(12)魔女の目的
それは、まったくの予想外な光景だった。一般人と思しき通行人の中の4人の男、年齢はざっと20代から40代といったところか、彼らは突然にどこからか持って来たナイフや鈍器で、アーネット・レッドフィールド巡査部長とエドワード・カッター巡査部長に襲いかかってきたのだ。その目は正気を失っており、焦点がまるで合っていないように思えた。
それを目撃した他の通行人たちは驚き、恐怖で蜘蛛の子のように散っていった。
「なんだ、こいつら!?」
バールのようなものを振り下ろしてきた同年代くらいの男をかわすと、カッターはその後ろ首に、したたかに肘鉄をくらわせる。男は地面に真っ正面から額を打ち付け、そのまま気を失った。
「おいおい!」
振り回す中年の男のナイフをかわすと、アーネットもその腹にひざ蹴りを食らわせる。酒を飲んでいたのだろう、酒臭い胃液を吐いて男は倒れ伏した。
「カッター!」
アーネットはカッターの背後に、レンガか何かを持った男が近付くのに気付いた。すんでの所でカッターはかわしたものの、足の姿勢を崩してしまい、その場に背中から転んでしまった。
まずい、と思ったアーネットはとっさに魔法の杖を振るい、のこりの二人に電撃の魔法をくらわせる。雷に打たれたように、二人の男はその場に派手に倒れて気を失った。
「ふう」
「助かったぜ、レッド」
「俺たちなら魔法なんか要らないけどな」
アーネットの軽口に、カッターはニヤリと笑う。若い頃は二人とも血の気が多く、重犯罪課の二丁拳銃などと揶揄されたものである。
「しかし、こいつらは何なんだ」
とりあえず、男たちの身に着けているもので手首を縛ると、アーネットは近くの店で電話を借りて駐在所に連絡を入れた。ほどなくして警官たちが馬車で駆け付けてきたので、アーネットとカッターは現行犯を積み込むと、そのまま駐在所まで馬車のあとを歩いて行った。
「やれやれ、久々にゆっくりできると思ったらこれだ」
「単なる酔っ払いなら、駐在所に押し付けてとっとと帰るところだがな」
アーネットは、4人の暴漢の行動と、その表情が気になっていた。
狭い駐在所に突然暴行の現行犯を4人も連れてこられたため、警官たちは困り果てていた。現行犯の「置き場所」がないのである。やむなく、手錠をかけた状態で外に座らせておき、意識が戻った者から順に取り調べを行う事になった。
一人目の、若い男の言い分はこうであった。
「なんだかわからねえよ!俺は仕事が終わって、駅に向かって歩いていたんだ。そしたら急に目まいがして…気付いたら、ここにいたんだ」
それを聞いた駐在所の警官は、突然の出来事の苛立ちをぶつけるように怒鳴った。
「ふざけるな!この刑事二人に殴りかかったところを、大勢の通行人も目にしているんだぞ!」
「こんな奴ら知らねえよ!俺は殴ってなんかいない!」
若者の怒気は、真実味があるものだった。アーネットは警官の肩をたたき、自分に代わるよう言った。
「落ち着いて話してくれ。さっき、目まいがしたと言ったな」
警官に代わって取調室の椅子についたアーネットは、ゆっくりと若い男に訊ねた。
「歩いている最中にか」
「そ…そうだよ。べつに酒飲んでるわけじゃねえぜ。これから飲もうと思ってたんだ」
「誰か近寄ってくるのを、見た覚えはないか」
アーネットの質問に、若者は首をかしげた。
「いや…誰も」
アーネットは腕組みして思案した。カッターが訊ねる。
「おいレッド、何か思い当たる事でもあるのか」
「残りの3人も話を聞いてからだ。たぶん、この若い男と同じ事を証言するだろう」
「なんだと?」
カッターは訝しんだが、意識が戻った3人はアーネットが言ったとおり、揃って同じ事を言った。全員、歩いている途中に目まいのような症状に襲われ、気が付いたらこの駐在所の外に、手錠をかけられて座らされていた、というのである。
「どういう事なんだ。何かわかってるんだろう、レッド」
カッターはアーネットに詰め寄った。
「何も難しい事はない。俺たちにはな」
「おい、それって」
「そうだ。こいつらは、何者かに魔法をかけられて、俺たちを襲うように命令されたんだ」
