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(16)厳戒態勢

 無駄な魔力は消費したくないので、ブルーはレイラインを探りながら、魔力で強化された脚でリンドン市内を駆け抜ける。これは、モリゾ探偵社のジリアン・アームストロング嬢から習得した肉体強化魔法だ。

 ただし、強化していると言っても本体は13歳の身体なので、4キロ以上の距離を駆け抜けるとそれなりの負担はかかる。

「お待たせ!」

 ブルーは、公園のベンチに何やら手帳を広げてしかめっ面をしている、アーネットのそばに降り立った。

「早かったな」

 息を切らせるブルーに、アーネットはあっけらかんと言った。急げと言われたから急いで来たのに。

「どういう状況?」

「さっき言ったとおりだ」

「人気がないね」

 ブルーは公園の周辺をぐるりと見回す。現場に近付くほど人の往来が少なくなるのを、屋根やら塀やらを飛び越える最中に見てきた。

「当然だ。連続殺人犯がいるから市民は家から出るな、って通達して回ってるからな。ヒマな野次馬どもも、話題より命の方が大事だとわかったらしい」

 さり気ない皮肉を挟みながら、アーネットは何やら手帳に地図らしきものを書き込んでいた。

「何描いてんの?」

「大雑把なここら一帯の区画だ。今の、例の女の足取りを推測して辿ってみた」

 ブルーが覗き込むとそれは、記念病院がある辺りから、大通りを避けて何やらいったん大きく横に逸れ、そこからカーブを描くように事件現場に向かっていた。

「もちろん正確なトレースではないと思うが、聞き込みしたカフェだかパブだかの情報からすると、こんなルートになる」

「どうしてこんなフラフラ歩いてるんだろ。標的の家、知らなかったのかな。殺されたの、なんて人?」

「キム・サーストン46歳、庭師だ。いま、詳しい経歴をナタリーに洗ってもらってるんだが」

「例の歩兵連隊出身かな」

 ブルーの推測は今の状況からすると濃厚だったが、ほどなくしてナタリーから魔法電話がかかってきた。

『アーネット、当たりよ。キム・サーストンはモーラス戦争で第7歩兵連隊に所属していた』

「なるほど。予想するまでもなかった事だがな。それ以外は何かわかったか」

『関係あるかわからないけど、終戦直後に精神疾患で退役してるわね。その後、精神安定のために始めた庭いじりをきっかけに、勉強して庭師の資格を取っている』

「精神疾患?」

 アーネットは訊ねたが、解答は素っ気ないものだった。

『終戦当時サーストンはまだ20代。若い兵士が心を病むなんて当たり前にある事よ。病院では、”スチュアートに殺される”って何度も唸ってたらしいわね』

「スチュアート?誰だ、そいつは」

『さあ。見捨てて逃げた同僚とかじやないのかしら。仲間を見捨てて生き残った負い目から、戦争が終わってなお罪悪感に苛まれる』

 それもよくある話だ、とナタリーはため息をついた。生き残ったからといって、何もかも無事に済むわけではない。

「その、スチュアートってのは部隊の名簿に載ってるのか?」

『それはわからない』

「調べといてくれ。じゃあ切る」

 それだけ言うと、アーネットは通話を切った。今はまだマシになったと言われるが、急でぶっきらぼうのレッドフィールド、などと若い頃は言われたものである。

「また新しい名前が出てきやがった」

「案外、例の赤毛の狙撃手の名前だったりして」

「赤毛の狙撃手はギルロイだろう。よし、捜索してるカトリーンといったん合流するか」


 カトリーンと合流したアーネット達は、手早く屋台で買い込んだウナギの煮凝りやらフィッシュ・アンド・チップスやらを胃袋に放り込みつつ、互いの情報を交換した。カトリーンや警官たちの捜索も空しく、赤毛の女の足取りはまた途切れてしまったようだった。

