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(7)使われた魔法は

「失敗したかも知れん」

 同じような文言を、アーネットは先刻より何度か繰り返していた。

 何が失敗なのか漠然としていてハッキリしないのだが、脱獄囚の追跡に三人が散ったあたりから、悪い予感めいたものがあるのだ。


 そんな事を考えていると、アーネットはふと5年ほど前、殺人事件の聞き込み調査でカミーユ・モリゾの占い館に入った時のことを思い出した。


 最初は雑貨店だと思った。実際、店内には水晶などのアクセサリー類がいくつか小売りされていたのだ。しかし占い館だと気付いた時、アーネットは面倒な所に入ってしまった、出ようと考えた。

 その時、館の奥から女性の、柔らかいが不思議な冷たさを伴う声がした。

「お待ちしておりました、アーネット・レッドフィールドさん」

 その声に、正直言ってアーネットは戦慄を覚えた。なぜ、初対面の人間のフルネームを知っているのか。

「え、ええと…初めてですよね、会うの」

 まだ今より若かったアーネットは、テーブルの奥にいる、美しく長い黒髪の女性の、冷たいのか熱いのかわからない眼光に恐れを抱いた。黒い薄手のローブをまとい、いかにも占い師といった風情である。

「あなたは、この館に入ったのを失敗だと思っている。あなたが失敗だと思うのなら、それは失敗になる」

 なんだ、この女は。やはり占い師というのは妙な種類の人間なのだろうか、とアーネットは感じた。そもそも、占いだの魔法だのには関心がない。

 黒髪の女は続けた。

「けれどあなたはここに来て正解だった。あなたの魂は最初から正解を求めていたのだから」

 女は、テーブルの上にある水晶でできた見事な出来栄えの頭蓋骨の、頭頂部を見ながら言った。アーネットは、参ったなと思いながら刑事手帳を見せる。

「あの、申し訳ない。私は警察官です。いま、この近くで起きた殺人事件の容疑者を捜索しているんです。不審な人物を見かけていませんか」

 さっさと訊いて、何もなければ立ち去ってしまおう。そう考えた時だった。

「明日の朝、あなたの歩く先に水を撒いている老女がいます。彼女に訊きなさい」

 女がそう言ったので、アーネットはしばし硬直した。

「ええと…それ、占いですか?」

「あなたが知っている言葉で言えば、そうですね」

 女は微笑む。何なんだ、その婉曲な言い方は。占いなら占いでいいのではないか。当たっているかどうかもわからないのに。アーネットは、関わりきれないのでさっさと出る事にした。

「そうですか、わ、わかりました。ご協力感謝します」

 敬礼して、踵を返す。女はずっと微笑んでいた。扉を出ていくアーネットの背中に、柔らかい声で「またお越しください」と聞こえた。


 その翌日、アーネットが引き続き捜査を続けていると、少し大通りから外れた通りに本当に水を撒いている老婆がいた。驚きつつも、犯人を見てないか聞いてみる。すると、事件の事は知らないが、見かけない人物が古い教会の廃屋の方向に行くのを見たという。

 恐る恐るそこに近付いてみると確かに芝生を踏みつけた跡があり、アーネットは廃教会の中についに殺人事件の犯人を見付けたのだった。

 応援を呼ぶべきか迷ったが、ここで逃せば終わりだと考えた彼は、思い切って拳銃を手に飛び込み、見事食事中の犯人を捕らえる事に成功したのだ。


「あれは人生で何度目かの衝撃だったな」

 約5年前を思い出しながら、アーネットは苦笑する。その後、アーネットはカミーユのもとを訪れ、あれはどういう事なのかと問い詰めたところから付き合いが始まったのだ。

 カミーユは、失敗だと思っていたアーネットに「正解」だと告げた。今また、アーネットは自分の行動の選択に疑問を投げかけている。もしここにカミーユがいたら、何と言うだろうか。


