(12)カミーユの思惑
のちに、「ヘヴィーゲート刑務所脱獄連続殺人事件」という長ったらしい名称で記憶される事になる今回の事件は、捜査に当たった人々にとっても、あまりにも様々な要素を含んでいた事で記憶に残る事件だった。
捜索中に死体で発見された脱獄囚の一人エルマー・フラトンの遺体は、メイズラント警視庁管理下にある病院に移送され、検死と司法解剖に回された。もう一人の、もと人身売買業者ゲルト・コニング殺害未遂で逮捕されたマシュー・アボットは、極度の疲労と吐血、気管支の異常により事情聴取ができる状態ではなく、同じ病院に入院して回復を待つ事になった。
殺害されかけたゲルト・コニングは酸欠によって一時危険な状態だったが、マシューの発動した真空魔法がなぜか完全に効いてはいなかった事が幸いして、一命は取り留めたものの、病院側の判断で事情聴取は遅らせるとの事である。
そんな状況もあり、携わった捜査員たちはその日の午前中は休養を許可され、昼過ぎになって眠い目をこすりながらようやく出勤してきたのだった。
メイズラント警視庁本庁の地下、魔法犯罪特別捜査課のオフィスに、いつもの三人が夜通しの捜査で疲れた体を引きずって集まった。
「おあよー」
一番遅れてきたブルーが、欠伸をしながらだらしなくデスクにもたれかかる。いつもならナタリーから背筋を伸ばせと言われるところだが、そのナタリーも深夜に及ぶ捜査でさすがにダウンしていた。
「重犯罪課の人達いますれ違ったけどピンピンしてたよ」
ブルーは感心しているのか、呆れているのかわからない口調で呟いた。
「あいつらは半分歩兵部隊みたいなもんだ。俺たちとは鍛え方が違う」
眠気覚ましに、いつもの紅茶ではなく濃い目のコーヒーを飲みながらアーネットが言う。
「俺だってここの前はあそこにいたんだからな。お前たちよりは平気だ」
そう言われてみれば、アーネットだけは他の二人に比べて比較的ピンとしている。この三人の中で一番刑事らしい経歴を持っているだけあった。
「君らも鍛えないといかんな」
「鍛えてる間に倒れそう」
ぼやきながらナタリーは、デイモン警部から回って来た簡単な一次報告をピラピラと示した。
「まだ事情聴取も何もできない状況だから、まともな情報が揃ってないけど。例の道端に倒れてた方、どうも気管支からの喀血が見られたみたい」
「カッケツ?」
ブルーが訊ねる。
「簡単に言うと、気管支からくる出血。よく吐血って言うけど、あれは食道とか胃からの出血よ」
「病気持ちだったの?」
「うーん、例のヘヴィーゲート監獄の資料にはそんなのなかったのよね」
ナタリーは他の二人よりは医学の知識があるとは言え、あくまで素人よりはいくらか知っているという程度なので、それ以上は何とも言えなかった。
「そういえば、もう一人の方も血を吐いてたよな。脱獄囚が揃って血を吐いてるって、不自然じゃないか」
アーネットの言う通りだ、と他の二人も考えた。もし、マシュー・アボットがあの場面で倒れていなければ、とうの昔にゲルト・コニングは殺害されていたはずだ。
「ゲルト・コニングの容態は?」
アーネットが訊ねる。
「あと二日くらいは入院が必要」
「なるほど」
アーネットは、飲み干したカップを置いて天井を見た。
「よし、ブルー。行くぞ」
「えー」
「露骨に動きたくなさそうな顔するんじゃない。例の押収物を確認しに行くんだよ」
無理やりブルーを立たせると、アーネットに引きずられるようにしてブルーもオフィスを後にした。
本庁の重犯罪課の保管室に、今回の事件で押収されたいくつかの物品がまとめられていた。といっても数は少なく、脱獄囚が所持していた現金や煙草などの小物類だけである。
が、その中に一つだけ、極めて重要なものがあった。例の、魔法の万年筆と思われる品物である。専門部署の手で検証する必要があるため、魔法捜査課が引き取りにきたのだ。
「あった。これだ」
アーネットが一本の棒状の品物を持ち上げる。それは、マシュー・アボットが所持していたもう一本の魔法の杖だった。ゲルト・コニングの寝室でマシューが使用していたものと同じ、万年筆の軸に杖の先端部を取り付けたものである。軸を含めると、全長は25cm程度になる。ブルー達が使う魔法の杖と大差ない。
