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(20)禁断の魔法

 それは、本当に一瞬の出来事だった。ブルーの眼の前に、突如として現れた魔導書には、見たこともないような、奇怪な文字列が連ねられていた。

 しかし、見たこともない文字であるにかかわらずその瞬間、なぜかブルーはその内容を”理解”できた。否、ある意味では読むまでもなく”思い出した”ような感覚さえあった。


 次の瞬間には手がほとんど自動的に杖を振るい、ほとんど無意識のうちに得体の知れない呪文が口をついて詠唱され、今にもディアス・ミンターに引き金を引こうとしているギルロイ・スチュアートの亡霊に向けて、眩く輝く光の奔流が放たれた。


『全てであり、一つなるものに還るべし』


 ブルーの、呪文というよりまるで祈りのような文言とともに、緋色の射手ギルロイ・スチュアートの姿は一瞬で、風に千切れる雲のように消え去ってしまった。そして静寂が戻った時、ギルロイの姿は赤毛の女の姿に戻っていた。だが、その瞳は生気がなく、腕はだらりと下げられ、膝ががくりと曲がった。

「あっ!」

 カトリーンは咄嗟に駆け出し、事切れるかのように崩れ落ちる女の身を支えた。そのとき、身体がまるで死体のように冷たくなっている事に、カトリーンは恐怖を覚えた。

「身体が冷えてる!毛布か何か、ある!?」

 カトリーンの声に、それまで呆気にとられていた一同は我にかえった。


 ディアス・ミンターは恐怖で失神しており、目覚めても錯乱をきたす恐れがあるため、手錠をかけ、足首も縛っておく事になった。ゲイリー・マッソンは、眼の前で起きた出来事がまだ信じられないようで、父親の過去と併せてだいぶショックを受けており、呆然と馬車のシートに座ったままだった。

 一方、赤毛の女はカトリーンの魔法で冷えた身体を強制的に温め、ひとまず生命は取り留めた。馬車につけてあった毛布はお世辞にも綺麗とは言い難く、魔法でホコリを取り除かなくてはならなかった。

 しかし意識はあるものの、疲労と体温低下で、まともに会話できる状態でない事は明らかだった。そこで一刻も早く病院に送る事になり、自動車の後部座席にナタリーが付き添った。


 そのあとディアス・ミンターとゲイリー・マッソンをそれぞれ市内まで送る事になり、ブルーとアーネット、カトリーンは迎えの車がくるまでその場で待機させられることになった。が、馬車が去ったあとで折悪しく、雨が降ってくる。

「まじか!どういうタイミングだよ!」

 ブルーは悪態をついて重い雲を睨みつつ、魔法の傘を広げた。しかし、雨はしのげても濡れた地面はどうにもならない。やむなく3人は、雨でぬかるむ茂みを避けて待つことにした。

「ブルー、さっきの魔法は一体何だったんだ」

 あらためてアーネットは、神妙な顔で訊ねた。ブルーの手には、再び魔法で閉じられた黒い革張りの魔導書が抱えられている。やはり、またも開く事は出来なくなっていた。ブルーは、やや自信なさげに答えた。

「あれはおそらく、”禁断の魔法”だ」

「禁断の魔法!?」

 アーネットとカトリーンは、揃って訊ねた。

「そうだ。僕は当然習ってなんかないけど、間違いない」

「ちょっと待て。そもそも、一連の現象は何だったんだ。お前の魔法だけじゃない、あの赤毛の女が煙みたいに瞬間移動した事とか、ギルロイ・スチュアートらしき男に姿を変えた事とか」

 アーネットの疑問に、ブルーも完全な断定はできないが、と断ったうえで答えた。

「要するに今回の事件はあの赤毛の女が、ギルロイ・スチュアートの亡霊を自分の身体に降ろして、行われた魔法犯罪だったんだ」

「身体に降ろすって…まさか」

 カトリーンは、眉間にシワをよせて訊ねる。ブルーは、真剣というよりは深刻な表情だった。

「そう。禁断の魔法、”顕現憑依魔法”だ」

「顕現憑依魔法?」

 アーネットは、聞いたこともない、という顔で訊ねた。

「読んで字のごとく、だよ。すでに死亡した人間の霊魂を自らの身体に降ろし、自らの身体でもって生前の姿を蘇らせる古代の魔法。僕も話でしか聞いた事がないけど。それに銃弾が物質化して現れる現象も、ちょっと僕じゃ説明できない」

