(13)罪の対価
「俺はやってない」
予想していたというべきか、この期に及んでというべきか、ゲルト・コニング殺害未遂の現行犯で逮捕されたマシュー・アボットは、取り調べにおいて煙突掃除夫二名の殺害への関与を否定した。
薄暗い取調室の中で、年季の入った黒ずみを見せるテーブルを挟み、デイモン警部はアボットと対峙している。その右後ろの小さなテーブルに、やや背の低い書記係がペンを持って控えていた。
「ゲルト・コニングの殺害未遂は認めるんだな」
デイモン警部は訊ねる。アボットは静かに頷いた。
「動機は」
デイモン氏の声は重く鋭い。たいがいの相手はこれで怯んでしまう。しかし、アボットは全く動じていなかった。
だが逮捕時よりも頬がこけ、体力は回復したものの、血色も悪いため、表情じたいの変化がよくわからない。アボットは、ゲルト・コニングの前でも言った事を繰り返した。
「奴はかつて、俺や仲間たちを海の向こうから二束三文で買いつけ、この国や他の国で、ろくでなしの大人どもに売り付けた。散り散りになった仲間たちの多くが、炭鉱や農場、工場で病気になるまで働かされて死んで行った」
その先を続けるかと思っていたデイモン警部は黙っていたが、アボットはそれ以上語らない。
「その復讐ということか」
警部の問いに、アボットは再び頷くだけだった。
「お前はあの時、殺害の意志を示しながら杖をコニングに向けていた。つまり、あの魔法の杖が真空状態を作り出し、人を殺せる事は認めるわけだな」
「……」
「ゲルト・コニングは極度の酸欠状態にあった。あと一歩で窒息死のところで、一命を取り留めた。この理由はわからん。一方で死亡していた煙突掃除夫二名は、窒息死していた。状況から見て、お前が魔法で殺害したと見るのが妥当だ」
「偶然だ」
マシュー・アボットは、何の迷いも見せずそう言い放ったが、警部は話を続けた。
「殺害された煙突掃除夫二名は、その後の調査でゲルト・コニングから児童労働者を買い、児童は労働環境が原因の病気で死亡した事が判明している。直接的な殺害動機としてはこちらの方が大きいとわしは思うが、これも偶然だというのか」
アボットはなにも言わない。ただ、どこを向くともなく、空間を睨みつけていた。
「煙突掃除夫は煙突に詰め込まれた変死体で発見された。これはお前たちの仕業だな」
そこでアボットは小さく笑った。
「誰が、そんな面倒な事をする? 俺なら殺しても、そのまま放置して逃げ出す」
「煙突掃除が原因で仲間が死んだ事への当て付けだと考えれば、むしろ理解できるとさえ思うがな」
「どうやって、重い人間を煙突に詰め込む?そんな面倒な作業をしている間に、誰かに物音でバレるだろう」
アボットは、予想していた点を突いてきた。
「物音は、真空の魔法で出入り口や窓を遮断すれば音の伝達を防げる。お前がコニングの家に仕掛けていたようにな」
「証拠がどこにある。警官が窒息死していたのも、偶然かも知れんだろう。俺が魔法を使ったという証拠がどこにある」
もはや、アボットの態度は「シラを切っているが、それがどうした」と言わんばかりである。が、デイモン警部も一歩も引かない。
「では、なぜ魔法の杖を所持していた? あの状況で、魔法を犯行に使える人間がお前以外にいるはずがない」
すでに、容疑者と警部の対決といった様相を呈してきた。警部はため息をついて、別な資料を見る。
「お前と共に脱獄した、エルマー・フラトンはマルターンへ向かう途中に死亡していた。外傷はなく、検死によれば死因は特定できないらしい。強いて言えば、極度の疲労による心肺停止とのことだ。彼の死因は何だ?お前が殺したのか」
「やってねえ!」
その反論には怒気がこもっていた。自分の仲間に対する意識はあるらしい。デイモン警部は質問を続けた。
「だが、お前は死体を放置して、魔法の杖も取り上げてコニングのもとへ向かった。なぜだ」
