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(10)嵐の前の旋風

 先行する捜索チームがデイモン警部のもとに一旦集合し、脱獄囚二名の潜伏先を突き止めるために出発してから十数分が経過した。馬車では相手に気付かれるおそれがあるため、徒歩の警官や刑事が農道に整列する様は、それなりに圧巻である。これからパークウェイ街道と呼ばれる、リンドン市街地から北側へ抜ける長い街道の手前にある、池の一帯で捜索が行われる。ようやく警部率いる第二陣も人員が揃いつつあり、魔法捜査課とともに追って出発する予定である。


 魔法捜査課の三人は、それぞれどう動くかを話し合っていた。

「ナタリー、例の人身売買業者、『悪魔』の調査はやはり朝になってからか」

 アーネットが差し入れの、何かのパイをかじりながら訊ねた。一応味はあるが、材料は不明である。

「ダメ元で情報局の例の彼女に頼んでみたら、できる範囲で調べるけど、今夜中は期待しないでって言われた」

 それでも夜中に連絡がついたのか、とアーネットは思った。ナタリーの情報網は謎が多い。

「情報が入ったら、私に伝えてくれる手筈になってる」

「君がこっちの現場にいてもか」

「こういう時のための魔法よ。一時的にだけど、情報局の彼女と私を通話魔法で繋げられるように準備してきた」

 さすがナタリー、抜かりはない。そして情報局の彼女とは誰なのか。聞かない方がいいな、とアーネットは思った。

 その時、アーネットはブルーが何か難しい顔をしている事に気が付いた。

「どうした」

「うん…何か胸騒ぎがするんだ」

「珍しいな」

 軽口を言ってみたアーネットだが、そういう自分自身、何か引っ掛かる所があるのを思い出した。

「さっき、現場で倒れていたっていう警官のことか」

「うん、それも関係するかも知れない」

「外傷なし、脈拍異常で倒れてたんだよな」

 それを聞いていたナタリーが、横から会話に入ってきた。

「それ、酸欠の症状じゃない?」

「なんだと?」

「私、少しだけ医学もかじってるけど。極端に言えば、窒息すると短時間のうちに脳に酸素が行かなくなって、意識を…」

 そこまで言ったところで、ブルーが

「あっ!」

 と声を上げた。

「何てことだ…こんな単純な事に気付かなかったなんて」

「何がだ?」とアーネット。

「何が、じゃないよ。殺された煙突掃除夫の死因、思い出して!」

 そこでナタリーもアーネットも「あっ」と声を同時に上げた。

「窒息死!」

「そうだよ!つまり…」

 そこへ、さっきから黙っていたジリアンが口を開いた。

「被害者と、倒れていた刑事は同じ魔法によって攻撃を受けたという事ね」

 いつになく真剣な表情のジリアンが、一歩進み出て言った。

「ブルー、ひょっとしてもう答えが出てるんじゃないの?」

 それは、ジリアンがブルーに問い掛けた「風の魔法」というキーワードを指していた。ブルーは、アーネットの癖がうつったかのように、顎に指を置いて考え込んでいる。

 そして、突然目を見開いて「大変だ!」と全員の顔を見渡して言った。

「ジリアン!!」

 ブルーは、おもむろにジリアンの手を取ると馬車の方に駆けだした。

「ちょっと、なに!?」

「さっき出発した警官隊がやばい!」

「何ですって!?」

 呆気に取られるアーネットとナタリーをよそに、二人は馬車に近付く。しかし現在馬は休ませてあり、御者も離れた所にいた。

「あーくそ、何やってんだよ!」

 地団駄を踏むブルーの肩にジリアンは手を置いた。

「急ぐのね?」

「ああ、そうだ。出発した警官隊に追いつかないといけない」

「わかった」

 ジリアンは魔法の杖を取り出し、地面に向けて何か短い呪文を唱えた。

「カミーユから教わった魔法」

 そう言うと、杖の先端から一筋の光が伸び、地面でぶつかって弾け、二人の足を包み込んだ。


「女の子にリードされるのも悪くないと思うよ!」


 今度はジリアンがブルーの手首をがっちりと掴み、

「せーの!」

 と掛け声をして、一気に足を踏み込んだ。

「うわわわっ!」

