(4)助言
アーネットはガーデンの管理人から鉛筆と何かの包装紙をもらい、ガーデン管理小屋のテーブルで一人、裏面にスケッチを始めた。
「何描いてるの?」
「幽霊の人相書きだよ」
アーネットはナタリーの問いに答えながらも、思い出せる範囲で現れた幽霊の容姿をまとめていった。芸術としてはどうかと思うが、容姿の要点を押さえているのはさすが刑事10年以上、というところである。
「こんな感じか」
出来上がったスケッチを、少し離れた位置から見る。ほっそりした顔と、首の後ろにまとめたゆるいウェーブのかかった髪、ふた昔前に流行ったようなドレスと、一見して目撃された美女の幽霊そのものである。
「目鼻はどうして省略したの?」
ナタリーが訊ねる。
「目撃した幽霊は、りんかくがボヤけ気味で目鼻が不明瞭だったろう。下手に憶測で描くぐらいなら、省略した方がいい」
「なるほど」
言いながらナタリーは、魔法の杖を振るってそのスケッチを他の紙に5枚ばかり転写した。
「それで、これをどうするの?」
「決まってる。聞き込みだよ、こんな人知りませんかってな」
「本気?」
口をあんぐりさせてナタリーは言った。
「ドレスのデザインから単純に考えるなら、例えばあの幽霊は20年以上前にこの付近で亡くなった人物、という推測を立てる事もできる。だからナタリーは、こういう容姿の人物が当時いなかったか、データを探って欲しいんだ」
「どこに住んでた人間かもわからないのに?リンドン市内かも知れないし、もっと遠くの町、あるいは海外旅行者かも知れないじゃない。調べるとっかかりが無さすぎるわよ」
「そうかな。こうして幽霊になって現れるということは、何か特別な事件や事故で亡くなった人かも知れない」
スケッチを眺めながら、アーネットは言った。
「つまり、時期を絞ってこの近辺で起きた死亡事故などの記録がないか探る、って事ね」
「そうだ。そのドレスが具体的に何年頃に流行したものなのか特定できれば、さらに絞り込みができるはずだ。君なら、そういう方面の情報だって探れるだろう」
なるほど、とナタリーは頷いた。
「いつも感心するわね。よく、限られた情報から捜査の道筋を見つけられるものだわ」
「買いかぶるなよ。道筋を見つけたからって、目的地に続いてる保証はどこにもない」
アーネットは立ち上がると、ジャケットを脱いで肩にかける。
「ナタリー、とりあえずそっちの調査は君に任せる」
「どこに行くの?」
「幽霊の専門家を探しに行って来る」
「はい?」
ナタリーは、聞き間違ってないかもう一度訪ねる。
「今なんて?」
「幽霊の専門家だ。知識があるかどうかは知らないけどな」
「顔が広いとは思ってたけど、そんな方面にまで知り合いがいるのね」
ナタリーは、呆れているのか感心しているのかわからない顔をした。
「再会しないで済めばそれでよかった相手なんだがな。俺はいったんリンドン市内に戻る」
「え?」
「じゃあ、頼んだよ」
何やら引っかかる事を言い残し、スケッチを3枚ばかり持ってアーネットはガーデンの管理小屋を出て行った。
「誰かしら」
少し考えたものの見当もつかないので、ナタリーも管理小屋を後にしたのだった。
グレイスリー町は首都リンドン市内からそこまで遠くもないが、大きな商店街がないせいで何となく田舎町の雰囲気があった。アーネットは辻馬車を拾おうと歩いていたが、都市に比べると人の往来が少なく、そうそう簡単に見付からないのだった。
「参ったな」
ガーデンに戻って待たせてある馬車を使うと、ナタリーたちの足がなくなる。どうするかアーネットは思案した。
「とりあえず今日はここで聞きこみだけして、明日にするか」
その方がスマートでいいと思ったアーネットは、予定を変更してスケッチを手に町を歩く事にした。
「さあ、さすがにそんな昔の事はわかんないわねえ」
食料品店で買い物をしていた中年女性にスケッチを見せて訊いてみたが、回答は予想できたものだった。
「うん、あたしが若い頃こんなドレス流行ってたわよ。あたしも一着は奮発して買ったわ。懐かしいねえ。でも、こんなドレスにこんな髪型の人、どこにでもいたんじゃないかしら」
それもそうだろうな、とアーネットは思った。流行のファッションというのは、みんなが同じ格好をするからそう言うのだ。
その後も何人か聞き込みを行ったが、だいたい似たような反応ばかりだった。少し洒落た服飾店が一軒あったので、そこの店主にも聞いてみたが、基本的には同じである。ただ、ひとつだけ普通の通行人より詳しい情報があった。
