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【一日目】

 フローヴァンス滞在初日の午前中は、二週間足らずの滞在期間中のための簡単な雑貨類を整え、昼は丘の下の村のひなびたカフェ「ボネー」でポテトグラタン、ワインで風味づけしたメロンなどを注文した。見た目は素っ気ないが、味はリンドン市内のカフェのメニューなど足元にも及ばない。午後の日中はカミーユが購入した家で過ごす事になっている。

「ふうん、涼しい土地かと思ったら、けっこう陽射しはあるのね」

 ふだん、リンドンの陰鬱とした曇り空に慣れているジリアンは、濃い青空から降り注ぐ太陽の光に目を細めながら、古びた玄関のドアを開けた。


 そのわずか一時間すこし後、ジリアンとミランダは、カミーユが日中は家の中で過ごすべし、と言った意味を理解した。

「なにこの暑さ!」

 雨戸の陰から外の景色を睨んで、ジリアンが叫ぶ。それは、およそメイズラントでは体験する事がないであろう、炎熱の世界だった。青々と広がる大地と山並みは容赦ない太陽に照りつけられ、草むらはそのまま干し草になりそうな勢いである。

「このへんって避暑地じゃなかったの!?」

 ジリアンが訊ねると、カミーユはいつものモードに戻って、くすりと笑った。

「それは、新聞や雑誌が中途半端に伝えている情報です。ここに住んでいた作家、ジーン・メイヤーの著書”フローヴァンスの生活”」は読んだことがありませんか?8月の章には、とてつもない暑さだと書いてあります」

「読んでないし!先に教えてよ!」

「教えてしまっては、体験になりません。予備知識なしで土地を体験できるのは幸運ですよ」

 妙に真剣な顔で、カミーユは人差し指を立ててみせた。モリゾ探偵社の所員ふたりは、理不尽を確認するように視線を交わす。

「ミランダ、魔法でこの家冷凍庫にしてやろうか」

「私達の魔法なんて、カミーユが眉を動かすだけで解除されるのがオチです」

「ぐぬぬ」

 

 ◇


 井戸から汲み上げた水はそのままでも冷たく、甘露だった。産業革命華やかなりしリンドンでは水質汚染がひどく、そのまま飲める湧き水など、都市を出て山地まで行かなくてはならない。ミランダは、汗をかいたグラスをしげしげと眺めた。

「この暑さの中では、至高の味わいですね」

「家の中だとそこまで暑くもないのね」

 ジリアンは外からの熱気は感じても、ダウンするほど暑苦しいわけでもない。中に入るとわかるがこの古い農家は、リンドンの家屋とは比較にならないほどの厚い石壁だ。この壁と、開け放した窓から入り込む風によって、室内の温度は調節されているらしい。

「それと、湿度が低い事もあるでしょう。メイズラントは雨と霧の国。対してここ南プロンスは、年間を通して湿度が低いそうですから」

「なるほど。ところでカミーユは?」

 ジリアンは、さっきまでテーブルで読書していたカミーユの姿がない事に気付いた。ミランダはついさっきネジを巻き直した、壁の古びた時計を見る。時刻は午後1時半すぎだ。

「昼寝でしょう。プロンスや、北のダスパニアでは昼寝の習慣があるそうなので」

「寝てるの?」

「この暑さでは、外で活動できないからでしょうね」

 所変わればだな、とジリアンは思った。リンドンでは、太陽が出るのは貴重である。せっかくの快晴、出かけなくては勿体ない。だが、この地の灼熱地獄では、十分ともたず日射病になりそうだ。

 郷に入りては郷に従え。ジリアンとミランダはそれぞれ空いている部屋を魔法でピカピカにクリーニングして、昼寝という”文化”を体験することにした。



 都市の喧騒とは無縁の自然の音に囲まれた昼寝は、思いのほか快適だった。ジリアンが目覚めたのは、午後3時40分ごろ。2時間たらず眠っていたことになる。

 だが、外はまだ暑い。ジリアンが服と髪を整えて、家にいるか思い切って外出するか考えていると、一階から何やら話し声が聞こえてきた。


 それは、カミーユが食堂で、見知らぬ老夫婦らしき二人と会話する声だった。ジリアンが食堂に入ると、カミーユの正面に座る、痩せているが筋肉は引き締まった白髪の老人と、柔らかい豊かな白髪を結った老婆と目が合った。

