(18)真相
ブルーはカトリーンを伴って、魔法捜査課オフィスに再び戻る。だが、ドアが魔法で施錠されていて、開けるとナタリーは外出している後だった。
「あそっか、さっきすれ違った車の後部座席に乗ってたの、ナタリーだ」
カトリーンは、手をポンと叩いて先刻の記憶を辿った。ナタリーは手に紐綴じのバインダーか何かを持っていた。
「アーネットになんか頼まれてたよね」
「向こうは向こうで必要な情報を揃えたってことだ。こっちも負けてられない」
ここで勝ち負けというか、プライドを持ち出すのはいかにも少年だなとカトリーンは思った。そのブルーは自分のデスクにつくと、カトリーンが魔法捜査課に顔を出した時からデスクに載っていた、分厚い革張りの古い本を手前に置いて、周りの小説の山をどかした。
「その本、何なの」
「僕の先生が貸してくれた魔導書」
「へえ、あのテマ・エクストリームの」
カトリーンの目に、わずかに輝きが見える。どうやら魔女にとって、大魔女テマ・エクストリームとは特別な存在であるらしい。
「先生がこの本に、迷った時の答えが書かれてる、みたいな事を言ってたんだ。虚心になって問いかけた時に、この本は開かれる、って」
「うへー、若い身空でそんな教育受けてんだ」
気の毒そうな視線をカトリーンは向けたが、いつもの事なのでブルーは気にせず本に手をかけ、真ん中あたりのページに指をかけて開こうとした。しかし、やはり魔導書は青白い封印が発動して、まったく開く事ができなかった。
「だめか」
「まだ、虚心になりきれてないんじゃないの」
「虚心って、どれくらい虚心になれば虚心なのさ」
まるでバカみたいな問答だな、と互いに思いつつ、カトリーンはブルーの肩を叩いた。
「ま、自分で考えられるとこまで考えようよ。必ずしもこの本に、今回の事件を解決する鍵が記されてるとは限らないじゃない」
そういう所は、軽くて大雑把でもいちおう大人なんだな、とブルーは思った。ひとまず本を開くのは諦めて、狙撃の魔法について考えてみる。
「何ヶ月か前にあった魔法の狙撃は、物体の移動魔法を利用して弾道を変え、発射地点を誤魔化すっていうものだった」
「今回は違う?」
「違うね。その時の犯人は、一度の狙撃のために下準備を事細かに整えていた。アパートの隣の部屋の人に、犯行時に在宅だったように思わせるアリバイ工作まで」
うへー、とカトリーンは面倒くさそうに顔をしかめた。その努力をもっと生産的な事に払えばいいのではないか、と。ブルーはデスクを指でトンと叩いた。
「けど、今回はそんなんじゃない。四度も五度も、立て続けに犯行を行うのに、そんな周到な下準備をする余裕があるはずはない」
「そうね。市街地のあちこちで狙撃を実行するたびにそんな準備してたら、くたびれちゃう」
「つまりだよ」
ブルーは、人差し指を立てて思考を巡らせつつ、言葉に出してそれを組み立てた。
「小説の主人公、探偵エルロック・ギョームズの方法論を借りるなら、今回の犯行はこういう風にまとめられる」
ブルーは雑紙にペンを走らせ、箇条書きに要点をまとめた。
・犯行時、犯人は何らかの手段で姿や音を消している
・弾丸は共通して、現在流通していない旧式のものである
・犯人は卓越した射撃能力を保有、あるいはそれを実現する魔法を用いている
・移動は徒歩の可能性が高いが、決して遅くはない
「こんなところかな」
「姿を消す魔法だとすれば、気流探知魔法で対処できるかもね」
カトリーンも、同じ魔導師として意見する。だが、ブルーはその可能性を一度は考えたものの、現在は懐疑的だった。
「カトリーン、姿を消す魔法には大雑把に2種類ある。ひとつは光学的に姿を透明化させるもの、もうひとつは相手の視覚に錯覚を起こさせるもの」
「うん」
「そして前者は、使用中に目が見えなくなる、という欠点がある」
「あ」
カトリーンの、初歩的な見落としだった。そう、姿を透明化すると、当然眼球も網膜も透明化する。つまり外界からの光を受け止める事ができない、盲目状態になるのだ。それをカバーするため、透明化する際は気流を読む等の魔法を併用しなくてはならない。
「そんな不完全な視界じゃ、どんな狙撃手でも難しいと思うよ。そもそも、そんな高度な魔法が使えて、なおかつ常人離れした狙撃能力も持つなんて、出来すぎてる」
「やっぱり共犯?」
「うーん」
ブルーは首をひねった。過去の狙撃や暗殺事件で、共犯というのはほぼ無かったのだ。だが、可能性としては除外することもできない。