「このドレスが一番流行ったのは1854年ですね」
白髪で、60は越えていそうな痩せた店主はそう言った。
「1854年。間違いないですか」
「ええ。このタイプは5年くらい流行って、60年代に入ると今のスタイルに変わっていきましたね」
「なるほど」
流行のピーク時に着ていたとすれば、あの幽霊は聖歴1854年前後の女性の霊、という事になる。24年前だ。
「ありがとうございました」
礼を言うとアーネットは服飾店を出て、すぐにナタリーに連絡を取ろうと魔法の杖を取り出した。しかし微妙にレイラインを外れているらしく、通話魔法が繋がらない。
「困ったな。レイライン、レイライン…」
杖を掲げて周囲の反応を見るが、町の南側まで戻らなくてはならないようである。それなら、徒歩でナタリーを探した方が早いのではないか、とアーネットは思った。
そうして周りを見回していると、ひとつの人影が目に付いた。
「ん?」
それは、モスグリーンのベレー帽にジャケット、膝下までのスカートをまとった少女だった。背丈はモリゾ探偵社のジリアンより、ほんの少しだけある。幽霊と似た亜麻色のウェーブがかった長い髪に、眼鏡をかけているのが印象的だった。
昔の事を少女に訊いてもわかるわけもないので、アーネットは刑事手帳を示し、警ら中の警官として声をかけた。
「君、いまこの近辺で強盗騒ぎがあったばかりだ。女の子が一人で出歩くのは控えた方がいい」
「アーネット・レッドフィールドさんですね」
「!」
アーネットは、何年かぶりの背筋が凍るような戦慄を覚えた。
「…どこかで会ったかな」
「いいえ。今の生で物理的に出会うのはこれが初めてです」
妙に抑揚のない口調で少女は語った。似ている。誰かに。
「私の先生に出会うおつもりだったのでは、ありませんか」
「君の先生?」
「カミーユ・モリゾ所長です」
「あっ」
アーネットは、その一言で目の前の奇妙な少女が誰なのか、すぐに察知した。
「君は魔女だな?モリゾ探偵社の、ジリアンともう一人の」
ジリアン・アームストロングは、モリゾ探偵社にはもう一人、魔女の所員がいると言っていた。確か、ジリアンよりひとつ年上だったと聞いているから、年齢は16歳と思われる。
「はい、その通りです」
少女は、少しだけ姿勢を改めて胸に手を当てた。
「申し遅れました。わたし、ミランダ・スカリーと申します」
なんだか大仰な名前だな、とアーネットは思った。
「そうか。スカリー、なぜ僕がアーネットだと…」
「ミランダ、で構いません。ジリアンもカミーユもそう呼んでいます」
声色は柔らかいのだが、言葉には淀みがない。
「わかった。僕の事もアーネットでいい。それで、どうして僕がアーネットだと…いや、それはいい」
アーネットは手を横に振って訂正した。相手は魔女である。常識が通用すると思ってはいけない。
「なぜ、わざわざリンドン市内からここまでやって来たんだ」
「あなたに会うためです」
あまりにも即答だったので、アーネットはさすがに面食らった。
「僕に?」
「そうです」
「何の目的で?」
「3つあります。ひとつは、探偵社の所員としての挨拶。ひとつは、所長の元恋人がどんな人なのかという俗物的な好奇心」
雰囲気は柔らかいが、ずいぶんストレートに言う少女だなとアーネットは思った。カミーユと似ていると思ったが、彼女はもっと婉曲な言い方を好む。
「もうひとつは?」
「わかってない人に助言をしに来たんです」
なんだその言いぐさは、と言いたい気持ちを全力で抑え、アーネットは訊ねる。
「…その、わかってない人っていうのは僕の事なんだろうな」
「他に誰もおりません。あなたで正解です、アーネットさん」
「何がどうわかってないのか、説明してくれるかな」
顔の筋肉を引きつらせながら訊ねるアーネットに、ミランダは答える。
「あなた方は、霊という存在に関して基本的な知識が欠けています。今回の事件、このままでは解決には至りません」
「ちょっと待て。どうして、我々の捜査内容を知っている」
「企業秘密です。というか、正確にはちょっとだけルール違反を犯しています。なのでそこは触れないでくれると助かります」
じゃあ言わなきゃいいのに、と思うアーネットであった。誰に対する、何のルール違反なのだろう。
「ギリギリ言える範囲で助言をします。というか本当にやばいので他言無用に願います」
