(5)枝分かれ
「この仕組み、何かに似てない?」
ジリアンが、魔法で飛ばされてきたらしい通路を見回しながら言った。
「何かって?」
「ほら、例の魔法の万年筆」
「あっ!」
ブルーはハッとしてジリアンを見た。
「似ている…名前を宣言することで魔法が発動する、という点で」
「でも、なんかビミョーに違う気もするけどね。さっきのは、名前というより『アドニス君』に反応して発動した、という印象もある」
「おそらく、あの万年筆だって特定の個人にだけ使えるようにもできる筈だよ。この間あった、ジリアンが知らない事件の話だけど」
ブルーは、ワーロック伯爵デニス・オールドリッチ氏の名前は出さなかったが、その血筋の人にだけ開ける事ができる魔法の秘密箱というものが存在する事を教えた。
「なるほど。じゃあ、さっきのはアドニス君の血筋でなければ発動しない、転移系の魔法って事なのかな」
「まだそれは確定してないよ。ジリアンの名前でだって発動したかも知れない」
「だったら、今まで訪れたはずの観光客にだって、何かの拍子に反応したんじゃない?フルネームを言うだけで、半端にだけど反応したんだよ」
うーん、とブルーは唸った。ジリアンは、首をひねるブルーの様子をじっと見ている。
「とりあえず、ジリアン」
何か結論が出た様子でブルーは顔を向けた。
「ここがどこなのかの確認と、元の場所に戻る事をまず優先しよう」
「賛成」
ジリアンは手を上げた。
「といってもな」
ブルーは、独特の反響を伴う通路の奥を見た。幅も高さも6メートルくらいはある。通路としては異様に大きい。
「闇雲に歩くのは、どこかわからない以上やばそうだ」
「とりあえず、あっちに歩いてみようよ」
ジリアンが歩き出すと、その横にライトニングがぴたりとついた。
「ライトニング、お前ただ女の子の近くにいたいだけだろ」
悪態をつきながら、ブルーもジリアンに続く。二人とも、緊急時に備えて魔法の杖を構えているのはいつもの仕様だった。
謎の通路を歩きながら、ブルーは壁面の材質を確認していた。
「花崗岩ぽいけど、なんか色味が違うな」
「ねえ、アドニス君」
ジリアンが突然立ち止まる。
「あたし大変な事に気が付いた」
「え?」
「ここ、照明も何もないのに、なんで明るいの?」
ジリアンの指摘に、ブルーは蒼然となって改めてぐるりと床や壁を見渡した。
「明るい…」
今、二人とも照明の魔法は発動していない。それなのに、通路全体が明るいのだ。そもそも、数十m程度はありそうな通路の奥がハッキリ見える時点で、気付くべきだった。
「これは…」
「魔法ね」
「…ちょっと待って、ジリアン」
ブルーは、杖を真っ直ぐに立てて何かを確認しているようだった。
「魔力の量が異常だ」
「え?」
「測ってみてよ、自分で」
言われたとおり、ジリアンも杖を立ててこの場所にある魔力の量を測ってみた。杖の先端まで、魔力のメーターが振り切れている。
「おわっ」
口をあんぐり開けてジリアンは驚いた。
「最高レベルじゃん」
「使い放題だよ、これ」
ブルーは試しに、自分に浮遊魔法をかけてみた。何の苦もなく、軽々と身体が浮いてしまう。自分の魔力を使うまでもなく、この空間から拝借した魔力だけで必要な分を賄うことができた。
「あり得ない…こんな事、リンドン市内じゃ」
「中くらいのレイライン見付けるだけで苦労するのにね」
「どういう場所なんだろう」
疑問に思いながら、先程見えた曲がり角まで来た。恐る恐る、コーナーから首を出して曲がった先を観察する。二人と一匹が揃って首を出す様子は、向こうから見ると面白いだろうなとブルーは思った。
が、通路はまたしても真っ直ぐに続いており、今度は15mくらい直進した先で右に曲がるようだった。
「行くしかなさそうね」
「うん」
そう言いながらブルーは、ジリアンの長い髪が自分の首筋にかかっているのに気がついて、少しドキドキしながら早くどいてくれ、と思っていたのだった。
さらに次の角を曲がったものの、今度も同じような直線の通路が30mばかり続いて、また右に折れていた。ただし、少しだけ先ほどより幅と高さが狭くなった気がする。ブルーはいい加減飽きてきたようで、
「まただよ」
とぼやいた。
「透視魔法で見てみるか」
立ち止まり、杖を構えると少し長めの呪文を詠唱する。
しかし、ブルーは早々に「ん!?」と驚いたように唸った。どうしたの、とジリアンが訊ねると、ブルーは顎に指をあてて天井を見た。
「この遺跡…魔法でガードされてる」
「なんですって?」
「この壁面の全てが、魔法を吸収するように出来てるんだ。だから、透視魔法で向こうを見ようとしてもできない」
「建物全体にそんな事できるの?」