「そんな魔法、いったいどこで習得したんだ。というより、あの女は魔女なのか?」

「それは現時点ではわからないけど、魔女というわけではないかも知れない。おそらく推測したとおり、ベイルランドの魔女から何らかの手段で魔法を授けられたんだと思う。北方の魔女の一部は霊能力に長けているからね。そうでしょ、カトリーン」

 唐突に話を振られて、カトリーンは感心した様子だった。

「さすが、よく知ってるね。そう、北の魔女のルーツは精霊使い。私もそういう血筋らしい。さっきギルロイの霊を抑えたのは、わりと初歩的な”鎮魂の祈り”よ」

 なるほど、とアーネットはわかったような、わかっていないような顔で首を傾げた。

「要するに、俺達はまさにギルロイ・スチュアート本人と戦った、っていうのか。あれが本当にギルロイだったのなら、だが」

「それ以外は考えられない。あの女の人、言ってたよね。”父を殺した”って。つまり、あの人はギルロイ・スチュアートの娘ということになる」

 カトリーンはなるほど、と頷いたあとで、すぐに首を傾げた。

「ちょっと待って。今ふと考えたけど、あの人どう頑張ってもせいぜい20歳、下手するともっと若いわよ。ギルロイは22年前に死んだんでしょ」

 そう言われると確かにそうだ、とブルーは思いアーネットを見た。

「アーネット、そこらへんはだいたい推理してるんでしょ」

「ああ。ただ、裏は取ってないからな。あの女の取り調べ待ち、というところだ」

 あまり楽しみでもないが、とアーネットは、うんざりしたようにかぶりを振った。そうだろうな、とブルーもカトリーンも思う。何が真実であるにせよ、耳を塞ぎたくなるような話に違いない。魔法捜査課などと浮世離れした名称の部署だが、基本的には警察組織の、いち部署にすぎないのだ。

「ひとまず、もう事件が起きる事はなくなったんだ。それだけが、今の俺達に与えられたわずかな救いさ。とりあえず今日は酒を飲んで寝たい」

「通常営業じゃん」

 ブルーのツッコミにアーネットは顔をしかめ、カトリーンは吹き出した。

「魔法捜査課って、どんな人達なのかと思ってたけど。あんがい普通の人達なのね」

「俺はまっとうな警察官だ。扱ってる事件がまともじゃないだけだ」

 カトリーンの笑い声が響く中、泥水をはねながら、ようやく迎えの車が到着した。


 ◇ ◇ ◇


 赤毛の女の体調はまだ取り調べに応じられるものではないため、本来の事件とは厳密には別件となるが、ディアス・ミンターの取り調べが先に行われる事になった。当人はわずかに憔悴していたものの、取り調べには支障なしとの医師の診断で、22年前にギルロイ・スチュアートを何人かと共謀して殺害した可能性について取り調べが行われた。すでに事件の現場で自白に近いことを口走っていた事と、いくぶん気弱になっていた事もあり、デイモン警部は少しばかり拍子抜けする事になった。

「では、ギルロイ・スチュアート謀殺は事実なのだな」

 デイモン警部の低く鋭い声が、暗い取調べ室に反響する。あらためて問われると、ディアスは肩を落とした姿勢で静かに頷いた。

「では主謀者は誰だ。連隊長、オズワルド・マッソンか」

「…違います」

「では、お前か」

 それも違う、とディアスは言った。

「…空気」

「なに?」

「空気が出来てた…ベイルランド人に手柄を立てさせるな、と…だから、ギルロイだけ古い銃と、古い弾丸を持たされていた…」

 その告発とも自白ともいえる内容に、デイモン警部は書紀と一瞬、目を合わせて呆れていた。

「そんな事が行われていたのか。ギルロイは活躍したのだろう」

「そうだ…あいつは、古い銃で他の若い兵士よりも優秀な働きをした…それが、作戦本部長のロブ・ミーガンには気にいらなかった」

 そこでロブ・ミーガンの名が出てきた事に、デイモン警部は驚きながらも、すぐに納得した。狙撃されたミーガン議員は、典型的な排外主義、国粋主義者として知られている。国外からの義勇兵に活躍されるのは、許しがたい事だったのだろう。