「偉そうなわりにだいぶビビッてないか」
アーネットのツッコミにも、ミランダは表情一つ変えずに続けた。
「まずあなたは多分、あのガーデンに現れた霊が本物だと仮定されていると思います」
「その通りだ」
「そこまでは正解です。あの幽霊は本物です」
「そうなのか」
アーネットには何とも判断のしようがない。突然一方的に助言をしてきても、それが的を射ているかどうかはわからないのだ。それを読み取ったかのようにミランダは言った。
「私は一種の霊能者です。この能力に関してはカミーユ所長にも引けを取りません」
「唐突に能力アピールするな」
「繰り返しますが、あの幽霊は本物です。魔法による幻覚などではありません」
それは、アーネットが立てた予測のひとつだった。現在、それに沿ってブルーが調査しているはずだ。
「つまり、亡くなった人間が霊として現れていると?」
「基本的にはそういう事です」
なんだその基本的、という前置きは。
「じゃあ、あの幽霊は何ていう人物なんだ。君はひょっとしてもうわかってるんじゃないのか」
「いいえ、わかりません。何故ならあの霊は、自分が誰なのかわかっていないからです」
「なんだと?」
「生きている人間の、記憶喪失と似たようなものだと理解していいでしょう」
そんな事があるのだろうか。霊が自分を見失う、などという事が。
「霊能者なら何でも読み取れる、と思ってはいけません。どんな名探偵、名刑事であろうと、犯人が白状しなければ事件は解決しないのと同じ事です」
「わかってない事を偉そうに言われてもな」
そのアーネットの物言いに、少しミランダは憤慨したようだった。無感情に見えて、案外そうでもないようだ。
「ひとつだけ助言します。霊という存在は、我々が言うところの『時間』という概念に左右されない存在だ、ということです」
「時間の概念?」
「これ以上の事は、魔女のルールに触れるので言えません」
そこまで言って、ミランダは両手で口を塞いだ。言ってはいけない事を言ったようだ。聡明そうに見えて、案外抜けている所があるらしい。
「…よくわからんが、聞かなかった事にしておいてやるよ」
「助かります」
「そっちも色々とルールに縛られているらしいな、話には聞いているが」
魔女のルール、という話は幾度となく、カミーユやジリアン、時にはブルーからも説明されている。どうも、この社会と微妙な距離を保って活動しているようにアーネットには見受けられた。具体的にどういう制約があるのかは一度も聞いていないが、とにかくルールがあるのだろう。
「なるほど。それが助言だというなら、ありがたく受け取っておくよ」
「ありがとうございます」
「しかし、どうしてそんな助言をわざわざ伝えてくれるんだ?探偵社に依頼したわけでもないのに」
「実は、カミーユに言われたんです。霊についてあなた方は知識を欠いているので、協力してあげなさい、と。一言だけの助言なので、お試しのサービスだと思ってください」
つまり、次からは金を取るぞ、という事である。
「カミーユも商売が上手いな」
「伝えておきます」
「伝えなくていい!」
こいつもジリアンに負けず劣らず、妙な少女だなとアーネットは思う。さすがにカミーユに師事しているだけの事はある。普通の人間なら3日ともたないだろう。
「今回はこれだけです。以後、モリゾ探偵社のミランダ・スカリーをよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
「それと、これは所長からの伝言です。近いうち、別な事件で探偵社と魔法捜査課による大規模な合同捜査になるだろう、という事でした」
「なんだ、それは。穏やかじゃないな」
アーネットが眉間にシワを寄せて訊ねるも、ミランダは平然と言う。
「私は所長の伝言をそのまま伝えただけです。ご質問は直接所長にお願いします」
それはつまり、元恋人に再会しろという事だ。いずれ会わなければならないとは思っていたアーネットだが、色々気まずくなるのではないか、とどうしても考えてしまう。
「それでは、用件も済みましたので私はこれで失礼いたします。ごきげんよう」
軽く礼をして、ミランダは来た通りを戻って行った。
後に残されたアーネットは、いきなりやって来て一方的に与えられた助言をどう扱えばいいのだろうかと、町の通りの真ん中で一人、腕組みして思案に暮れるのだった。