「今までのと違うね」
ブルーは間近で観察して、軸部分が今まで押収した万年筆と同じものである事を確認した。
「これは…どうなってるんだ?」
アーネットは、その先端部分を引っ張ってみた。すると、ペンのキャップよりだいぶ強固にはまるように作られており、振り回した程度では全く抜けない事がわかった。ひねるように力を入れて回すと、先端部が抜けて万年筆のペン先が現れた。
「やっぱり、基本はあの万年筆なんだ」とブルー。
「見ろ」
アーネットが並んだ押収物を見ると、外された万年筆のキャップだけが二つあった。
「これはつまり、万年筆にオプションとして付けられた先端部という事になるのか」
「二本分あるね。もう一本は…」
押収物の横に、ブルーとジリアンの魔法で粉砕された万年筆の破片が申し訳のように並べられていた。
「あの時、マシューは僕らと同じように、杖として振るって呪文か何かを唱えようとしていた。今までの魔法のペンは、自分の名前を書くことで発動していたのに」
「つまり、このペンを作った奴らが、新しい発動方法を開発した、という事なのか?」
二人はとりあえずキャップも回収すると重犯罪課に顔を出し、魔法捜査課が検証のため魔法の万年筆一式を引き取って行くことを告げると、同課をあとにした。
魔法捜査課に戻って、三人による謎の魔法の杖の検証が行われた。その結果わかったのは、万年筆部分は過去に押収されたものと同じ形状だが、それらと同じように自分の名前を書いても、魔法は発動しない事だった。よく見ると軸の装飾のリングが、従来のペンは金色だったのに、今回押収したものは銀色で区別されている事もわかった。
「これは、やはりオプションの先端部を装着しないと発動しないという事なのか」
アーネットは腕を組んで頭を悩ませた。
「なんとなく、”試作品”みたいな雰囲気があるよね。いかにも取って付けました、みたいな」
ブルーの印象は他の二人も同様だった。
「どうやるんだろ」
ブルーは、試しにオプションの先端部を取り付けて色々唱えてみた。しかし、全く発動しない。
「じゃあ、名前を書くみたいに、名前を言えばいいのかな。”アドニス・ブルーウィンド”」
そう言って、テーブルの上にある空のカップをコンと叩く。
すると、カップはテーブルの天板をすり抜けて、勢いよく下に落下し、床に叩きつけられて粉々に割れてしまった。
「わあ!」
全員が驚いて、何の罪もないカップの破片を避けるように退いた。
「これだけでいいのかよ!」
ブルーはツッコミを入れながらも、驚愕の色を隠さなかった。
「信じられない…こんな高度な魔法が、誰でも使えるなんて」
「貸してみろ」
今度はアーネットが杖を手に、割れる心配がなさそうな新聞紙に杖を当てた。
「”アーネット・レッドフィールド”」
すると、やはり新聞紙はストンとテーブルの下に通り抜けてしまった。
「マジかよ」
「これで、ひとつ検証ができたわね。壁抜けの魔法っていう仮説は立証されたわ」
ナタリーは検証の結果を手書きで簡単にまとめる事にした。マシューの取り調べの際に使えるだろう。
「ゴホン、ゴホン」
アーネットが、何やら突然むせるように咳き込んだ。
「ちょっと、徹夜がたたって風邪ひいたんじゃないわよね。うつさないでよ」
「ひどい扱いだな」
「感染症を甘く見ちゃいけないの」
ナタリーの講義は長くなるのを二人とも知っているので、杖の検証を続ける。
「これ、犯人から直接身体検査で押収したものだよね。言い逃れの心配はないな」
ブルーはそう言ったが、アーネットは慎重だった。
「あいつらはどんな言い逃れでもするからな。追い詰められた政治家と一緒さ」
「その時はどうするの?」
「そりゃあ、証拠を積み上げて、吐くまで追求するんだよ」
魔法犯罪も最後は犯人を自白に追い込むだけだ、他の犯罪と変わらない、とアーネットは言った。ただし、その追い込む作業がだいぶ他の犯罪に比べてハードルが高い。まず、味方のはずの警察に魔法を納得させる所から始めなくてはならないのだ。今後待ち受ける取り調べの難儀さを想像して、ブルーとナタリーはウンザリした。
