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(10)取調室

「魔女ですって?」

 ナタリーは、サリタ・バンデラの霊が消え去る直前に言い遺したという情報に困惑した。

「あの貿易商の愛人、アズーラ・エウスターチオに関しても調べてはおいたけど、彼女に関しては特に不審な点はなかったわ。まあ確かに、一時期はあっち方面の夜の仕事とかもやってはいたようだけど」

 ナタリーが調べた限りでは、アズーラという女性は水商売などを転々とし、高級バーの歌姫として最近は知られていたようだった。だが、そんな女性はリンドンに何人もいる。

「魔女って本当にいるの?」

 チェルシーの娘、アビーは訊ねた。ナタリーがどこまで話すべきか思案している所へ、アーネットとブルーが戻ってきた。


 サリタの魂が最後に魔法捜査課に伝えた事を聞いたブルーは、顎に指を当てて思案した。だんだんアーネットの仕草が移っているな、とナタリーは思った。

「サリタさんの魂が、どういう意味で魔女だと言ったのかが漠然としている」

 ブルーの意見に、アーネットもナタリーも同意した。それは、ブルーの師のような正真正銘の魔女を指して言っているのか、それとも人間性の意味での魔女なのか。

「少なくとも、善人という意味で言ったようには感じませんでした」

 サリタの声を直に聞いた、チェルシーが言った。

「どちらかというと、警戒するように、というイメージでした。私には、それ以上のことはわかりません」

「チェルシーさん、あとは我々の仕事です」

 アーネットが進み出てそう言った。

「我々は、まずあなた方をリンドン市内まで安全に送り届ける事を優先します。ご足労願った以上、こちらにはその義務がある」

「そうね。ついでに、私たちも市内に戻って、遅めのランチにしましょうか」

 ナタリーの提案に、アーネットは頷いた。一度オフィスにも戻って、今の状況をまとめなくてはならない。


 5人が乗れる馬車はないので、なんとか2台を手配して、ナタリーとフィンチ母娘、アーネットとブルーがそれぞれに乗り込んだ。馬車は、先日強盗団が逃げ出して業者の荷馬車に激突した丁字路を曲がり、リンドン市内へと向かった。

 馬車に揺られているあいだ、アーネットは何か引っかかる点について、まだ考えていた。

「まだ何か釈然としないって顔だね」

 ブルーが、アーネットの顔をちらりと見て言った。

「馬車を手配している間、ガーデンをチェックしてみたけど、幽霊は出て来なかったよ」

「ああ」

「それ以外に何か引っかかってるってこと?」

 ブルーの質問に、アーネットは窓の外を見て一拍置いてから答えた。

「例の貿易商だ」

「え?あっちは重犯罪課の案件でしょ」

「今のところはな」

 アーネットは腕組みして、ブルーの目を見た。こういう時は、確信めいた何かがある時だ。

「あの貿易商が、奥さんを殺害する意味がわからないんだ」

「どういうこと?愛人に、奥さんと別れろって迫られたから殺害した、って線が濃厚なんでしょ」

 まだサリタ・バンデラ殺害の容疑が確定していない以上、ブルーは言葉を選んだが、ドロテオが逃走した時点でほぼ確定と言っていい状況である。ブルーは、殺人の動機としてはよくある話ではないか、と思った。

「そこだ。実は以前聞いた話だが、ドロテオは実のところ、奥さんと不仲だったらしいんだ」

 アーネットの言葉に、最初は「ふーん」と相槌を打ったブルーだったが、少し考えて「ん?」と首を傾げた。

「な?」

「…確かにそうだ。不仲であれば、話し合って穏当に離婚できたはずだよね」

「そう思うだろ。わざわざ、あんな推理小説まがいの自殺偽装トリック、しかも下手くそなすぐバレる小細工を仕掛ける必要が、どこにある」

 アーネットの言う事はもっともだった。

「サリタ・バンデラが殺害された本当の意味は何なのか。それが気になるんだ」

「じゃあ、サリタさんの霊が最後に言い残した、あの貿易商の愛人が魔女だっていう話も…」

「ひょっとしたら、俺が考えている事に関係あるのかも知れん」

 今の段階でアーネットには手持ちの情報がないうえ、事件の管轄が重犯罪課にある以上、考えてもどうにもならない事ではあったが、「魔女」というキーワードが何を指しているのか、考えてみる必要はあると思うアーネットだった。