 二人の体は農道に沿って、ひと跳びで10m近くジャンプした。二人の髪が冷たい夜風になびく。

「これ…この魔法!」

 ブルーは驚愕した。それは、まだブルーが学んでいない種類の魔法である。

「肉体と感覚を強化する魔法よ!」

 二人は、待機しているデイモン警部たちを飛び越えて、まるでチーターのように駆け抜けて行く。見ていた者たちは、ただ唖然とするだけである。

 ものすごいスピードで走る感覚に、ブルーはなんとか追従するのが精いっぱいだった。前方は月明かりがあるものの、夜の闇である。道はかすかに見えるのみだった。

「ブルー、明かりをつけて!」

 焦るブルーをお構いなしに、ジリアンの無茶ぶりが飛ぶ。

「え!?わ、わかった!」

 とてつもないスピードで走りながら、ブルーはなんとか短い呪文を詠唱し、前方に向かって光の球を杖の先端から放った。それは一定の距離でブルー達の前方に留まり、二人の前方を煌々と照らし出した。


 ブルーとジリアンが駆け抜けたあと、取り残された大人たちは状況を把握するのに務めた。

「さっき、あいつ警官隊が危ないって言ってたよな」

 アーネットはナタリーに確認する。

「言ってたわね」

「つまり、また同じような被害に遭うかも知れないってことか」

「でも、今度は慎重に行くでしょう、警官隊だって」

 しかし、アーネットはそれに同調しなかった。

「ブルーはきっと、殺害に使われた魔法を解き明かしたんだ。そして、それが追跡する警官隊に対して使われるに違いない、と踏んだ」

「だから飛び出したってこと?」

「そうだ」

 アーネットがそう結論づける横で、デイモン警部らは第二陣を出発させようとしていた。アーネットは慌てて警部に駆け寄る。

「警部、出発を待ってください」

「なんだと?」

「ブルーから連絡があるまで、待機してください。あいつは、魔法の正体を突き止めました。このまま闇雲に進めば、さっき倒れていた刑事たちと同じ事になるでしょう」

 


 ブルーとジリアンは走り続けていたが、警官隊は予想外に足が速かったようで農道を進んでも見当たらず、すでに起点となる池に到達しているらしかった。

「まずいな…」

「ねえ、アドニス君。魔法を解き明かしたんでしょ」

 走りながらジリアンはたずねた。ブルーはようやくスピードに慣れてきたようで、ジリアンの方を向いて言った。

「僕の推測だけどね。あの魔法は…」

 そう言おうとしたところで、ブルーは何か明りが見えるのに気が付いた。左手方向の奥だ。

「あれは…なんだ?」

 夜闇でわからなかったが、どうやら池の管理小屋のようだった。水面にはボートも浮いている。その小屋の中に小さな明りが見えた。

「あれは…」

「まさか、脱獄犯?」

「いや…」

 潜伏している時に、こんなに目立つように明りをつけておくとは思えない。かといって、こんな深夜に池の管理人がいるはずもない。だとすれば。

「罠だ!」

 ブルーは断言した。

「え!?」

「脱獄犯だよ!警官隊をおびき寄せるために罠を仕掛けていたんだ!あそこに脱獄犯はいない」

 ブルーは叫んで、足を一気にその小屋の方角に向けた。

「ちょっと!」

「ジリアン、見て!」

 ブルーは小屋の方を指差す。池にかかる橋から、じりじりと小屋に忍び寄る人影が四つ見えた。脱獄犯ではない。

「警官隊だ!」

 ブルーは焦った。最悪の想像が的中した。ジリアンもそれを理解したようだった。

「どうすればいい!?」

「警官隊をどかすんだ!」

「どかせばいいのね!」

「そう!」

 二人は杖を構え、だいぶ焦りが混じった表情で、力強く微笑み合った。

 見ると、警官隊はすでに小屋の戸に手をかけ、一気に全員で飛び込もうとしている。まずい。

「いくよ、ジリアン!」

「おっけー!」

 二人は手をがっちりと組み、魔力を高める。青いオーラとピンクのオーラが混じり合い、鮮烈なマーブル模様を作り出した。


「「サイクロン!!!」」


 突き出した二人の杖の先端から、一陣の強烈な旋風が巻き起こって、警官隊が立っている橋の根元を直撃する。橋は耐え切れず、警官四人は板や柱もろとも上空高く巻き上げられ、池に叩き落とされてしまった。

