(3)ライトニング
古代の王の巨大な彫像に宿っているらしい、ジェヌセレトと名乗った霊は再び語り始めた。
『お前たちの魔力を感じて久しぶりに目を覚ました。再びお前たちが訪れるまで、私はまた眠りにつく』
「30年以上寝てたのか…」
ブルーがツッコミを入れ、ジリアンが肘で小突いた。
『この国には今、邪な影が見える。それは巧妙に隠されていて、私にも全てを見通す事はできない。注意をはらうのだ。いずれ、お前たちの前に形をなして現れるだろう』
それは、もしかして例の魔法の万年筆の事だろうか、と二人が思ったのを、また先回りしてジェヌセレトは答えた。
『いま現れているものは先触れにすぎない。繰り返すが、注意を払え。言葉や、見えているものに惑わされるな』
ジェヌセレトの言葉はどこか、カミーユが占いの際に相手に告げる言葉に似ている、とジリアンは思った。
『その問題について、今言える事はそれだけだ。もうひとつ、眠りにつく前に言っておこう。今日この日に平穏を求めるのなら、このガラスの小屋を出てすぐにお前たちの住む街に帰るがよい』
「どういう意味?」
ブルーは訊ねた。しかし返答がない。
「ねえちょっと、王さま?」
再び声をかけても、声は返ってこなかった。
「眠りについたみたいね」
「どんだけ寝るの早いんだよ」
「デートで何千年も前の王さまと会話する事になるとは思わなかったわ」
ジリアンはため息をついて笑った。魔法だとかの世界に免疫や理解がなければ、声を聞いて逃げ出していただろう。
二人が見上げる古代の彫像は、変わらず厳かに佇んでいる。しかし、よく見ると表面は荒れが目立っていた。
「王さまが言ったの、どういう意味だろう」
「あたし達、このあと西の遺跡を見に行く予定なんだけどな」
「気にする必要ないって」
ブルーは簡単に片付けたが、ジリアンはどこか引っ掛かるものを感じていた。
ガラスの巨大な温室を出ると、二人は周囲の庭園を散策した。すでに早咲きのバラが見頃を迎えており、来月には咲くであろう品種の蕾も開き始めている。
「見て、アドニス君。あたしのドレスと一緒の色」
やや黒みがかった剣弁高芯咲きの赤いバラの隣に立ち、ジリアンはニカッと笑った。明るいが時々どこか憂いも見せるジリアンに、それはどことなく重なって見えた。その時、ブルーの口をついて言葉が自然に紡がれた。
「きれいだ」
「え?」
「あっ、いや何でもない」
ジリアンは勝ち誇ったようにブルーに詰め寄る。
「いま、きれいだって言ったよね」
「バラがね、きれいだなって」
ブルーの額には汗が浮いていた。緊張するとすぐ汗をかくらしい。
「ふーん、あたしじゃなくて」
「いやその、ジリアンも…」
「あたしも、何よ?」
「黙秘権を行使します!」
「あっ、こら待てっ!」
取調べからダッシュで逃げるブルーをジリアンが追う。するとその時突然、バラの植え込みの向こうから、女性の悲鳴が聴こえた。
「なんだ?」
一瞬立ち止まったが、二人は職業柄、足が即座に反応して悲鳴の方向に向かった。
見ると、中年の身なりのいい女性が腰を抜かして倒れており、周囲が騒然としている。
「ジリアン!」
「任せて」
ジリアンは女性の介抱に回り、ブルーは周囲の人間に訊ねた。
「どうしたの?」
「引ったくりだ!あの婦人のポーチが盗まれた」
「たった今だね?」
言うが早いか、ブルーは魔法の杖を取り出して追跡魔法をかけた。たった今の事であれば、たとえ知らない人間でも追跡は容易である。
婦人が倒れている少し手前から、光の筋が人混みを突き抜けて行った。
「おーし、新魔法のテストだ」
ブルーは短い呪文を唱え、杖で両足をコンコンと叩いた。すると、両足の脚力は一気に増大し、ブルーは地面を蹴った。
「どいて!」
そう叫ぶや否や、ブルーは猫のような速さと身のこなしで、光の筋を追って駆け出した。
「あの魔法…もう覚えちゃったんだ」