ジリアンの疑問に、ブルーも同じく困惑した。
「現にこうしてそれがある以上、間違いなく可能なんだろうけど…」
「けど?」
ジリアンは訊ねる。
「何のためにこんな事してるんだろう」
「……」
「単純に見るなら、何かを隠すためという推測はできるけどね。内側から外を透視出来ないという事は、外側からもこの中を見ることが出来ない、ということだ」
「なるほど」
そこで二人とも同時に、同じ疑問が浮かんだ。
「仮にそうだとして、何を隠してるの?」
ジリアンが言うと、ライトニングが少し反応した。耳を立てて、尻尾をピタピタと床に打ち付ける。
「またライトニングが何か反応してるぞ」
「何かしら」
「ここに隠されてるものが、お前の探させたいものなのか?」
ブルーは屈んでライトニングの目を見る。するとライトニングは、
「ワン!」
と力強く吠えて、ブルーの手を両手で握ってきた。
「何を探せっていうんだ」
「ライトニング、あなたはその何かの場所を知らないの?」
ジリアンは訊ねるものの、ライトニングは首を傾げるだけだった。
「知ってたらあたし達には頼まないか」
「とりあえず進もう」
ブルーとジリアンは、やはり同じような通路や曲がり角を繰り返し進んだ。しかし、歩けども同じような道が延々と続く。幅と高さは、やはりだんだん狭くなっているようだった、
「疲れた」
さすがに参ったのか、ブルーはその場にへたり込んでしまった。ジリアンも向かいに陣取って座る。ライトニングは何となく急かす素振りを見せたが、すぐに諦めてジリアンの脇に四本脚をたたんで座り込んだ。
「いま何時だろ」
「待って」
ジリアンは懐中時計を取り出す。しかし、蓋を開けて目を丸くした。
「なにこれ」
「どうしたの?」
ブルーが訊ねると、ジリアンは時計を見せた。
「なにそれ」
ブルーもジリアンと同じ反応を見せる。その懐中時計の針は、目まぐるしい速度で回転していた。
「何なんだ一体」
「今更だけど、ここ、おかしいよ」
その時二人の脳裏に浮かんだのは、ここに閉じ込められたらどうしよう、という不安であった。
「ライトニング、教えてよ。僕はここで何をすればいいんだ」
ブルーは、いよいよ真剣にライトニングに向き合い始めたらしかった。ライトニングの前脚を握って、その目を見つめる。
「さっき、ジリアンが『魂を探す』って言った時、お前は何か反応を見せた。誰かの魂が、ここに迷い込んでいるとでも言うのか?」
ブルーがそう言うと、ライトニングは最初に姿を見せた時のように、クゥーンと鳴いた。
「鳴いてるだけじゃ、わからないぞ」
「ちょっとアドニス君、かわいそうよ」
よしよし、とジリアンはライトニングの頭を撫でた。ブルーは、自分が悪者にされたように感じたが、同時に申し訳ないような気持ちにもなった。
「…悪かったよ。ライトニング、お前のせいじゃない」
「ほら、アドニス君も謝ってるから、許してあげて。ね?」
ライトニングは、ワンと小さく吠えて尻尾を振った。
「調子のいいヤツだな」
その時、ブルーは何か小さく閃くものがあった。
「…待てよ」
どことなく、アーネットのような仕草でブルーは考え込んだ。
「仮に、この遺跡…遺跡かどうかわからないけど、とりあえず遺跡と呼ぼう。僕が、この遺跡に関係があるとすれば」
ブルーはジリアンの目を見る。ジリアンは復唱するように問うた。
「あるとすれば?」
「さっきここに入った時のように、今度は案内を命じる事ができないだろうか」
「誰に?」
「ここにいる何かに、だよ」
そう言ってブルーは、立ち上がって杖を水平に構えると、すうっと息を吸い込んだ。
「アドニス・ブルーウィンドの名において命じる。我がしもべ、ライトニングが求むるものへの道を指し示せ」
ブルーがそう言うと、杖の先端にポッと光が小さく弾け、しばらく沈黙があった。
これは何も起こらないだろうな、と二人が思った、その時である。
「ワン!ワン!」
突如としてライトニングは立ち上がり、ブルー達の方を向いた。その瞳は、黄緑色に輝いていた。
「なんだ?」
「ワン!!」
ライトニングは、最初に遺跡の奥に駆け出した時と同様に、再び通路の奥へと走り出した。
「おっ、おい!」
「アドニス君、追いましょう!」
ジリアンもライトニングのあとを追って走り出す。ブルーは仕方ない、と杖を振るい、自分とジリアンに脚力増強魔法を施した。
今までの単調な通路が様変わりして、今度は途中で複雑に枝分かれしたり、直角ではなく斜めに折れ曲がったりと、何となく遺跡そのものが変化したような印象さえ受ける。そして、いよいよ通路は狭くなり、廊下と言っていいほどの幅と高さになってきた。