「例の、ギュンター商会ビルで目撃されたらしい男。そいつと赤毛の女が共犯ってこともあるか」
「なるほど。…あっ、でも待って。そうなると赤毛の女が倒れた時に、どうしてその男は共犯者を放置してたのかって話になる」
それももっともな話だった。万一というか、現にカトリーンが事情聴取で病室を訪れている。そのときにアシがつく可能性を、共犯者が考えないはずはない。
ああでもない、こうでもないと、ふたりは散々議論を重ねたすえ、最終的には結局、姿や音を消す魔法を用いたに違いない、かも知れない、という曖昧な結論に至った。それ以外は思い付かないのだ。
「カトリーン、気流探知魔法は?」
「いちおう使える」
「よし。じゃあ、カッター刑事達の所に行こう」
ブルーが立ち上がったので、カトリーンはデスクの魔導書を指差した。
「その本は?」
「期待してたけど、訊いても答えてくれないもの、あてにできないよ。最悪、例のディアス・ミンターを集中的に魔法でガードしつつ、探知魔法で犯人を探すくらいの事を考えないと」
「力業だなあ」
「時間がない。急ごう」
ブルーは、カッター刑事班がどこにいるのか確認するため、アーネットに魔法電話をかけた。そのとき魔導書から一瞬、白い光が微かに弾けた事に、ブルーは気が付かなかった。
◇ ◇ ◇
暗く湿った通路で、一人の男がランタンを手に佇んでいた。呼吸が荒いのは、歩き疲れた事だけではない。意識の中で増大した、ひとつの恐怖心が全身を震わせていた。
「赦してくれ…赦してくれ」
それは祈りというより、哀れな懇願だった。だが、通路を引き返しても警察が包囲している。やむを得ず、男は震える脚を引きずるように、さらに通路を進んだ。獣の糞の臭いが鼻をつく。
実際はそこまででもないが、疲労をかかえた身体には気の遠くなるような距離を歩くと、微かな外界の光が見え、潮の香りが漂ってきた。ここから外に出れば、船着き場までそう遠くはない。海水が浸った通路を歩くと、男は外の光に目を慣らすため、帽子を深く被りスカーフで目の下を覆った。
「はあ、はあ、はあ」
ようやく外に出ると、そこは波が弾ける断崖絶壁の真下だった。よく知っている岩場のルートを、男は慎重に、陸地に向かって伝っていった。
だが、もうすぐ陸に登るための細い斜面に辿り着こうというところで、見知った顔の人物が斜面に立っているのを見て、男は仰天した。
「どっ、どうして、ここに…」
「何を言ってるのさ。ここは、おじさんが僕に教えてくれた場所じゃないか」
男は―――ディアス・ミンターは、そう語る甥の顔を見ると、岩場にがくりと膝をついた。鈍色の空の下に、カモメが一羽鳴いていた。
「ディアスおじさん、ひとつだけ答えてくれ。22年前、僕が16歳の時。父さんは確かに戦死したんだね」
問い詰めるような口調に、ディアスはたじろいだ。そこにいるのは、現在は38歳の会社の取締役ではなく、幼い頃遊んでやった、甥のゲイリーだった。ディアスは、震える唇で答えた。
「…そうだ」
「じゃあ、どうしてこんなふうに逃げ出したんだ」
ゲイリーは、一歩踏み出してさらに問うた。
「話してくれるかい。あの戦争の終わりに、海の向こうで何があったのか」
斜面を登るゲイリーのあとを、弱々しい足取りでディアスも登って行った。ディアスがいた通路からこの斜面までは、かつて没落した貴族が夜逃げに用いた秘密のルートだった。父親がこの近くに別荘を持っていたディアスは、ゲイリーが幼い頃に、彼や友人達にこのルートを教えたのだ。
斜面を登ると、そこは断崖と木立に挟まれたスペースだった。ここに釣り竿を持って遊びに来た事を、ふたりは思い出していた。
「噂を聞いた。例の狙撃事件が起きてからだ。父さんは戦死したんじゃなく、部下に殺されたんじゃないか、っていう噂だ」
ゲイリーの目がディアスを捉える。それを聞いたディアスは、無意識に首を横に振っていた。
「もしそれが本当なら、同じ部隊にいたディアス叔父さんが、なぜそれについて話さないのか、と思った」
「ゲイリー」
宥めるような調子で、ディアスは言った。だが、ゲイリーは構わず質問をした。
「殺された人達が、第7歩兵連隊の隊員だったっていう情報は、僕ももう知っている。その人達が殺されたことと、父さんが謀殺されたという噂、そしてディアス叔父さんが姿をくらました事実に、関係がないはずがない、と僕は思った。同時に、無関係であって欲しい、とも」