「なるほど。ギルロイ謀殺の主謀者はロブ・ミーガンだな?」

 ディアスは、いとも簡単に頷いた。だが、これは大事件である。書記係の刑事は、どうするべきかと警部に訊ねた。警部は答える。

「聞いたまま全て書け。それがお前の仕事だ。責任はわしが取る」

 

 こうして、事件が起きた当初は予想もしなかった取り調べが終わった。だが、それは豪胆な警部であっても、公表をためらってしまう内容だった。

 まず、伝説の赤毛の狙撃手はギルロイ・スチュアートという名で実在していたこと。さらにそれが、ベイルランド人義勇兵だったこと。部隊内で差別、虐待を受けていたこと。

 そして、最終的には戦死したオズワルド・マッソンがディアス・ミンターと共に、ロブ・ミーガン主導のもと行われたギルロイ謀殺を見て見ぬふりをした、という事実も明らかになった。謀殺に加担した兵士は十数名にのぼり、作戦が変更になったと偽ってギルロイを岸壁に誘い出して、銃殺して死体は海に投げ落としたという。

 ここまで語ったところでディアス・ミンターの動悸が激しくなり、取り乱し始めたため、その日の取り調べは中止となった。だが、すでにあらかたの情報は得られており、デイモン警部としてはある程度納得がいくものだった。

「問題は、この情報をどう扱うかだな」

 22年前の事件の、容疑者の一人がいなくなった取調べ室で、デイモン警部は唸った。ことは政治レベルの問題になる。むろん、警部個人としては公開すべきだと考えた。たとえ上院議員、しかも狙撃事件の犠牲者といえど、民族差別による一人の兵士の謀殺を主導したのは明確な犯罪行為である。それどころか、これは国辱とさえいっていい。

「愛国者が国の顔に泥を塗った、というわけか」

 女王陛下のお耳に入れたくはないな、と警部は呟いた。


 ◇ ◇ ◇


 赤毛の女はブルーの魔法を受けて以降、病室でほとんど寝たきりであり、魔法を発動するそぶりも見せなかった。ブルーによると、魔導書に書かれていた魔法を受けた事によって、身体に封じられていた魔法や魔力が消滅したためだという。女の体調が回復したのは、2日後のことだった。

 当人の体調がまだ完全ではないため、取り調べは病室で、医師の立ち会いのもと行われる事になった。そして魔法犯罪である以上、デイモン警部の補佐というかたちでブルーが同席する。

「まず、本名と出身地、年齢を言ってもらおう」

 デイモン警部も医師の手前、いくぶん落ち着いた調子で語りかけた。女はもう何もかも諦めたように、ぽつぽつと語り始めた。

「フランナ・スチュアート…19歳…ベイルランドのトラス村出身…」

 その姓に、書記を含め全員がハッとした。スチュアート。それは、伝説の赤毛の狙撃手ギルロイ・スチュアートと同じだったからだ。警部は訊ねた。

「フランナ、単刀直入に訊こう。ロブ・ミーガン上院議員の狙撃は、お前が行ったものか?」

「はい」

 これもまた、拍子抜けするほど簡潔な自白だった。だが、警部はまだ納得しかねる、といった様子で付け加えた。

「お前自身が狙撃銃を使用して狙撃したのか?銃はどこにある」

 これは、ある意味で誘導をともなう質問だった。なぜなら、警部もすでにそれが、”普通の”狙撃でない事は知っているからである。フランナは答えた。

「私自身が撃ったのでは…ありません」

「では共犯者がいるということか?」

「いいえ」

 フランナは見た目こそ疲弊しているが、態度そのものは決して弱々しくはなかった。その目には、意志のようなものがしっかりと見えた。そして、次の言葉に一瞬、病室は静まり返った。