倒れていた女性を落ち着かせると、走り去るブルーにジリアンはピュウと感嘆の口笛を鳴らした。
「いた!」
ブルーは、光の筋の先端にいるブラウンのジャケットの男を見付けた。周囲の人間は、引ったくりだとは気付いていないようだ。
「捕まえて!そいつ引ったくりだよ!」
ブルーが叫ぶも、相手は脚が速く周囲の人間は対応のしようがない。
「仕方ないな…ええい、詠唱も面倒だ!」
ブルーはギリギリまで引ったくりに接近すると、ひと息に地面を蹴って前方に跳躍した。
「でいやーっ!!」
ブルーの蹴りが引ったくり犯の腰椎に炸裂し、声も上げられない痛みとともに引ったくり犯は吹っ飛んで、広葉樹の木の幹に激突して気絶した。
「ふう」
ちょうど着地したタイミングで、魔法の効力は切れたようだ。あんがい自分の運動神経もそう悪くないな、と思うブルーだった。
「持続力を伸ばさないとな」
言いながら、ブルーは警察手帳を取り出して引ったくり犯に詰め寄ると、バッグを取り上げた。
「強盗の現行犯で逮捕する!」
示し合わせたようにそこへ警備の人間が二名駆け付け、ブルーは犯人を引き渡してその場を去った。警備員は、本物の警察手帳を持った不審な少年を怪訝に思いながら、引ったくり犯を連行するのだった。
「はい、おばさん」
ブルーが取り返したポーチを被害者の婦人に返すと、婦人は満面の笑みでブルーの手を握った。
「ありがとうね、坊や!立派だったわ」
「いやー、職務を遂行しただけです」
「まあ、警察官みたいね」
警察官なんですけどね、と言いたかったが、面倒なのでブルーはそのままスルーした。ジリアンがプッと吹き出す。周囲の不甲斐ない大人たちも拍手でブルーを称えた。
「ちょっと、ケビン」
「はい、奥様」
ケビンと呼ばれた付き人らしい白髪交じりの男性に、婦人は耳打ちした。ケビンは「かしこまりました」と頷いてその場を離れた。
「もし、よければこのまま昼食をご馳走させてくださいな。素敵なカップルだわ、絵に描いたよう」
「まあ、どうしましょう。でもお断りするのも失礼ですわね。ねえアドニス」
ジリアンはわざとらしくブルーの腕を組んでみせる。ミス・食い意地ことジリアンが、こんな機会を逃す筈はなかった。
「まあ、本物の刑事さんなのね」
庭園に併設された少し上等なレストランのテーブルを囲み、婦人は驚きを隠さなかった。
サンドイッチと牛ひき肉のパイ等が供され、10代の少年少女は昼食代が浮いた事も含めてありがたく、そして遠慮なく頂いた。
魔法捜査課の存在はケビンと呼ばれた付き人が知っていたらしく、いつものように怪しまれず済んだのは幸いだった。
「まあ、ではその魔法で引ったくりを捕えたのね!凄い事だわ」
「公の場で勝手に使うことは禁じられてるから、黙っててくれる?」
ブルーはヒソヒソ話をするように小声で言った。
「ええ、でも先程のあの光の筋はわたくしも、あの場にいた人達もみんな見たのではなくて?もう噂になっているのではないかしら」
「……」
ブルーは、のちのち面倒な事になりはしないかと眉間に指を当てて考え込んだ。ジリアンがそれをフォローする。
「もう、堂々としなさいな。あなたは強盗を逮捕するために魔法を使ったんでしょ。公務のためなら問題はないんじゃないの」
バン、とブルーの背中を叩いてジリアンはサンドイッチを齧った。中身はハムと、何か香辛料の効いたペーストである。悪食なジリアンも、これは美味だと思った。
「まあ、本当によくできた奥様だこと」
婦人はからかい半分に笑う。こういう会話は苦手だな、とブルーは内心で思っていたが、仕方ないので顔を引きつらせながらも調子を合わせることにした。
「ところであなた方、この後のご予定は?」
婦人が訊ねる。
「はい、この西にある古い遺跡というのを見に行こうかと思っております」
ジリアンが答えると、婦人はびくりとして付き人ケビンの顔を見た。
「あそこに行かれるおつもり?」