アーネットの結論は、カッターには即座に理解しかねるものだったので、繰り返し説明を求めた。
「魔法だと?どういう魔法だ」
「特定はすぐには出来んが、おそらく簡単な催眠魔法だろう。動作も大雑把だったしな」
「催眠魔法だと?まるで、例の魔女のようだな」
「ああ、そうだな」
「まさか、ドロテオをそそのかした奴が俺を狙ってきたのか?」
カッターは、自分で言っておきながら「まさか」という顔をした。
「いや…むしろ狙われたのは、俺かも知れん」
アーネットが言う。
「なんだと?」
「魔法使いの犯罪者にとって邪魔なのは、お前と俺、どっちだ」
カッターは、驚きつつも納得がいったようだった。
「なるほど。しかし、それなら…」
カッターが話をし始めた時、アーネットは突然何かを思い出したように立ち上がった。
「すまん、ここは任せた。ちょっと外す」
そう言うとアーネットは、駐在所の外に出てしまった。困ったのはカッターである。任せると言われても、同じ事しか言わない4人組をどうしろというのだ。
「暴漢に襲われた?」
アーネットからレイラインを利用した魔法電話を受けたナタリーは、自宅に戻る道路で、耳に魔法の杖をあてがって会話していた。傍から見ると、独り言を言っている不審人物にしか見えないだろうなと思いながら。
『そうだ。おそらく魔法の催眠をかけられている。ナタリー、十分に気をつけろ。ブルーはいるか』
「もう別れちゃったわよ。私の方が先に汽車を降りるんだもの」
『そうか…ナタリー、とにかく警戒してくれ。俺達魔法捜査課が狙われている可能性がある』
「誰に?」
『それはわからん。だが、例のアズーラ・エウスターチオの可能性もある』
なんとも大雑把な話だなと、ナタリーは思った。しかし、アーネットの事は信頼しているので、言う事には耳を傾けることにした。
「わかったわ、気をつける。あなたもね」
『ああ』
「ブルーは?」
『むしろ、あいつに近付く奴の身の安全が心配だ。殺さないようきつく言っておく』
ナタリーは思わず吹き出した。
「そうね。わざわざありがとう」
『俺が近くに居られればいいんだが』
アーネットの言葉に、ナタリーは一瞬押し黙った。
「本気で言ってるの?」
『…冗談だ』
「そう」
『もう切るぞ。じゃあな』
それきり、アーネットは通話をぶつりと切ってしまった。
「冗談か」
一人、夕暮れの中を苦笑いしたナタリーは、自宅に向かって歩き出した。
しかし次の瞬間、ナタリーは目の前に知らない人物が立っている事に気が付いて、一瞬心臓が止まるかと思った。
それは、女性だった。異様なのはそのファッションである。インバネスコートに男物の高いハットをかぶり、髪はナタリーと似たボブカットだが、まっすぐに切り揃えられていた。亜麻色でもブロンドでもなく、夕焼けの中でもはっきりとわかる銀髪である。目はアーモンド型で、色白で美しい顔立ちに、不気味な笑みを浮かべていた。
「初めまして、ナタリー・イエローライトさん」
独特の、柔らかいが芯のある声で女性は言った。
「初めてなのに、私の名前を知っているのね」
「もちろん知っていますとも」
「それでわかったわ。あなたが、カミーユ・モリゾね」
ナタリーは、目の前の女性の名前を当ててみせた。女性は笑う。
「流石です。いかにも私の名はカミーユ・モリゾ。探偵社の代表を務めております」
「その探偵さんが、何のご用かしら」
「そう、邪険になさらないで」
カミーユは、寂しそうな笑みを浮かべた。
「あなたの身をお守りに参上したのです」
「なんですって?」
「余計なお世話かも知れません。あなたも魔女なのだから、差し出がましい真似をすべきではないのかも知れない。でも、私はあなたを守りたい」
その、丁寧だが強引な物言いに、ナタリーは困惑した。
「なぜ?私とあなたには何の関係もない」
「いいえ。あなたは、ジリアンの涙を拭ってくださいました」
意外な人物の名前を出されて、ナタリーは少しだけ狼狽えた。