「あいつの分も俺が恨みを晴らしてやろうと思っただけだ! それが仲間たちへの弔いなんだ」
「なるほど。では、フラトンの死因は何だ?なぜ彼は移動中に死んだ」
「知るかよ! 突然、咳き込んで胸を押さえて苦しみ出した。振り向いたら馬から落ちていたんだ」
その時、書記の刑事が少し振り向きかけて、すぐに姿勢を元に戻した。
デイモン警部は、なるほど、とだけ言ってまた違う資料を開く。
「ブライト銀行の金庫から金を盗んだのはお前達だな?」
「知らないな」
「盗んだ金は、魔法の杖を買った代金にも充てたはずだ。残りは着服したのだろう」
「何を言っているのかわからないな。俺から取り上げた物の中に、どれほどの大金があった? なけなしの小銭があっただけだろう」
アボットは自信ありげに笑みを向けたが、デイモン警部は鋭い眼光でそれを斬った。
「マシュー・アボット。脱獄囚が、なぜ僅かでも現金を持っている?」
それは、ごく小さな問題に思えたが、大きな意味をはらんでいた。
「お前は脱獄を認めざるを得ない。収監中の身で、外で逮捕されたのだからな。そして、確かにヘヴィーゲート監獄はやや特殊な場所だとはいえ、基本的に獄中に現金を持ちこむ事は禁止されている。お前は、脱獄した時には無一文だったはずだ」
アボットは、わずかに動揺したらしかった。
「もう一度聞くぞ。その、『なけなしの小銭』はどこで手に入れた? タバコ屋の店主でも脅してぶん取ったのか? そんな報告は上がっていない」
デイモン警部はあたかもボクサーが相手の隙をついて、効果的な連続フックを仕掛けるように問い詰めた。
「お前は脱獄したのと同じ方法を用いて、ブライト銀行の金庫に入り金品を盗み出した。中が必要以上に荒らされていたのは、暗くてほとんど内部が見えず、あるものを手当り次第に掴んで懐に詰め込んだからだろう。金品以外の品物までなぜか消えていたのは、そのためだ。違うか」
そこまで言われて、さすがにアボットはたじろいで、即座の反撃には窮しているようだった。
「その金で、まずお前たちは魔法の杖の代金を支払った。残りの金はどこかに隠しているのだろう。これはわしの予想だが、マルターン市内のどこかではないか? ゲルト・コニングを殺害したのち、金を回収して港から国外に逃亡をはかる計画だったとわしは見ている」
デイモン警部の追求は止まらない。しかし、アボットは動揺の色を見せてなお、踏ん張る気配をみせた。
「そんなものが発見されていない以上、俺は無実だ」
「無実だと? どのみち脱獄の罪で再び収監されるというのに。そもそもが、強盗目的で殺人を犯して収監されたという事実さえ忘れたか!」
デイモン警部の一喝で、今度ばかりはだいぶ精神的に打撃を受けたようだった。アボットの反論にもいよいよ綻びが見えてくる。
「ふん、何を言ったところで、俺が魔法で何かをしたという証拠はない。金庫に侵入した証拠も、煙突に死体を詰めたという証拠もな」
ここで、書記係のテーブルから突然、少年の声がした。
「あーあ、言っちゃったね」
それは、ゲルト・コニングの寝室で自分に杖を向けた、あの少年の声だった。書記は重犯罪課の刑事ではなく、アドニス・ブルーウィンドであったのだ。
「お前、あの時の…」
「オジサン、今『煙突に死体を詰めた証拠』って言ったよね」
ブルーは席を立つと、腕組みしながらコツコツと床を鳴らして歩み寄る。
「どうして、煙突に詰める時点で被害者が死んでたって知ってるの?」
その指摘は、胸元に軍用サーベルの切っ先を突き付けられたかのように、マシュー・アボットを硬直させた。
「デイモン警部は、煙突掃除夫が『いつ』死んだかなんて一言も言ってない。煙突に詰められた後で、窒息させられたのかも知れないじゃないか。にもかかわらず、オジサンは『死体を詰めた証拠』と表現した。これって、先に窒息死させておいて、煙突に詰め込む作業をした人でなければ、出てこない表現だよね」