再びジリアンを向いて言う。
「はい。とても古くて珍しい遺跡だとか」
「ふうん…」
少し不穏な表情を婦人が見せたので、ジリアンとブルーは何事かと思わざるを得ない。
「あの…何かあるんですか」
恐る恐るジリアンは訊いた。
「あの遺跡では、たびたび人が行方不明になるという噂があるのよ。行ったことはあるけど、それを聞いてからは行っていないわ」
おお恐い、と婦人はわざとらしく身震いしてみせる。
「そういう話、警察で聞いてる?」
ジリアンの問いに、ブルーは首を傾げた。
「うーん、うちの部署にその手の話は来ないからなあ…といってデイモン警部も重犯罪の部署だし」
「都市伝説ってことかな」
婦人は恐い恐いと繰り返すので、ジリアンとブルーはそれに合わせて誤魔化したものの、内心ではやはり魔法使いどうし、むしろ行ってみたいという気持ちが強まっていた。何かあるかも知れないし、何もないかも知れない。
食事を終えて婦人と別れたのち、二人はパンフレットの地図を確認した。
「ロックウォール遺跡」
ブルーがその素っ気ない地名を読み上げる。
「歩きでも行ける距離だね」
「散歩ついでに歩いていこう」
ナタリーなら絶対に辻馬車を拾うだろうなという距離を、10代の少年少女は散策がてら徒歩で向かう事にした。
「見て、ブルーベルがまだ咲いてる」
街道を歩きながら、ジリアンは野生の花の名前を次々に言った。
「ライラックもきれい。あっ、シアノサス・トレウィザンブルー。あたしあの花好きだな」
「青とか紫とかの花、好きなの?」
「うん、好き」
そのわりにファッションは暖色系が多いような気がする。服と花はまた違うのだろうか、とブルーは思った。
「あっ、そうだ。いちおう、厄除けのおまじないしておこう」
ジリアンは道路わきに並んだブナの木の一本に駆け寄り、目を閉じて手を触れた。ブルーも隣の木に、同じように手を当てる。木の精霊の加護を得る、国の風習である。
「あんがい普通のおまじないもするんだね」
「あら、おまじないをバカにしちゃいけないわよ。こんな、何てことないタッチウッドだって」
どういう根拠があるのかわからないが、おまじないはブルーも嫌いではない。特にこれから向かうのは、何やら怪談じみたウワサがある遺跡だ。
「きっと災いから守ってくれるわ」
ジリアンが笑顔でそう言った数分後、二人はおまじないの効力をさっそく疑わざるを得ない状況に追い込まれた。それまでの晴天が冗談のように、あっという間に雨雲が天を覆い、土砂降りの雨になったのである。
「なんだよこれ!」
「あー、もう!」
ジリアンは魔法の杖を振るい、ブルーを引き寄せた。ジリアンの周囲は魔法による空気の幕が形成され、雨は弾かれて横に落ちた。しかし、足元まではカバーできないので、ローファー靴のブルーは足が濡れてしまっていた。
「あっ、あれかな、遺跡」
ブルーが指差した先には、雑に切り出された石を積み上げた遺跡らしきものが見える。
「あれだ!アドニス君、ダッシュ!」
二人は駆け落ちするかのごとく、石組みの遺跡に雨宿りするために飛び込んだ。
「いちおう雨宿りはできるみたいだな」
石組みの通路を入った所で魔法で服や靴を乾かしながら、ブルーは奥に続く闇を睨んだ。
「どういう遺跡なんだろ」
二人が入ったのはマウンドに半地下のような形で作られた、石組みの通路の入り口である。通路はそのまま地下に通じていた。石の切り出しは雑だが組み上げはしっかりしていて、雨も入らないように配慮されている。
いちおう観光ガイドにも載っている遺跡のはずだが、人気がないのかブームが去ったのか、人影も人が立ち入った様子もまるでなかった。
とりあえず二人は座れる石を見つけて、一休みする事にした。ブルーがパンフレットを開くと、遺跡の事が簡単に書いてある。
「"1000年以上前の魔術師たちが、大地の魔力を得るために築いたとされる遺跡。内部は枝分かれしているが奥は重い石の扉で塞がれており、さらに奥へと通じる道があるとされる" だって」
