(11)影
ドロテオ・バンデラへの最初の取り調べでサリタ・バンデラ殺害を認めたものの、容疑者の態度が要領を得ないものだったため、デイモン警部はどうするべきか考えあぐねていた。
そもそも、容疑者の精神状態がはたから見ても正常ではないため、自白としてそのまま記録していいものかどうか不明である。
結局その日は、自白内容は記録しておきつつも、医者の精神鑑定の必要あり、という警部の判断によって、その後改めて取り調べを行う事になったのだった。
「参ったよ」
タバコをふかしながら、カッター刑事はぼやいた。ここは警視庁裏手の公園である。アーネットはいつもの癖で、腕組みして木にもたれながら、昔の相棒の話を聞いていた。
「奴さんを捕まえたはいいが、今度は精神状態がおかしいもんで、医者の鑑定だと。殺人を認めたんなら、さっさとヘヴィーゲート監獄にぶちこんじまえばいいんだ」
「しかし、警部が言う事だから、やっぱりそいつは今、まともじゃないんだろう」
「まともじゃない事は同意するがね」
捨てたタバコをグシャリと踏みつぶして、カッターはアーネットの方を向いた。
「まさか今回のヤマ、お前さんとこの案件なんてオチはなかろうな」
「冗談だろう」
アーネットは笑いながらかぶりを振る。
「俺もそう思いたいがな」
カッターの表情は、少し真面目なものになっていた。
「俺は他のヤマで参加してなかったが、過去の何件かの事件で、お前さんの所とうちが合同で捜査した事件の、報告書を読んだ」
「ローバー議員や、例の脱獄囚の事件か」
「ああ」
カッターは依然として真面目な表情だった。
「魔法なんてものは、まだそれほど真面目に受け止めているわけじゃない。だが、報告書は全てにおいて筋が通っているものだ」
「だが、うちに回って来た案件でも、調べたら魔法でも何でもなかったケースはザラにある」
アーネットは、過去のいくつかの事件を思い出していた。魔法犯罪だと思われていたものの、単なる思い込みか事実誤認で、最終的に他の課に引き継がれた詐欺事件などが実際にあるのだった。
「何も、早合点で言ってるわけじゃない。単に、精神の異常を装って罪を逃れようとしているとか、いくらでも理由は考えられる。ただ、魔法犯罪っていうのも、可能性のひとつとしては考えられるって事だ」
カッターという男は直情型で喧嘩っ早いことで知られている刑事だが、思慮に欠けているわけではない。むしろ洞察力はアーネットといい勝負であり、物事を公平に、広い視野で捉える事ができる男でもあった。アーネットとは重犯罪課時代、同期という事もあって良いコンビを形成し、数々の事件を解決したものである。
「まあ、気にするな。単に俺がそう思ってるだけって話だ。次の取り調べでカタがつくかも知れんしな」
「カッター。実は、うちのヤマの話なんだがな」
今度はアーネットが、やや真面目な顔で語った。
「お前さんのところのヤマと、まるっきり無関係でもないかも知れん」
「なんだと?」
「あまりに突飛な事件なんで、言うべきかどうか悩んでいたんだ。重犯罪課が真面目に捜査してるところに、突飛な話を持ち込んでも邪魔になるだけだと思ってな」
「お前は昔から回りくどいんだよ。言ってみろ。どれだけ突飛なのか、聞かなきゃわからん」
長い話を好まないカッターに気圧されて、アーネットは難しい顔をしながら、ルイン・ローズガーデンで起きた事件について、全てをカッターに伝えたのだった。
「被害者のサリタ・バンデラの幽霊だと?」
カッターは、これ以上奇怪な話は聞いたことがないような表情をした。唇が変な角度に曲がっている。
「なんで今まで言わなかった」
「幽霊事件なんて、真面目に取り合ってくれるわけないだろう。それをそっちに伝えたところで、幽霊の証言を重犯罪課が採用すると思うか?」
それは全くもってその通りなので、カッターは反論がなかった。
「あっ、ここ最近リンドンで妙に噂になってる、ローズガーデンの幽霊騒動ってお前らの案件だったのか」
「笑いたきゃ笑え。魔法どころか、ついに幽霊まで事件ファイルの仲間入りだ。将来警察をやめたら、集まった事件ファイルを題材に、小説でも書こうと思ってるよ」
「そりゃあいい」
カッターは二本目のタバコに火をつけて笑った。紫煙が新緑を背景にたなびく。
「警部には言うなよ」
