(2)祟られる人々
その美女は、どこを向くともなく、手を上品に腰前で重ね、ローズガーデンの木の手前に佇んでいた。目鼻立ちまではハッキリとはわからないが、顔はほっそりしていて、亜麻色の髪を首の後ろでゆったりとまとめている。
その姿は淡く白い光に包まれており、クリーム色のドレスと帽子に、白いフリルが柔らかく輝いていた。
魔法捜査課の3人は一言も発さず、脇に控えるライトニングも、吠える事も唸る事もしなかった。
全員が呆気にとられているうち、その美女の幽霊―幽霊としか形容しようのない―存在は、徐々に透明になり、最後にはすうっと消えてしまった。
その現象が起きたあとも暫しの間、魔法捜査課の面々は言葉がなかった。
「ご覧になりました?」
沈黙を破ってくれたのは、カーソン氏であった。
「今皆様が御覧になったのが、ここ6日ほど現れている幽霊ですわ」
アーネットはブルーの方を向いた。
「どう思う」
「わかんないな」
ブルーは、3人の中では比較的平静を保っているようだった。何しろ1週間ほど前には、自称・古代の王だという正体不明の霊と会話しているのだ。おまけに、謎の動く石像と2度も戦っている。むしろ驚きの対象は、人間の霊ぐらいでは動じなくなっている自分自身かも知れなかった。
「ちょっと失礼」
ブルーは、その霊がいた所まで生け垣をよけて歩み寄った。杖を取り出し、下にゆっくりと向けると、何か短い呪文を唱える。
何秒かして、ブルーは他の面々を振り返ると、よく通る声で言った。
「魔力の痕跡は全く感じない。ただ、よくわからないエネルギーみたいなものはある」
「エネルギー?」
アーネットが訊ねる。
「うん。魔力と似ているけど、もっと原始的な、自然に近いというか…そうだな、レイラインのエネルギーに似てるかも」
「つまり、人工的に操られた魔法のエネルギーではないって事か?」
「そうだね」
ブルーとアーネットの会話は、専門外のエミリー・カーソン氏には全くわからなかった。
「何かわかりましたの?」
「まだ、確定的な事は言えませんが」
そう前置きして、アーネットは簡単に解説した。
「先程も述べたように、あの幽霊が、魔法を用いた幻覚の類だという可能性もあります。つまり誰かが、意図的にあの光景を生み出しているかも知れない、という事です」
「そんな事が可能ですの?」
「ええと…例えば」
アーネットはナタリーに、立っているよう指示して杖を構え、少し長めの呪文を詠唱した。すると、ナタリーの足元からパール色の光の渦のようなものが巻き起こって、その全身を包んでいった。
光の渦が霧散したのち、ナタリーの姿は焦げ茶色のスーツから、先程の美女の幽霊に似たドレス姿に変わってしまっていた。顔立ちはナタリーのままである。
「まあ!」
カーソン氏は口元に手を当てて、驚いて後ずさった。
「これは、ごく簡単な幻覚魔法です。視覚的に変化が起きているだけで、実際はこの帽子もドレスも存在しません」
アーネットが帽子に手を触れると、指は帽子のつばをすり抜けてしまった。
「あの少年なら、実際に手で触れられる完璧な変身魔法も使えます。ですが、幻覚を見せるのはそれほど難しくはないという事です」
ナタリーの姿を元に戻して、アーネットは言った。
「では、あれは誰かが作り出した幻影だとおっしゃるの?」
「まだ、わかっていません。今しがたあの少年、ブルーが調べた限りでは、魔法が使われたという痕跡は見つかっていないようです。魔法が使われると、絶対ではありませんが、痕跡のようなものが残るのです。ちょうど、焚き火のあとに地面に焼け焦げが残るように」
アーネットの説明は、素人にもそれなりにわかりやすいものだったので、カーソン氏は成程と頷いた。
「では、先程のあの子の説明だと、魔法が使われた可能性は低いという事なのですね」
飲み込みが早い人だと、アーネットもナタリーも思った。警察の頭の硬い人間だと、眼の前で魔法を見せても理解しない事もある。
「そういう事です。が、魔法の可能性が全くのゼロと確定したわけでもありません」
アーネットは慎重だった。今見た光景だけでは、まだ何も断定することはできない。