「まあ、素敵な女の子。いまお話された子かしら」

 老婆は満面の笑みでジリアンを見た。状況がつかめないでいると、カミーユが紹介してくれた。

「所員のジリアンです。ジリアン、こちらは地元の農家のバルビエご夫妻」

 紹介され、まだ話は見えないものの、とりあえずジリアンは会釈した。

「ジリアン・アームストロングです。はじめまして」


 老夫妻とカミーユの会話は、どうやらこの家を購入する前から話し合っていた件のようだった。カミーユは、同郷の知人からこの家が放置されていると聞き及び、メイズラント出身作家の終の住まいを朽ちさせるのは忍びないと、自ら購入を決意したのだ。

「それで、この土地を農地として村で管理していただく契約を、バルビエご夫妻に代表していただいているのです」

 カミーユの説明を、陽に灼けた肌のジャコブ老人が補足した。

「土地そのものは、前の持ち主のメイヤーさんのものだったからね。あの人は地元の人達にも慕われていたし、この家も村の人達、職人達が出入りしていた。そこで、カミーユさんがまず、家の所有者として名乗り出てくれたんだ」

「私の別荘として管理していただく事と、周辺の土地をブドウ畑として提供する事、それからワインを毎年、リンドンへ送っていただく事などが契約に入っています」

 まったく預かり知らないところでそんな話が進んでいて、ジリアンは「そうなんだ」としか言えなかった。カミーユはそもそもプロンス人であり、老人達ともすぐに打ち解けている。


 老夫妻が帰る頃には、少しだけ午後の気配が漂ってきたものの、まだ陽は高い。

「リンドンよりも日照時間は長いので、午後8時くらいまでは明るいんです」

 目覚めのコーヒーを淹れながら、カミーユは説明してくれた。

「だから、昼寝してもその後も時間があるんだ」

「4時くらいになったら、また少し外を見て回りましょう。私はこのあたりにも知己が何人かいるので、挨拶も兼ねて」

 そんな話をしていると、寝ぼけ眼で低血圧のミランダが降りてきた。

「いま何時」

 だいぶ眠りが深かったのだろう、口調も普段よりぞんざいになっている。予期していたかのようにカミーユがコーヒーを勧めると、無言でテーブルについた。

「昼寝の文化、なるほど」

 何がなるほど、なのかわからないが、どうもミランダはたっぷりの午睡が気に入ったらしい。リンドンに戻って、探偵業務の最中に昼寝を始めないかとジリアンは不安になった。

「4時半くらいに出かけるよ。その凄い寝癖、直しておきな」

「む」

 眉間にシワをよせて、ミランダは魔法の杖を振るった。こういう時に魔法は便利だが、髪ひとつ直すだけの魔法のためにも、けっこうな修行が必要ではある。


 そのあと、カミーユは地下のワイン蔵を掃除するといって、口もとを入念にスカーフで覆って、ホコリまみれの階段を降りていった。ジリアンとミランダは、何となく気になっていた、二階の蔵書室に足を入れる。

 もとの所有者のジーン・メイヤー氏はいかにも作家らしく、読書家だったらしい。ペーパーバックからハードカバー、そして凶器になりそうな図鑑、大百科の類まで、本棚から床まで本だらけである。小説よりも歴史や考古学、博物学、科学などの人文科学系の割合が多かった。

「アドニス君が見たら目を輝かせるだろうな」

 今もリンドンで事件を追っているか、さもなければ地下のオフィスで退屈そうに新聞でも読んでいるであろう、魔法犯罪特別捜査課の少年刑事を思い浮かべ、ジリアンは微笑んだ。

 蔵書はかなりの部分がメイズラント語以外の言語のせいで、母国語以外はプロンス語をカミーユから教わっただけの二人には、読めない本も多々あった。ミランダは、南の大陸オアフカの考古学に関する本を熱心に読んでいる。ジリアンは花の生育の研究、料理の文化の伝播などに関する本を開いては閉じ、開いては閉じして、本棚を移動していった。そのとき、本棚のいちばん右端に挟んであった、薄い木製のバインダーが、引き抜いた本に引っ張られて床に落ちた。

「ん?」

 その、明らかに他の本と異なるバインダーを、ジリアンは何の気なしに紐解いてみた。挟まれていた、あまり上質でもないザラザラの紙に、なんだか取り留めのない雑多な文が散乱している。”オリーブ油は種を取り除くと長持ちしない”とか雑学みたいなもの、”ヤギの合唱団”などといった意味不明のものまで様々で、どうやら本を書くためのメモらしい。

「なるほど、これが作家という生き物か」

 3枚ばかり重ねてある紙をめくっていると、ジリアンはふと、なんとなく覚えのある言葉が目についた。

「なんだこれ」

 3枚目の紙は、どうやら土地の伝聞か何かをまとめてあるらしい。それは大昔の暴君の古城の幽霊だとかの噂話に混じって、次のように書かれていた。


“シルド村の外の森に聖母が現れた?”


