(15)異変
何者かによって、女旅行者は意識を魔法で操作されていた。だとすれば、それは誰の仕業なのか。アーネットは訊ねた。
「確証はあるのか?単なる記憶喪失という事だってあり得るだろう」
「私あの人とじかに話したからわかるけど、記憶というより、なんだか人格そのものがおかしな感じだった。今思えば、あれは強力な意識操作魔法の副作用によく似ている」
そのカトリーンの口ぶりから、彼女というか”彼”の魔法の知識はそれなりに高い、とブルーは思った。本人は下っ端などと言っているが、ひょっとしてジリアンくらいの実力はあるのではないか。
だが、アーネットはそこでいったん手を上げて、カトリーンを落ち着かせた。
「まあ待て。君の推測はあるいは正しいかも知れないが、間違っている可能性もある。俺の推測も同様だ。何にしてもその女性を保護しなくては、正確な話は見えてこない」
アーネットに、カトリーンもブルーも頷いた。
「俺達は魔法で連絡を取り合える。ひとまず二手に分かれて、その女性を捜そう」
「どうやって捜すの?どこ行ったか予測もできないのに」とブルー。
「まず、俺とカトリーンが病院周辺を探る。俺はこの中じゃ土地勘があるし、カトリーンは直にその人を見ている」
「僕は?」
ブルーは、単独行動が多少心許ないのか、やや不満げに他の二人を見た。
「お前は、ディアス・ミンターやゲイリー・マッソンを捜索している重犯罪課の連中と合流して協力しろ。それと向こうにも、赤毛の女性が行方不明である事を伝えるんだ」
「なんで?」
「この女性はおそらく、今回の事件と関係がある可能性が高い。それなら重犯罪課の捜査線に引っ掛かる可能性もある。もし厄介な魔法が関連しているなら、お前の力が必要になる」
なるほど、とブルーは納得して頷いた。魔法のスキルがあっても、やっぱり刑事としてはまだ半人前である。
「わかった。そっちは任せたよ」
「頼んだぞ。カッターかデイモン警部に、俺から合流しろと言われた、と伝えておけ」
こうして、ひとまずアーネット・カトリーン組とブルーは二手に分かれた。時刻は10時半すぎ、西から雨雲が近付いているのが見える。雨の捜索は勘弁してくれ、とアーネットは祈った。
◇ ◇ ◇
他方、ディアス・ミンターを捜索している重犯罪課のカッター班は、わずかにそれらしい目撃情報が得られていた。
「確かなんだな」
カッターは、ジャックからの報告に念押しして確かめた。
「はい。カッター刑事が言われたように、西の郊外付近の商店主が、乾燥パンや干し肉を買い込んだ年配の男性を見かけたと。ターバンみたいなもので不自然に髪を覆っていたのが、かえって印象に残ったそうです」
「どっちに行った?」
「南の街道方向に歩いて行った、と」
「間違いないな。ディアス・ミンターだ」
カッターは頭の中で情報を瞬時に整理すると、ジャックに言った。
「方向的には、ブライトコートではないかも知れん。もっと西寄りの…」
「チェザー市あたり?」
それだ、とカッターは指を立てた。港町チェザー市は、ブライトコートを海岸伝いに西に行った所にある。さほど大きくはないが、港からは国内外各地に客船も出ていた。
「よし、そっちの市警に連絡を入れろ。徒歩の旅行者ふうの年配男性を見かけたら保護しろ、と。ブライトコートも念の為、網は張っておけよ」
「了解しました!」
走り去るジャックを見ながら、カッターは考えた。目撃情報を掴めたのなら、一歩前進だ。そしてディアスを確保できれば、それを追って失踪した可能性が高い、甥のゲイリーの確保も時間の問題だろう。
「ようやくか」
何やらややこしい事件だったが、事件の鍵を握ると思われる人物さえ確保できれば、解決の糸口は見えてくる。
そこへ、何やら知った顔の少年が駆け寄ってきた。もと相棒の部署の”秘蔵っ子”、アドニス・ブルーウィンド巡査13歳だ。
「見つけた!ぜー、ぜー」
どうやら、だいぶ駆け回ってきたらしい。まだ少年であり、刑事としては体力が足りないのが目に見えてわかる。
「どうした。レッドフィールドのやつは一緒じゃないのか」
「向こうは向こうでちょっとね。カッター刑事、僕もこっちに合流するよ」
「ほう?レッドフィールドに言われたか」