ブルーは、ライトニングの体に先程までと明らかに異なる、ハッキリとした魔力の発現を感じた。
「この魔力は完全に使い魔のものだ」
「アドニス君が、『我がしもべ』って宣言したからじゃない?ライトニングは、自分を疑わなくなったんだよ、きっと」
「なんてこった」
つまり、ブルーは間違いなく使い魔を獲得してしまった事になる。無事に帰れたらの話だが、先生に説明するのが色々面倒そうだな、とブルーは頭を抱えた。
「ねえ、アドニス君。あたし達今日、デートしてるのよね」
ジリアンが呟く。
「多分そうだと思う」
「デートって、正体不明の遺跡で目が光ってる狼みたいな犬を追跡するものなの?」
「今そういう状況だから否定はできない」
たぶん違うよなとは思いながらも、ジョークのひとつも言わないと気持ちが落ち着かない。ブルーもジリアンの軽口に付き合う事にしたのだった。
「まあ多分、世界中で誰一人として体験してないデートなのは確かね」
全速力の犬と同じスピードで遺跡の通路を駆け抜けながらの会話は、いよいよライトニングの取るコースが複雑なものになってきたので中断され、いったい何百メートル走ったのかわからない奥へ奥へと、さらに踏み込んで行くのだった。
通路はさらに枝分かれして行き、通路は閉所恐怖症の人が不安を覚えそうな狭さになってきた。
「文字通りの枝分かれみたいな通路ね」
ジリアンがボソリと言った。
「すごいわ。これだけ魔法を連続して使っているのに、息切れひとつ起こらない」
「外部から無尽蔵に供給される魔力を使ってるだけだからね」
ブルーは念のため、もう一度杖で魔力をチェックした。魔力は変わらず、遺跡の全体からいくらでも溢れている。
「この魔力の源は一体何なのかしら。通常のレイラインでも、ここまで安定して魔力が取り出せるなんて滅多にない」
「そうだね。まるでダムみたいに人工的に溜め込まれてるみたいだ」
そこまで言って、ブルーは一瞬黙り込んだ。
「どうしたの?」とジリアン。
「ジリアン、さっき何て言った?」
「え?さっきって、いつのさっき?」
「魔力がどうのこうのって言う前だ」
「ああ…文字通り枝分かれしてるみたいだ、っていうやつ?」
枝分かれ、というキーワードにブルーは何か引っかかったようだった。
「枝…幹…」
「え?」
「わかったぞ、この遺跡が何を表しているのか」
ブルーがそう言った時だった。さんざん走って来たライトニングの足がようやく止まった。
「おわっ!」
唐突に止まられたため、ブルーも急ブレーキをかけて止まる。そこへジリアンが激突した。
「きゃあ!!」
「どわああ!!」
とてつもない速度で背中から激突され、ブルーはジリアンとこんがらがって狭い床に転げてしまった。
「いててて…」
「ごめんね、アドニス君。大丈夫?」
ジリアンの胸が顔面を圧迫している。慌ててブルーは、顔を赤くしてその肩を押しのけた。
「だ、大丈夫…それよりライトニングは?」
よろよろと起き上がってライトニングを見ると、通路ではなく、真っ暗な部屋のようなスペースの入り口で立ち止まっていた。
「見て、アドニス君。部屋があるわ」
入ろうとして踏み出すジリアンの腕を、ブルーは引き留めた。
「待って」
「どうしたの?」
「よく見てごらん。様子が違う」
「何が?…あっ!」
言われてジリアンも気が付いたようだった。
「部屋が暗い…」
「そうだ。ここまでずっと通路は明るかったのに、その部屋はなぜか真っ暗だ…だから、ライトニングも入るのをやめたんだ」
ブルーはライトニングの隣に立って、その真っ暗な部屋を睨みつけた。
「ジリアン、気を付けて。この先は、今までのように魔力が満ちてはいないようだ」
「何ですって?」
「魔力の供給が届いているのは、この枝までという事らしい」
ブルーの言った意味は、即座にはジリアンに理解できなかった。
「枝って、どういうこと?」
「さっき、ジリアンが自分で言ったじゃない。枝分かれしているみたいだ、って」
「枝…あっ、この遺跡…まさか」
驚くジリアンに、ブルーは腰に手を当てて言った。
「そうだ。この遺跡は、巨大な『木』を表しているんだ」
ブルーは、左手を木のように広げてみせた。
「木を表している…?」
「そうだ。今までの複雑に折れ曲がったり、枝分かれしているルートを思い出してみて。まるで、木の幹から枝に向かって伝っているようなルートだったと思わない?」
ジリアンは、思い返してその通りだと思った。
「そうか、だんだん通路が細くなっていたのは、幹から枝に向かって行くのを表してたんだ」
「木を、幹から枝に伝って行くと、最後はどこに行き着く?」
「あっ…葉だ!」
「そう。この部屋はおそらく、葉にあたる場所なんだ」




