(6)デートの定義
それまで明るい通路が続いていた迷宮の中を、狼犬ライトニングの後を追って辿り着いたのは、真っ暗な部屋の入り口だった。扉などはなく、いちおう大人の人間が通れるくらいに開いている。
ライトニングはその入り口の前に陣取り、ブルーとジリアンの方を向いていた。明らかに、中に入るよう促している。
「何があるんだろう」
ブルーは、少し近づいて部屋の中を覗いてみた。しかし、けっこう広さがあるようで、試しに手を叩いてみると長めの残響が聴こえる。
「入ってみる?」
ジリアンもブルーの横に立って、中を覗く。
「ここまで来て、入らないってのはないよね」
ブルーは小さく笑って、杖に明かりを灯した。ジリアンもそれに倣う。
「さっきも言ったけど、この部屋の中はなぜか魔力が感じられない。奥に進めば、自分の魔力を消耗することになる。注意して」
ブルーの忠告にジリアンは頷いて、ブルーもまた頷き返す。
「よし、入るよ」
二人は息を合わせて、同時に背中合わせで真っ暗な空間に足を踏み入れた。
中は空気が冷たい。そういえば、これまでの通路は温度も適切に保たれていたようだ。
ブルーとジリアンは、互いに周囲の状況に気を付けながら、部屋の奥に歩いて行った。今までとは違い、今度はライトニングが二人に続く。
何かがいるという気配はない。むしろ、何もないという感覚がかえって不気味さを演出しているようにジリアンは感じた。
「思ってたよりさらに広いね」
ジリアンが呟く。
「床面はさっきまでの通路と同じように、きれいな平面だ。材質も同じように見える。けれど、なぜここで魔力が途切れているのか…」
ブルーは訝しげに周囲を見る。
「あっ」
なにかに気付いた様子で、ブルーは立ち止まった。
「なに?」
「天井を見て」
ブルーが、発光する杖を上に向ける。そこで初めてジリアンは、天井が円錐形になっている事に気が付いた。
「平らな天井じゃないんだ」
「円錐形だとすれば、この部屋も円形という事なのかな」
「部屋ってよりか、ちょっとしたホールくらいありそうね」
さきほど入ってきた入り口の明かりが遠くなるにつれ、不安が増す。二人は、お互いが隣にいる事が頼もしく思えた。天井の円錐形が少しずつ狭まり、ホールの中心が近付いているのがわかる。
「ん?」
ブルーは、暗闇の中に直立する影を見付けた。それは床と天井の頂点を繋ぎ、中央が窄まっている柱だった。
「何だろう、あの柱」
二人と一匹はゆっくりと柱に近づく。柱は形状のせいで細く見えたが、実際は最も細い中央部分でも、大人の体が収まるほどの太さがある。
よく見ると、その中央部分には滑らかな切り欠きがあった。何かを収めるような形状だ。
「アドニス君、何かあるわ」
ジリアンは、その切り欠きに何かが置かれているのに気が付いた。柱のような無機質な形状ではない。ジリアンとブルーは無意識に互いの手を握り、もう片方の手で杖を突き出して、にじり寄るように柱に近付いた。
「あっ!」
声を上げたのはジリアンだった。
柱の中央のスペースに置かれたもの、それは長い髪を垂らし、ミステリアスなローブをまとった、真っ白な女性の石像だった。
「彫像だ…」
よく見ると、女性は足もとに一本の豪華な杖を剣のように突き立てている。それは、息を飲むほどにリアルで美しい、魔女の石像であった。
その時だった。
「ワン!ワン!アォーン!!!」
突如、ライトニングが柱に向かって駆け寄り、まるで長らく離れ離れだった主人と再会したかのように、柱にしがみついて鳴き始めた。
「どうしたの、ライトニング?」
ブルーは駆け寄り、ライトニングの様子を見た。目には涙がにじんでいるのがわかる。ライトニングは鳴き続けた。
「何なんだろう」
「ひょっとして、この子の本来の主人なんじゃない?この魔女」とジリアン。
「まさか…」