「ただ少なくとも、女性の幽霊と呼ばれる現象が、本当である事は確認できました。調査の入り口になるでしょう」
相談者が言っている内容に偽りや誤認がない事を確認するのは、捜査開始の段階で最も重要な事である。『幽霊』の正体が何であれ、それが事実である事は確定したのだ。
「そうなると次はあれが、街道で多発しているという事故との因果関係だが…」
そこで、ちょうど正午の鐘が聞こえてきた。アーネットは懐中時計を開く。
「もう昼か」
「よろしければ、私共がお食事をご用意いたしますわ」
アーネットはナタリーを見る。何を迷ってるの、と目が語っていた。
「そうですか。それでは、お言葉に甘えて」
どうも魔法捜査課は、相談者から食事を提供される事が少なくないらしいと、提供されたサンドイッチをかじりながらアーネットは思った。
カーソン氏はワインも勧めてきた。この国は昼間でも当たり前に飲酒する習慣があるのだが、さすがに事件捜査中にワインはどうかと思ったため、おとなしく紅茶にしたアーネットであった。
事件解決のあかつきには、秘蔵の年代物のワインでも贈ってもらえるのではないか、などと都合のいい妄想をふくらませつつ、昼食時も事件について打ち合わせを進めた。
「カーソンさん、その街道で起こった事故の報告書は、地元の警察などに行けば見られますか」
ティーカップを片手にアーネットは訊ねた。
「ええ、もちろん。町の駐在所が事故処理に当たっていますので、少なくとも馬車の事故など比較的被害が大きなものについては、報告書があるはずです」
「ナタリー、頼めるか」
これはつまり、事故の報告書のデータを駐在所から貰って来てくれ、ということである。話を振られたナタリーはスプーンを置いて口元を拭うと、「いいわよ」とだけ答えた。
「よし、俺達は街道とガーデンの調査だ」
言われたブルーはスープを飲みながら頷いた。
午後になると、昼食どきのためかガーデンの観光客は少しまばらになっていた。この時間が一番落ち着いて見て回れるので、昼食をずらしてくる人もいる。
カーソン氏は、午後の仕事があるので本日はこれで失礼する、との事だった。
「管理小屋は、捜査に利用して頂いて構いません。管理人達にも皆さんの事は伝えてありますので、何かあれば彼らにお申し付けください」
そう言い残すと、赤く塗られた馬車がカーソン氏を乗せてガーデンを離れて行った。
ナタリーとカーソン氏が去ったあと、アーネットとブルーはいつものように現場の調査を開始した。
「まずは目撃情報だ。今いる観光客たちに、幽霊を目撃したか聞いて回ろう。警察ってことは伏せておけよ」
「それとなく尋ねろってこと?」
「それも刑事や探偵に必要な技術だ。練習する機会だと思え」
面倒くさいなとブルーは思ったが、そもそも普段から警察手帳を掲示しても少年の姿は怪訝そうに見られるので、いっそ一般人として振る舞う方がラクかも知れない、とも思う。
「ねえ、おじさん。このガーデンで幽霊が出るって話聞いた?」
すれ違った、やや年配の小太りの男性に、ブルーは案外と自然体で話しかける事ができた。
「ああ、なんだかチラッと聞いたけど、俺は見てないな。お前さんは見たのか?」
「まだなんだ。見たら友達に自慢しようと思ってるんだけど」
「俺は若い頃この国に引っ越してきたんだが、ホントに幽霊が好きなんだな、ここの国民は」
祟られるなよ、と言い残して男性は歩き去った。
メイズラント国民が幽霊好き、というのは本当の事である。ホテルも、古くて幽霊が出る方が格が上がるという例まである。その例に倣えば、このガーデンに幽霊が出るのは悪い事ではないようにも思えた。
「事故が起きなきゃの話だけどな」
次の観光客を探しながら、ブルーはひとり呟いた。幽霊が出るだけなら好奇心で済むが、実際に呪われたりするとなると話は別である。
「あら、私見たわよ!クリーム色のドレスの!」
何を食べていればこんな胴回りになるのだろう、という重量感のある、裕福そうな婦人がアーネットに答えた。従者らしい男性は普通の体格なのだが、比較すると痩せて見えてしまう。
「どのへんで見ました?」
「もと聖堂があったっていう、壁で囲まれたスペースがあるでしょう?あそこの祭壇側よ」