 その時、アーネットにふと小さな閃きがあった。

「そういえば、そもそもこの二人…どうやって脱獄したんだ?」

 脱獄囚、マシュー・アボットにエルマー・フラトンの人相書きを見ながら考える。今回の犯行には、魔法が使われた可能性が高い。そして、仮に例の「魔法の万年筆」を犯人が手に入れたとすれば、それはいつ、どこで手に入れたのだろう。

「名ばかり監獄…昔よりはマシな管理体制になったというが」

 それでもヘヴィーゲート監獄は、杜撰な管理体制でいまだに悪名高い。現に今こうして、脱獄の事実を責任逃れのために、監獄の側が隠していたではないか。何が横行しているかはわからない。アーネットは魔法の杖を取り出した。



 ナタリーの杖が赤く発光した。これはアーネットからの「着信」の合図である。ちなみにブルーからの時は青く光る。

「もしもし」

 情報局を出たばかりのナタリーは、本庁階段わきのスペースに立って通話に出た。

『俺だ』

「今どこ?」

『テレーズ川沿いの南側だ。ところで、デイモン警部そこにいるか』

「ああ、待って」

 ナタリーは、部下と話をしているデイモン警部に駆け寄り、アーネットからだと言って杖を手渡した。魔法の杖で会話ができるのだ、という説明が通じるまで何十秒かを要したものの、警部はようやく「電話」に出た。


『わ、私だ。聞こえてるのか?レッドフィールド君』

 アーネットの杖の向こうから、たどたどしい警部の声がした。

「ええ、聞こえてますよ警部」

『おほん。何かあったかね』

「警部、ちょっと考えたんです。今、我々は例の脱獄囚二人が、煙突掃除夫の殺害の容疑者という想定で動いてますよね」

『そのとおりだ』

「そして、犯行には魔法が使われた可能性も想定している。つまり、ですよ。その理屈が通るなら、二人が脱獄した際にも、魔法が使われたと考えられませんか」

 アーネットの問いに、電話の向こうのデイモン氏は少しの間沈黙した。

『なるほど。つまり…』

「そうです。例の魔法の万年筆、あれが収監中の犯人に手渡された可能性はないでしょうか」

 電話のむこうで、ナタリーや他の刑事とのやり取りが聞こえる。少しして、警部の声が返ってきた。

『あり得るな。あそこでは今でも酒や、賭博の道具だとかが当たり前に持ち込まれている』

「はい。そして、脱獄に最初誰も気付かなかった。これ、何かに似てませんか」

『何にだね?』

「二件目の殺人事件ですよ。白昼堂々と犯行が行われたのに、被害者の奥さんは物音ひとつ聞いていません」

 再び、デイモン警部は一瞬沈黙してまた返した。

『なるほど、つまり、君が言いたいのは』


「そうです。脱獄と被害者の殺害、この両方に同じ魔法が使われたのではないか、ということです」


 アーネットの推理は、デイモン警部やナタリーにもある程度納得がいく物だった。が、まだ未知数な点もあった。

『レッドフィールド君、その線は検討に値するが、今優先されるのは容疑者の確保だ。それはわかるな』

「警部、俺はその魔法を解き明かさないと、犯人は確保できないかも知れないと考えています」

『どういう事だ?』

「誰にも気付かれず何らかの行動ができるというのは、逃走するにも潜伏するにも好都合だからです。つまり、犯人の行動を予測するには、魔法の性質を特定する必要があるんです」

 

 アーネットの話を聞いていたナタリーや他の数名の刑事は、その意見におおむね同意のようだった。デイモン警部もそれに同調した。

「わかった。君たち魔法捜査課に、魔法の特定を頼む」

『了解しました。ひとまず現状の犯人の捜索は、警部のチームにお願いします』

「わかった。頼んだぞ」

 そう言って、警部はナタリーに杖を返却した。

「もしもし、アーネット」

『ナタリー、君は悪いがそのまま警部に同行してくれ。双方向で情報を取りまとめてくれる役が必要なんだ』

「わかってるわ。あなた達三人は合流するのね」

『それで悩んでる。とにかく、今決めた方針はブルーとジリアンにも伝えるよ』

「アーネット。気をつけてね」

 いつになく心配そうな声でナタリーに言われたので、アーネットは逆に若干不安を覚えつつも、気持ちを引き締めた。今追っているのは殺人犯なのだ。

『ありがとう』

 アーネットはそれだけ言って通話を切った。ナタリーは苦笑いを浮かべて呟く。

「ほんと、犯人を追ってるとそれしか頭になくなるのね」


 