ブルーはそう言ったが、ライトニングの鳴き方は切々と訴えるものがある。
「ねえ、アドニス君」
ジリアンは石像の顔を見たのち、ブルーの顔をじっくりと見始めた。突然見つめられてブルーは赤面した。ジリアンは基本的に美少女なのである。
「な、なに」
顔を紅潮させつつブルーは言った。ジリアンは答える。
「あの魔女の顔立ち、アドニス君に似てない?」
唐突にジリアンがそう言ったところで、ようやくライトニングも落ち着いて二人のもとに近寄った。
「あの魔女が?」
ブルーはそう言うと、ケタケタと笑い出す。
「気のせいでしょ、似てるなんて言い出したら街を歩いてる人の中にだって、似てる人はいくらでもいるじゃん」
「アドニス君の名前で入り口が開いた迷宮の奥にあった石像が、アドニス君に似てる。これも偶然だっていうの?」
「うっ」
ブルーはそう言われると黙り込んだ。普段の犯罪捜査でも、偶然が重なるとそれは偶然には思えなくなる。
「じゃ、じゃああの石像は誰だって言う…」
そこまで言って、ブルーはハッとして石像の顔をまじまじと見た。
誰かに似ている。
自分かどうかはわからない。が、よく目にしている誰かだ。生まれた時から、親の顔のようによく目にしている誰かの顔だ。
「…母さん…??」
そう、石像の顔立ちは、ブルーがよく似ていると言われる、彼の母親の顔立ちにそっくりなのだ。それはやはり、ブルーの顔立ちにも似ている、という事であった。こういう状況であるにも関わらず、女顔で色々からかわれてきた事をブルーは思い出していた。
「お母さんに似てるの?」
ジリアンは訊ねたが、ブルーはなかなか状況を受け容れることができない。
「お、女の人の顔が似てるなんて、よくある事じゃないのかな」
「食い下がるわね」
「ライトニング、この石像がお前の見せたかったものなのか?」
話題を逸らすのも兼ねて、ブルーはライトニングに話しかけた。
「ワン!ワン!」
先程までの取り乱した様子が若干残っているものの、ライトニングは「そうだ」とでも言わんばかりに吠え、尻尾をぐるぐると回した。
「やっぱりここで正解みたい」
「でもな」
ブルーは例によって、顎に指を当てて何かを考え込んだ。
「何か気になる?」とジリアン。
「うん。どうしてライトニングは、この部屋の前でいったん立ち止まったんだろう。この石像が目的なら、真っ直ぐにここまで走って来ても良かったはずだ」
「なるほど、言われてみればそうね」
ジリアンも、つい普段の調査のような口調で首を傾げる。遺跡の奥に来ても、やはり刑事と探偵であった。
「そういえばこの子、最初に会った時も遺跡の外にいたわよね」
「そうだ。僕が背中を押して、やっと遺跡に入って来たんだ」
「進んで暗い所に入るのを嫌がってる、という事なのかしら」
「それだと、突然遺跡の奥にダッシュした事と整合性が取れない」
あ、とジリアンは斜め上を睨む。
「まあ、その問題は今それほど重要じゃないと思う。問題は、ライトニングが何故、この石像の所まで来たがったのか、という事だ」
ブルーは、石像が納まっている柱の周囲をうろうろと歩いた。
「それにしても、リアルな石像だな。一体どんな腕利きの職人が彫刻したんだろう」
ブルーは、像の所まで登れるだろうかと柱に足をかけてみる。しかし、表面はつるつるに研磨されており、手を押し当てただけで滑ってしまう。
「まるで、魔法でそのまま石にされたみたいね」
ジリアンがそう言うのも納得できるほど、それは見事な出来栄えだった。髪の一本一本までがていねいに彫られている。仮にこれを展示即売会に出品すれば、一体どれほどの値がつくのか想像もつかない。
「え?」
ブルーは、ジリアンの言葉に反応した。
「まさか…」
ブルーは、杖を振るって自分に魔法をかけた。すると、ブルーの体はふわふわと宙に浮いて行った。
「ちょっと、貴重な魔力を」