「おわあ―――――」

 何が起きたのかわからない哀れな警官たちは、無残に夜の冷たい池に落とされ、悲鳴を上げてもがく。ブルーとジリアンは一気に跳躍して、小屋の横に降り立った。

「ふう」

「見て、アドニス君」

 ジリアンが小屋のガラス窓の中を指し示す。そこには火をともされた燭台があったが、中には誰もいなかった。明らかに不自然だ。

「なるほどね」

 ブルーは池から聴こえる警官隊の悲鳴をよそに、杖を構えて小屋に向け、呪文を詠唱した。

「ジリアン、僕の予想が正しければ…」

 杖の先端から虹色の光が飛び散って、周囲に霧状になって漂う。これは、今現在のこの場所の気流を読んでいるのだ。

「これは…!」

 ジリアンは、室内の扉のすぐ後ろの一帯を驚愕の目で見た。


 そこだけが四角く切り取られたように、虹色の霧がかかっていない。

 つまり、空気がない場所が室内にできているのだ。


「真空だよ」

 ブルーは静かにそう言った。ジリアンは感心したようにうなずく。

「そうか、そういう事か」

「そう。脱獄囚は壁抜けの魔法ともう一つ、おそらく空気を操る魔法を使っているんだ」

 そこへ、騒ぎを聞きつけた他の警官が数名小屋に駆け寄ってきた。

「なんだ!」「犯人がいたのか!?」

「あ―――、ストップ!小屋に近寄るでない!」

 ブルーは手のひらを突き出して警官隊を静止する。

「扉の中に入ると死ぬよ!」

 ストレートすぎる、とジリアンは思ったが、確かにその通りである。

「この扉の内側にはいま、魔法で作られた真空の空間ができている。さっき別の現場で警官が倒れていたのも、この魔法のせいだ。かろうじて意識不明で生きてたのは幸運だよ」

 突然のブルーの説明は、駆け付けたばかりの警官たちには即座に理解できなかったが、魔法捜査課が言うのだから多分ヤバイのだろう、という事は伝わったようだった。とりあえず、橋がなくなった池から警官たちを引き上げる事を優先し、こっちはブルーに任せよう、という空気になっていた。

「アーネットに報せなきゃ」

 ジリアンと魔力を交わして気力がアップしたブルーは、先程までの疲れが嘘のようだった。



 待機する事になって悶々としていたアーネットのもとに、ブルーからようやく連絡が入る。デイモン警部を含めた警官たちが、杖で会話するアーネットの周りに群がった。ナタリーは汗臭い男共に近寄りたくないので、離れた所から聞き耳を立てている。

「ブルー、大丈夫か?」

『うん。アーネット、脱獄犯の魔法はもう解き明かした』

 ブルーは、それが空気の操作による真空状態を利用した殺人であったことをアーネットに説明した。

「真空だと?」

『そう。あの煙突掃除夫たちは真空の中に入れられて、窒息させられたんだ。倒れてた警官たちは、たまたま真空の中にいる時間が短かったから、ギリギリで助かったんだと思う』

「なるほど、外傷がないのはそういう事か」

 おおー、という感嘆の声が刑事たちから上がる。

「それで、そこには脱獄犯はいなかったんだな」

 アーネットは確認した。

『いないね。でも…』

 ブルーは、追跡魔法で脱獄犯の足跡を追うジリアンを見た。犯人らしき足跡は、堤を北側に移動している。

『どうやら、二人組はここで罠を張っておいて、北に移動しているみたいだ』

「北だと?」

 反応したのはデイモン警部だった。

「つまり、市街地方向ではないという事か」

「夜のうちに遠くまで移動してしまうつもりでしょうか」

 アーネットの意見に、デイモン警部は頷いた。

「こちらの予想を超えてきたな。潜伏すると見せかけて移動を続けるとは…迂闊だった」

 自分の判断の甘さを悔やみながらも、デイモン警部は無理やり心を落ち着けて、即座に現状を推理した。

「そこから街道を北に進むとなると、グリントウッド市方向に向かった可能性が高いな」

「なるほど。グリントウッドからチェスターフォード市に抜けて…」

 アーネットが推測する。

「そうだ。そこから東に向かい、港町のマルターンに行く」

「国外逃亡?」

 ぽつりと言ったアーネットの言葉に、警官たちはどよめく。脱獄囚が殺人を犯したまま国外逃亡などとなれば、警察への不信と批判の嵐が巻き起こるだろう。

「静かに!」

 呆れたデイモン警部の一喝で、その場は一瞬で沈静化した。

「誰か、電信をたのむ。グリントウッドとマルターン方面の警察に、脱獄犯の情報を伝えろ」

 デイモン警部はあっさりと言ったものだが、それはすなわちヘヴィーゲート監獄から脱獄犯が出た事実を、それぞれの市警に白状するという行為でもあった。しかも、その情報はナタリーが裏ルートから入手したものだ。その責任は一体誰にどう行くのか。考えただけで頭が痛くなる。