「撃ったのは、父です」

 フランナはハッキリとそう言った。父。デイモン警部は、さらに誘導した。

「では、お前の父はいまリンドン市内にいるのか?どこにいる?」

「父は死亡しました…22年前に」

 通常の取り調べであれば、ふざけるなと言われている所である。だがデイモン警部はまったく動じなかった。そう答えさせるための質問だったからだ。

「22年前に死んだ父親が、どうやって狙撃を行える?」

「魔法で、魂をこの世に呼び戻した…私の身体と生命を使って、父は復讐をした。父を殺した人々に」

 ふつうに聞いていれば、倒れたショックで頭がおかしくなった病人の妄言で片付けられるところだろう。だが、やはり警部は真剣に聞いていた。脇で立ち会っている医師と看護婦は首を傾げている。警部はさらに訊ねた。

「フランナ、お前の答えはおかしい。22年前に父親が死んでいて、なぜ、いま19歳の娘のお前がいるのだ?」

「…父は二度死んだ。一度目は22年前。そして、16年前再び死んだ…私が3歳の時…」

 突然、フランナの目からボロボロと涙がこぼれ始めた。しかし、デイモン警部は容赦なく質問を続けた。

「どういう意味だ、二度死んだとは?」

 問いかけるも、フランナはそれにはすぐに答えなかった。

「お前の父親の名は?」

「ギルロイ・スチュアート」

「出身は?」

「ベイルランドのどこか…知らない…」

 それは奇妙な答えだった。父親の出身地ぐらい、どうして知らないというのか。しかも、同じベイルランドで。そこで、デイモン警部は引っ掛ける質問をした。

「お前の母親の名前と、出身は?」

「ジェニー…ベイルランド、トラス村」

 その回答に、デイモン警部はなるほどと頷いた。

「そうか。つまりお前の父親は、外からやってきた人間ということだな?それは、いつの事だ?」

 その問いにも、フランナはすぐには答えなかった。そこで警部は、みずから年数を提示してみせた。

「お前の父が、トラス村に現れたのは22年前。そうなんだな」

 それは誘導だったが、フランナは無言でうなずいた。そこで、警部もブルーも全てを理解し、そしてここにいないアーネットの推理が、完璧に的を射ていた事もわかった。

「わかった、お前が言う二度死んだ、という意味が。お前の父ギルロイは、モーラス戦争終結後、お前の母親が住む村に亡命してきたのだな」

 再び、フランナは頷く。もう隠すのも面倒になってきた警部は、知っている情報をお構いなしに利用することにした。

「ギルロイが、メイズラント軍義勇兵だという事は調べがついている。そして、部隊内で虐待を受け、戦争末期に味方に謀殺された事も、つまり、お前が言う、一度目の死だ」

 すると、フランナは初めて警部の目を見た。瞳には、哀しい光が宿っていた。

「だが、そのとき死んだはずのギルロイは、生きていたのだな。そして、メイズラントに戻っても再び殺される危険があるため、何らかのルートで故郷ベイルランドまで逃げ延びた。それが、トラス村だった」

「…そうです。母から聞きました。けれど、メイズラント義勇兵だった事は、今まで知らなかった」

 その答えに、警部は何かを感じ取って、掘り下げるために訊ねる。

「今までとは、いつの今だ?今年ということか」

「今年の…春」

「なぜ今年になって、どうやってそれを知った?誰から聞いた?」

 畳み掛けるように警部は問いかける。そして、返ってきた答えは全く予想外のものだった。

「村の…石工と靴職人の男が…村の老人の葬儀のとき、物陰で言っていたのを聞いた」

「どういう意味だ?話の辻褄が合っていないぞ」

「二人は言っていた…売った、と」

 売った。その一言で、警部もブルーも、何もかもを完全に理解した。フランナの答えは、予想通りの、そして反吐が出るものだった。

「父は売られた…父が元メイズラント義勇兵で、トラス村に亡命している情報を、村の男たちがメイズラント本国に売った」


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