 

 アーネットと似た疑問をナタリーも持っていたようで、馬車の中でナタリーはチェルシー・フィンチに質問した。

「チェルシーさん。ご友人が亡くなられた状況で、ぶしつけな質問になりますが、よろしいですか」

 一瞬チェルシーは表情を強張らせたが、すぐに返事があった。

「はい。答えられる事でしたら」

「ご自宅で話を伺った際、あなたはドロテオ・バンデラを『悪徳の夫』と表現されました。質問ですが、そもそもドロテオ氏とサリタさんが結婚された経緯をご存知であれば、教えていただけますか」

 答えにくい質問だろうな、とナタリーは思ったが、重い表情ながらもチェルシーは答えてくれた。

「よくある話ですわ。サリタの父親は、事業に失敗して多額の借金を背負いました。そこに現れたのが、貿易業で急成長していたドロテオだったのです」

 ああ、なるほどとナタリーは思った。どこにでもある話だ。

「なるほど。それでは、ドロテオ氏とサリタさんの仲は」

「良かったはずがありません。ですが、サリタは美しいと評判の女性でしたし、妻に娶ったドロテオは、最初は自慢気にどこにでも連れ回しておりました。けれど、夫婦というのは結局、男と女である以前に、一人の人間と人間。やがて、不本意な結婚を強いられたサリタと、その気持ちを隠そうともしないサリタにうんざりしたドロテオの仲は、冷えていきました」

 見て来たようにチェルシーは言う。

「では、なぜもっと早い時点で離婚しなかったのでしょうか?」

 ナタリーの質問は至極当然のものだった。チェルシーは答える。

「又聞きなので何とも言えませんが、サリタを紹介したのはドロテオの兄と叔父だったと聞きます。離婚したら、彼らの顔に泥を塗る事になる。それが長年、離婚しなかった理由だと」

 まるでマフィアのようだが、実際ドロテオの経営するバンデラ海運は、半分マフィアのような商社として有名である。海外の植民地では、だいぶ汚い商売をしているとも聞く。警察とはまた違う、一種の縦社会なのだろうとナタリーは思った。

「わかりました。答えにくい質問を繰り返して、申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず。それが、刑事さんのお仕事なのでしょう?」

「私、実はもともと警察の人間ではないんです。政府のある機関におりました」

 ナタリーは、他人の過去を掘り起こした罪滅ぼしに、言える範囲で自分の経歴を説明した。話をしているうち、やがて馬車はリンドン市内に入っていった。



 一方、重犯罪課の面々は非常に困惑する事態に遭遇していた。逃走中のドロテオ・バンデラが見つかったのである。それも、まったく意外な場所で。

「ドロテオ・バンデラだな!?」

 職務質問する警官たちに、困惑の色が浮かんでいた。ここはリンドンの南、グリントウッドの港にある、バンデラ海運所有の倉庫前である。そう、ドロテオ・バンデラは警官が配備されて当然と思われる、自身が所有する倉庫に隠れていたのだ。

 ドロテオは怯えており、逃げ出す様子はなかった。浅黒い肌に大柄な体躯、剛毛の真っ黒な癖毛は直立していれば刑事もたじろぐ迫力だが、子犬のように縮こまっていて、警官は楽々と手錠をかける事ができたという。その報を受け盗った、メイズラントヤード重犯罪課のカッター刑事は憤りを隠さなかった。

「ふざけやがって。出来損ないの推理小説の真似事をしたあとは、お粗末な逃走劇か」

「まあ、いいじゃないですか。あとは取り調べで吐かせるだけですよ」

 若い刑事が、カッターをなだめるように言う。

「そんな骨のない野郎、俺は尋問したくない」

 カッターの言い分はまるで子供のようであったが、他の刑事たちも拍子抜けする所はあった。これだけ世間を騒がせた挙げ句、逃げたと思ったら、今度は見つかって当然の所に隠れていたのだ。まるで、誰かに化かされているような気分だった。