「全責任はヘヴィーゲート監獄にある!わしが上にそう怒鳴りつけてやる、言ったとおりにしろ!!何か言われたら、デイモン・アストンマーティンに命令されたと言え!!能無しのお飾り警視総監など怖くもなんともないわ!!」

 久々に警部がキレたな、とアーネットは笑った。最後のセリフは聞かなかったことにしよう、とその場の全員は心に決めたのだった。


 

「そういう事だ、ブルー。お前はそこで待機していてくれ。俺たちも行く」

『大変だね』

 完全に他人事の体でブルーは言った。

『真空の魔法は、現場検証のためにそのままにしておくよ。吹き飛ばす事もできるけど、できればデイモン警部立ち合いのもとで確認してほしい』

「どうやるんだ?」

『簡単なことさ。松明を真空の中に入れればすぐ消える。それで検証はおしまい』

「お前頭いいな」

 何やらみんな、真夜中になって気分がハイになっているなとアーネットは思った。こういう状況が危ない事もよく知っている。

「ブルー、落ち着いていくぞ。こういう、みんなが勇み足になってる時が一番危ないんだ」

『ふーん、そういうもの?』

「そういうものだ。いったん切るぞ」

 アーネットはそう言うと通話を切った。


 十数分後、ブルー達がいる池に集合し、橋がブルーとジリアンによって破壊された事を知ったアーネットとデイモン警部は、どう始末をつけるものか頭を悩ませた。が、人命救助のためだったと言えば上は納得するはずだ、と何もなかった事にして、そのまま現場検証に移る事にした。これも全部、元を正せばヘヴィーゲート監獄のせいだと言っておこう。


「いい?見てて」

 ブルーが、自分で壊した橋の破片で作った即席の松明に火をともし、池の管理小屋の扉の内側に差し入れる。すると、火は一瞬で消えてしまった。真空状態でなければ、風もないのに火が消えるはずはない。おおー、と見ていた警官たちがどよめく。学校の化学実験の趣きである。

「入っちゃだめだよ。窒息して死ぬからね」

 ブルーは、デイモン警部に向き直る。

「そういうことで、検証はおしまい。これがおそらく…いや間違いなく、煙突掃除夫を殺害した魔法だよ」

「なるほど、わかった。とんでもない話だな」

「まだ魔法が効いてるってことは、ここに入った捜査員を全員殺すつもりだったんだと思う」

 あっけらかんとブルーは言った。

「それと、真空状態を作れば、音の伝達を遮る事もできる。あくまで推測だけど、二件目の殺人で、被害者の奥さんが物音に気付かなかったのは、この魔法で空気を遮断して、外部に音が伝わらないようにしたからじゃないのかな」

「君は科学にも明るいのかね」

「ほんの少しだけね」

 一体この少年はどういう経歴なのだろうか、とデイモン警部は不思議がった。

「問題は犯人の確保だ。警部、ここからどう動けばいい?」

 ブルーは、少し真剣な顔でデイモン警部の目を見た。いよいよ、ブルーの口調が刑事のものになってきたのを警部は感じていた。

「よし、我々は…」

 デイモン警部が言いかけたところで、ナタリーの杖がブルブルと震えた。

「! ちょっと待って、警部」

 ナタリーは警部を手で制止し、杖を耳にあてがう。

「もしもし、マーガレット?」

 その名を聞いて、アーネットは額に手を当てて眉間にシワを寄せた。マジか、勘弁してくれ、と小さく言ったのをジリアンは聞き逃さなかった。

『ナタリー、聞こえてるの?これ』

 魔法の通話で最初に一般人が見せる反応である。

「聞こえてるわ、どうぞ」

『わかった。あのね、例の人身売買業者、居場所が判明したわ』

 その報せに、横で聞いていたデイモン警部とアーネットは目を見合わせた。

「ほんとに!?よくこの短時間に調べたわね」

『感謝してちょうだい。名前はゲルト・コニング、現在68歳。すでに仕事は引退してるわね』

「居場所は?」

『マルターン市のウェルブリッジ町、シルバーハンガー36-2。貯め込んだ金で、一人で悠々自適の生活よ』

「マルターンですって?」

  ナタリーはデイモン警部とアーネットを見た。それは、さっき推測した脱獄囚ふたりの行き先である。

「警部、まさか…」

 アーネットは緊張した面持ちで訊ねた。


「間違いない。今夜中に脱獄囚は、その男を殺すつもりだ」

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