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(5)組織と機関

「未解決事件って言えば」

 ファイルを年月日ごとに分類しながら、ナタリーは言った。慣れてくると、作業している手と会話を同時進行で行えるようになるものである。

「例の、魔法の万年筆を流通させている組織。彼らに関するレポートが少なすぎるわよね」

「当然だろうな。正体を徹底して隠しているらしい連中だ」

 一瞬ナタリーの方を向いて、すぐ自分も作業に戻りながらアーネットは言う。

「目撃情報や、犯人からの接触情報はある。が、結局のところそいつらが何者なのかは全くわかっていない」

「いつかのローバー議員殺害事件の時、犯人はその『黒いコートのバイヤー』から、自分たちの事を口外したら只では済まないぞ、と念を押されてたんでしょ」

「形式的な脅しだろう。実際、あの犯人が俺達にバラしたところで、俺達はバイヤーの名前すら知らないし、犯人は今も生きて拘置所にいる」

 死刑になるかも知れないがな、とため息をついて、アーネットはまとめたファイルの束を脇に寄せた。

「今更だけど、何者なのかしら」

 作業の手を止めて、ナタリーは問うた。

「何が目的なのかしら。今までの犯人の自供からすると、あの万年筆は高値ではあっても、拳銃や麻薬を買うのと大差ない程度の金額らしいわ」

 それはつまり、その気になれば「誰でも」買えるということだ。

「奴らに関しては、一度徹底的に調査しなくてはならないと思っている。そのための、叩き台となるデータをまとめておくべきだな」

 アーネットの視線は床を向いていた。これは、頭の中で思考をまとめる時の仕草であるとナタリーは長年の付き合いで知っている。



【魔法の万年筆およびバイヤーに関する情報】


①彼らは一方的に購入者に接触しており、その逆は現時点で確認されていない。また、接触基準をどのように決定しているのかも不明。


②目撃情報によれば、常に黒いコート姿で現れ、ハットやスカーフで顔は隠している。単独で現れているため、個人なのか組織なのかは確定していない。しかし、おそらくは組織であろうと推定される。規模は不明。


③魔法捜査課の捜査官による調査結果から、彼ら自身が高度な魔法の使い手であると推測される。


④魔法を一般人、ことに犯罪者に流通させる事による社会的混乱について全く関知していない事から、彼らは反社会的勢力の一種と見なされる。


⑤魔法の万年筆は使用者が名前を書くことで発動する「万年筆型」と、万年筆に杖の穂先を組み合わせ、名前を唱えることで発動する「杖型」のニ種類が確認されている。後者は明らかに高度な魔法が封印されており、魔法の訓練を積んでいない使用者の肉体に、致死レベルの負担を強いる様子が確認された。

 万年筆の動作原理は完全には解明されていないが、万年筆内のインクに魔力を引き出す呪文が仕掛けられている事はわかっている。これにより、使用者は半強制的に体力を消耗して魔法を発動させられる。従って、体力が弱い人間の連続使用は危険と考えられる。


⑥この組織は魔法の万年筆を流通させる事によって、何らかの「実験」を行っているのではないか、との捜査官による推測が報告されている。


⑦組織が活動を開始した時期は不明であるが、魔法の万年筆の数少ないサンプルが、聖歴1874年頃には確認されている。しかし、それ以前にも魔法犯罪認定された事件は起きており、少なくとも1871年頃には流通体制が出来上がっていたのではないかと推定される。



