝そうな顔を向けたところで、突然ドアが開いた。

「魔法捜査課に転属したいなら届けは出してやるぞ」

 重みのある声を響かせて入って来た、その人はデイモン・アストンマーティン警部だった。

「おや、これは警部」

「カッター、お前がレッドフィールドと組んで捜査しているとはな。何年振りだ」

「そういう警部はどうしてこちらに?」

「お前達が悪だくみをしている、と聞いたからに決まっているだろうが!」

 それは、アーネットとカッターには懐かしい響きだった。重犯罪課時代のアーネットとカッターは、何かおかしいと思ったら、勝手に抜け出して独自の捜査を進めるのが日常茶飯事だったのだ。

「でも、そういう警部だって、何か釈然としないって顔に書いてますよ」

 そう言ったのはアーネットである。

「当初の宣言どおり、ドロテオ・バンデラを監獄にぶち込んだ。それなのに、まだ何かご不満なんですか」

「ああ、そうだ。釈然とせん。今にして思えば、ドロテオの行動はお粗末すぎた」

 デイモン警部は、もはや勝手知ったるといった風情でブルーの椅子を拝借し、足を組んでアーネットを見る。

「お前たちの推理は読めている。おおかた、ドロテオの家族か近い誰かが、ドロテオの後釜に座るのではないか、と踏んでいるんだろう」

「警部と同じ結論とは、光栄ですね」

「何をどこまで掴んでいる?わしにも教えろ」

 まるで、内緒話を聞きたがる子供のようだとナタリーは思った。結局このベテラン警部も、事件を追わないと気が済まない一介の刑事なのだろう。

 3人は、アズーラが魔女であるという可能性も含め、警部に全てを説明した。


「事ここに至って、魔女とはな。ははは」

 警部の乾いた笑いが地下室に響いたが、目が笑っていない。

「魔女かどうかは、この際どうでもいいです」

 アーネットが魔法捜査課にあるまじき発言をすると、警部は横目でにらんだ。

「一番の問題は、誰が何を企んでいるか、です。仮にローズガーデンの周囲で起きた連続事故が、我々魔法捜査課を引きつけるために意図的に起こされたものだとしたら、その『真犯人』は人の命なんか歯牙にもかけない悪党だ、という事です」

「つまり、今後も何をしでかすかわからない、という事か」

「そうです。ゆうべ、俺とカッターに暴漢を差し向けたように」

 2人を襲った、おそらく操られていた4人は、周囲に一般人がいるのもお構いなしに凶器を振り回していた。それが拳銃であったりした場合を考えると、アーネットはゾッとした。

「ですが、怪しいと睨んでいるアズーラは全く姿を見せません」

「まあ、落ち着け」

 デイモン警部は、ゆっくりと重みのある口調で言った。それは、まだ若い刑事たちに安堵感を与えるものだった。

「こういう、情報や要素が錯綜していてどうにもならない状況は、混乱した戦場に喩える事ができよう」

「戦場ですか」

「そうだ。戦場が混乱している時、真っ先に考えるべき行動は、どっちだ。敵の戦力を削る事か、それとも」

「…大将首を取るか」

 アーネットの言葉に、カッターもナタリーもハッとして頷く。

「そうだ。全容を把握しようなどと思うな。それよりも、敵将がどこにいるのかを見極め、そこに兵力を殺到させるべきだ」

「その、敵将が誰なのかわかりません」

「本当にそう思うか?わしは、すでに推測を立てておるぞ」

「え!?」

 アーネットとカッターは、顔を見合わせて唖然とした。自分達が気付いていない何かを、この老刑事は気付いたというのか。

「わしも今になって気付いただけだから、自慢はできんが。そもそも、『ドロテオが失脚して利益を得る人間』が、後釜に座る人間だけだと考えるのが間違いだったのだ」

「どういう意味です?」

「君も当然知っているただろう。ドロテオが海外のあちこちで汚い商売をして、政治家に賄賂を渡しそれをもみ消してきた事を」

 アーネット達は、そんな最初からわかりきった事を、なぜ強調するのかと考えた。しかし、アーネットが「あっ」と手を叩いた。

「政府、あるいは公的機関の人間か」

「なんですって?」

 ナタリーが、まさかという目でアーネットを見る。

「そうだ。過去にドロテオは、多額の賄賂を各方面の要人にバラまいている。その証拠は巧妙に隠されてきた」

「ドロテオがいなくなれば、それを受け取った人間にとっては朗報だ」

 アーネットの言葉にカッターとナタリーは同意した。デイモン警部が続ける。

「そうだ。だから、一旦はサリタ・バンデラが自殺したという方向に持ち込んだものの、むしろこの機にドロテオを消し去る方が自分達にとって都合がいい、と方針を転換したのだろう。だから、わしが裁判所に疎明資料を提出したあと、妙にあっさりと捜査令状が降りてきたのだ」

