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(3)モスグリーンの少女

 強盗犯が貨物馬車に衝突した現場に、ほどなくしてアーネットも駆け付けた。強盗犯の若者4名のうち、骨折して近くの医者に搬送された1名を除いた3名に、その場でアーネットが職務質問に当たった。その結果、この一味もローズガーデンにおいて、件の女性の幽霊を目撃していた事が明らかになったのだった。

「ガーデンのどこで見た?」

 アーネットは、街道脇の草地に強盗犯たちを見下ろしたまま訊ねた。ブルーと狼犬ライトニングが左右を固めており、どう頑張っても逃走は不可能に見える。

「正面の入り口を右に入って奥に行ったところの、生け垣のあたりだよ」

 つばの短いハットを被った、髭面で目付きの悪い男は、仏頂面で吐き捨てるように言った。

「なんでえ、警察は幽霊まで捜査してんのか、ご苦労なこって」

「ん?」

 アーネットは何かピンときたらしく、駐在所の警官たちに何か耳打ちした。2名の警官のうち1人が、足早にその場を去る。

「なるほど、わかった。俺が訊きたい事は以上だ。お前たちは強盗の現行犯として、これからリンドン市内の警視庁に移送される」

 唐突にアーネットは、強盗犯たちにそう言い渡した。

「なんだと!」

 ハットの男が憤りを見せるが、アーネットは眉ひとつ動かさず続ける。

「お前、大陸の訛りがあるな。本庁の捜査三課の知り合いが、色々とインタビューしてくれるだろう」

 捜査三課と聞いて、強盗犯たちの顔色が変わった。現在、捜査三課は大陸からの渡りの窃盗グループを捜査中である。男のメイズラント語に海外の訛りがある事にアーネットは気付いたため、怪しいとにらんで捜査三課に連絡をつけさせたのだ。

 ほどなくして警察の護送馬車が到着し、強盗犯たちは負傷した身体を強引に押し込められ、街道を本庁に向けて出発したのだった。

「さて。三課の奴らにこれで恩を売った格好になるわけだが」

 馬車を見送りながら、アーネットは呟いた。

「また、ガーデン周辺での事故リストがひとつ増えたわけだ」

「しかも今度は強盗まで起きたんだよ」

 ブルーは、自分が言った事が10秒もせず現実になった事に、妙な戦慄を覚えた。偶然ではあろうが、あまり迂闊な予測は立てない事にしよう、と密かに思うのだった。

「あのう、私は…」

 強盗に衝突された荷馬車の御者が、オドオドしながら地元の警官に訊ねた。

「積み荷も確認しましたので、あなたはこれで解放となります。ご協力、ありがとうございました」

「へ、へえ」

 御者は何度も警官たちの方を振り返りながら、二頭の馬を引いて改めてリンドン市内へと向かう。大きな荷馬車がいなくなった丁字路は、とたんにガランとして見えた。

「それでは、本官らは駐在所に戻ります。ご協力ありがとうございました」

 警官たちが敬礼したので、アーネット達も敬礼を返す。ライトニングも敬礼のつもりなのか、「ワン!」と吠えてみせると、警官たちは律儀に頷いてくれた。


「どう思う?」

 ブルーは、ライトニングの背中を撫でながらアーネットに訊ねた。

「これも、件の幽霊の祟りだと思う?」

「何とも言えん」

「これで何件目の事故なんだろ」

 そう言って、思い出したようにブルーはナタリーを見た。ナタリーは懐から、さきほど地元の駐在所で取ってきたメモを広げる。

「昨日の時点で、馬車の破損による事故が3件、脱輪が2件。それに伴う負傷が12件、うち骨折など比較的重度のものが8件。歩行者の転倒による打撲、骨折が計6件、頭を打って脳震とうが2件。関係あるかわからないけど、カップルが何か言い争って、ガーデン付近で掴み合いのすえ喧嘩別れしたのが1件。他に、取り立てて大きな被害がなかったものがいくつか」

「けっこうな件数じゃねえか」

 アーネットはいつも以上に難しい顔で地面を睨みつけた。1か月の統計ではなく、せいぜい1週間足らずの間の統計である。

「幽霊の目撃証言については?」

「駐在所がチェックしてる限りで、108件。正確に言うと、それ以上はキリがないから数えるのをやめてる」

「多すぎんだろ」

 どれだけ出てるんだ、とアーネットはメモを見ながら呆れた。

「なんとも慌ただしいな。この1週間くらいの間に、投身自殺が起きるわ、窃盗グループの捜査が始まるわ…暇だと思ってたら、俺たちにも難解な事件が回ってきやがった」

「うちの課は毎回、難解な事件でしょ」

「それもそうだ」

 ふだんヒマなのは、それで案外釣り合いが取れているのかも知れない、とアーネットは思った。

「よその課がどうって事ない事件だとは言わんが…6月3日に投身自殺がリンドンで起きたんだな。たしか40代半ばの、貿易商の奥さんだったか」

 メモの日付を見ながらアーネットは、ここ最近の出来事を整理することにした。

「ええ。ブルーが入院した日」

「他殺の可能性もあるとして、重犯罪課が捜査を開始するも、事件性はないとして自殺の線で処理されたらしい。一方、捜査三課が外国人窃盗グループの対策本部を設置したのが4日」