「とりあえず、今日はあまり動かないで帰りたいわ。全然眠り足りない」
時計を見ると、まだ午後2時半にもなっていない。
その時、ドタドタと勢いのある足音が地下の廊下に響いてきた。
「ん?」
アーネットは一瞬、あまり会いたくない人物が来たのではないかと身構えたが、リズムが明らかに若い。一体誰だろうと思った瞬間に、バンと勢いよくドアが開けられた。入って来たのは羽根つきのハットにハーフコート、ニッカポッカをブーツに入れた、ロングヘアをなびかせた少女であった。
「やっほー!」
それは、つい昨日突然やってきて、殺人犯の追跡に夜中まで同行する事になった自称魔女探偵、ジリアン・アームストロングであった。
「げっ!」
ブルーはのけぞって本棚の陰に隠れる。ジリアンはお構いなしにブルーに迫る。
「あーっ、何かなそのリアクション。せっかく会いに来てあげたのに」
「呼んでないし!」
「あたしが来たいから来たの」
ブルーを壁に追い詰め、右手でブルーの退路を断つ。
「ブルー、諦めろ。お前もうその子に完全マークされてるぞ」
完全に他人事の体でアーネットは、押収した魔法の杖を観察する。
「あっ、それ昨日あいつから押収したやつね。なんかわかったの?」
「外部の人間には教えられない決まりだが」
アーネットはそこまで言って、
「君はもう、半分この課の人間みたいなもんだ」
と、杖を分解してジリアンに見せた。
「たった今検証が終わったところだ」
アーネットは、さきほど検証した新型の魔法ペンの使い方をジリアンに説明するために、同じように書類の束を、テーブルの天板を通過させて見せた。
「へえー」
「ごほん、ごほん」
再びアーネットが咳き込む。
「ちょっと、風邪ひいたの?」
ジリアンは露骨にアーネットから退ってみせた。
「引いてねえよ。寝不足で体調が悪いんだろ」
そう言ってデスクにつくアーネットを、ブルーが何か神妙な面持ちで見ていた。
「あたしもやってみていい?」
今度はジリアンが、もう少し大きな物を試したいとの事で、椅子を壁に押し付けた状態で杖を向けた。
「”ジリアン・アームストロング”!」
杖の先端がわずかに輝いて、椅子は淡い光に包まれ、一瞬で壁を通過して廊下に抜けてしまった。地下の廊下に、椅子が壁を直撃する音が盛大に反響する。
「僕の椅子!」
ブルーは慌ててドアの外に出る。椅子は壊れてはいなかったが、壁の板張りに凹みができてしまっていた。
「ふうー」
「けっこうな勢いだったな」
アーネットが感心するように眺めている。
「これなら、人間が壁を抜ける事もできるね」
ジリアンはそう言ったが、ブルーはその杖を取り上げた。
「人体でのテストは何が起きるかわからない。遊び半分でやっちゃ駄目だよ」
と、杖を紐のついた袋に入れてしまった。
「魔法を甘く見ちゃいけない。使い方を間違えれば命を落とす事もある」
いつになく真剣なブルーの説得に、他の三人は若干気圧されて小さく頷くのだった。
「あ、そうだ」
思い出したようにジリアンが言った。
「本当言うと、ただ遊びに来たんじゃないんだ。デイモン警部に、犯人を捕まえたあとの帰りがけに呼び止められてさ。今回の捜査、正式にモリゾ探偵社に依頼した事にするから、見積を出してくれって言われて、今届けてきたところ」
「ほんとか。そりゃよかったな」
アーネットは安心したように言った。ポケットマネーを使わなくて済んだからではなく、昨夜大変な目に遭わせた事に対して、正式に依頼料を払うべきではないかと思っていたのだ。
「まあ、探偵社のいい宣伝になったよ。今後も依頼する事があるかも知れないから、よろしくってさ。これ、取っといて」
ジリアンは、探偵社の名刺をアーネットに手渡す。所在地はオールド・ストリート310番ビル2Fとある。警視庁からは1km少しといった所だ。
「以前の占い舘はどうしたんだ」
「あそこ?カミーユがまだ自宅として使ってるよ。あたしも一緒に住んでる。実を言うと、暇なときは占いもやってるんだ」
「ふうん」