 だが、デイモン警部は平然としていた。

「取り調べはわしがやる」

 それを聞いて、刑事達は震えあがった。デイモン警部の取り調べは、メイズラントヤードの名物である。無形文化財だと言う者もいる。偉そうに肩をいからせて取調室に入った容疑者が、出る時には肩を落として脚を震わせながら拘置所に戻って行くのだ。

 しかし、カッターだけは他の刑事たちと違う反応だった。

「警部の手を煩わせる事はないですよ。前言撤回します。俺がやります」

「まあ待て。わしも少々、気になる事があるからな」

「なんすか、それ」

 カッターは首を傾げたが、デイモン警部は百戦錬磨の名刑事である。老いたりとはいえ、いまだその慧眼は健在であり、その警部が言うなら任せておこう、とカッターは思った。

「わかりましたよ。じゃあ俺は書記でもやりましょうか」

 冗談で言ったカッターだったが、デイモン警部は真顔で答えた。

「お前は全てにおいて優秀な刑事だが、字が汚いという最大の欠点がある。走り回って疲れたろう、ゆっくり休んでいるがいい」

 他の刑事たちが吹き出して、カッターがジロリと睨んだ。カッターの報告書は暗号解読班に回さないと読めない、と言われることで有名であった。



 フィンチ母娘を自宅に送り届けたあと、魔法犯罪特別捜査課の3人は久々にカフェで3人揃って、だいぶ遅めのランチを取っていた。

「なんか今回、僕って何にもしてない気がする」

 謎の肉がはさまったサンドイッチをかじりながら、ブルーはぼやいた。

「お前が動かないといけない時っていうのは、何かしらヤバイ事態が起きた時だからな」

「アーネットはそこそこ活躍してるじゃん、今回。あの幽霊がサリタさんだって、半分くらい特定してみせたでしょ」

「まあ、そう言うな。んな事言ってるうちに、何か大きな事態に発展するかも知れんぞ」

 それはそれで穏やかではない、と思うナタリーが口をはさんだ。

「その、サリタさんの幽霊が言い残した、あの貿易商の愛人が魔女だっていう話。やっぱり気になるわね」

「情報おたくの虫が騒ぎ始めたか」

「私を何だと思ってるのよ」

 そう言いながらもまるっきり否定できないナタリーは、ぬるくなった紅茶を飲み干すと、おもむろに立ち上がった。

「払っといて。お釣りはあげる」

 そう言ってブルーに紙幣を突き出すと、ちらりと時計を見る。アーネットが訊ねた。

「どこ行くんだ」

「ちょっと情報を洗ってくる」

 そう言うと、小気味よいリズムでナタリーはどこかに歩いて行ってしまった。

「ナタリーが『ちょっと』って言うの、信用できる?」

「あいつの『ちょっと』は、一般常識人が言う『根掘り葉掘り』と同等だからな」

 ほどなくして、そんなのどこから仕入れてきたんだ、という情報がもたらされるのだろうなと、男二人は溜息をつくのだった。


 

 魔法捜査課の面々がランチを取っているほぼ同時刻、リンドン市内の高級ホテルの一室に、2人の女性がいた。1人は窓際のソファーに足を組んで座り、ウイスキーグラスを傾けている。もう1人は、豪華なベッドに腰掛けて新聞を開いていた。