そのとき、ゲイリーの手元に閃くものがあった。それは、野戦用のナイフだった。ディアスは恐れ慄いて、その場にへたり込んでしまう。
「まっ、待ってくれ」
「話してよ。22年前、何があったのか。ディアス叔父さんは、殺されるかも知れないから逃げているんだろ。それは、父さんが殺された事と関係があるからじゃないのか」
もはや、ゲイリーにとって父親が謀殺されたという噂は、噂ではなく事実になっていた。当時3歳の妹と、ひとふさの遺髪となって帰ってきた父親の前で、泣き崩れた事をありありと思い出していた。もしその元凶のひとりが、敬愛する叔父だったとしたら。それをはっきりと口に出す勇気は、まだゲイリーにはなかった。
一方で、長い時間をともに過ごしてきた甥にナイフを突き付けられながらも、ディアスの生存本能が、右腰のポケットから折り畳み式のナイフを取り出させた。へたり込んだ背中の陰に、銀色の刃が震えていた。
その時だった。木立の葉を揺らし、地面の枯れ枝を踏み鳴らして、6名の人間が現れた。ゲイリーは驚いて振り向く。
「ゲイリー・マッソン! ディアス・ミンター! ふたりとも凶器を捨てろ!」
その鋭い声の主は、リンドン市で知らぬ者はいない、老刑事デイモン・アストンマーティン警部だった。警部の両脇に控える2人の刑事が、拳銃をゲイリーとディアスそれぞれに向けていた。ゲイリーは叫ぶ。
「来るな!まだ話は終わってない!」
「落ち着け、ゲイリー! ディアスにナイフを振り降ろす必要はない!」
「じゃあ、父はどうして死んだっていうんだ!」
すると、デイモン警部の背後にいた、長身のブラウンの髪をした刑事が、ひとつの書類らしきものを手にして進み出た。
「ゲイリーさん、落ち着いてください。あなたの父は戦死だった。戦況は優勢だったが、勇んで敵を深追いしてしまい、運悪く流れ弾に当たって亡くなられたんです。記録にある通りに」
「な、なんだって?」
ゲイリーは、いったい何を聞かされているのか、という顔をした。
「それじゃ、あの噂はどこから出たっていうんだ!父親のオズワルドが謀殺されたっていう!」
「それはまさに、単なる噂話です。誰かが言った事に尾ひれがついて、連続殺人とあいまって真実味を帯びてしまった」
「そ、そんな…」
ゲイリーは、まだ震える手でナイフを握っていた。まだ、その目はディアスに向けられている。
「それじゃ、いったい叔父はなぜ逃げ出したんだ!?なぜ逃げる必要がある!?」
ゲイリーの叫びが岩場に反響する。ブラウンの髪の刑事がデイモン警部に目線を送ると、警部は頷いた。
「構わん。説明してやれ、レッドフィールド」
「はい」
アーネット・レッドフィールド刑事は、何枚かに連なる印刷されたリストのようなものを開いてみせた。
「ゲイリーさん。ディアス氏は、あなたの父親の謀殺に加担などしていない。謀殺の事実がなかったのだから」
「じゃっ、じゃあ…」
「ただし」
アーネットは、へたり込んで目を見開いたディアスに視線を向けて言った。
「謀殺された人間が、他にいた可能性があるんです」
その言葉に、何かゲイリーは薄ら寒いものを感じて、思わずナイフを取り落としてしまう。アーネットは続けた。
「このリストはモーラス戦争最終作戦における、あなたのお父上のオズワルド・マッソンと、ディアス・ミンター氏を含む、第7歩兵連隊が出兵した時の名簿です。あなたのお父上の名前はここにあります」
アーネットが指差した箇所には”連隊長 オズワルド・マッソン”と、ハッキリと記されていた。
「問題は、後ろの方に記されたひとつの隊員名です。読んでください」
目の前に突き出されたリストの、アーネットが指をさしたひとつの名を、ゆっくりとゲイリーは読み上げた。
「”ギルロイ・スチュアート”…?」
その名を読み上げた直後、突然ディアスが蒼白になって取り乱し、頭を抱えて地面を転げ回り始めた。
「ひいいい!赦して!赦してくれ!」
危うく断崖から落下しかけた所を、重犯罪課のバルテリ刑事が片腕で引っ張り、草地に投げ飛ばす。ゲイリーは、いったいどうしたことかと、その様子を眺めていた。
「ゲイリーさん。これから本官が述べる推測は、もし事実でないのなら、あなたのお父上を誹謗する事になる。その時は謝罪の用意があります。そのうえで、お聞きください」
アーネットのその説明に、いよいよゲイリーに不安の色が浮かぶ。いったい、何を説明されるのか。アーネットは、もう一枚の似たようなリストを取り出すと、ゲイリーに示した。