何気なく相槌を打ったアーネットだが、ふと思い出した事があった。先日の夕刻、単独で捜査をしていた時に、馬車が側溝にはまっていた男のセリフだ。
「ジリアン。今、カミーユってひょっとして、髪を銀髪に染めてたりするか」
「え、どうして知ってるの?うん、魔法で銀色に染めてるよ」
アーネットは、昨夜あった出来事を話した。
「へー、そうなんだ。所長もよくわかんない行動する人だからね。何してたんだろ」
ジリアンは顎に人差し指を当てて首を傾げる。ブルーはその仕草を、ちょっと可愛いなと思ってしまった。
すると、アーネットは少し真面目な顔でたずねた。
「ジリアン。そろそろ話してくれないか。カミーユが君を僕らと接触させた理由を」
アーネットがそう言うと、ブルーとナタリーもジリアンを見た。
「まず、まだ話せない事がある、と断ったうえで、話せる範囲で言うね」
わかった、とアーネットは頷いた。
「まず、カミーユは魔法犯罪の現状を知りたがっている」
ジリアンは言った。
「カミーユは”魔女”と呼ばれる立場にある。これについては、あとでアドニス君にでも聞いて。そして、彼女はその立場から、魔法犯罪と呼ばれる出来事を無視できない」
「探偵社を設立した本当の理由はそれか」
アーネットの問いに、ジリアンは答える。
「そう。当然、彼女自身で調べられる事に関しては独自に追跡調査もしている。けれど、いくら優れた能力を持った魔女だからって、結局のところ個人では動ける範囲も時間も限られてしまう」
「どこまで調べている?カミーユは。例えば、例の魔法ペンを流通させている連中についても追ってるんだろう」
「もちろん。けれど、さすがのカミーユでも、その組織については全く掴めていない。それはおそらく、カミーユ並みの魔法使いが組織にいるからだと思う。ガード固いらしいんだ」
それは当然だろうな、とブルーは思った。魔法を知り尽くした人間でなければ、あんな代物を拵えることはできないだろう。
「魔法のペンに関しては、片っ端からそっちが押収しちゃったから、私達は全然知らなかった。魔法を社会に広めている連中がいるらしい、という事しか掴んでいなかったの。カミーユは実のところ、”魔女の制約”に縛られている。そちらが警視庁の規約に従ってしか魔法を捜査に使えないのと同じく、カミーユにも制約がある。その意味では、私が最も自由度が高い立場にある」
「君は魔女ではないのか?」
「魔女だよ。ただし非公認の魔女。カミーユの魔法を勝手に勉強した、という事にされてる」
何だ、それは。そもそも魔女とは何なのだ、とアーネットとナタリーは思った。
「それ、よく知らないが、まずいんじゃないのか?」
「なんかね、黙認されてるみたい」
「誰に?」
アーネットは当然の質問をした。カミーユが縛られている制約を、ジリアンに対しては黙認している、それは一体どこの誰なのか。ジリアンは答える。
「そこ。それが教える事ができないって言ったポイントよ。これについてはまだ話せないんだ。そのうち、カミーユが直に話してくれるかも知れない」
どうやら、そのうちカミーユに再会しなくてはならないらしい。
「ジリアン、ひとつだけ、一番重要な事を聞く。君たちの…モリゾ探偵社の目的は、魔法犯罪から社会を守る事、秩序を守る事だと、そう理解していいんだな」
「まあ、ざっくり言えばそうだね。厳密に言えば若干違う所もあるけど、最終的な目的は一緒だと思ってもらっていい」
「わかった」
アーネットはそれだけ言うと、ジリアンの前に進み出た。
「改めて、今後の貴社との良好な協力体制を築いていきたい。よろしく」
差し出された手に、ジリアンはガッチリと握手をした。
「よろしく。社を代表して」
そこで、アーネットは気になる事を質問した。
「ところで、モリゾ探偵社って所員は何人いるんだ。まさか君一人なのか」
「実はね、あたしの他にもう一人、魔女がいるんだ。あたしのひとつ上。そのうち紹介するね」
そいつもジリアンみたいな性格なのだろうか、とブルーは想像して戦慄を覚えた。
その日はそれ以上の事は何もなく、その後数日を待って、マシュー・アボットへの取り調べが行われる事になるのだった。