なるほど、とアーネットはその情報を記憶した。
「あの幽霊に会うと金運が上がるという噂よ!あなたも会えるといいわね!」
バン、とアーネットの背中を叩くと、身体を揺らして婦人は生け垣の間を歩き去った。大輪のバラが普通のサイズに見える。
「ああいう体型の幽霊ってあまり聞かないの、何でだろうな」
痛む背中を撫でながら、アーネットは聞いて回った情報をまとめた。今のところ、11人聞いた内の4人が目撃している。場所はまちまちである。
反対側から、ブルーが戻ってきた。
「どうだった?ブルー」
「8人聞いたうちの3人が目撃してるね」
「ふむ」
二人はベンチに座ると、パンフレットのガーデン見取り図に、それぞれが聞いた目撃地点を大雑把だが記して行った。
「確かに多いね」
ブルーはパンフレットにつけた印を睨んだ。19人中7人が目撃しているというのは、幽霊の目撃談としては確かに多いと言える。
幽霊がいたという場所は今の所ガーデンの中だけで、森の中や道路という証言はなかった。
「どう見る?ブルー」
「何とも言えないな…だいいち、幽霊は専門外だし」
「天才魔法少年も分が悪いか」
アーネットは腕組みしてガーデンを見回す。
「事故が起きた現場も確認しておくか」
二人はカーソン氏から聞いたガーデン付近の街道で、馬車の車軸が折れて転倒し、御者と乗客が怪我をしたという場所に行ってみた。
街道は往来がそれなりにあるようで、踏み均されて固く平らである。細かい石が食い込んで表面は自然に補強されており、ちょっとした舗装道路に近い。馬車の車軸が折れたという場所も、均されてほぼ平らな路面である。
「ここか」
片膝を折って地面を観察したアーネットは、立ち上がって街道を見渡した。
「車軸ってそんな簡単に折れるもんか」
「老朽化してれば折れるんじゃないの?それか、よほど人が乗ってたか」とブルー。
「そんな大人数、御者が乗車拒否するだろ」
それもそうだ、とブルーは頷いた。
「こんな平らな路面で、突然車軸に負荷がかかるというのはちょっと想像できない。普通に考えるなら整備不良、車体の老朽化ってことになる」
「でも、他の馬車も荷台がいきなり落ちたりしてるんでしょ。整備不良の馬車、多すぎない?」
ブルーの指摘はそのとおりである。確かに普通とは言えない、とアーネットも認めるしかなかった。
「起きてるのって、事故だけなの?」
「どういう意味だ」
「引ったくりだとか、そっち方面の事件はないのかな」
「今の所、聞いてないが」
ブルーが言うのは、幽霊に会うことで悪いことが起きるなら、それは事故だけとは限らないのではないか、という事であった。
「なるほど」
「たとえばだけど…」
ブルーが何か言おうとした時、ガーデンの中から女性の悲鳴が聞こえた。
「なんだ!?」
「まさか、言ってるそばから…」
二人は即座に、声がする方へ走った。やむを得ず、森を突っ切ってガーデンに入る。
すると、先刻アーネットが聞き込みをしたふくよかな体型の婦人が、バラの植え込みがある芝生に腰を抜かして倒れていた。従者らしい男性は、頭から血を流して倒れている。
「どうしました!?」
アーネットが駆け寄り、婦人は動転しているものの意識はしっかりしている事を確認し、従者の様子を見た。脈はあるが、意識を失っている。
「ご、ご、強盗!強盗にやられたの!あたくしのバッグが!」
「なんだって!?」
すると、ブルーが即座に追跡魔法を発動させた。複数の光の筋が、ガーデンを出て街道に向かっている。
「アーネット、おばさんは任せたよ!」
ブルーは言うが早いか、つい1週間ばかり前にも同じ事あったよなと思いながら、脚に強化魔法をかけて強盗犯を追跡した。ライトニングも威勢よく吠えてブルーに続く。
「大丈夫ですか」
アーネットは杖を取り出し、鎮静の魔法を婦人に施した。
「ああ、ジム!ジムは大丈夫なの!?」
ジムというのは、従者の男性の名前らしかった。アーネットはジムにも、止血の魔法を施しておいた。
「ご安心ください、意識は一時的に失っていますが、命に別状はありません」
ジムを芝生に寝かせると、アーネットは警察手帳を婦人に示した。
「まあ、警察の方でしたの!?」