「ジリアンは私の大事な弟子であり、妹のような存在でもあります。私は不器用なので、あなたのような接し方ができません。以前の事件で、あなたがジリアンの心の、最後の壁を取り払ってくださったのです。ご自分では、お気付きになっていないかも知れませんが」
ナタリーは、唐突な感謝の言葉にどう返答するべきか困惑してしまった。
「私はただ、一人の大人としてジリアンに接しただけよ。何も、特別な事なんかしていない」
「それで充分なのです。あなたには嫉妬させられてばかり」
そう言って、カミーユは微笑んだ。
「ナタリーさん。今あなた方には、少しばかり危険が迫っています。あなたを、どうか守らせてください」
その、懇願するようなカミーユの態度は、ナタリーをさらに困惑させた。
「あなたが守りたいのは、アーネットではないの?」
つい、ナタリーは踏み込んだ事を言ってしまった。カミーユはアーネットの元恋人である。それも、アーネットから別れを切り出されたはずで、カミーユ自身はまだ好意を持っているかも知れないのだ。
「そうですね。では、こういう言い方は卑怯でしょうか。あなたが傷つけば、彼が悲しむ」
そう語るカミーユの目に、うっすらと涙が浮かんでいるのをナタリーは見た。
「…カミーユさん」
「私は魔女です。けれど、普通の女でもあります」
「もういいわ。ごめんなさい」
そう言うのが正解かどうかはわからないが、ナタリーはカミーユに対して、そう言うしかなかった。
「わかったわ。あなたがそうしたいと言うのなら、好きにして」
「はい」
「でも、守られるというのは私の趣味じゃないわ」
ナタリーは、魔法の杖を取り出して見せた。
「何かあったら手伝ってちょうだい、カミーユ」
「わかりました、ナタリー」
アーネットは結局襲いかかってきた4人を、名前と住所などを控えたのち、釈放してしまった。
「良かったのか」
パブでビールをあおりながら、カッターが訊ねた。
「あいつら自身は何もわかっていない。問題はあいつらを動かした何者か、だ」
豆のスープを食べながらアーネットが言う。
「ドロテオの愛人、アズーラ・エウスターチオが犯人という可能性はあると思うか」
「まだ何もハッキリしていないうちに仮定を重ねるのは、危険だな」
アーネットが言う事はもっともだが、仮定を立てないと物事が進まない事もある。カッターはアーネットにスプーンを向けて言った。
「らちが明かないのは嫌いだ。俺はこの際、魔法に関しては疑いを持たない事にする。ついでに、アズーラが魔女だという話も、そのまま受け入れる」
「それはまた、飛躍したな」
「飛躍でも何でもしてやる。それで犯人をひっ捕らえる事ができるならな」
ゆでたポテトを口に中に押し込んで、カッターは険しい顔をした。
「レッド、ひょっとしてお前さん、何かやらかしたんじゃないのか?アズーラのご機嫌を損ねるような何かを」
「ばかを言え。俺たちがここ数日やってた事といえば、リンドン市内とローズガーデンの往復だ。傍目には仕事を放り出してピクニックにでも行ってる風にしか見えなかっただろうよ」
「その、ローズガーデンで何をした?」
「そりゃ、幽霊騒動は一応解決できそうな雰囲気ではあるが…」
そこまで言って、アーネットははたと何かに思い当たった。
「…ちょっと待てよ。サリタ・バンデラ殺害を指示したのが、アズーラ・エウスターチオだと仮定すれば、サリタの魂があのローズガーデンにいた事を、アズーラは知っていたんだろうか」
「そこまでの話になると、俺には何とも言えんな。幽霊も魔法も、専門外だよ」
カッターは手を横に振って降参のジェスチャーをしてみせる。すると、アーネットが訊ねた。
「なあ、サリタの死因って何だ」
「ん?ああ、司法解剖の結果じゃ、飛び降りる前に左側頭部を鈍器で殴られているな。ドロテオは、鉄パイプで殴って凶器は海に捨てた、と自白している」
「何か、打痕以外に痕跡はなかったか」
「ん?」
カッターは、アーネットの言っている意味がわかりかねた。
「さあな。死因に関する痕跡はそれぐらいだ。ドロテオも、一撃でサリタは動かなくなったと言っている」
「そうじゃない。死因とは別の、何か普通ではない痕跡だ」
「普通ではない、か。うーむ」
ソーセージをフォークで刺そうとしたカッターが、その手をぴたりと止めた。