 聞いたふうな、いかにも民話といった内容である。それだけならどうという事もないが、ジリアンはなぜか、そのメモが妙に気になった。なぜなのかわからない。

 シルド村といえば、けさ立ち寄ってきた丘の上の村だ。まだ見ていない所もあるので、ミランダと二人で出かけようと話をしている。読書にふけっている間に、時刻は4時半近くになっていた。そこでジリアンは地下のカミーユに、これからミランダとシルド村に行くと告げて、暑さが少し引いた外に出た。



 フローヴァンスの土地の夏は、4時でもまだ夕方の気配はない。そして、暑さが引いたひとつの理由が、谷から強烈に吹き付ける風にあるとジリアンは理解した。

「なにこの風!」

「カミーユから聞きました。ここら一帯は時として、ミストラルという猛烈な風が吹くらしいです。こんなものではないそうです」

「先に言ってよ!」

 風とミランダに悪態をつきながら、ようやく朝に訪れたシルド村の斜面が見えてきた。朝市の時間の盛況は鳴りをひそめ、荷車を押す農家や行商人、そしてジリアン達と同じく観光客らしい人達が見える。

「1フラムが100サンディールね。サンディールって、ペナン換算でいくら?」

「ちょっと待ってください」

 ミランダがガイド手帳を開き、到着後早々にメイズラントの通貨から換金した、プロンス共和国の紙幣と貨幣の価値を確認した。今はメイズラントの通貨が諸外国より強い時代であり、まだ若い探偵業のふたりは、そこそこ観光を楽しめる金額を所有している事に感謝した。


 朝から少し気になっていた、こぢんまりとしたお菓子屋さんに駆け込むと、あいにく本日は店じまいらしかった。

「朝はやってたのに」

「残念ですね、また明日の楽しみにしましょう」

 ただ食べ歩くだけでは勿体ないと、ミランダは村を形成する丘の頂上に登る提案をした。行き交う人にルートを訊きつつ、けっこう複雑な路地を通り抜けると、ようやく展望台になっている広場に出た。

「うおっ」

 陽に照らされて眼下に広がる景色に、ジリアンは息をのんだ。真下には村の可愛らしい屋根が並び、その先には草原に挟まれた街道がうねる。周囲にはブドウ畑やラヴェンダーが色鮮やかに広がり、遠くには長大な山脈の稜線と、都市の高い建物が見える。

「素晴らしい」

 ミランダはそれ以上何も言わなかった。筆舌に尽くしがたい、とはこの事だとジリアンも思う。同僚であり、親友とこうしてこの光景を共有できる事に、ジリアンは喜びを感じた。

 ふいに雲が動いてかすかに陽がかげった頃、甲高い声が坂の下から近付いてきた。

「だから!あのへんで見たの!」

「どこだよ!」

 見ると、三人の女の子の後ろに、ふたりの男の子がついてきている。五人は登ってくるなり石造りの柵に手をついて、西側を見た。

「あそこよ!あの森のはずれで見たの!」

 金髪の三つ編みを両サイドに垂らした、子供にしてはやや背の高い少女が、帽子をかぶった少年ふたりに力いっぱい主張した。ミディアムヘアの金髪の少女、長い髪を後ろに結った少女も、同調して頷く。だが少年たちは素っ気なかった。

「見たってどう証明するんだよ!」

「そうだ、そうだ!」

 嘲笑う少年達に、見かけによらず負けん気が強い三つ編みの少女が食ってかかる。なんの話か知らないが、地元の子ども達なんだろうな、とジリアン達は呆れ半分に微笑んだ。

「付き合ってらんねー!」

「あーばよ!」

 少年ふたりは、せせら笑いながら村へと坂を駆け降りてゆく。その様子に、三人の少女は憤慨しているようだったが、ジリアンとミランダに気付くと、ばつが悪そうな顔を見せた。

