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(6)時の矛盾

 ブルーウィンド邸の敷地内の奥に、木立に囲まれた、円形の広い石畳のスペースがあった。円周部分には均等な間隔で、柱が8本立っている。石畳は白と灰色、2種類の石で敷かれており、真上から見ると車輪のデザインになっている。朝日が円内に木や柱の長い影を落とし、光と影のコントラストを作り出していた。

 円の中央に、漆黒のローブをまとい、艷やかな腰まである髪を垂らした、美しい女性が立っている。


「テマ先生」

 円に続く石の通廊から、ブルーが声をかけた。

「来る頃だと思っていたぞ」

 テマと呼ばれた女性が振り向く。その目は神秘的な灰色で、切れ長の目は目の前の相手の心を見通すかのようだ。真っ白な肌と血のように赤い鮮やかな唇が、黒い姿と相まって妖艶さを醸し出していた。

「何が訊きたい」

 艶と深みのある声が、石畳に響く。

「ルイン・ローズガーデンに女性の幽霊が現れた。それと前後して、その周辺で人身事故が多発してる」

 ブルーの説明に、テマは何も答えない。

「ある程度調べてみたけど、魔法による影響の可能性はないと判断した。けれど、あの幽霊と事故に遭った人達の因果関係もわからないんだ」

「なるほど」

「でも状況から見て、あの幽霊が何らかの影響を及ぼしているのは確かだと思う。いつ、どこで亡くなった人なのかはわからないけど、あの霊があそこに留まっている限り、事故は起きる。生命にかかわるような事故が起きるのも、時間の問題だと思う」

 最後の点を、ブルーは強調した。

「先生の弟子としてではなく、アドニス・ブルーウィンド巡査として、魔女テマ・エクストリームの意見を訊きたいんだ。幽霊による、人命への影響を無くする方法について、どう考えるべきなのか、何をするべきなのか」

 テマは、目を閉じてブルーの話をじっと聞いていた。そして、ブルーに向き合って、こう言った。


「まず私が指摘しなくてはならないのは、お前たちが生者と死者を区別して考えている事だ」


 その返答に、ブルーは背筋が凍る思いがした。それは、いつかどこかで誰かに言われた事だったからだ。

「死という概念は存在するが、実のところ、死という『現象』は存在しない。だが、この問題について語るには1年あっても足りないだろう。だから、今は私の言葉をそのまま受け止めておくがよい」

「わかった」

 よろしい、とテマは頷いて続けた。

「もうひとつ、お前たちが誤解している事がある。それは、魂とは時間の概念に縛られない存在だ、という事だ」

「どういう意味?」

「時間とは、人間が生み出した人工的な概念だ。人間の発明の中では、もっとも古いものだ。魂は、お前たちが『死』と呼ぶ通過儀礼を経たのち、それが人工的な概念である事を知る」

 どういう意味だろう、とブルーは思った。言っている事の意味そのものは何となくわかる。だが、今直面している問題について、その理解がどう役立つというのか。

「アドニス、お前はもうすぐ自分が『14歳』の誕生日を迎える。自分が『14歳』になると思っている。だが、魂のレベルでは『年齢』などというものはない。お前は、永遠に0歳であり、永遠に14歳であり、来年は59歳になるだろう。そして60歳の誕生日を迎えた瞬間、3歳になる。そして、墓に入る時まで何歳でもない」

 わけのわからない説明の機銃掃射を受け、ブルーは軽い目まいがする思いだった。言わんとするところは何となくわかるのだが、正確にわかったか、と問われれば自信がない。

「ええと…人間は要するに『何歳』でもない、って大まかに覚えておけばいいのかな」

「今はそれでいい。いずれ、思い出したように理解できる時が来るだろう。実際に、思い出すだけなのだからな。知識とは全てそういうものだ」

「それが、今回の事件の解決にどう役立つの?」

「役立つ、どころではない。これはほとんど、試験の前日に採点用の答案を見せているようなものだ」

 テマは真顔でそう言い切った。すでに答えを私は教えた、と。ブルーに言わせれば、どこに答えがあるのだろう、としか思えない。警察の捜査に対する一般市民の協力としては、抽象的なことこの上ないのではないか。