「こちらは同じ第7歩兵連隊の名簿です。ただし、終戦後に作成されたものです。生存、死亡、負傷などの状況が併記されています。あなたのお父上、オズワルド・マッソン氏は”戦死”と」
そこに書かれた簡潔な言葉に、ゲイリーの表情に悲しい色が浮かんだ。だが、次のアーネットの説明に、それは不安の色に変わる。
「ですが、この名簿は奇妙なのです。出兵前の名簿にあったはずのギルロイ・スチュアートの名が、終戦後の名簿からは消え去っているのです」
「…どういう事だ」
訝るゲイリーに、アーネットはごく短く言った。
「私の推測はこうです。このギルロイ・スチュアートこそが、味方によって謀殺されたのです。第7歩兵連隊の中の、共謀した者達によって」
それを聞いたゲイリーは、まさか、という顔でディアスを見た。ディアスは、脂汗を浮かべて地面に這いつくばり、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「そうだな、ディアス・ミンター」
張りのあるアーネットの声が岩場に響くと、いよいよディアスの狼狽ぶりは激しくなる。目の焦点は合っておらず、眼球はぐるぐると回っていた。もはや、その反応が全てを物語っていた。
「なっ…そ、それは本当なのか、叔父さん」
ゲイリーの問いかけも、もはやまともに聴き取れる状態ではなさそうだった。叔父の前にしゃがみ込むと、その肩を強く両手で掴む。
「本当なのか、叔父さん。本当なんだな」
「赦して…赦してくれ」
「なぜ!?なぜ、そのギルロイという人を、殺さなくてはならなかったんだ!?」
「オズワルドが…」
ふいに出たその名に、ゲイリーの顔が青ざめる。
「なっ…なぜ、父さんの名前を」
問いかけるも、ディアスは震えてそれ以上語ろうとしなかった。そこへ、アーネットがさらに推理を述べた。
「あなたのお父上は、知っていたんです。ディアス氏や、先日殺害された元第7歩兵連隊の隊員達が共謀して、ギルロイ・スチュアートを戦場の混乱の最中に殺害した事を」
「なんだって…?」
「推測なので、出来事の詳しい前後関係はわかりません。ですが、判明した事実もあります。ギルロイ・スチュアートは、ベイルランド出身だったのです」
ベイルランド。その一言で、わずかにゲイリーの表情が険しくなった。
「…謀殺が事実だというなら、その理由は…」
「ギルロイ・スチュアートは、例の”伝説の赤毛の狙撃手”と同一人物の可能性が高い。そして、出兵前の名簿を見てください。はっきりと記されています。”ギルロイ・スチュアート ベイルランド義勇兵”とね」
義勇兵。その一語で、ゲイリーのみならず、周りで聞いていた刑事達も全てを理解したようだった。アーネットは言った。
「そう、ギルロイ・スチュアートは部隊内で、移民兵士として差別を受けていたんです。メイズラント国内で現在も、一部のベイルランド移民が差別されているように」
「だっ…だから殺されたと?」
「メイズラント人なら、赤毛の狙撃手がモーラス戦争を終わらせた、という伝説は知っているでしょう。ですが、あれは作り話だという説もまた、声高に言われている。どちらが真実なのか」
わざと問いかけるようにアーネットは言った。ゲイリーは、震えるディアスを見下ろしている。
「その全てをディアス氏は知っているでしょう。私の推理が正しければ、赤毛の狙撃手は実在した。そしてそれは、このギルロイ・スチュアート、終戦時23歳の兵士だったのです」
「つっ、つまり、メイズラント軍を勝利に導いたのは…」
「そうです。ベイルランド義勇兵です」
アーネットは、あえて冷たく言い放った。
「ベイルランド人の義勇兵が、メイズラント軍の英雄になる事を、第7歩兵連隊ひいてはメイズラント軍は許さなかった。だから、ギルロイは謀殺されたのです。おそらく、敵指揮官を狙撃した後に」
「そして、終戦後に名簿は改ざんされた…」
「おそらく隊員には、ギルロイの名を忘れるよう通達がなされたでしょう。この出兵前の名簿は、とある所に保管されていたのです。良心の呵責に耐えられなかった誰かが、秘密裏に保管したのでしょう。全く関係ない書類のバインダーに、こっそり挟んであったそうです」
それが当てずっぽうの推理でない事は、ディアス・ミンターの様子でわかった。そして、おそらくは自らの父が、民族差別によるギルロイ謀殺を黙認していたであろう事実に、ゲイリーもまた愕然として、地に膝をついたのだった。