ジリアンが言い出しっぺのブルーに文句を言うも、ブルーはそれを無視して石像の所まで上がり、足場を確保すると魔法を解除した。
「……」
ブルーは、その美しい石像を間近で観察した。肌の毛穴の細かな凹凸、まつ毛の一本一本、唇の表面、指の指紋、ローブの縫い目に至るまで、信じられないような精度でそれは出来ていた。
「これは…」
「アドニス君?」
ジリアンの呼びかけに、ブルーは間を置いて答えた。
「これは彫像じゃない。魔法で石化した、人間だ」
それがブルーの結論だった。
「本当なの?」
驚愕してジリアンは訊ねる。
「間違いない。この魔女は、この場所に自ら納まって、石になったんだ。魔法でなければ、こんな薄い衣服を石で彫るなんて事、絶対にできっこない」
「でっ、でも、何のために?何でそんなことするの?」
「わからない…」
ブルーは、眼前にいる美しい魔女を観察した。似ている。母親に、そして自分に。
その時、ブルーはひとつの事実を思い出した。
「うちは…父さんは婿養子だった」
「え?」
ジリアンは、ブルーのつぶやきを訊き返した。
「今現在、うちの当主は父ではなく母だ」
「そうなの?それってつまり…」
「いや、ちょっと待って。僕は何を言ってるんだ」
ブルーは、魔女の顔立ちをまじまじと見ながら、考えたすえにひとつの結論に到達したようだった。ジリアンの方を振り向くと、ブルーは言った。
「この魔女は、多分僕のご先祖さまだ」
ブルーがそう言った時だった。突如、石の魔女の像が、耳に刺さるような高い音の共鳴を始めた。
「うわあっ!」
「な、なに!?」
思わず二人とも耳を塞ぐ。魔女の像は、最初の遺跡で円形の床が光り始めた時のように発光し、その光が巨大な空間を満たして行った。
「こっ、これってまさか、また…」
「きゃあああ!!」
メイズラント警視庁本庁の地下、魔法捜査課のオフィス。睡眠から目を覚ましたナタリーは、本日の相方アーネット・レッドフィールドがいつの間にか席を外している事に気が付いた。メモも何も残していない。長年の付き合いから推測すると、小腹が空いたので手近な屋台か何かに食糧を調達しに行ったのだろう。たいがいは、ごまかすためにナタリーやブルーの分も何か買って来る。
時計を見ると、午後4時少し前という所である。
「あと1時間半」
どうやって時間を潰すかと、納税者が聞いたら旗を掲げて決起しそうな独り言をつぶやくと、ナタリーは読みかけの本をペラリと開いた。
「『歴史が古く、国土面積もそう狭くない我が国には、様々な地方伝承が存在する』」
文章を読み上げるのはナタリーのクセである。
「『妖精や海の怪物が登場する民話は数多くあるが、ひとつの不気味さをもって伝えられているのが、地底から現れる謎の人間の伝説である…』」
光が収まった時ジリアン達は、完全な暗闇にいる事に気が付いた。
「アドニス君!?いる?」
何も見えない空間に声を張り上げる。先に答えたのは、ライトニングだった。
「アォン!!」
「あんたは無事ね、良かった」
「僕もいるよー」
ボウと杖を発光させて、ブルーの顔が浮かび上がった。左の頬と左半身には土がついている。
「ここ、どこ?」
「見て」
ブルーは足元や上、横を指し示した。先ほどまでと違い、床も壁も天井も最初に入ったような、雑に切り出した石で組み上げた通路である。
「最初にあった遺跡と似てる。雰囲気からして、同じ場所の可能性は高い。断定はできないけどね」
「さっきの、魔女の石像の部屋から飛ばされて来たってことか」
ジリアンも足元の、土が被さった石組みの床を見る。雑ではあるが、間違いなく人工的に造られた空間だ。
「空気は湿っている。外の音は聞こえてこないから、相当奥まった場所なのか、あるいは遮断された密閉空間かも知れない」
「パンフレットにあった、遺跡のさらに奥の空間ってこと?」