「じゃあ、この説明で事件解決に辿り着けなかったとしたら」

「魔法犯罪特別捜査課の看板を下げるべきだろうな」

 さすがに、そこまで言われてはブルーも後には引けない。

「ようし、わかった。このヒントで事件を解決してみせるよ」

「まあ、そう急くな。病の原因が体のどこにあるかを解き明かしたとしても、薬を処方する者がいなくてはどうにもなるまい。任せるべき所は、人に任せるのも仕事というものだ」

「え?」

「もし、手を尽くしたがもう自分達の手には負えない、と思ったなら、その時は私を呼ぶがよい。私が手を貸せる範囲で、協力しよう」

 ブルーは、その申し出に軽い驚きを覚えた。今まで、魔法捜査課に直接協力しようという態度を見せなかったテマが、協力しようというのだ。

「事件の現場に来るっていうの?」

「どこが現場なのかは、これからのお前たちの捜査次第だ。ただし、ヒントを与えられたとしても、事態が変化を見せる事もある。魂にとって時間は存在しないが、世界と呼ばれるこの相対的な幻想の中では、『間に合わなく』なる事が実際にある」

「それ、端的に言うと『急げ』ってこと?」

「そうだ」

 その一言をそこまで冗長に言える才能も大したものだ、とブルーは思う。要するに、急がないと事態が大きく動くかも知れない、とテマは言っているのだ。

「わかった、ありがとう先生。あとは自分たちでやってみるよ」

 テマは無言でうなずいて、走り去る弟子を見送った。




 魔法捜査課のオフィスで、ブルーはテマから言われた2点のアドバイスを、そのままアーネットとナタリーに伝えた。アーネットは自信ありげに頷いてみせる。

「なるほど。よくわかった」

「わかったの!?」

 ブルーは、腕組みするアーネットに一瞬、尊敬の眼差しを向けたあとですぐに冷静になった。この人物は真顔で冗談を言う悪癖があるのだ。

「わかったとも。自分の理解が追い付かないという冷徹な事実が」

「わかってないじゃん!」

「ブルー、お前小さい頃からそんなわけのわからん教育を受けて来たのか」

 アーネットの表情は若干引きつっていた。ナタリーも頷く。

「そうね。そんな哲学じみた話を小さい頃から学んできたせいで、こうなっちゃったのね」

「こうなっちゃった、ってどういう意味だよ!!」

 ブルーは憤慨しつつ、まだ誰も開いていないらしいデイリー・メイズラント紙の朝刊を広げて足を組んだ。

「あのね、確かに先生は何考えてるかわからないし、言う事は難解で婉曲で冗長だし、尊大だし、素直だとは到底言い難い人間ではあるけど」

「お前本当に尊敬してるのか」

「…難しい人間ではあるけれど、ひとつだけ確信を持って言える事がある。先生は、嘘だけは絶対に言わない」

 ブルーの言葉に、他の二人は押し黙った。

「だから、先生のアドバイスは絶対に、事件解決の糸口になるんだよ。僕はそこに疑いは持たない」

「お前がそう言うなら、俺たちもそれは信用するさ」

 アーネットは組んだ手に顎を乗せて言った。

「だが、信用はできても、言っている内容がこちらの理解を超えているのが問題だ。死は存在しないとか、魂に時間はないとか言われても、それがどう事件の解決に結びつくというんだ?」