どうやら、やっと待機任務とやらは解かれたらしい、と考えて、カッターはすぐに否定した。おおかた、レッドフィールドが独断で命令を無視して動いたのだろう。
「お前さんが俺の所に来るとは珍しい。なんか情報ありか」
「うん。リンドン記念病院に行き倒れで入院してた、ベイルランド出身と思われる、赤毛の女性。彼女が失踪した」
「なんだと?」
カッターの眉間にシワが寄る。
「それで、どうした」
「いま、アーネットともう一人、例の探偵のお姉さんが捜索してる。アーネットは事件に関係あり、っておもってるみたい」
「そりゃつまり、”そっちの案件”ってことか?」
そっちの案件、要するに魔法に関する話か、ということだ。ブルーは難しい顔をしてみせた。
「なんとも言えない。とにかく僕は、こっちに協力するのを優先しろって言われてる」
「そうか。まあ、頭数が増えるだけでも助かるってもんだ。頼んだぞ、ブルー」
ふだん、捜査で直接組む事がないカッターは、アーネットともデイモン警部とも微妙にノリが違うな、とブルーは思った。
◇ ◇ ◇
一方そのころ赤毛の女性を捜すアーネット達は、営業準備中のパブのマスターから、カトリーンが描いた人相書きの風体の女性を見かけた、という情報を得ていた。
「何時ごろですか?」
「けさの…まだ、日が登り切る前だからなあ。4時台かな。カーキ色っぽい、膝まであるワンピースのジャケットで。腰はベルトで留めてたかな。バッグも提げてたと思う」
初老のマスターは、手ぶりでその格好を伝えた。アーネットはカトリーンに確認する。
「服装は間違いないか」
「着てるところを見てはないけど、病室にかけられてた私服はそんな感じだったと思う」
「間違いないな。それで、どっちに行きました?」
マスターの話だと、なんだか重そうな足取りで、博物館がある地域の方向に歩いて行ったという。アーネットとカトリーンは、すぐに移動を開始した。
「博物館のあたりって、どうなってるの?」
「周辺は公園と住宅地だ」
「治安は?」
「リンドンじゃ、ましな方だ」
そう聞いて、カトリーンは少し安心したようだった。女性が1人で歩くには危険な地域もある。
「けど、なんで明け方にそんな方向に歩いて行ったんだろうね。今の時間帯なら、単なる観光客だろうけど」
なぜ、夜中にわざわざ病室を抜け出す必要があるのか。
「夜が明けるギリギリを見計らって出たんだろう。真夜中じゃ人目にはつかないが、道もわからないからな」
「記憶は戻ったのかな」
「さあな。カトリーン、お前が例の”ギルロイ”の名前を出した時、何の反応も示さなかったんだよな」
カトリーンは、病室でのやり取りを思い出す。ベッドに半身を起こした彼女にその名を訊ねても、表情ひとつ変えるでもなかった。実在が疑わしい狙撃手ギルロイ、その人物と同じ赤毛の女性。
「うん。ねえ、なんでギルロイの名前を訊ねさせたの?」
「ん?ああ、単なる思い付きだ。同じ赤毛だからな」
「何よそれ。それなら、私だってこのとおり赤毛よ。まあ、家系図を辿ればどっかで、”緋色の射手”に繋がったりして」
冗談めかしてカトリーンは言うが、アーネットはふいに立ち止まって、また地面を睨むように考え始めた。
「…赤毛の狙撃手ギルロイが実在して、なおかつベイルランド出身だったとすれば」
「え?」
「あくまで想像だが、その女性が、伝説の狙撃手と血の繋がる関係だったとすれば、どうだ」
それは可能性としては、あるともないとも言えない推測だった。実在したかどうかもわからない狙撃手の肉親。
「まあ…絶対ない、とは言えないかも知れないけど。仮にそうだとして、繋がってたからどうだ、っていう話にならない?」
「だが、今回の事件にモーラス戦争終結時の混乱が関係しているのは、おそらく確定している。そこに、少なくとも隊員が手記に残していて、伝説にも語られる”緋色の射手”と同じ赤毛の女性が現れた。これが偶然か?」
そう言われると、カトリーンも反論できない。だが、2人がそれを考えるのは、突然周囲が騒がしくなった事で中断させられた。
「なんだ?」
アーネットが、バタバタと駆けてゆく足音に気付いて周囲を見回した。すると、制服警官がガチャガチャと官給品を鳴らして、アーネット達がいま向かっている、博物館がある地域に向かって行くのが見えた。
