(5)正義と公正
ブルーは、ガーデン内外をライトニングと共にさんざん調べた末、やはり魔法が使われた痕跡などない、という結論に辿り着いた。
ライトニングの魔力探知でも、ブルー自身の魔力探知でも、自分が用いた魔法の痕跡以外は何も発見できていない。したがって多発している人身事故や事件は、少なくとも魔法の影響によるものではない、とブルーは結論づけたのだった。
「つまり残る可能性は2つだけか。ひとつは、全くの偶然で、このガーデンの周辺で事故が連続して発生した。もうひとつは、あのガーデンの幽霊が現れた事で何らかの作用を引き起こした」
ガーデンのベンチに腰掛け、使い魔ライトニングの尻尾を握ったり引っ張ったりしながら、ブルーは思考をまとめるために声に出してみた。
「でも、幽霊が特定の誰かを祟るっていうなら話はわかるけど。どう考えても不特定多数が対象だよな」
「全くその通り。正しい見方だと思います」
「そう?」
唐突に自然体で聞こえてきた少女の声に、ブルーは一拍遅れて驚いた。
「わあ!」
いつの間にか足音も立てず、先程のモスグリーンの服装の少女が、ブルーの隣に座っていたのだ。
「ききき君、さっきの…」
「アドニス・ブルーウィンド君ですね」
「そ、そうだけど」
突然名前を訊かれて、ブルーは狼狽えた。なぜ、こっちの名前を知っているのか。なんだか、どこかで聞いた話に似ている。
「わたし、モリゾ探偵社のミランダ・スカリーと申します。ミラ、などとも呼ばれております。お好きな呼び方でどうぞ」
眼鏡をかけ直し、髪を整えながらミランダはブルーに軽く一礼した。
「モリゾ探偵社…あっ、ひょっとしてジリアンが言ってた、もう一人の魔女?」
「はい。ジリアンは、年齢は私のひとつ下ですが、探偵社には私の方が2ヶ月ほど遅く入社しています」
ブルーは頷いたものの、それは今必要な情報だろうか、とも思うのだった。
「モリゾ探偵社もこの事件を調査してるの?」
「いいえ。実はいま、カミーユが休暇中で13日まで事務所を締めています。カミーユにお願いされて、皆さんにちょっとした助言をするために来ました」
「助言?」
「さきほどアーネットさんにお伝えしましたので、後でご確認ください」
そう言うと、ミランダは立ち上がってライトニングの前でしゃがみ込んだ。
「さっきは、私の守護霊が驚かせたみたいでごめんなさい」
そう言って、ライトニングの頭をなでる。今度は警戒することなく、おとなしくしていた。
「守護霊?」
ブルーが訊ねる。
「こちらの話です。お気になさらず」
「気になるんだけど」
ブルーが話を振っても、ミランダは一切無視して自分の話を続けた。
「私の事はいずれ、知ることになるでしょう。今はそちらの事件に集中なさってください」
そう言って立ち上がると、ミランダはブルーの方を向いた。
「あなたのご様子だと、私の助言は必要なかったようですね。カミーユは、単に顔合わせのために遣わしたのかも知れません」
どういう意味だろう、とブルーは思った。さっきから、話をマイペースで進めるので内容がわからない。アーネットにも会ったらしいが、助言とは何の事だろう。
「それでは、本日はこれで失礼いたします」
「あ、はい」
「ごきげんよう」
そう言うと、ミランダはガーデンの東側出口にスタスタと歩き去って行った。
ジリアンの相方なのだろうが、何とも掴みどころがない性格だな、とブルーは思う。霊の話はしていたが、魔女だという話は聞いているので、少年魔術師として彼女の実力は気になった。
「まあ、彼女の事は今はいいか」
それよりも事件だと、ブルーは立ち上がってガーデン管理小屋に向かった。ちょうどナタリーとアーネットが、テーブルに広げられた無数の資料らしき紙の束を前に、何やら話し込んでいる所だった。
「アーネット」
「おう、ブルーか。どうだった」
「魔法の痕跡なんて角砂糖の欠片ほどもなかったよ」
ブルーがそう言うと、アーネットは腕を組んで「やっぱりか」と言った。
「なにその、やっぱりかっていう反応は」
「いや、その何だ」
アーネットは、つい先程モリゾ探偵社の魔女探偵ミランダ嬢に出会い、魔法犯罪の可能性はない、と断言された事をブルーに説明した。ブルーの反応は素っ気ないものだった。
「知ってる」
「なに?」
「僕もさっき、ミランダって名乗った女の子に会って話したから」
ついでにブルーは、自身の調査でも魔法犯罪の可能性はない、と確認した事を伝えた。
「つまり、幽霊の祟りで間違いないってこと?」