「捕まったわ」

 ソファーに座る、高級そうな女性用ビジネススーツを着た、ブラウンの長髪の女性が抑揚のない声で言った。

「そう」

 ベッドの、やや浅黒い肌に赤いドレスを着た、癖毛の長髪を首の後ろで結った女性が、薄い笑みを浮かべて言った。

「カタがつくのかしら。私も準備を始めていいの?」

「準備だけよ。表に出るのはまだ」

 ソファーの女性が、少し険しい顔で答える。

「邪魔な奴らがいる。なめてかかっていたけれど、少し甘く見ていたかも知れない。すでに計画が、ほんの少しだけど狂わされた」

「あら。あなたの計画を阻むとは大したものね」

 その言葉は、スーツの女性の自尊心を苛立たせるのに十分であるようだった。

「ご冗談。私を邪魔した報いは受けさせる」

「これ以上何かする必要があるの?ひとまず、当初の計画は達成できるというのに」

「この世に確証なんてものはないわ」

 ウイスキーのグラスを丸い小さなテーブルに置くと、スーツの女性は立ち上がり、ベッドの女性の前に立った。

「いいこと。私がいいと言うまで動かないようにね」

「おお、怖い」

「計画が成就したら、改めて乾杯しましょう」

 



 メイズラント警視庁、重犯罪課の取調室。テーブルをはさんで、貿易商ドロテオ・バンデラへの尋問がデイモン・アストンマーティン警部によって行われていた。

「サリタ・バンデラの殺害を認めるか」

「や…やってない」

 大柄な体躯の男性から返ってきた小さな否認の言葉に、デイモン警部は小さくため息をついた。

「同じ事を繰り返す気はない。さっき言ったあらゆる状況証拠が、お前のサリタ・バンデラ殺害の容疑を示している。殺害だけではなく、自殺を偽装してビル屋上から落下させた事による、死体損壊の容疑もだ」

「……」

 ドロテオ・バンデラの様子は、どこかおかしいとデイモン警部は感じていた。ひどく怯えているが、頑なに自分の罪は否定する。

「お前、麻薬をやってるのか」

 警部の問いに、ドロテオは首を横に振った。

「酒を飲んでいる様子もないな。何をそんなに怯えている」

「……」

「お前の愛人はどこにいる。彼女に結婚を迫られて、邪魔になったサリタ・バンデラを殺害したのではないのか」

 それを問われると、とたんにドロテオは狼狽する様子を見せた。

「ちがう、ちがう」

「何が違うというんだ。説明してみろ」

 極力穏やかに警部は言った。この相手は強く怒鳴っても逆効果だと、長年の経験で警部はわかっていた。怒鳴るのが有効な相手と、そうでない相手がいる。

「なあ、ドロテオ。わしはどうも解せん事があるのだ。調べによると、お前と死亡したサリタ・バンデラの仲は、そもそも冷え切っていたそうだな。理由は色々あるだろうが、離婚しようと思えば、互いに同意できたのではないか?なぜ、わざわざ殺害などという暴挙に出た?」

 デイモン警部はあえて、殺したという前提で話を振ってみた。

「わからない」

 ドロテオの返答は、全くもって予想外のものだった。デイモン警部は思わず聞き返した。

「わからない、とはどういう意味だ?」

「わからない。どうして、殺したのか…」

 警部は、書記の刑事と目を見合わせて首をかしげた。

「今、殺したと言ったのか。さっき、やってないと言ったのではなかったか」

「そうだ…やってない」

「何を言っているんだ?」

 警部は、これ以上話していると自分の頭がおかしくなりそうだった。どうにか、話の内容を整理して、整合性の取れる仮説を立ててみた。

「お前の言った言葉をそのまま総合すると、こういう事になる。『殺したが、殺していない』と」

 すると、ドロテオは警部の目を見て小さく頷いた。それを見て、警部は何かを確信したらしかった。

「つまり、お前は確かにサリタ・バンデラを殺害した。しかしそれは、お前の意図ではなかった。そもそも殺す意図はなかった。そう言いたいのだな」

 またも、ドロテオは頷く。この時点で殺害に関しては自白しているのだが、警部はそのまま尋問を続けた。

「では、誰かに命令されたのか」

「ちがう」

 ドロテオの返答は明快だった。警部は、ようやく何か結論に到達できたと思った。


「わかったぞ。お前は、自分が殺人という行動に出た理由がわからないのだな。まるで、誰かに操られていたかのように、気が付いたら妻を殺害し、偽装工作を行っていた、ということだ。そうだな?」


 ドロテオは、全身を震わせながら、力強く頷いたのだった。

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