「あり得るね。でも、要するにどこなのかわからないのは確かだ。ジリアンは魔力を温存して」
「待って、それならあたしが照明係を」
ジリアンが杖を発光させようとするのを、ブルーは制止した。
「自分の方がアドニス君より魔法の実力が劣るから、サポートに回るってんだろ」
「え」
「子供だけど、魔法を10年以上学んできた者として言うよ。ジリアンは、僕に魔法の素質が劣るとは思わない。君は、ほんの5年少しで今くらい魔法が使えるようになったんだろ。もしかしたら、僕なんかより数段上の素質を持っているかも知れないよ」
ブルーは、光る杖を持って周囲を探るように歩いた。
「それに、僕の方がほんの少しだけど背が低い。探索役は僕の方が向いている」
「アドニス君…」
「ジリアン、この真っ暗闇では何が起きるかわからない。探索は、僕とこの頼れる使い魔が先行して行う。君は、緊急時に備えて、いつでもフルパワーで魔法を放てるように備えておいてくれ」
ライトニングの頭を撫でると、
「ワン!」
と頼もしい咆哮が返ってきた。
「うん、わかった。任せて」
ジリアンは、力強く笑ってブルーに頷いてみせる。
「よし、早速だけどジリアン。地磁気を魔法で読める?」
「うん、できる」
「東西南北がとりあえずわかればいい。簡単にでいいから、頼む」
ジリアンは杖を構えると、ごく短い呪文を詠唱した。すると、青白い光の筋の束が、通路を直角に交差するように水平に突き抜けて見えた。
「こっちが北」
ジリアンは壁面の片方を指差す。
「わかった、もう解除していいよ。つまり、ここはさっきの魔法を防ぐような特殊な空間ではなく、普通の場所だという事はわかったわけだ」
ブルーは腕組みして壁面を睨んだ。ジリアンは魔法を解除して、提案した。
「透視魔法で確認してみる?上がすぐ地上かも知れないよ」
「やってもいいけど、透視できないくらい厚い層だったら、すぐに解除して。魔力を無駄にはできない」
「うん」
再びジリアンは杖を振るう。しかしすぐに、
「あー、これはダメだわ」
と、早々に諦めて透視魔法を解除した。
「上は相当厚いね。地下には間違いないだろうけど、けっこうな深さみたい」
「なるほど」
発光する杖を掲げながら、ブルーは考えた。
「仮に、最初に地上から入ったあの遺跡の奥だと仮定しよう。あの入り口は南を向いていたはずだ。そして、入り口があったマウンドは、そこから北側に向かって盛り上がっていた」
ブルーは、最初の遺跡の構造を大雑把に思い出してみた。
「つまり、出口は南側ってこと?」とジリアン。
「仮にさっきと同じ高さにある通路だとしたらの話だけどね」
ブルーは答えながら、南側の壁面を調べ、次に通路の東西両方を照らしてみた。西側の奥が、左に折れるのが見えた。
「とりあえず今ジリアンが言ったように、南側に向かって進んでみよう」
「わかった」
「ワン!」
何やら妙なトリオが結成されたな、と思いながら、ブルーはライトニングを左横に付かせて先導し歩き出した。後ろに、ジリアンが杖を構えてぴたりと付く。
少し歩いたところで、ジリアンが言った。
「ねえアドニス君、あたし達いまデートしてるのよね」
さっきも聞いたようなセリフである。
「多分その筈だけど」
これもさっき言ったよな、とブルーは思った。ジリアンがさらに訊ねる。
「デートって、狼みたいな犬を連れて、どこなのかわからない地底の迷路を探索するものなのかな」
「現に今それをやってる最中だから、否定はできない」
さっきと同じ事を答えつつ、ブルーは狼犬の使い魔を見る。もう完全にブルーを主人だと認識しているようだった。
「アーネットに起きたまま報告したら、冗談にしか受け取らないだろうな」
ブルーはひきつった笑みを浮かべつつ、さらに奥へと歩く。
はたして無事に出られるのだろうか、と思いながら。