「あのさ、ふと思い出したんだけど」

 ポテトをかじりながら、カトリーンが言った。

「アーネット、私が彼女の病室にいた時、”ギルロイ”の名前を訊いてみろ、って連絡してきたでしょ」

「ああ」

「あの時私、いったん廊下に出たんだ。で、ドアを少し開けた状態で、アーネットに”ギルロイ?”って訊き返したんだよね」

「ふうん」

 それが何か、とアーネットは木製の使い捨てのヘラで、ぶるぶるしたゼリーと一緒にウナギを口に運ぶ。美味くも不味くもないが、メイズラントの外から来た人間は眉をひそめる味らしい。

「その、廊下で私が言ったギルロイって名前が、彼女に聞こえてたとしたら、どうかな」

 紙のカップをほじくるアーネットの手がふと止まる。カトリーンは続けた。

「つまり、そのあと私が病室にまた入った時に…」

「すでに赤毛の女は、ギルロイという名前に何らかの反応を見せていた、ってことか?」

「そう。私が廊下にいた時、すでに記憶が戻っていた。けれど、私には戻ってないフリをしていたとすれば、どう?」

 なるほど、とアーネットは頷いた。

「その可能性はある。そして状況を把握すると、再び犯行を行なうために病室を抜け出した」

 いちおう、辻褄は合っている。そうなると、改めてひとつの可能性が浮上した。

「それが本当なら、赤毛の女はギルロイという名に覚えがある、という事に他ならない」

「うん」

「ギルロイなんてそうそう聞く名前じゃない。つまり、赤毛の狙撃手ギルロイは実在した、という事なのか」

 アーネットはそのとき、ふとそれまで考慮していなかった要素について考えた。

「…伝説の赤毛の狙撃手は、”長髪の赤毛の若い兵士”だったよな」

 それは、メイズラントの少年少女が子供の頃に必ず触れる伝説だ。

「実在したというなら、終戦時に仮に20から24歳くらいだったとしよう。それから22年の月日が流れている」

「生きていたなら、いま40代半ばってとこ?」

「…生きていればな」

 そのアーネットの何とも冷たい表情に、カトリーンもブルーも一瞬、背筋が寒くなった。それはアーネットに対してではなく、おそらくアーネットが辿り着いたであろう、何らかの結論に対してだった。

 アーネットはすでに、事件の全貌を理解している。すでに3年以上仕事をしているブルーには、その確信があった。だが、それを訊くのが怖くもある。

 そこへ、制服警官がひとり、ガチャガチャと装備品を鳴らして駆け寄ってきた。

「レッドフィールド刑事!」

 何やら見知った、金髪の若い警官である。それは以前の事件で犯人と旧知の間柄だった、ドーン青年だった。

「ドーン、久しぶりだな。どうした」

「はい!鑑識の結果を伝えに来ました。三件目の狙撃に使われたのも、おそらく旧式の軍用狙撃銃だろう、ということです」

「なるほど。まあ、そうだろうな」

 もう、確認するまでもない事だ、とアーネットは思った。

「でも、鑑識は首をひねってるみたいです。何十年も前に生産が中止になってる銃弾にしては、驚くほど物が新しい、と」

 その情報に、アーネットは無言で曇り空を睨んだ。返答がないドーンは、ブルーに目線を送ったが、ブルーは黙ってアーネットの答えを待っていた。アーネットはブルーを見ると、意地悪そうな笑みを浮かべた。