書いてある事をそのまま読み上げると、ブルーは伸びをして壁にもたれた。
「どうする?」
ブルーはジリアンを見た。ジリアンは顎に指を当て、何かを思案している。
「あの温室の例の王様、無事に過ごしたかったらすぐ帰れ、みたいな事言ってたよね」
ジリアンは、語りかけてきた巨大な彫像の姿を思い出していた。
「この事だったのかな」
「どうだろう」
「でも、あのまま帰っていれば雨にも当たらずにリンドン市内まで帰れたんだよね」
確かにその通りである。しかしブルーは「けどさ」と言った。
「あそこで帰ってたら、あのおばさんのポーチ、引ったくりが持って逃げてたかも知れないよ」
「なるほど」
二人はしばし無言になった。外からは強い雨の音が聴こえ、石と土の通路に盛大に反響している。とりあえずここにいれば雨は凌げそうだった。
なんとなく、今日は奥まで行くのはやめておこうか、と二人が思い始めていた時だった。
「クゥーン」
と、何かの動物の鳴き声が聞こえた。
「ん?」
ブルーが遺跡の入り口から外を見ると、可愛い鳴き声に反して精悍な顔つきの、狼のような犬が雨に濡れて佇んでいた。
「わあ!」
一瞬、飛び掛かってくるのではと身構えたが、そんな気配はなさそうだった。それどころか、濡れて可哀想にも見える。
「おい、そんなとこいたら風邪ひくぞ。おいで」
ブルーは外に出ると、その犬を遺跡の中に押して入れた。犬はトコトコと歩いて、ジリアンの脇に座り込んでしまった。
「野犬にしては妙におとなしいな」
「なんか育ちが良さそうにも見えるけど」
ジリアンが魔法で犬を乾かしてやると、犬は喜んだようでジリアンにすり寄ってきた。
「野犬ぽいけど、人を怖がらないね」
狼のような鋭い印象だが、それはそれで可愛いなと思えてきたジリアンは体を撫でてやった。さきほどの魔法で、全身のダニやら菌やらも一掃したので触っても問題はなかった。
「何歳くらいだろ。僕、犬飼った事ないからわかんないや」
「そんな歳にも見えないな。体が大きい犬種なだけで、まだ2歳か3歳くらいだと思う」
犬は少しずつ元気が出て来たようで、立ち上がってブルーに近寄ると、何か言いたそうに尻尾を振った。
「なんだよ」
「お腹空いてるんじゃない?」
「持ってないよ、食べ物なんて」
諭すように犬の目を見ながら言う。しかし、そういう事ではないような気がして、ブルーは訊ねた。
「なんだい、名前でもつけて欲しいのかい」
ブルーがそう言うと、犬は前足をブルーの膝に載せて吼えた。
「ワン!」
ジリアンがプッと吹き出す。
「名前つけてあげたら?」
「マジかよ。ていうかお前、言葉わかるのかよ」
ブルーは腕を組んで、うーんと唸った。今まで、何かの名前を決めた事などそんなにないのだ。
「名前か、うーん…マックスとか」
犬は何の反応も見せない。
「普通すぎるんじゃないの?」
「贅沢な奴だな。じゃあ…」
ブルーは、まだ盛大に聴こえる雨と雷の音を聞きながら考えた。
「じゃあ…雨の中に現れた犬だから、雷…"ライトニング"でどうかな」
ブルーがそう言った瞬間、外がひときわ明るく光り、盛大な雷鳴が遺跡に響いた。
すると突然、ライトニングと名付けられた犬は尻尾を振り回してワン、ワンと吼え始めた。
「おい、それでいいのかよ」
「ワン!」
「よし、お前はライトニングだ」
「ワン、ワン!」
すると、ライトニングは突然遺跡の奥に向かって駆け出した。
「おい!」
ブルーとジリアンは一瞬顔を見合わせ、すぐに追いかけた。
「ライトニング!戻ってこい!出られなくなるぞ!」
すでに奥深くまでライトニングは進んだらしく、奥から反響をともなって吼える声が聞こえてきた。
「何なんだよ一体!」
ブルーとジリアンは杖に光を灯すと、ライトニングを追って遺跡の中へと入って行った。