「そうだ。ひとつだけ、ある」
「なんだ?」
「いや、偶然だろうと処理されたんだが。被害者の殴られて流れ出た血が、首のところで文字のようになっていたんだ」
「文字?」
アーネットは興味深げに訊いた。
「どんな文字だ」
「文字のように見える、としか言えん。俺達が使うアルファベットでもない。たしか…こんな感じだった」
カッターは皿のグレイビーソースを指につけ、別な皿にその目撃したという文字を記した。強いて言えばアルファベットのQに似ていると言えなくもない文字に始まる、意味不明の3文字だった。
「まあ、これがアルファベットだったら何かあると思うところだが。たまたま文字のように見えるというだけだろう」
カッターはそう言うものの、アーネットは念のため、それを手帳に控えておいた。
「何かあるのか」
「わからん。ただ、殺された人間が幽霊になってどこかに現れるなんて事、そうそう頻繁にあるのかと思ってな」
アーネットの言うことは確かにそうだ、とカッターも思った。
「それもそうだな。殺される事で人間が怨霊になってどこかに現れるなら、殺人事件のたびにエクソシストを呼ばなきゃならん」
「だろう」
「つまり、レッド。サリタが幽霊になって例のローズガーデンに現れたのは、意図的に誰かに仕組まれた事だと、そう言いたいのか」
「以前、うちの若いやつに聞いた話なんだが、人の魂を操るという古代の魔法があるらしい」
「なんだ、そりゃ」
いよいよ専門外の領域になってきたので、カッターは露骨に難しそうな顔をした。
「幽霊を信じる信じないは別の話としてだ。お前さんが言うように、サリタの霊が意図的にガーデンに行くよう仕向けられたとしよう。その目的は何だ」
カッターの指摘に、アーネットは顎に指を当てて考え込んだ。確かにそう言われても、即座に解答は出ない。
「幽霊が現れて、その周りで事故が多発する、それで誰かが得をするのか。せいぜい、お前さん達が右往左往して脚が疲れる程度だろう」
「!」
カッターの何気ない言葉に、アーネットは何かピンときたようだった。
「それだ」
「なに?」
「そいつの目的は、俺達をリンドン市内から遠ざける事だったんだ」
「あっ」
今度はカッターもすぐに理解した。
「そうだ。俺達がグレイスリー町のあたりに張り付いていれば、ドロテオの捜査に介入する事ができなくなる」
「魔法捜査課がいなければ、仮に魔法による仕掛けがあったとしても、見破れる者はいなくなる、というわけか」
「ほんの数日でいいのさ。ドロテオが逮捕されるまでな」
そう言って食後のコーヒーを傾けるアーネットに、カッターはひとつ指摘した。
「じゃあ、どうして今更お前が襲われなきゃならんのだ?どのみち、ドロテオは収監される事になるだろうに」
「それはそうだな」
「さっきも言ったが、何かイレギュラーがあったんじゃないか?お前たちに今、リンドン市内に留まられると困る何かだ」
「何かって、何だ」
今度はアーネットが考え込む番だった。しかし、パブのテーブルで酒が入った状態で考えても、これ以上何も実のある話はできそうになかった。結局二人は会計を済ませるとその場で別れ、それぞれ帰途についたのだった。
一方、ブルーが帰宅すると、勝手に外出していた使い魔の狼犬ライトニングの様子が、何かおかしい事に気付いた。ライトニングはいつになく険しい顔をして、ブルーに何かを急かすような仕草を見せた。
「なんだなんだ」
上着を脱ぎながら、ブルーは妙にソワソワするライトニングを見た。
「散歩してて、お前より強そうな野良犬にでも遭ったか」
エントランスに若いメイドが出て来て、ブルーの上着を受け取る。
「おかえりなさいませ、アドニスさま」
「ライトニング、どうしたの?妙に落ち着きがないけど」
「それが、わからないんです。お母さまは放っておきなさい、と仰っているので、別に噛み付いてくるわけでもないし、そのままにしてます」
「何だろう」
使い魔の行動はよくわからないな、とブルーは思い、そのうちいくらか様子も落ち着いてきたので、その夜はいつも通り更けていった。