「幽霊の目撃報告も4日からね」

「最初にガーデン付近で馬車の事故が起きたのは3日か。目撃情報の前の日だ」

 そうなると、幽霊が目撃され前に事故が起きていたという事になる、と言いかけて、アーネットは訂正した。

「違うな。目撃報告がないだけで、それより前から幽霊が出ていた可能性もある」

「うちにガーデンから捜査の要請が届いたのが昨日。ブルーが退院後、念のため自宅で静養してた日ね」

「同じ捜査でも、よそに比べてベクトルが違いすぎやしないか」

 幽霊事件を捜査する部署など、メイズラントどころか世界中でうちだけだ、と自嘲気味にアーネットは笑った。

「でも、幽霊と関係があるかどうかに関わらず、これだけ事故が特定の地域で頻発するというのは異常だわ」

 ナタリーが言った。それはその通りだ、とアーネットもブルーも同意する。



 それより2時間ほど前、メイズラントヤード重犯罪課オフィスでは、デイモン警部が憮然として窓の外を睨んでいた。

「やっぱり納得いきませんね」

 デイモンの近くのデスクにいた天然パーマの刑事が、苦い表情で腕組みしていた。

「変ですよ、あんな出来過ぎた自殺なんてあり得ない」

「……」

 デイモンは黙っていた。

「奥さんが死んで、旦那は堂々と若い美人と再婚できるってわけだ」

「カッター、その辺にしておけ」

「でも警部」

「お前たちはまだ動くな」

 デイモンに重みのある声で言われて、カッターと呼ばれた刑事や、やり取りを聞いていた他の刑事たちも押し黙ってしまった。

「昼休みだ」

 それだけ言って、デイモン警部はハットを被ると部署を出て行ってしまった。

 お前たちはまだ動くな、警部はそう言った。自分が動かない、とは一言も言っていない。

「警部、何する気ですかね」

 カッターに、背の低い太り気味の刑事が言った。

「俺たちに相談してくれればいいのに」

「俺たちが動いてもどうにもならん、と警部は言ってるんだろう」

「じゃあ、どうするんですか。あれは自殺なんかじゃないですよ。現場の捜査班が事件性があるって言ってるのに、上が自殺だと一方的に捜査を打ち切ってしまうなんて、ふざけんなって話ですよ。それで終わるなら、重犯罪課なんてただの飾りじゃないですか」

 捲し立てられて、カッターは下唇を噛んだ。他の面々も何も言わないが、全くその通りだという表情を見せる。カッターは立ち上がって言った。

「警部が動くのを待とう。お前らも、とりあえず昼を食ってこい。警部が動いた時に腹が減ってて動けなきゃ、どやされるぞ」

 カッターがパンと手を叩くと、刑事たちは「りょーかい」等と口々に相槌を打って、部署を後にした。

 全員が出て行くと、カッターは外を睨んで溜息をついた。

「レッドフィールド、お前なら警部の制止もきかず勝手に動いてるところだな」

 そう呟くと、カッターはジャケットを左肩にかけて部署を出た。



「へくしゅん」

 ローズガーデンのベンチに座るアーネットは、ふいに背筋に悪寒を感じてクシャミをした。

「いやね、この間も風邪っぽくなかった?」

 ナタリーが露骨に距離を取る。

「健康には気を配ってるつもりなんだが」

「あなた、もう30代なのよ。今までの倍、気を配らないといけない年齢」

「うるさいな」

 君だってあと何年かすれば同じ事を言われるんだぞ、と言ったら鉄拳が飛んでくるのはわかっているので、それ以上は言わないアーネットであった。

「とりあえず、お酒の量を減らす所から始め…」

 アーネットに説教を始めようとしたナタリーが、ガーデンの奥を向いて突然絶句した。

「どうした」

 まさか、と思いアーネットはナタリーの視線の先を見る。すると、またしてもそこには見覚えのある姿があった。クリーム色の、白いフリルつきのドレスをまとった、若い美女の幽霊である。森の木漏れ日を背景に佇むその姿はあまりに美しく、恐怖など微塵も感じないほどであった。

 幽霊は微動だにせず、髪やフリルだけが風にそよいでいた。

「ねえ、あなた」

 ふいにナタリーが声をかえ近付こうとすると、幽霊は落ち葉が風に舞うように消え去ってしまった。

 ナタリーとアーネットはしばし無言だった。

「…また出たな」

「出るのが普通、みたいなくらいになってきてるわね」

「今のでひとつ気付いたんだが、まるで反応を見せてないようでいて、明らかにナタリーに反応してたよな」

 幽霊を前にして、アーネットはあくまで刑事だった。観察する所は全て観察している。

「反応っていうのかしら。私の方を見てるようには思えなかったけど」

「そうだな。全てに無関心、といった雰囲気はある」

「あれは、本当に幽霊なのかしら。そもそも、幽霊って何なのかしら」

 ナタリーは、目の前で2度も起きた幽霊現象を前に浮かんだ疑問を口にした。

「今回以外に、幽霊を見た事ってある?アーネット」

「あるぞ。子供の頃だけどな、家族で汽車に乗ってた時、客車の窓の外に女の霊が浮かんでた」

「凄い話をサラリと言ったわね」

「君は?」

 アーネットに訊かれて、ナタリーは考え込んだ。

「見た事はあるのかも知れないけど、両親がわりと信心深かったせいで、『幽霊』なんてものはいないんだ、って教育されて育ったの。今はそこまで凝り固まってないけど、学生の頃まではそう思い込んでたわ」