ナタリーが手元の資料で、団扇がわりに胸元を扇ぎながら言った。普段あまりナタリーの鎖骨は見ないので、少しだけドキリとするブルーである。
「わかんない。でも、全く偶然にあれだけの事故が起きたって言うのと、幽霊の祟りだって言うのと、どっちが説得力あると思う?」
「それはそうだわね」
「ところで、こっちは何か収穫あったの?」
テーブルの資料をひとつ取り上げて、ブルーは訊ねた。
「ない」
ナタリーはきっぱりと言い切った。もう、ここまでくるといっそ清々しい。
「そういえば、アーネットってリンドン市内に戻るとか言ってなかった?」
「馬車が拾えなくて、仕方なくこっちの街で聞き込みしてたそうよ。そしたら、探偵社の若い女の子に会って、ずっとお話してたんですって」
その言い方も何だろうな、とブルーは思ったが、無視して話を続ける。
「あのさ、提案なんだけど。もう、幽霊の祟りって完璧に断定しようよ。前提、とかじゃなく」
ブルーの提案に、アーネットもナタリーも頷いた。
「しかしそうなると、霊を祓うっていう事になるのか」とアーネット。
「エクソシストを呼んだ方が早いってこと?うちじゃなく」
資料を睨みながら、ナタリーが言った。無駄足になった事に若干憤慨しているらしい。
「アーネットあなた、アテがあるような事言ってたわね。誰をアテにしてたの?」
ナタリーが、思い出したようにアーネットに訊ねた。が、アーネットは何やら言い淀んでいる。それでナタリーは何かを察したらしかった。
「元カノをアテにしてたわけね。違う?」
名探偵ナタリーは、アーネットの鳩尾のあたりを指で小突いた。
「え、カミーユさんのこと?」
ブルーがアーネットを横目で見る。
「カミーユさん、しばらく休暇中で探偵社も今は休業中だって言ってたよ。聞かなかった?ミランダから」
「なに!?そんなこと言ってなかったぞ」
当てが外れたアーネットは、がくりと肩を落とす。
「なんかあの子、妙に人を引っかき回す感じがあるよね。ジリアンは正面からドーンと来るのが怖いけど」
「ふーん。やっぱりジリアンの方がいいって事ね」
特に感情も込めずナタリーがつぶやく。
「いやそういう話ではなく!」
ごほん、と咳払いしてブルーは言った。
「アーネット、仮にカミーユにコンタクトを取れたとして、彼女がお祓いできるっていう保証はあるの?」
「ん?いや、何せ魔女だしそれぐらい出来るかなと思って」
「あのね」
呆れたようにブルーは椅子に座る。
「わかった。僕が先生に相談する」
ブルーは、今現在でもっとも賢明であろうと思われる選択肢を提案した。
「ブルーの先生か。そういえば、いまだに一度も会った事がないな」
アーネットの言葉にナタリーも頷く。
「絵に描いたような魔女だよ。長い黒髪に、真っ黒なローブ」
「その先生が来てくれるってのか」
「それは期待しないほうがいい」
アーネットとナタリーは何故だ、という顔をした。
「僕が知っている範囲の話だけど、どうやら魔女と言われる人々は、直接社会に影響を及ぼす事を禁じられているみたいだ。だって考えてみてよ。今までの魔法犯罪事件、もし僕の先生が動いていたら、どの事件も30分で解決してたと思わない?」
「そうなのか?」
アーネットとナタリーは顔を見合わせた。実際どの程度の実力なのか知らないので、その見立てが正しいのかもわからないのだ。ブルーは続けた。
「断言できる。僕の先生の実力っていうのは、二人の想像をはるかに超えているものだ」
「それじゃ、どうして魔女は何もしないの?魔法犯罪に対して」
「しないんじゃない。それが許されていないんだ」
「誰に?」
「これは、推測なんだけど。どこかに、魔女を統括する”機関”が存在するんじゃないかと僕は考えている」
ブルーの言葉に、アーネットとナタリーはいくらかの驚きを示した。
「機関?」とナタリー。
「そう。僕はそれを、仮の名前で”魔法省”と呼んでいる」
「魔法省!?」
「今はこの問題について考えている余裕はないけど、僕がそういう推測を立てているって事は覚えておいて。とにかく、現実として魔女達が、それほど自由には動けないというのは事実なんだ。僕らが法律に基づいてしか捜査できないのと同じさ」
その説明は、刑事であるアーネット達にはものすごく腑に落ちた。
「ジリアンが言ってたけど、彼女は一種のイレギュラーで、その規則にあまり縛られていない”非公式”の魔女らしい。たぶん、僕と同じような立ち位置だと思う」