「もうひとりが犯人を追跡しています。盗られたのはバッグだけですか」
「そう、そうよ!」
「間もなく、彼が取り返してくれるでしょう。こちらでお待ち下さい」
アーネットは自信たっぷりに言ってのけたが、さっき走って行ったのは少年ではなかったか、と訝る婦人であった。
さて、その強盗犯を魔法で追跡していたブルーだったが、追跡を始めて1分も経たないうちに、彼は困惑することになったのだった。
「なんだこれ!?」
ブルーは追跡魔法が示す光を追って、街道と街からの道がぶつかる丁字路に着いた。そこには、予想もしなかった光景があった。頑丈そうな二頭引きの荷馬車が停まっており、その手前に、ガーデンに来たときに見かけたガラの悪そうな若者たち4名が倒れていたのだ。どうやら足を骨折しているらしい者、頭から血を流す者もいる。
馬車の御者が困惑したように馬を降りてオドオドしているので、ブルーは手帳を示して質問した。
「警察だけど、何があったの?」
「そ、それが…町から街道に出ようとしたら、突然茂みからこの人たちが飛び出してきて、馬や車体の下に巻き込まれてしまったんです」
御者は狼狽しているせいか、少年が警察手帳を掲示している件を不審に思う余裕もなさそうだった。
「向こうから当たって来たってこと?」
「は、はい…私は人がいないことを確認して、ゆっくりと街道に出たんですが」
「あー、安心して。たぶん、おじさんが罪に問われる事はないよ。こいつら、強盗犯だから」
ブルーは念のため全員に拘束魔法をかける。脚を折っているらしい若者が「ぎゃああ」と呻いたが、無視して奪われた夫人のバッグを探した。傍らでは、ライトニングが牙を剥いて哀れな強盗団を威嚇している。
「これだな」
一番小柄な少年が持っていた品のいい黒いバッグをブルーは取り上げる。
「おじさんに責任はないと思うけど、いちおう事故として処理しなきゃいけないと思うからさ。ちょっと、このまま待っててくれる?駐在所の人達が来るから」
そう言うと、ブルーは杖を耳にあてがってナタリーに通話魔法を飛ばした。
グレイスリー町の駐在所は、雑貨店や食料品店などが並ぶ一角にある。ナタリーはそこで、ガーデンの周りで起きたという事件の報告書に目を通し、要点をメモしていた。あと数件で全てのメモを取り終える、というタイミングで、腰に下げた魔法の杖が青く光って振動した。
「あら。ちょっと失礼しますね」
駐在所の警官に断って席を立つと、杖を耳にあてがう。
「もしもし」
『ナタリー、いま駐在所?』
「そうだけど」
『あのさ、そこの人達に伝えてくれるかな。いま、ローズガーデン付近の丁字路で、馬車の人身事故が…ああ待って、おじさん、大丈夫だから。おじさん悪くないから』
杖の向こうで、ブルーが何やら誰かをなだめている。
「事故があったのね?」
『そう。4人倒れてる。警官を事故処理に来させて欲しいんだ』
「了解」
ナタリーは通話を切ると、今の光景を見て怪訝そうな顔を向ける警官たちに言った。
「馬車の人身事故があったみたいなので、処理をよろしくお願いします。ルイン・ローズガーデン付近の丁字路だそうです」
ナタリーは、事故の現場に向かう馬車にちゃっかり同乗して戻ってきた。事故の現場では、ブルーに取り押さえられた強盗犯4名が地面に倒れて呻いていた。ちらほらと野次馬も出て来ている。
「では、この4名は強盗の現行犯なんですね」
駐在所の警官がブルーに確認した。
「そう。バッグを観光客から奪って、茂みの中を移動して、道路に飛び出して勝手に馬車に激突した、どうしようもないバカ強盗団。まあ絵に描いたような自業自得、天罰ってとこだろうね」
負傷して、魔法で縛られて動けない所に、容赦のない13歳少年の罵倒が浴びせられる。警官2名が、そこまで言わなくてもいいのに、と言いたそうな顔をした。
「たぶん、馬車のおじさんは悪くないと思うから、大目に見てあげてよ」
「は、はい」
厳しいのか優しいのかわからない少年に言われ、警官たちは御者に聞き取りを始めた。
「何があったの?」
ナタリーが訊ねる。ブルーは、顎に指を当てて斜め下を見ながら唸った。
「うーん。これも例の、幽霊の祟りなのかな」