「こんな所だろうな」

 ざっと雑紙の裏に走り書きしてみて、わかっているようでいて何もわかっていないな、とアーネットは思った。

「ブルーが言うには、あいつの『先生』と同レベルの魔術師がいるに違いないらしいな」

「ブルーの先生って、まだ一度も会ったことないわね、そういえば」

「髪が長い魔女だっていうのは聞いたけどな」

 なんだか絵本に出てくる魔女そのままだ、とナタリーは思った。

「そもそも、そういう魔女レベルの人間が、魔法捜査課に配属されるべきなんじゃないのかな」

 アーネットが言う事はもっともである。

「君が調べた情報だと、魔女と呼ばれる人達は、何らかの理由で内政に関わる事ができないんだったか」

「ええ。その、厳密な理由までは調べる事はできなかった」



 話は、一年半以上前に遡る。ナタリーは、ブルーが魔法捜査課に10歳の終わり頃に配属された経緯が気になって、こっそり調べてみた事があったのだ。


「なんだって?」

 ナタリーにメイズラント市庁舎階段の裏手で小声で質問された、髪の毛が少し寂しくなってきた情報局キャプテン、ジェフリーは周りに人がいない事を確認して言った。

「別に、緊急の案件でもないし、断ってくれてもいいわ」

「うーん」

 ジェフリーは腕組みして、曇る空を睨んだ。

「でも、知りたいんだろう」

 これはナタリーに対しては愚問である。

「まあ、確かに興味深い案件ではある」

「手を引くなら今よ、ジェフリー」

「おっと、そう言われちゃ逆効果だな」

 そう言ってジェフリーは笑った。

「わかった。ただし、僕らは動けない。話をつける事だけだ。それも、話が通る保証はないという前提でだ」

「それで十分よ。ありがとう。こんど、お菓子でも持って行くからみんなで食べて」

 ナタリーはそう言うと、ジェフリーと分かれて本庁に戻った。


 その数時間後、ナタリーはジェフリーから連絡を受けて、本庁裏の公園、西側の端のベンチに座っていた。風が少し肌寒い。

 ほどなくして、ベンチ脇の木の後ろに、ダークグレーのコートとハットの男が現れた。ちらりと見えた顔と髪の毛から、50代後半と思われる。

「こっちは見ないでおいてくれ」

 手短に言うと、男はひとつの革張りの書類ケースを取り出し、わざと地面に落とした。

「私は今、これを紛失した。私は君の名前も所属も知らない。君はこれを受付に、落とし物として届けて欲しい」

 それだけ言うと、男は静かにその場を立ち去った。姿が見えなくなるのを確認し、ナタリーはその書類ケースを拾い上げ、中身を確認した。中には「メイズラント保安局長官 デビッド・ブランク」と書かれた名刺が一枚だけ入っている。


 メイズラントヤードを含む公的機関が集中する地区を、メイズラント特別区という。その11番地に、メイズラント保安局はあった。比較的新しい機関で、建物も現代的なデザインの、横長なビルである。

 保安局はナタリーがいた情報局と似ているが、国内が活動のほぼ中心となる事と、諜報活動や実力行使の権限が情報局より強い事などが挙げられる。


 保安局の受付に、拾得物として長官の名刺が入った書類ケースを提示すると、受付の女性は「お待ち下さい」

 と言って、どこかに電話をかけ始めた。

「イエローライト巡査、ブランク長官が直接、拾得のお礼を述べたいとの事です。こちらを真っ直ぐにお進みいただいて、突き当たりの左手にある階段を、三階まで上がってください」

 受話器を置いた受付の女性は、書類ケースを受け取るとそう述べて、向かって左側の通路を手で示した。


 まだ新しい建築の匂いがする廊下は、足音がよく響いた。すれ違う保安局の人間は、もといた情報局の人間とはまた微妙に雰囲気が違い、どちらかと言うと警察の人間に近い気がする。

 言われたとおり、突き当たりの左手の階段を三階まで上がると、扉があった。扉を開けるとまた短い通路があり、その奥に「長官室」と書かれたドアがある。

 保安局長官という相手の階級を考え扉の前で立ち止ったナタリーだったが、そもそもナタリーもアーネットも上からの横暴で飛ばされた二人であるため、今さら職務上の階級などで怯むはずもなかった。すうっと息を吸って、扉をノックする。

「どうぞ」

 中から、予想していたより少し高めの男性の声が返ってきた。

「失礼いたします」

 入って軽く頭を下げ、奥のデスクに座る人物を見る。アーネットも長身だが、デビッド・ブランク保安局長官もまたそれに劣らぬ長身であるのが、座った状態でもわかった。40代後半くらいか、細身だが鍛えているとみえ、やや面長の顔の眼光は鋭い。後ろに軽くストライプをつけて流した短い髪は地色なのか、やけに赤かった。