「つまりこういう事か?魔女たちは、自由に動けない自分達に代わって、動ける存在を社会に送り出した。それが、お前やジリアンだと」
アーネットの推測に、ブルーは小さく頷いた。
「大筋ではそれが正解だと思う。だから、先生が来てくれる事は期待しないほうがいい、って言ったんだ」
「じゃあ、どうするんだ?」
「先生は僕に、何らかの助言をするだろう。それに基づいて、僕達が事件を解決するんだ」
それを聞いて、アーネットは何か悪寒のようなものを感じた。つまり、この魔法犯罪特別捜査課は、最初から何者かの”プログラム”によって設立された部署なのではないか。
しかしアーネットは、今はまず解決しなくてはならない事件がある、と気持ちを切り替える事にした。
「わかった。いずれにせよ、今日はもう出来る事はなさそうだな。ブルーは、先生に話を聞いてみてくれ」
アーネットは、陽が傾いた窓の外を見た。まだ捜査を開始して半日しか経っていないのに、疲労感がとてつもない。幽霊騒動という今まで扱った事のない案件のせいで、思考がうまくまとまらないのだった。
魔法捜査課の3人は、その日はひとまず現場を後にして本庁に帰り、そのままオフィスを締めて退勤となった。アーネットは立ち寄る所があると言い足早にどこかに消え、ナタリーとブルーは久しぶりに、同じ汽車での帰路についた。
薄暗くなった、メイズラント警視庁の一室。デイモン警部は、細かな装飾が施された立派なデスクに座る人物に相対していた。
「あの事件は他殺です」
警部は、階級が上の人物に対して、はっきりとそう言った。
「あの女性がビルの屋上から飛び降りた時、着ていたコートのポケットには、菓子店や書店での買い物のリストが入っていたのです。筆跡も彼女のものに間違いないと鑑定されました。買い物リストには高級な茶葉、飛び降りたその日が発売日の小説のタイトルも書かれていた。これから死のうという人間が、嗜好品や娯楽を求める筈がありません」
デイモン警部の指摘を聞いた、デスクの人物は黙っていた。
「さらにもうひとつ。あの屋上に通じるドアは、屋上側から施錠するためのツマミが経年劣化で壊れており、ビルの内側から鍵を使わないと施錠できない状況でした。であるにも関わらず、彼女が飛び降りた時、ドアは施錠されていたのです。そのため、彼女を制止しようとした警備員が、別室まで鍵を取りに行かなくてはならなかった」
ここで、少しだけデスクの人物の眉が動いたのを警部は見た。
「そして、これが最も気になっている点です。彼女が飛び降りる様子を向かいのビルから見ていた人物によると、彼女の首や関節の動きが異様にぎこちなかった、と」
「……」
「あなたに説明するまでもない事ですが、人間は死ぬと2時間から3時間で、首や肩から硬直が始まり、6から8時間かけて全身にそれが及びます。つまり」
「飛び降りた時、彼女はすでに死んでいた。警部はそう言いたいのだな」
声色は柔らかいが、重みのある声でデスクの人物はたずねた。
「そうです」
「つまり、今回の事件は飛び降り自殺などではなく、殺人事件であると」
「その通りです、フィリップ・オハラ警視監」
デイモン警部は、メイズラント警視庁で上から二番目に偉い人間に向けてそう言った。
「私に直接ここまで意見する度胸を持った人間は、君以外におらんだろうな」
「わしの度胸など、どうでもいい事です」
「まあ、そう言うな。本来であれば、君は今頃警視正ぐらいにはなっていた筈の器だからな」
「今は、現場で動ける事に感謝していますよ。事件現場は嘘をつかん、人間のように」
その言葉に、オハラ警視監の表情が少し険しくなった。
「現場のわしらも、鑑識も、検死も、全ての意見が一致しておりました。これは殺人事件だと。しかし、上から捜査にストップがかかったのです。そして、事件は自殺として処理されました」
再び、警視監は沈黙した。
「警視監、わしは被害者サリタ・バンデラの夫、ドロテオ・バンデラへの捜査令状を発行するよう、疎明資料を裁判所に提出します」
「徒労に終わったらどうする?」
「その時はその時です。我々は正義と公正を旨とする警察官だ。正義に基づいて、やるべき事をやります。それを伝えるために、こうして参った次第です」
それでは失礼します、とだけ言って敬礼し、デイモン警部は警視監室を出て行った。
警部が退出したあと、夕焼けの赤い光が差し込む室内に沈黙が訪れた。
「正義と公正か」
オハラ警視監は立ち上がり、窓の外の赤く染まる景色に目を細めた。