「言いたいところだが、やめておこう。だがなレッド、その事件、確かに興味がある」
レッドとは、アーネットの一部で呼ばれている通称である。
「どの辺りがだ」
「例の貿易商の行動が、どうにも腑に落ちない点と併せて考えると、だ。あの男は腕っぷしも強いが、頭も回る。植民地での奴の経営は、警察が立ち入る隙がないくらい巧妙だ。政治家への賄賂も実に見事な手際で、決して証拠を残さない」
褒めているのか軽蔑してるのかわからない口調でカッターは言う。
「そんな奴が、あんなお粗末な殺人事件を犯すと思うか?マフィアみたいな手下を大勢引き連れている奴が、ご丁寧に自分で妻を殺す必要がどこにある。いつも商売でやっているように、手際のいい部下に証拠が残らないよう殺させて、記者会見で私は妻を愛していた、犯人が許せないと涙ながらに語った2ヶ月後に、愛人と結婚すればいいだけの話だろう」
さすがカッター、話を短くまとめるのは天才的だなとアーネットは思っていた。
「つまりだよ。奴に、ドロテオ・バンデラに、殺人を教唆した何者かがいるんじゃないか、と俺は思い始めたんだ」
「それ、警部には話したのか」
「警部の方が俺より先に、そういう考えに辿り着いているフシがある。はっきりとは言わんがな」
さすがだよ、とカッターは言った。
「そこで、さっきお前が言ってた、サリタ・バンデラが言い遺したという『魔女』が引っかかる」
「例の愛人か。アズーラ・エウスターチオ」
「そうだ。彼女はドロテオが連れて行ったと思われたが、姿をくらましている」
「なんだと?」
怪しいな、とアーネットは思った。
「彼女の身柄を確保するべきだな」
「身柄じゃないが、たぶんうちの情報収集担当が、彼女の事を探ってるところだ」
すると、カッターが身を乗り出してきた。
「それ、うちにも回してもらえるか。情報が入ったら」
「ああ、構わない。しかし、役立つかどうかはわからんぞ」
「それでいい、助かる」
カッターはタバコを捨てると、時計をチラリと見た。だいぶ陽は傾いている。
「さて、それじゃ面倒な報告書でも作りに戻るか」
「少しは字の練習したのか」
「うるせえ」
元相棒に吐き捨てると、カッターは片手を振ってその場を立ち去った。
カッターが去ったあと、アーネットはオフィスに戻ろうと歩き出したものの、何か一瞬妙な気配を感じて振り向いた。しかし、どこにも誰もいない。気のせいか、と思い、そのままアーネットは公園の敷地を後にした。
魔法捜査課オフィスに戻ると、ナタリーとブルーが何やら共用テーブルで話し込んでいた。
「おっ、なんだ。クーデターの計画でも練ってるのか」
部屋に入るなりアーネットがジョークを飛ばすのは日常である。
「やりたいならお一人でどうぞ」とナタリー。
「つれないな」
いつものようにベストを脱いでデスクわきのハンガーに引っ掛けると、椅子に座って手を組む。
「なんかわかったのか」
「例の『魔女』について、少しだけ調べてみた」
「ほう」
興味深そうにアーネットはナタリーを見る。
「アズーラ・エウスターチオ、現在23歳。レタリア出身で、15歳の時、半分身売りのような形でメイズラントにやって来てる。来た当初は、パブとかで働かされてたみたいね」
レタリアは海外の、メイズラントよりは小さいが、歴史の長い国である。
「ふむ」
「2年くらい、あんまり大きな声では言えない夜の仕事を転々としたあと、3年ほど消息が不明になっている。その後またリンドンに現れると、今度は上流階級向けの高級バーで、ピアノを弾いて、歌を歌い始めた。今では歌姫なんて言われてたようね」
「俺が知らんということは、相当高級な店ってことか」
ナタリーは頷く。
「ドロテオと知り合ったのも、バーでピアノを弾いていた時らしいわ」
「いつだ?」
「1年くらい前かしら。その後、ドロテオと一緒にいる姿を何度も目撃されている。そして、今から2カ月くらい前に、それまで務めていた高級バーを突然やめた」
アーネットの眉が動いた。
「理由は?」
「そこまではわからない。ただ、ドロテオの愛人という事だから、もう自分で稼ぐ必要もないし、あわよくばそのまま結婚に漕ぎつけるつもりだろう、と周囲からは思われていたようね」
「そしてその後、妻のサリタ・バンデラが死んだ、と。出来過ぎた話ではあるな」
話を黙って聞いていたブルーがここで言葉を挟んだ。
