(2)犯人自滅系
「これは覚えてるぞ。最高にバカな事件だ」
アーネットは、ひとつのファイルを開いて日付を確認した。約一年半前の冬の事件である。
料理人のチャック・カーター38歳の経営するレストランは、評判の料理店「ドナルド・キッチン」が近くに出来て以来、客足が減っていった。
ある日カーターは、透視能力が使える魔法の万年筆を入手した。そこで、ドナルド・キッチンの壁を透視して、ライバル店のレシピを盗む事にした。特に評判のビーフシチューのベース、これを盗めば客を奪える。
そしてある日、ついにビーフシチューの仕込みの場面を覗き見ることに成功する。考えもしなかったような素材がベースに使われており、感心しながらもカーターはそれを自分の店でも試してみた。
評判は上々で、まるでドナルド・キッチンそのものの味だ、と言われるようになった。
その噂が、ドナルド・キッチンのシェフ、ドナルドの耳に届くまではそう長く時間はかからなかった。
ドナルドはカーターの店に怒鳴りこんだ。俺のレシピを盗んだだろう。カーターは、何のことかわからない、としらばっくれた。
レシピを盗むことに味をしめたカーターは、リンドン中の名店の味を盗むため、足繁く市内に通った。
ところでカーターは、自分の腕などに万年筆で署名をすることで、自分の目に透視能力を宿していた。それ以外の発動方法はないのかと、ある日カーターは物の試しに、レストラン「ミッチェル」の厨房裏の壁に万年筆で署名してみた。
魔法はみごと発動し、壁は透明になって名店の仕込みの様子が一目瞭然となった。そして、それを盗み見ているカーターの姿も厨房から一目瞭然となった。
シェフや下働き達が飛び出し、何をやってるんだと詰め寄る。慌てたカーターは白状して警察に突き出され、御用となった。
「俺たちの所に話が回って来た時には、もう事件そのものは終わってたんだよな」
アーネットは呆れたような、苦い顔をして当時の様子を振り返る。ナタリーも当然よく覚えている事件だった。
「余罪も全部白状しちゃったのよね」
「ただ、あのバカなシェフは咄嗟に魔法の万年筆を叩き折って、証拠隠滅を計ったのが可愛くないよな。おかげで俺達が、魔法を使った状況再現のためだけに駆り出されたんだ」
ただし、壁が透明になった現象をレストランの人間が全員証言してくれたおかげで、魔法犯罪の適用とその後の処理は容易だった。
「魔法でも銃でも、あるいは馬でも、扱いがわからなきゃ自滅するって事だな」
小さくため息をついて、アーネットはファイルを”昨年”の区分に入れておいた。
「自滅で言うなら、これもそうね。私達が要らない案件」
ナタリーは昨年春ごろの事件ファイルを取り出した。「バールス事件」とある。
バールスとは、中世から公衆浴場がある事で知られている町である。老若男女を問わず風呂が好きな人間が多い。その街で、事件が起きた。
ある時期から、あまり見ない顔の若い美しい女性が、公衆浴場に顔を見せるようになった。名はアイリーンというらしく、引っ越してきたばかりだという。浴場の常連である中年女性たちは、町の知らない事は私たちに聞くといい、と親切に色々と話してくれた。
アイリーンはやや歩き方が大股ぎみなのが特徴的であった。毎日のように浴場に現れ、よほど風呂が気に入ったのだろう、良い事だと年配の女性たちは喜んだ。
しかし、あまりにも浴場に現れる頻度が多く、いくら浴場の町の人間からしても異常だと思う者もいた。しかもよくよく彼女が現れる時間を見てみると、特徴がいくつかあった。それは、だんだん若い女性がよく集まる時間帯に彼女が現れるようになった事と、やたらと他人の体を見ている事、時には隣まで近寄って行く事などだった。
人によっては、同性愛者なのだろうか、などと噂する者もいたが、そんなふうに言うものではない、少し変わっているだけだ、などと擁護する者もいた。
そしてある日、事件は起きた。
いつものようにアイリーンは、石造りの広い浴槽に浸かっていた。ところが、その日は町で朝からの祭りがあり、汗をかいた女性たちが多く入浴していた。その中のアイリーンに興味を持っていた一団が、彼女にあれこれと話しかけてきた。アイリーンは、そろそろ帰らなくてはと言い出すも、もっとお話ししましょうよと引き留められ、いつもよりだいぶ長く話し込む事になった。
そしてどれくらい時間が経っただろうか、突然、アイリーンの姿が、何やら変わったように見えた。周りの女性たちは、長湯しすぎたせいでのぼせただろうかと思ったが、そうではなかった。
アイリーンという女性だったはずの人物は、ひげ面の小太りの男性の姿に変わっていたのだった。
女性浴場に絶叫が巻き起こるのに、3秒とかからなかった。突然アイリーンに代わって現れた男性は、そこらにあった垢こすりのブラシ等でしこたま叩かれ、追い出され、騒ぎを聞きつけた受け付けの係員などに取り押さえられてしまった。