「うっ……く」
「司法解剖で、暖炉の煙を吸う前に窒息死していた、というのは判明してるんだ。なぜ先に殺したのか?それは、煙突に入れて焼き殺せば、苦痛で叫び声を上げられる恐れがあったからだ。先に真空魔法で窒息死させれば、悲鳴が聞こえる心配はないからね」
ブルーの論理は完璧であり、すでにアボットに反論する余地はなかった。デイモン警部がテーブルに掌をバンと置く。
「どうだ、アボット。まだシラを切るか」
「うおおおーー!」
アボットは手錠をかけられたままで立ち上がり、破れかぶれでブルーに向かって突進した。
「このガキが! てめえなんぞに!」
デイモン警部がブルーの前に立ちはだかろうとするが、ブルーはそれを制止して、懐から取り出した魔法の杖を差し向けた。
「『突き抜けよ!』」
ブルーが呪文を唱えると一閃、まばゆい光が杖からほとばしり、マシュー・アボットの身体を包み込んだ。
ブルーがヒラリと突進をかわすと、アボットの身体はブルーが座っていた小さなテーブルの天板と側板を通り抜け、その身体は折り畳まれてテーブルの下に押し込められてしまった。
「ぎゃあああ!」
骨折こそしていないものの、だいぶ無理な姿勢で頑丈なテーブルの下に押し込められたアボットは、苦痛の叫びをあげた。ブルーはその様子を無慈悲に見下ろしながら言った。
「これが、お前達が煙突に掃除夫の死体を押し込めた方法さ。壁抜け魔法は強制的にあらゆる物を通過させる。その特性を利用して、死体を無理やり狭い煙突に押し込めたんだ」
「なるほど、煙突に側面から魔法で押し込めたために、煙突内を縦に引きずって擦れた跡がなかった、という事か」
「そう。そして強固な煙突に押し込められた死体は当然、その形に合わせて無理やり変形させられる。一件目の死体のようにね」
呻き声を上げるアボットを無視して、ブルー達は推理を展開する。何事かと飛び込んできた他の刑事達は、取調室で何が起きているのか理解するのに暫しの時間を要したのだった。
「アボットさん、その姿勢キツイよね。吐いて楽になったら?」
ブルーは全く容赦がない。
「吐く! 全部俺たちがやった! その警部が言ったとおりだ!」
「あーらら、吐いちゃった。みんな聞いたよね?」
ブルーは、振り向いてデイモン警部や飛び込んできた刑事達に確認を取る。ブルーの非情さに呆気に取られる彼らは、首を縦に振るしかなかった。
「よし、助けてやる」
ブルーが杖を一振りすると、アボットの身体はスポンとテーブルを抜け、哀れにも取調室の床に投げ出された。
「確保!」
デイモン警部は、刑事たちに命じた。
「マシュー・アボット! 公務執行妨害の現行犯で逮捕する!」
アボットは新たな罪状を追加されると、即座に両腕を刑事たちに拘束され、床に座らされた。
「よし、連れて行け。続きは明日だ」
デイモン警部の命令で刑事二人がアボットを立ち上がらせ、再び拘置所に連行しようとした時だった。
「ちょっと待って。聞きたい事がある」
ブルーがそう言って、自分が取り調べのテーブルの椅子についた。刑事たちが、デイモン警部の顔をうかがう。
「かまわん。座らせろ」
警部の許可で、アボットは痛みできしむ足を曲げて椅子に座らされた。
「さっき、エルマー・フラトンが咳き込んで胸を押さえたって言ったよね」
ブルーは、一三歳の少年とは思えない落ち着きで、目の前の殺人犯に対峙した。
「これは僕の推測だけど、ひょっとして、もっと早い段階から、あんた達には咳とか、胸の痛みといった症状が出てたんじゃないかな」
「!」
その質問に、アボットは明らかに反応を見せた。思い当たる事があるらしい。
「……あった。俺にも咳が出た」
「それ、魔法を使い始めて以降じゃない?」
ブルーの指摘に、アボットは記憶を辿った。そして、ハッとして目をむき、ブルーを見た。
「やっぱりね」
「どういうことだ」