「メイズラント警視庁、魔法犯罪特別捜査課のナタリー・イエローライト巡査です」

 ナタリーの声は朗々と長官室に響いた。その堂々とした態度に、ブランク長官は小さく笑う。

「普通はここにくると、警部クラスの人間であっても緊張の色を見せるが」

 そう言いながらブランクは、応接テーブルを勧めた。ナタリーは礼をして腰をおろす。ブランクもその正面に座ると、ナタリーの目を見て言った。

「いつか、訊ねにくるだろうと思っていたよ」

 ブランクは足を組んで、少し真面目な顔になって言った。

「だが、答えられない事もある。それは、もと情報局員の君ならわかるね」

「もちろんです」

「よろしい」

 ナタリーの返答に、ブランクは目を閉じて小さく首を縦に振った。

「ドアは防音だ、安心していい。言ってみたまえ」

「はい」

 ひと呼吸おいて、ナタリーはさっそく最初の質問を切り出す。

「我々は、発足して一年半ほどですが、様々な事件を解決してきました。その過程で、自分達の課に対するいくつかの疑問が生じました」

 ブランクは黙って聞いていた。

「中でもひとつの疑問は、アドニス・ブルーウィンド特別捜査官についてです」

 ここで、ブランクの眉が少し動いた。

「彼は非常に優秀な魔術師です。魔法犯罪の捜査において、必要不可欠な人員です。そこに異論はありません。ですが、我々の情報によれば、実際には彼が師事したという”魔女”がいるそうです。その人物は、ブルーウィンド特別捜査官も比較にならないほどの魔法の知識と実力を有しているとの事です」

 ブランクは頷き、ナタリーは話を続けた。


「単刀直入にお尋ねします。ブランク長官は魔法犯罪特別捜査課の発足にあたって、会議に参加されている事は存じております。人員の選定において、なぜブルーウィンドのような少年や、魔法の基礎知識があるとはいえ熟達しているとは言えない、本官やレッドフィールド巡査部長のような者が選ばれたのでしょうか」


 ナタリーが言い終えてから、ブランクの返答まではだいぶ間があった。答えてもらえるのかナタリーが不安になったあたりで、ブランクは語り始めた。

「答えになっているかどうかはわからないが、それにはこう答えておこう。人員の選定に間違いはなかった、と」

 なんだ、それは。本人が言うとおり、答えになっていない。ブランクは続けた。

「君たちは自分達を過小評価しているらしい。報告書を見るとそれがわかる」

「長官は、我々の報告書に目を通されているのですか」

「もちろんだ。全て、目を通している」

「つまり、我々の背後にはこの、国家保安局が存在していると?」

 ここで、ブランクは少し笑ってみせた。

「逆に訊ねるが、イエローライト巡査。君たちは何のために活動している?そういう人事があったからか?上層部から用意された部署だからか」

 その問いに、ナタリーは少し怯む色を見せたが、すぐに答えは出た。

「入り口はそうだったかも知れません。ですが、今では我々にしか全うできない職務であると自負しております」

「答えは今、君自身が言ったではないか。君たち自身が最適な人員であると」

 ブランクの答えは、捉えようによっては卑怯でもあった。彼自身は答えていないのだ。それを読んだかのように彼は話を続けた。

「いや、言葉遊びをしているわけではない。だが、私の立場では言えない事もある。私はいま、制約の範囲内で説明を試みているのだ」

「わかりました。では、この質問はこれだけを訊ねて終わりにします。我々は、自分達が選ばれた事について疑問に思う必要はない、と」

「その通りだ」


「では、我々が以前所属していた部署において、問題の責任を取らされる形で今の部署に配属されたのも、偶然ではないと?」


 その質問はだいぶ鋭いものを含んでいたらしく、ブランク長官は先ほどよりも長く沈黙したあとで答えた。

「それについては、答えられない」

 ブランクは、それ以上は言わないという意思を込めるように言い切った。ナタリーは、それ以上訊いても無駄だろうと悟り、質問を変えることにした。

「わかりました。次の質問です。我々の部署の設立には、『魔女』と呼ばれる人々が関わっている。これは、真実でしょうか」

「真実だ」

 ブランクの返答は、呆気ないほど早かった。さすがにナタリーは面食らったが、質問を続ける。

「では、彼女たちは自分自身が魔法犯罪の捜査に乗り出さないのは、何故ですか」

「それについては、答える事ができない。だが、君たち自身が知ってしまう事はあるだろう」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「今は、これだけを答えておこう。私や君たちに行動の制約がある。何かに属する人間にはみな、制約がある」