その場で取り調べを受けた男性の名はホレスといい、姿を変える魔法で女性に扮して、今まで女湯に紛れ込んでは、堂々と女性の裸を見続けていたのだった。魔法の万年筆のインクはその日で使い果たしてしまい、効果の持続時間が短くなった事と、普段より利用者が多かった事が災いした。
この事件もまた、魔法捜査課に連絡が行った頃には犯人が現行犯で捕まっており、犯行も自供したため、ブルーが変身魔法が存在する事を実証・説明するためだけに引っ張り出されたのである。
「私が思い出す限りでは最も低俗な部類の事件ね。うちの課も別に行かなくても良かったと思うわ」
眉間にシワを寄せたナタリーが、汚らわしいものを遠ざけるようにファイルを仕分けした。ファイルそのものに罪はないだろうに、とアーネットは思った。
「その犯人、どうなったんだっけか」とアーネット。
「確か、ヘヴィーゲート監獄に入れられたはずよ。女性からの反発が凄すぎて、凶悪犯扱いしないと事態が収まらないっていう判断だったみたい」
「周りは殺人犯やら強盗犯ばかりの中で、痴漢行為で収監されるってのも肩身は狭いだろうな」
言いながら、他に面白い事件はないかとアーネットはファイルをまさぐった。
「おっ」
ファイルの名前を見て吹き出したアーネットを見て、ナタリーも食い付いた。
「何?」
「この事件だよ」
アーネットが示したファイルの題はこうあった。
<クロセット通り立てこもり事件>
それを見たナタリーも、思わず吹き出した。事件の日付は2年以上前、まだ課が発足してそんなに経っていない頃の事件である。
デミアン・ブーンは宝石店で強盗行為をはたらいたが逃走に失敗し、警官に追われる形で書店に駆け込んだ。そして、立ち読みしていた一人のスーツを着た少年にナイフを突きつけ人質にして立てこもり、自分を逃走させるよう要求した。
ところが、世の中には運のない犯人がいるものである。
人質にされた少年は、ナイフを喉元に突き付けられて怯えるどころか、非常に憤慨した様子で犯人を睨みつけた。お前は何の権限でこんな事をしているのだ、といった事をまくし立てた。見守る警官たちは、犯人を刺激するんじゃないと少年を諭した。
少年は、犯人に気付かれないくらい落ち着いた手付きで胸ポケットに手を入れると、小さな杖のようなものを取り出して、何か不思議な言葉を呟いた。警官は、恐怖で混乱しているのだろうと思ったという。
次の瞬間、犯人が突然、手を硬直させて悲鳴をあげ、ナイフを落とした。手に痛みを訴えているようである。何が起こったのだろうと思っていると、少年は犯人の腕をふりほどき、改めて強盗犯デミアン・ブーンに向き直ると、真っ直ぐに杖を犯人の胸元に向けて、また何か不思議な言葉を呟いた。
すると今度は、デミアンの体はまるで猛烈な突風にでも遭ったかのように吹き飛んで、書店のガラス窓を突き破り、通りを横切って飛び、そのまま向かいの家具屋のドアをぶち破って、タンスの角に頭を打って気絶した。
が、それで事態は終わらなかった。
少年はナイフを突きつけられ人質にされた事に激怒しており、わざわざ家具屋の中まで入って強盗犯を表に引きずり出すと、しこたまその身体にケリを入れ始めたのである。さすがに見かねた警官たちが止めに入り、もうやめなさいと諭したが、少年は胸元から何かを取り出して警官たちに提示した。それは、警察手帳であった。
そう、その少年はメイズラント警視庁・魔法犯罪特別捜査課に勤務する少年刑事、アドニス・ブルーウィンドだったのである。
この事件は厳密に言えば魔法犯罪ではなく通常の枠内の強盗・人質立てこもり事件なのだが、ブルーによる魔法を使用した過剰防衛と、民間の店舗への無用な被害が生じた事で、その後ちょっとした問題に発展したのだ。
中でも一番問題視というか危惧されたのは、「ブルーを怒らせると何をしでかすかわからない」という事であった。彼が本気で魔法を発動させるとどうなるのか、警察上層部が魔法の専門家の意見を聞いたところ、本当に本気を出せば軍の歩兵小隊を5分以内に全滅できる、という事であった。
この事件をきっかけに、魔法捜査課に対しては魔法の使用規定が厳格に定められる事になる。そういう意味では小さい事件どころか重大な事件なのだが、強盗犯が人質目的で捕らえた少年がこの街で一番危険な少年であった、という運の無さが、アーネット達には不謹慎ながら面白くて仕方ないのだった。
「うちの課にはとんでもない爆弾がいるって事、たまに忘れがちになるよな」
そう言うアーネットには緊張感があまりない。
「子供に危険な仕事をさせるなんて、っていう意見もあったけど、あの事件で『その子供が一番危険だった』ってみんなが気付いちゃった感はあるわね」
「まあ最近は、あの当時よりは分別がついて来たからな。そうそう滅茶苦茶やる事もないだろう」
「この間ジリアンと一緒に、ボート乗り場の橋を壊さなかった?」
そうナタリーに指摘され、アーネットは腕組みしてうーんと唸った。