「やっぱり、彼女がドロテオをそそのかした、って事なのかな」
「単純に考えるならな。奥さんがいなくなった所に、結婚して転がり込む、という算段だったのかも知れん。しかし、消息不明だった3年間、どこで何してたんだろうな」
そこで、ナタリーがメモを見ながら話を続けた。
「チラリと聞いただけだから、信憑性がないけど。メイズラントの北方に行っていたらしい、という話はあるわね」
「北方?」
「単純に考えるなら、エディントン市とかそっち方面かしら。そこまではわからないけど」
エディントンとは、リンドンの北にある大きな市である。大学などが多くあり、「知の都市」と言われるほど、学問が盛んだった。多くの歴史学者、文豪が出ている都市でもある。
「それまでは大衆向けパブで働いてたのに、3年の空白を経て戻ってくるなり、雲の上の高級バーに雇われるというのも、確かに出来過ぎた話ではあるわね」
「謎なのは、その歌姫がなぜ『魔女』だとサリタが言い遺したのか、という点だ」
アーネットの言葉に、二人は頷いた。
「もし、本物の魔女であるなら、サリタ・バンデラを殺害する事など容易なはずだ。魔法を使えば証拠など残さず、傍目には完全犯罪を実行できる」
「どうかしら」
ナタリーが言った。
「魔法を使ったからって、証拠を完全に残さず殺人を行う事が、必ずしもできるわけじゃないわ。だって、今このメイズラントヤードには、魔法犯罪を専門に捜査する部署があるもの。そうでしょ?」
ナタリーの指摘に、アーネットとブルーはハッとした。それは自分達の事なのだが、確かに犯罪を実行する立場からすると、魔法を使ってもそれを突き止める可能性がある組織の存在は、不安材料になる。
「つまり、仮にアズーラ・エウスターチオが魔女であるとしても、うかつに動く事はできない状況になってしまっている、という事よ。何より厄介なのは、警察という公的機関がすでに、『魔法犯罪』というカテゴリーを承認してしまっている点でしょうね。魔法犯罪特別捜査課が事件を解決し、市民もすでに魔法の存在を、全員ではないにせよ認識し始めている。魔女も、『れっきとした犯罪者』として扱われる」
「なるほど」
アーネットは、自分達がそういう影響力を及ぼし得る存在だ、という自覚がなかった事を指摘されて、複雑な気持ちになっていた。
「法の束縛っていうのは大きいわ。公的機関がそれを犯罪だと承認する事は、極めて重要な意味を持つのよ」
「つまり、アズーラがドロテオに殺人を教唆したのが事実だとすれば、自分の手を汚さないようにするため、という事か」
ふたたび、そこでブルーが口を挟んだ。
「そのアズーラって女が魔女だとすれば、ひょっとしたらまだそこまでのレベルの魔女ではないのかも知れない」
他の二人は、なぜだという顔をした。
「もし、僕の先生や、モリゾ探偵社のカミーユみたいな魔女が魔法で殺人を実行したのなら、僕らにはそれを発見するのは不可能だと思っていい。レベルが違い過ぎるんだもの。だから、まだ魔法に絶対の自信がない人間が仮に殺人を企てるとしたら、他人に代行させる事もあり得るだろうね。例えば、催眠魔法を使って」
その推測に、アーネットはハッとした。
「なるほど。それなら、ドロテオの精神状態がおかしい事の説明にもなる」
「そう。僕の先生が催眠魔法をかけたのなら、そんな痕跡は絶対に残さない。催眠をかけられた本人は、完全に自分の意志でやった、と処刑台に送られる瞬間まで思い込む事になる」
それも恐ろしい話だな、とアーネットとナタリーは身震いした。
「じゃあ、ドロテオはアズーラに催眠魔法をかけられて、サリタ・バンデラを殺害した、という事なのかしら」
「あくまで仮定の話だけどね。まだドロテオの愛人アズーラが、魔女だと確定したわけじゃない」
ナタリーとブルーの会話に、アーネットはまだ何か釈然としないものを感じていた。
「やっぱり変じゃないか」
アーネットがぽつりと言った。
「アズーラが魔女で、催眠魔法なりを使用したとする。そこまではいい。しかし、サリタ・バンデラを排除して富豪の妻になるのが目的なら、その夫が逮捕されるような可能性を残すだろうか」
「あっ」
ブルーがハッとして腕組みする。
「それなら、別な魔法で直接サリタを殺害する方が、まだ証拠は残らないだろう」
「つまり…」