「こんにちは。あなた達、シルド村の子?」

 ジリアンが訊ねると、三つ編みの少女は気まずそうに微笑んだ。

「そうよ。お姉さん達は、観光でいらしたの?」

「ええ。メイズラントの、リンドンからね」

「ずいぶん遠くから来たのね!リンドンって、すごい都会なんでしょう?」

 まあ、都会は都会だ。そこから、観光客である自分達が質問責めに遭う事になった。プロンス語会話はいちおう学んでいるが、なんというかこの土地は訛りがものすごく、港があった都市部とはイントネーションがまるで違い、単語を聞き取って理解するのに一苦労だった。

「ふうん、やっぱり都会は凄いのね。行ってみたいわ。あ、私ジネット。あなたはジリアン、そっちはミランダね」

 ジネットは握手を求めてきた。物怖じしない少女だ、とジリアンは思った。自分もそう言われる方だが。

「私フェリシテ!」

「私メラニー!」

 ミディアムヘアの金髪と黒いポニーテールの少女がそれぞれ自己紹介すると、ジリアン達もようやく打ち解けてきた。訛りについていく不安はないでもない。

「よろしくね。ところで、さっきあの男の子達と、何を言い合っていたの?」

 ジリアンが気になっていた事を訊ねると、三人は突然押し黙ってしまう。ジリアンはミランダと少し目線を合わせたのち、改めて訊いた。

「何か見たって言ってたわよね」

「…笑わない?」

 ジネットが、わずかに険しい表情になった。そこでジリアンとミランダは、同時に思い出した。

「あっ。あなた達、朝も大人の人達と何か言い合っていたわよね」

「はい。たしか、天使を見たとか何とか」

 ミランダの言葉に、三人の少女はギクリとして背筋を伸ばした。

「あっ、朝も村に来てたの!?」

「ええ。食料の買い出しにね」

 ジリアンは、ようやく例の作家が書き遺していたメモの既視感を理解した。聖母を見た、という伝聞らしき内容が、朝に聞いた少女達の会話と似通っていたためだ。

「ふうん、天使を見たの?聖母じゃなく?」

「天使だよ!羽根がついてたもの!」

 フェリシテが、拳を握ってそう息巻いた。


 ジネットたち三人は、この展望台から見える比較的近場の森に遊びに行って、森の出口付近で、なんと天使に出会ったのだという。その天使は輝く銀髪に真っ白な袖なしのドレス、背中には白鳥のような白い羽根があった、とのことだった。ジリアンは訊ねる。

「それが、どうして天使だとわかるの?いたずらで天使の格好をしていた女の人だとは思わなかったの?」

 すると、メラニーはポニーテールを振り回して、猛然と詰め寄るように答えた。

「あの天使は、森の奥から霧みたいに出て来て、また霧みたいに消えていったの!」

「そうよ!草も、落ちてる小枝も踏まずに、音も立てずに、すうっと消えていったの!」

 フェリシテも、まるで双子のように同じ調子で捲し立てた。あとで聞いたら、姉妹なのはジネットとフェリシテだという。フェリシテは、不満そうに口を尖らせた。

「でも、村の誰も信じてくれないの。そんなの嘘だ、作り話だ、って」

「落ち着いてください。フェリシテ、でしたね」

 ミランダは、落ち着くようにと手ぶりで三人をなだめる。

「わかりました。なんだか面白そうです。その現場に案内していただけますか」

 その反応に、三人は一瞬きょとんとして、ジネットが恐る恐る訊ね返した。

「信じてくれるの?」

「私達は探偵社の所員です。わからない事は調べるのが仕事です」

 そこで、ジリアンが吹き出した。

「誰に依頼されたわけでもないでしょ」

「でも、気になりませんか?」

 意地悪くミランダが横目に見た。ジリアンも頷く。

「確かに面白いわね。観光がてら、天使の調査か」

「いちおう、所長の許可も取っておきましょうか」

 すると、とたんに三人の少女の目が輝いた。ジネットが喜色満面で訊ねる。

「天使を捜してくれるの?」

「もちろん。そうね、報酬は私達に、このへんの案内をしてくれる事。それでどうかしら」

 ジリアンは、手を差し出してそう言った。探偵の方から捜索を申し出るのもなかなか奇特な話だな、と思いながら。

「もちろん!」

 ジネットは、手をパチンと合わせて依頼の成立を確認した。フェリシテとメラニーも、ミランダと手を合わせる。しかし、その日はもう夕方も近く、子供は帰宅する時間だということで、翌日の朝に村の入口で集合、ということになった。


 こうして、夏の休暇は天使を捜すという少女達の依頼で、幕を開ける事になったのだった。

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