「そろそろブルーの出番だな」

「何それ」

「今回の件は魔法犯罪だ。間違いない」

 アーネットはそう断定する。ブルーとカトリーンは怪訝そうに顔を見合わせた。そこへ、杖が鳴動を始め、黄金色に明滅する。ナタリーからだ。

「もしもし」

『アーネット、私。いま調べたけど、スチュアートなんて名前は、第7歩兵連隊の名簿に載ってないわね。Sで始まる名前でスティーブンソンとか、ステップニーはいるけど』

「なるほどな」

 アーネットは、何か得心がいったように頷くと、ナタリーに再び注文した。

「ナタリー、君ルートで調べて手に入れて欲しいものがある」

『あのね、私地下で待機中なんだけど』

「いいよ、もう。好きなカフェで昼食を取って、好きに外で動けばいい。どうせ今回の待機任務は、警視総監あたりが下らない嫌がらせでやらせた事だろう」

 そのアーネットの憶測に、脇で聞いていたブルーも電話の向こうのナタリーと一緒に仰天した。

『どういうこと』

「どういうって、警視総監は俺達魔法捜査課が嫌いだからさ」

『何それ』

「ある意味では、今回の事件の真相と通じるものがある。まあ、それはどうでもいい。ナタリー、君に手に入れて欲しい情報っていうのは…」


 ◇ ◇ ◇


 デイモン警部は次々と舞い込んでくる情報に、目の前の昼食をテーブルごとひっくり返してしまいたい気持ちを必死に抑えていた。

 身元不明の赤毛の女の失踪、新たに起こった狙撃事件。馬や自動車で連絡係の刑事が到着するたび、反射的に耳を塞ぎたい気分だった。

「レッドフィールドの奴は何だと言っている?」

 何の罪もないが、憤りを込めてフォークを突き立てられた哀れなソーセージを気の毒そうに見ながら、若い刑事は報告した。

「今回の件は魔法犯罪であり、犯人は身元不明の赤毛の女で、ゲイリー・マッソンではない、そう警部に伝えろ、と」

「そうレッドフィールドが言ったのか」

「そう言っていたと伝えろ、と私は言われました。一言一句間違ってはおりません。たぶん」

 もはや伝言ゲームだ。だがアーネットは根拠もなく、現場を混乱させるような事を言う男ではない。連絡係の刑事はさらに続けた。

「それと、ゲイリーは逮捕ではなく、ディアスと接触する前に保護せよ、と」

「どういう意味だ」

「状況次第で、逆にディアスがゲイリーを殺そうと考える可能性もあるため、だそうです」

「なんだと!?」

 さすがに、その推測にデイモン警部は驚いた。なぜ、ディアスが甥のゲイリーを殺さなくてはならないのか。

「今、あるデータを魔法捜査課のイエローライト巡査に調べさせているそうです。その、たったひとつのデータが、全てを裏付けてくれると」

「わしらの役目は兎にも角にも、ゲイリー・マッソンの保護ということだな」

 確保から保護へ。意味合いは違うが、やることは同じだ。そこへ、バルテリ刑事が筋肉太りの身体を揺らして駆け付けた。

「警部、ゲイリーらしき男が南に向かっていたという情報を掴みました」

「確かか」

「雑貨店に立ち寄っていたようです。やはり、ディアス・ミンターを追っているものと思われます」

 報告を受けると、デイモン警部は冷めかけた紅茶を一気に飲み干して立ち上がった。

「よし、我々はゲイリー・マッソン保護に全力を上げる!そして、例の赤毛の女の確保も同時進行で行う!魔法捜査課との連携も怠るな!」

「了解!」

 

 ◇ ◇ ◇


 他方、ディアス・ミンターを追跡していたカッター班は、チェザー市の市警からそれらしい人物が現れた報告を受けていた。だが、いっとき姿を見せたあと、どこかに姿を隠してしまったという。

「市警の警戒を強めすぎたか」

 カッターは頭をかいた。地方組織である市警に無理を言って警戒網を張らせている手前、そこに文句を言うわけにも行かない。だが、ひとつだけ安心材料はあった。カッターは埠頭から、曇天の下に広がる海を睨んだ。

「ひとまず、港から海の外に逃げられるのだけは阻止できた。確保は時間の問題だ」

「そうだといいのですが、逆にブライトコートに逃げられる可能性はないですか」

 ジャックは言葉こそ丁寧だが、目上にも平然と意見をする度胸は備わっているようだった。カッターには、それぐらいの方が好ましく見えた。

「もう、そっち方面の街道の出入り口も網を張っている。問題ない」

 重犯罪課は追跡のプロである。カッターには、すでにディアス・ミンターを確保できるという確信があった。ゲイリー・マッソンも、百戦錬磨のデイモン警部に任せておけば心配ない。