「あんた達が使った魔法は、どちらも非常に高度な魔法でね。熟練の魔導師でなきゃ、本来使えないものなんだ。それは非常に精神力を消耗する。何年も魔法の修行をして、十分な魔力を保っていない人間があの魔法を使うと」
そこでブルーは言葉を途切れさせ、アボットの目を見た。
「……どうなる」
「体にダメージが行くのさ。気管支や、心臓がまず真っ先にやられるだろうね」
「なんだと……!」
アボットは立ち上がろうとしたため、刑事たちに押さえつけられた。ブルーが言ったその症状は、まさに彼らが襲われたものだったのだ。
「あの男、そんな事はひとことも言わなかったぞ!」
「黒いコートの男かい」
「なぜ知ってる! ゴホン、ゴホッ」
アボットは激昂したためか、再び咳がぶり返したようだった。
「どうやって現れた? その男は」
ブルーは真剣に、かつ興味深げに質問した。
「あいつは……突然おれの独房に入って来た。壁をすり抜けてな。そして……」
「あの杖を売り付け、犯罪を教唆してきた、というわけか」
ブルーは、腕組みして下を向きながら考え込んでいた。すでに、アボットの事など眼中にないように見える。
「そうだ……奴は杖の代金の支払いの時、突然代金を値下げしてきた。”危ない事を注文している詫びに割引する”みたいな事を言ってやがった、うぐっ、ゴホッ!」
咳き込みながら、アボットは男の言葉を思い出していた。
「あれは、つまり……」
「あんた達はおそらく、あの魔法の万年筆の実験台にされたんだ。普通の人間の人体にどういう影響が出るのか、あの黒いコートの男とその組織によってね。ゲルト・コニングに対して使った魔法でコニングが死ななかったのは、すでにあんたの体力が限界を迎えていて、十分に魔法を発動する事すらできなかったからだ」
「そんな……バカな! うごっ、ゴボッ!」
ブルーはこれ以上は危険だと判断し、椅子を立ち上がった。
「ここまでかな。警部、あとはお任せします。魔法捜査課が知りたい情報はすでに確認しました」
「うむ。おい、病院に連れて行け。明日の取り調べは見送りだな」
刑事に指示しながら、デイモン警部はハットを被った。
取調室を出ようとするブルーを、デイモン警部が呼び止めた。
「ブルー、一体この国で何が起きているのだ」
デイモン警部は、神妙な面持ちでブルーの目を見ながら訊ねる。ブルーはいつになく真剣な表情を見せた。
「それを僕らも調べているところです。まだ、何もわかっていません」
「ひとつ訊ねていいか。今更かも知れんが……君は一体、何者なのだ」
デイモン警部の問いに、ブルーは立ち去る前にごく短く答えた。
「アドニス・ブルーウィンド。刑事です」
◇
オールド・ストリート三一〇番地に、六階建てのやや古いビルがある。その二階のドアに、いかにも取って付けました、といった風情のボードがかけられていた。
【モリゾ探偵社】
「ただいまー」
カラカラとドアベルを鳴らしながら、羽根つきハットの少女がそのドアを開けて入って来た。
「お帰りなさい」
奥のデスクに座って新聞を読んでいた銀髪のボブカットの女性が、にこやかにハットの少女、ジリアンを見る。
「見積書と請求書、渡してきたよ」
「ご苦労様。いい紅茶を買ってきたの、いただきましょう」
銀髪の女性は立ち上がると、杖を優雅にクルクルと回した。すると、何もなかった空間に一瞬でアフタヌーンティーセットが現れ、上等な紅茶の香りが探偵社の事務所に満ちた。
「どうでした? 彼は」
紅茶をカップに注ぎながら、銀髪の女性はジリアンに訊ねた。ジリアンは答える。
「うん。本物」
「そうですか」
「あたしなんかとても敵わない」
少し残念そうに、しかし楽しそうにジリアンは言った。
「気に入ったみたいですね」
湯気の立つカップを載せたソーサーをジリアンに手渡しながら、女性は微笑む。
「うん。カミーユも気に入ると思うよ」