「なるほど。仮に見たとしても、それを幽霊だとは思わなかったということか」

「たぶんね。でも今日見たのは…どう理解すればいいのかしら」

 自分ひとりで見ただけなら、幻覚で片付けたかも知れない。しかし、その場にいる人も同時に目撃し、さらに警察にまで目撃報告が多数寄せられている状況では、見ていないと言い張る方が不自然である。

「理解できないものを理解しなきゃいけないっていうのは、魔法犯罪に直面する普通の人達の感覚と同じなのかも知れないわね。私たちにとっては魔法は現実だけど、それを知らない人にとっては絵空事でしかない」

「なるほど」

 そういう見方もあるか、とアーネットは感心しながら聞いていた。

「あの子はどうなのかしらね」

 ライトニングを連れてガーデンを一巡りしてきたブルーが、二人のもとに戻ってきた。

「ブルー、また出たぞ、彼女」

「ほんとに?」

「ああ。すぐ消えたけどな」

「アーネットも気をつけないといけないんじゃない?酔っぱらって階段から転げ落ちるかもよ」

 状況的にそれが全くの冗談にも聞こえないため、アーネットは神妙な顔をした。

「とにかく、事故が異様に多発しているのは確かだ。幽霊との因果関係があるかどうかは依然として不明だが、ここまで連続発生しているとなると、何かある、と考えるべきだ」

「そうだね」

 ブルーもそこには同意した。

「そこでだ。ブルーとライトニングには、魔法犯罪の線で調査を始めて欲しい」

「魔法が使われてるっていうの?」

「ないとは言い切れん。いつぞやの、魔法の指輪の呪いで階段から何回も落ちた医者の例もある」

 それは、ワーロック伯爵家に伝わる指輪を盗んだために、指輪に仕掛けられた魔法によって最終的に死にかけた医師の事だった。

「なるほど」

「俺は、俺なりの方法で捜査する。こういう理解できない事件の時は、こっちが視点を大幅に切り替える必要があると思うんだ」

「どういうこと?」

「俺は、あの幽霊が本物で、事故との因果関係がある、という前提で動く。何らかの前提を立てないと、何が正しくて何が間違っているのか、永遠にわからないからな」

 つまりアーネットは、自分が間違いを犯してそれで真相に辿り着けるなら、間違う事も解決へのひとつの方法だ、と言っているのだ。ナタリーは頷いた。

「そうね。まずは、幽霊が本物だという前提で動く。私もそれが正解だと思う」

「ブルーには魔法の線で考えてもらうとして、俺たちがまずやる事は決まった」

 アーネットは、人差し指を立てて言った。

「あの幽霊がいつの時代の、どこの誰なのかを特定する事だ」


 

 ブルーは、ライトニングを連れて再びガーデンの内外を調査する事にした。

「アーネット、お前の事も完全に刑事扱いしてたぞ」

 ライトニングの頭をポンと叩くと、ライトニングはワンと吼えた。

「といってもな。魔法の痕跡なんて、どこを調べても出てきやしない」

 とりあえず杖を出してみたものの、何を調べればいいのかさっぱり見当がつかない。そもそも犯罪であるかどうかは別としても、一連の事故が魔法によるものなのかはわからないのだ。

 ライトニングと一緒に唸りながら歩いていると向こうから一人の、モスグリーンのベレー帽とジャケット、膝下までのスカートをはいた、長い巻き毛の少女が歩いてきた。伏し目がちな二重まぶたに眼鏡をかけているのが印象的である。ブルーよりいくつか年上に見えた。

 なんだか妙な雰囲気の持ち主なので、声をかけるのはやめておこうとブルーは思った。ところが、すれ違った瞬間にライトニングが突然その少女の方を向いて唸り始めた。

「こら、ライトニング!」

 ブルーがたしなめると、ライトニングはおとなしくなって後ろに下がった。

「ごめんね、びっくりした?大丈夫、人は襲わないから」

 自分で言っておいて本当に襲わないだろうかと訝るブルーだったが、少女は驚きも見せず静かに言った。

「知ってます」

 柔らかいが、不思議な芯のある声だった。

「え?」

 ブルーは、少女の言った言葉の意味が理解しかねたが、それを問う間もなく、少女はすれ違ったままガーデンの奥へと消えて行ったのだった。

「変な子だな」

 ジリアンといい、変な女の子が多いのかな、と思うブルーだった。


 空はまだ青いが、そろそろ陽がかたむく気配を見せ始めていた。

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