 アーネットの疑問は、ブルーが思った疑問そのままである。

 そこへ、ナタリーが意見を挟んだ。

「テマ先生、って呼んでいいのかしら。先生は、今回の事件の解決についてあなたにアドバイスしたのよね」

 ナタリーが訊ねたので、ブルーは「うん」と首を縦に振った。

「アドバイスどころか、これは試験の答案を見せるみたいなものだ、だってさ」

「つまり、あの幽霊現象への対処法が、そのアドバイスにはあるって言ってる事になるのかしら」

「そうだと思う」

 ブルーは、新聞を下げて顔を見せながら言った。

「だから、もうちょっと単純にアドバイスを受け容れてみようよ」

「どういう事?」

「”生と死に境界はない”というアドバイスと、”魂に時間は存在しない”というアドバイス。これを、そのままあの幽霊に当てはめてみよう」

 ブルーの提案で、3人は各々の頭の中で思考を展開した。最初に解答を述べたのは、ナタリーだった。

「まさか、あの幽霊の女性は死んでない、とか。ブルーの先生が言うような、哲学的ないし霊的な意味ではなく」

「つまり、生霊ってこと?」

「そう。どこかで生きている女性の生霊が、何らかの理由であのガーデンに現れて…」

「事故を引き起こしてるっていうの?」

 ブルーのツッコミに、ナタリーも手を横に振った。

「いまのは無し」

「まあでも、取っ掛かりとしては良いと思うよ。そういう掘り下げ方で」

 そう言うブルーも考えてみるものの、これは、という解答にはなかなか辿り着けなかった。

 頭がこんがらがって来たので、ブルーは新聞記事を読んで逃避した。ひとつの記事が、中年女性の飛び降り自殺事件について書いている。


「ビル飛び降り事件、警察上層部は事件性はないと改めて主張。警察内で認識の違いから意見の対立が見られたが、終止符が打たれる」


 ブルーは、重犯罪課の人達が浮かない顔をしていたのはこれか、と納得した。記事にある意見の対立、というのはおそらく、重犯罪課と警察上層部の対立なのだろう。記事から推測する限り、要するに重犯罪課はそれが他殺ではないか、と主張しているのだと思われた。


「あっ」


 ブルーは、何かピンときたようだった。他の二人が少しだけ期待を込めてブルーを見る。

「ごめん、ちょっと論点がズレるけど。あの女の人の幽霊って、そもそもどうして幽霊になったんだろう」

 あまりにも根本的すぎて、今まで誰もその事について考えていなかった事に全員が気付いた。これが生身の人間の死体であれば、事故か自殺か殺人か、などと推理を展開するところだが、幽霊という正体がハッキリしないものが相手になると、いつものセオリーが通じなくなる。

「普通に亡くなった人の霊が、事故を巻き起こす原因になるとは思えないんだ」

 ブルーの指摘は、それなりに説得力を伴ってはいた。

「歴史の話になるけど。東洋のある国で中世、朝廷に実質の謀反を起こして討ち取られた豪族がいる。それは強権的な支配体制への正義の抵抗だったという人もいれば、無謀な権力欲にかられての暴走だった、という人もいる」

 唐突に始まった外国の雑学披露に、アーネットとナタリーは「うん」と頷いて聞くしかなかった。ブルーはさらに続ける。

「その実態や評価はともかく、彼の死後、敵対していた陣営の人々には、さまざまな災厄が起きるようになった。火災が起きたり、子供が立て続けに病死したり。人々はそれを討ち取られた豪族の呪い、祟りだと恐れて、鎮魂の碑を建てて祀るようになったんだって」

 相変わらず妙によその国の雑学に詳しいな、と思いながらナタリーはブルーに訊ねる。

「つまり、あの幽霊も何らかの非業の死を遂げた人物だった、と言いたいのね」

「うん。普通の事故だとか、病死だとか、そういうものではないかも知れない。それこそ、誰かに殺されたのかも知れない」

「でも、変じゃない?それなら、どうして今になって突然現れたのかしら」

 ナタリーの指摘はもっともである。

「アーネットが服飾店の人に聞いた話だと、あの幽霊の着てるドレスは24年前に流行ってたんでしょ」

 そうだ、とアーネットは頷く。

「なら、単純に考えて、あの女性が亡くなって幽霊になったのも24年前だと仮定すると、24年間人前に現れなかったのが、どうして思い出したように現れるようになったっていうの?」

 その指摘に、ブルーは考え込んでしまった。何かがずれている。それが何なのかわからない。

 するとアーネットが突然、がたんと音を立てて立ち上がった。


「わかったぞ」


 何がだ、とナタリーとブルーは顔を見合わせて首を傾げた。

「ブルー、お前の先生が言う、死者と生者の間に境界はない、っていう話は、人は死後も生きていた時の記憶とか感情を残す、という意味にも取れるよな」

「うん、まあそういう解釈もできるだろうね。さっきの、外国の豪族みたいに」

「そうだ。つまり、何らかの恨みのような感情を抱えて死んだ人間、というお前の読みは正しいかも知れない」

 アーネットはブルーの意見を肯定しつつ、さらに持論を展開した。

「ところが、24年前に恨みを抱えて死んだ人間が、どうして今になってようやく人々を祟り始めたのか。これがナタリーの指摘した疑問だ。これも当然の見方だと思う」

 ナタリーも頷く。

「その疑問点に対する解答は、俺は一つだけだと思う」

「どういうこと?」

 ブルーは訊ねた。ナタリーも興味津々で聞いている。

 アーネットは、人差し指を立てて真面目な顔で言った。


「彼女は24年前に死亡したんじゃない。つい最近死亡したんだ」

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