「そうだ。俺にはむしろ、ドロテオが意図的に犯人に仕立て上げられた、という気がしてならない。それも罪を被せられたのではなく、実際に犯行を行った、文字通りの犯人にだ」
アーネットの推理は、常に他の二人の先を行っている。今回も、その読みは筋が通っていた。
「見えてきたわ。つまりアーネット、あなたはこう言いたいのね。ドロテオが逮捕され、失脚することによって、得をする誰かが他にいる、と」
「そうだ。そしてアズーラは、そいつと手を組んだとしたらどうだ?話が見えて来ないか」
いつもの事ながら、アーネットはごく少ない情報から、どうやってここまで推理を立てられるのだろう、とブルーは感心していた。魔法の実力は並という所だが、探偵としての能力では、18歳の年齢差を考えたとしても遥かに及ばないのではないか。
「ナタリー、すまないがちょっと調べてみてくれ。ドロテオの家族関係だ。特に、ドロテオ失脚によって得をする人物がいないか」
「わかった」
「あと君には悪いが、これらの情報は重犯罪課の俺の同期、カッター刑事にも教える事になっている。いいか」
「あなたの元相棒ね。捜査の役に立つなら、どうぞ。ローズガーデンの事件は解決しそうだし、重犯罪課のバックアップに回るとしましょう」
ナタリーが時計を見ると、すでに退勤時刻が迫っていた。これ以上できる事もなさそうである。
退勤時刻が来て、いつものようにブルーとナタリーが一緒に駅へと向かう。アーネットはカッターに連絡を取り、夕食ついでにナタリーが仕入れて来た情報を伝えるため、警視庁の正門で落ち合った。
「重犯罪課は残業じゃないのか」
アーネットが訊ねる。
「実のところ、ドロテオが逮捕されてやる事がなくなった。今のところはな」
「なるほど。ところでナタリーの情報だが、色々興味深い話が出て来た。道々話そう」
アーネットが伝えた情報に、歩きながらカッターは何度も「なるほど」と繰り返した。
「実は、さっきデイモン警部に確認してきた。警部も、そっちとおおむね似た結論に到達したらしい。魔法が使われているかは別としてな」
「必ずしも魔法が重要な要素じゃない。いちばん重要なのは、アズーラがドロテオに犯罪を教唆した、その本当の目的だ」
カッターは頷く。
「ドロテオの家族構成なんかは、すでに重犯罪課が調べてるんじゃないのか」
「当然だ。ただし、サリタ殺害の容疑者としての調査だったがな」
「怪しい奴はいないのか、ドロテオと仲が悪いとか」
「うーん」
カッターは眉間にシワを寄せて考える。
「悪どい商売をやっている男だが、身内の結束は固いようなんだ。兄と叔父の顔を立てて、サリタと離婚できなかったという話も、どうやら本当らしい」
「家族も商売をやってるんだろう」
「兄と叔父が商社を経営している。ドロテオの父親が20数年前に死んで、その会社を叔父が引き継いだ。ドロテオに商才があるのは二人とも知っていたから、子会社の海運会社を任せたのが始まりらしい。叔父の会社とドロテオの会社の関係は、裏で汚い事をやってるのを除けば、良好だ」
「つまり、兄や叔父がドロテオを排除する必要はない、という事か」
むしろそれは痛手だろう、とカッターは言った。ドロテオの会社の業績が上がったのに合わせて、叔父の会社も収益は増えている。今回の件で、叔父と兄は頭を抱える事になりそうだった。
「他に誰かいないのか。例えば、ドロテオの後釜に納まりそうな人物とか」
「そんなやつ、調べた限りでは…あっ」
カッターが何かを思い出したように、ポンと手を叩いた。
「いや、しかしな…若すぎる」
「一人でブツブツ言うな。誰かいるのか、心当たりが」
「実はな」
何かを言おうとしたカッターが、ふと足を止めた。
「どうした」
「レッド、気を付けろ」
そのカッターの一言で、アーネットは重犯罪課時代の感覚を一瞬で取り戻した。そっと魔法の杖を出して構える。
周囲に気配がある。それも、殺気だ。行き交う通行人の中に、確かにおかしな動きをしている影がある。
「俺たちか」
「たぶんな」
「誰かに恨まれるような仕事をしている覚えはないが」
アーネットのジョークに、カッターはつい吹き出した。
「変わってないな」
カッターがそう言った、次の瞬間だった。通行人の間をぬって、影が4つ、アーネットとカッターに向かって四方から飛び掛かった。