 リンドンの中央には大聖堂がある。ブルーはそこを起点とした北西エリアを一人捜索していた。すでに夜だが、繁華街もありガス燈や電灯で視界は明るかった。

 行き来する大勢の人並みの中に、追跡している脱獄囚二人がいないか探してみるものの、そう簡単に見つかるはずはないよな、と自問自答する。

「腹減ったー」

 どうせ犯人も見当たらないし、ここらで何か食べてもいいだろう、とブルーは周りを見渡した。そこでブルーは、ジリアンが向かった東側には、バロウズ・マーケットというリンドン有数の市場がある事を思い出した。

「あっ!まさか、ジリアンそのために東側を!?」

 バロウズ・マーケットは、各国からの様々な素材が集まる市場である。そこに並ぶ屋台やカフェは、横行する食品偽装やら何やらの心配がなく、何を食べても美味しい。閉店間際で安くなる事もある。間違いない、ジリアンは最初からそれを見込んでいたのだ。

「殺人の容疑者を追跡する最中に美味しいもの食おうだなんて、とんでもないヤツだな」

 自分の事は棚に上げてぼやくブルーであったが、ともかく腹には何か入れたい。仕方なく、代わり映えのない魚とジャガイモのフライを屋台で買うことにした。

「ニ人前ちょうだい」

「一人で食うのか」

 屋台のチンピラ風の若い男が、袋に詰めながら言う。

「食欲があるのはいい事だ。ほらよ」

「ありがと」

 紙幣を渡し、ズッシリした袋を受け取ると、ブルーはその場で食べ始めた。あっという間に胃袋に吸い込まれていく魚のフライに、屋台の男が感嘆の口笛を鳴らす。



 二人前のフライの掃討作戦がそろそろ終了しようかというタイミングで、ブルーの杖にアーネットからの連絡が入った。他の人に杖とお話している所を見られると、保護されて病院に入れられそうなので、人通りのない路地を探して通話に出る。

「もしもし。こちらブルー」

『俺だ。杖の魔力が減ってるんで手短に話すぞ』

 アーネット達の使う杖はブルーのものとは違って、杖の軸に埋め込まれた水晶に魔力を補充する仕組みになっている。基礎的な魔力でブルーに劣るぶんを、これでカバーしているのだ。

『あのな、作戦変更だ』


 アーネットは、先刻デイモン警部らと話した内容をそのままブルーに伝えた。

「ふーん。じゃあ合流する?」

 ブルーはジャガイモのフライを処理しながら訊ねる。

『俺は俺で動く。お前は、ジリアンと合流して魔法について考えて欲しい。魔法のエキスパートの出番だ』

「僕らだけで大丈夫かな」

『俺のカンが言っている。お前たち二人なら何とかなる』

 ブルーは軽く鼻白んだ。アーネットが「カンが言っている」という時は、驚くほど的を射ているか、全くアテにならないかの両極端である。

「わかった。杖に魔力補充しといてよ」

『近くに強いレイラインあるかな。それじゃ頼んだぞ』

 そう言ってアーネットは通話を切った。レイラインとは、大地を走るエネルギー脈の事である。魔法は基本的にこのエネルギーを利用したもので、このエネルギーを杖に充填しておくのだ。

「やれやれ」

 ブルーは杖をそのまま耳にあてがい、ジリアンに連絡を取ろうと考えた。すると、何やら通りの向こうが騒がしかった。警官が数名走って行くのが見えるが、制服はメイズラントヤードのものではなく、地方組織のリンドン市警のものであった。ブルーはまさかと思い、歩いて来た中年の男を捕まえてたずねた。