 なるほど、とナタリーは思った。魔女にも何らかの制約があるらしい。だが、それが具体的にどんな制約なのかまでは、ここでは聞き出せそうになかった。

「わかりました」

 ナタリーは、完全に納得は行っていないものの、いくらか収穫はあった事にはそれなりに満足していた。静かに立ち上がると、礼を言った。

「わざわざお時間を割いていただいて、ありがとうございました。これ以上時間を取らせるわけにも参りませんので、失礼します」

 頭を下げて立ち去ろうとするナタリーに、ブランクは言った。

「いいのかね?せっかくここまで来たというのに、これだけの質問で」

 どういう意味だろう、とナタリーは思った。

「答えられる保証はない。だが、質問だけはしてみてもいいのではないか。君たち二人が最も気になっている謎だ」

 どういう意味だ。君たち二人、とは。二人?つまり、ナタリーとアーネットという事か。

 そこで、ナタリーはハッとして、即座に質問が浮かんだ。

「…アドニス・ブルーウィンド。彼は一体、何者なのですか」

 その問いに対する、長官の返答は早かった。

「答える事はできない。が、いずれ必ず知る事になる。否応なく」

 煙にまいたような返答だったが、「必ず」と付け加えてあるのがナタリーは気になった。

 答える事ができないという事は、彼は知っているという事だ。その返答によって、ブランクは伝えたかったのではないか。我々は「知っている」のだ、という事を。煙にまくのではなく、知っているという事実を彼は白状したのだ。

「わかりました」

「質問は以上かな」

「はい。ありがとうございました」

 少し深めに礼をして、ナタリーは長官室を辞した。

「失礼いたします」




「大した度胸だよな、保安局長官の所まで一介の巡査が出向くとは」

 過去の出来事を思い出して、アーネットは身震いした。

「貴族に向かってタメ口叩く人に言われたくないわ」

 ナタリーにそう言われると、アーネットは黙るしかなかった。

「ヘンフリーの奴の事は思い出したくないな」

「その、ヘンフリー氏も何か知ってるふうなこと言ってたわよね」

 以前の事件で何度か接触した貴族、ヘイウッド子爵グレン・ヘンフリーは、ブルーの家系について明らかに知っている風なことを言っていた。ワーロック伯爵オールドリッチ氏もそうだった。保安局長官や一部の貴族が、何かを知っている。そして不思議なことに、ブルー本人が自分自身の由来を正確に知らない。この矛盾は何なのか。

「まあ、ブランク長官の話でわかるのは、うちの課も謎があるって事だな。魔法の万年筆の組織に負けず劣らず」

「いずれ全面対決になるのかしら。謎が多い組織どうし」

 ナタリーは笑いながら言ったが、それが本当になりそうでアーネットは背筋が寒くなった。それを誤魔化すため、アーネットは冗談で話題をそらす事にした。

「いい加減、奴らの名前を決めないと不便じゃないか。”万年筆の組織”って何だよ」

「それなんだけど、なかなかいいのが浮かばないのよね」

 ナタリーもそれなりに考えていたらしい。意外に思ったアーネットも、案をいくつか出してみる。

「黒ずくめの組織」

「なんかそれ、ありそうだわ。やめて」

「じゃあ君はどうなんだ」

「”ワンウェイ”とかどうかしら。いつも一方通行で接触してくるみたいだし」

「なんだか締まりがないな」

 二人は、腕組みしてうーんと唸った。名前を決めるというのは難しい作業なのだ。

「ブルーに考えさせよう」

「そうしましょう」

 入院中の少年に全振りする事にして、大人二人はファイルの整理を続けるのだった。

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