 だが、そこまで考えて、ふとカッターはひとつ疑問がわいてきた。

「どうしてディアス・ミンターは、警察の保護を求めてこなかったんだ?もし自分の命が狙われているという確信があったのなら、お前ならさっさと警察に駆け込まないか、ジャック。どのみち、第7歩兵連隊時代にオズワルド・マッソンが謀殺されたかどうかなんて、正確なところはわかりっこないんだ。仮に事実だったとしても、俺ならそれを伏せて、警察に保護してもらうぞ」

「それは判断次第でしょうね。警察に駆け込む方が自分で逃げるより、安心だとは思います。けれど、それによって自分の過去の犯罪がばれる可能性が出てくるよりは、一人でこっそり証拠の隠滅をはかる選択もあるんじゃないでしょうか。追われているのを利用して、逆に相手を始末する、とか」

 なるほど、と答えた直後に、カッターは何か、とてつもない履き違えをしていたような気がしてきた。そこで思い出したのは、ブルーから伝えられた、元相棒・アーネットからの伝言だ。アーネットは、謎の”赤毛の女”が事件に密接に関わっている、と考えているのだ。そこへ、ジャックがぽつりと言った。

「そいえば連絡係から聞きましたが、デイモン警部もなんだか釈然としていないみたいです。何か、自分たちが勘違いをしているような気がしてならない、と」

「勘違い?」

「ええと…選んだ店は正しかったけれど、買う品物を間違えて出てきてしまった、とか」

「なんだ、そりゃあ」

 デイモン警部にしてはえらく洒落た喩えだ、と苦笑したあとで、カッターも何となく、その言わんとするところがわかるような気がしてきた。何か肝心なところで間違いがある。そして、アーネットはひょっとしたら、その全てを理解しているのではないか、とも思い始めていた。


 ◇ ◇ ◇


 リンドン市内はすでに、ひっそりと静まり返っていた。連続殺人が起きている以上、厳戒態勢が敷かれたのだ。市民は急を要する理由なく外出は禁止、カーテンを閉め、決して姿を見せないようにと通達がなされた。市内は警官と歩兵の両方が警戒にあたり、ものものしい雰囲気だった。

「この状況下じゃ、さすがに犯人も移動は難しいかな」

 ブルーは、突撃銃を構える歩兵を見て言った。だが、アーネットはまだ慎重である。

「油断はできない。相手はいったい、どういう方法で狙撃を行っているのか、それがわからない間は答えは出せない」

「そうなのかな」

「それを解かない限り、たとえあの赤毛の女を確保できても、犯行を止める事はできないかも知れん」

 もう、アーネットにとっては赤毛の女が狙撃の犯人だという確信があるようだった。だが、カトリーンにはまだ疑問があった。

「そんな犯行を行うような人には見えなかったんだけどな」

「まさかあの人がそんな事件を、なんてのはいつもの事だ。この稼業をやってるとな」

 アーネットの言葉には重みがあった。まさか、普段は優しい人なのに。信じられない。そんな会話を何度聞いてきたかわからない。

「じゃあ、具体的にあの女の人は、どうやって相手を狙撃したっていうの?目撃情報で、ライフルを背負ってたなんて話はなかったよ」

「そこは謎ではある。だが逆に、それさえ解けば全ての狙撃の説明がつく」

 アーネットは、遠雷が響くのを聴いた。そろそろ降りそうな気配だ。

「どうだ、ブルー。仮に魔法だとしたらどんな魔法か、思いついたか」

「そんな簡単に出てこないっての。そもそも魔法が本当に使われてたかどうかも、ハッキリしないってのに」

 ブルーは唸った。今までのケースなら、ある程度魔法の謎を解く事はできた。だが今回に関しては、まったく見当がつかないのだ。

「先生なら3秒とかからないで、全部解いちゃうんだろうなあ」

 あるいはもうすでに何もかも、師テマ・エクストリームは知っていたのではないのか。あの古い革張りの魔導書を手渡された夜、これから何が起きるのか、見通していたような気がしてならない。

 事件は幕が降りつつあるのか、まだいくつかの幕があるのか。まるで、シナリオがない劇に出演させられているようだ、とブルーは思った。

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