「ちょっと、なんかあったの!?」

「銀行に泥棒が入ったらしいよ。金庫の中身がやられたらしい」

「なんだそりゃ」

 大変な事件ではあるが、こっちが追っているのは脱獄囚だ。そっちは市警に任せておけばいいや、頑張ってね、とブルーはそのままジリアンに連絡を取った。


 ブルーは、アーネットから伝えられたことをそのままジリアンに伝えた。

『ふーん。じゃあどこかで待ち合わせする?』

 ジリアンの軽いノリの声が返ってくる。

「うん、じゃあ…いや、デートじゃない!」

 ブルーは眉間にシワを寄せて答える。合流地点と言え。

『また照れちゃってー』

「あのさ、連続殺人犯の脱獄囚を追ってるんだっていう自覚ある?」

『あるよー』

 自覚はあるらしい。

「待ち合わせでも何でもいいや。今どのへん?」

『ええとね、バロウズ市…じゃなくてね』

「バロウズ市場だろ!何食べた!!」

 ブルーの自覚とやらも、だいぶ怪しくなってきた。

『ちょっと高い壁が見えたから、なんだろなーって入っただけよ』

「確信犯だろ」

 バロウズ市場は、衛生や防犯対策も兼ねて壁で囲われているのも特徴である。

 その時、ブルーにひとつの妙な閃きが訪れた。

『どした?黙っちゃって』

 ジリアンが、言葉を途切れさせたブルーにたずねた。


「ねえ、ジリアン。壁抜けの魔法、使える?」


 唐突にブルーがそう言ったため、ジリアンは少しばかり面くらう。

『え?なに、突然。いやまだちょっとそんな高度なのは無理だわ。物体を抜けさせるなら少しはできるけど、自分自身はムリ。カミーユならわかんないけど』

 ジリアンは答える。壁抜けの魔法とは文字通り、物体を壁などの障害物を通過させる魔法である。

 基本的に高度な魔法で、生きていない物体を通り抜けさせるのはある程度学べばできるが、生きた人間を厚い壁を通過させるのは、ブルーの師匠クラスにならないと使えるものではない。

「…そうだよな。僕も出来なくはないけど、薄いドアを通り抜けるのが限界」

『それでも凄いんですけど!』

 ジリアンのツッコミも空しく、再びブルーは黙ってしまった。

『なんか思い付いたカンジ?』

「もしも、もしもだよ。そんな高度な魔法が、誰でも使えるような方法を誰かが編み出したとしたら。あの万年筆は今の所、そこまで高度な魔法を封印したものは見つかっていないけれど、見つかっていないだけで、実は存在したのかも知れない」

 ブルーは、自分でそう言って背筋が寒くなるのを感じた。少し長めの間を置いて、ジリアンの返答があった。

『うーん。現時点では、あたしには何とも言えない』

「でも、壁抜けの魔法が使えれば、色々説明がつくと思わない?今回の事件。獄中で万年筆を手に入れたっていう、アーネットの推測も併せて」

 ブルーにそう言われて、ジリアンは少し考えてみる。脱獄。民家に侵入しての殺人。

『…もし使えれば、の話ね。うん、いくらか辻褄は合うと思う』

「そうだよ。脱獄だってできるし、民家に入る事も、銀行の金庫に入って金を盗る事だってできる…」

 そこまで言って、ブルーはついさっき近くで起きた事件の事を思い出した。


「あーっ!?」


『わあ!びっくりしたなあもう!!』

「じじじジリアン、待ち合わせ場所!ええと…プリンセスメモリアル庭園の近くの銀行に来て!」

『銀行?』

「先行ってるよ!」


 突然絶叫して一方的に話した挙げ句通話を切ったブルーに、ジリアンは呆気にとられていた。

「銀行強盗でもやるつもりかしら」

 あまりデートとしては楽しくなさそうね、とジョークを言いながら、ジリアンもブルーが指定した場所に急ぐ事にした。ブルーは何かピンときたらしい。



 先程、ブルーがジリアンと魔法の杖で「電話」している様子を、物陰から観察するひとつの人影があった。

「なるほど、あの子が…」

 人影は小さく呟くと、ブルーの移動に合わせて自らもその場を移動した。

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