「じゃあ何すか、俺たちは政府かどっかのお偉いさんに利用されたって事ですか」

 カッターは不満を露わにしたが、警部は冷静だった。

「今さら言っても始まらん。それに、ドロテオはいつか裁きを受けるべき人間だったのだ」

「いいでしょう、じゃあそういう事にしておきますよ。でも、ここからどうするんです?ドロテオから金を貰った政治家なり官僚なりを、全員探し出して職務質問するんですか」

「そんな手間のかかる事をする必要はない。そうではなく、バンデラ海運の関係者でごく最近、収賄疑惑のある政治家、官僚などと接触した人間を特定すればいいんだ。そいつが今回の事件の黒幕、魔女と手を組んだ人物だ」

 デイモン警部の理論の組み立てには、一切の隙がなかった。入り乱れて混乱を極める戦場の中で、敵将の位置を突き止める戦術を編み出してみせたのだ。若い刑事たちは、これが年季の違いかと改めて敬服したのだった。

「そういう情報を得るのは得意だろう」

 警部は、ナタリーを見て意地悪い笑みを浮かべた。

「わかりました。ちょっと出かけてきます」

 ナタリーは外出の準備をし、部屋にいる3人に敬礼して地下室を出て行った。

「俺たちはどうすりゃいいんです」

 カッターは、やる事がない、というジェスチャーをしてみせる。しかし、情報が入って来ない事にはどうにもならない。

「情報が欲しいなら探して来ればいい。探す手立てがあるのならな」

「ないです」

「じゃあ、自分の部署に戻るしかなかろう」

 デイモン警部は立ち上がると、ハットを被ってアーネットを向いた。

「レッドフィールド、すまんが情報が入ったら、教えてくれ」

「いいですよ。ここを捜査本部にしましょう」

「だいぶ勝手な捜査だがな。立証できる保証はない。それでもやるか?」

「俺を誰だと思ってるんです」

 そうだな、とデイモン警部は苦笑いした。

「行くぞ、カッター」

「はいはい。じゃあなレッド、お互いヤブをつついて首にならんよう祈るとしようぜ」

 縁起でもない、と言いながらアーネットは、重犯罪課の2人を見送った。


 唐突に誰もいなくなったオフィスで、アーネットはやる事がないので、ポットに残っていた紅茶を魔法で温め直した。

 一息ついて、今の状況を頭の中で整理する。

 ドロテオは、贈収賄の事実を闇に葬る目的で逮捕された。殺人の罪を認め、これから細かい取り調べや、裁判が待っている事だろう。そこで、ドロテオは何を話すのか。

「……」

 アーネットは、ティーカップを傾けながら、その様子を想像した。

 ドロテオは、色々と後ろ暗い事業を重ねて来た人間である。つまり、ドロテオに関わって来た人間も、また同じだ。

 それらの人間の顔と名前を、ドロテオは知っている。


 そんな人間が、殺人で逮捕され、失うものが何もなくなった状態で、何も話さないわけがない。そういう人間を、同じように後ろ暗い過去を共有しており、まだ権力の椅子に座っている人々は、どうするか。


「…まずい」


 まだ紅茶が残っているカップをがちゃんと置いて、アーネットはオフィスを飛び出した。デイモン警部に伝えなくては。いや、警部ならすでにそれぐらい気付いているかも知れない、と考えるのは楽観的だろうか。



 しかし、アーネットが地下から出て来たのと前後して、予想外の事態が発生していた。

 

 発端は、メイズラントヤードがあるウッドワールドストリートの南東、中世の宮殿跡の広場だった。観光客がごった返すその場所で、通り魔が連続発生したのである。


「きゃあああ!!!」

「うわああ―――!!!」

「逃げろ!!通り魔だ!!」


 人々の怒号、悲鳴が飛び交う中、どこからどう見ても普通の通行人にしか見えない男性たちが、ナイフや鈍器を振り回して、手当りしだいに周りの人間を刺し、殴り始めた。

 それまで普通に歩いていた人間が、まるで感染症にかかったように傷害行為に出た。始めは4人、5人だったのが8人、10人と増加し、逃げ場を失った人間が標的になり、ついには死亡する人間まで出て来たのである。それは、地獄の光景であった。


その報がアーネットのもとに届くのに、そう時間はかからなかった。本庁の重犯罪課オフィスに向かっていたアーネットは、血相を変えて駐在所の警官が背広組に怒鳴っているのを見つけて、何事か問い質した。

「暴動だって!?」

「そうです!一般人の避難をさせなくてはなりません!」

「待ってくれ、暴動ってのはどういう規模なんだ。思想集団か何かか」

「違います!一般の通行人が、突然周りの人間に危害を加えているんです!」

 アーネットは戦慄した。それは、先日自分とカッターが遭遇した、4人の通り魔と同じではないのか。

「場所は!?」

「ウィンドリー宮殿公園の周辺です!」

 それを聞いたアーネットは、すぐに重犯罪課のオフィスに走った。デイモンとカッターに連絡すると、カッターと共にすぐに現場に向かったのだった。


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