「おい!」
「なんかあったんだ!」
いきおい、アーネット達も慌てて警官を追う。
公園から一区画はさんだ通りの一軒の邸宅が、警官隊によって封鎖され、騒然となっていた。アーネットは警察手帳を示して、手近な若い制服警官に訊ねる。
「本庁のレッドフィールドだ。何があったんだい」
「はっ、ご苦労さまです!この家の当主とみられる男性がつい先ほど、庭で倒れている所を発見され、どうやら頭部を狙撃されたものと見られています!」
その報せに、アーネットもカトリーンも愕然とした。慌てて現場に入ると、制服警官達が右往左往している。
「何やってんだよ」
悪態をつくと、もと重犯罪課のアーネットは慣れた様子で、倒れている遺体の所へと進み出た。つい勢いでカトリーンも一緒に入って来てしまったが、アーネットの同僚だと思われているらしい。れっきとした部外者である。
「本庁には?」
アーネットは遺体の特徴をチェックしながら、傍らの警官に訊ねた。
「はっ、すでに連絡を入れましたが、重犯罪課は別件で出払っていたため…」
「制服警官を回したってことか。まあ俺ももと重犯罪課だ。鑑識は?」
「まもなく到着するものと思われます!」
仰向けに倒れて頭から大量の血を流す、50前後くらいの癖毛の男性。その一方で、同じくらいの歳とみられる女性の脈を診る警官がいた。おそらくこの男性の配偶者で、現場を見て卒倒したのだろう。
「身元確認は進めてるな?君達は周囲で聞き込みをしてくれ。不審な人物を見ていないか」
「はっ!」
勝手に現場を仕切っていいものか、とアーネットは思ったが、状況が状況なのでやむを得ない。遺体のもとに片膝をつくと、入念に様子を観察する。
「こいつは…」
遺体に触れないよう注意して、遺体と周囲を視る。被害者は高さ100cm程度の木製の脚立とともに倒れており、傍らには剪定ばさみが落ちていた。どうやら庭の手入れをしていたようだ。
「倒れた方向からすると、被害者は北を向いて木の枝を切っていたようだ。狙撃方向は東方向からと見られる」
邸宅の庭の東は正門がある面だが、正門の前は広い通りになっていて、人の往来もそれなりにある。
「…どういう事だ」
そんな所で銃を撃てば、容易に目撃されてしまう。それに一帯は大小さまざまな住宅が並んでおり、今も喧騒が反響している。銃声も容易に反響するだろう。
「同じだね。今までの二件と」
「まだ早合点はできない…と言いたいところだが」
どう考えても、これまでの事件と共通する要素が濃厚である。そして状況から判断すると、ひとつの結論に到達せざるを得なかった。アーネットはカトリーンを振り向く。
「カトリーン。あの女性が倒れて入院していた間、狙撃は起きていなかった。そして、彼女が病室から失踪した直後、彼女を追跡していた先で再び狙撃が起きた。もう、子供が考えてもわかる話だ」
「…一連の狙撃の犯人は、あの赤毛の女性」
もう、それ以外に可能性はなかった。そしてそれは、いま重犯罪課が追っている失踪中のゲイリー・マッソン38歳が、おそらく犯人ではなかった事を意味する。だがそうなると、違う謎が浮上する事になった。
「じゃあ、ゲイリー・マッソンはどうして失踪したの?犯人ではないのに」
「それはわからない。いま最優先でやるべき事は、赤毛の女性の確保だ」
アーネットは、魔法の杖を取り出すと耳にあてがった。
◇ ◇ ◇
重犯罪課のメンバーと地道にディアス・ミンター捜索にあたっていたブルーは、内ポケットの魔法の杖が鳴動するのに気がついた。取り出すと、杖の先端が赤く明滅している。
「アーネットだ。もしもし?」
杖を耳にあてると、アーネットの声が返ってきた。これは、レイラインを利用した”魔法電話”である。
『ブルーか。今どこだ』
「カッター刑事と一緒だよ。例のディアス・ミンター捜索を続けてる」
『その様子じゃ、まだ連絡は届いていないみたいだな。悪いがカッターに代わってくれ』
アーネットの意味ありげな言葉に、ブルーは首を傾げつつ、少し離れたところにいたカッター刑事に駆け寄った。
「カッター刑事、アーネットから」
「ん?」
唐突に杖を差し出されたカッターは、何を言っているのか理解しかねる様子だった。
「レッドから?何をふざけてるんだ、あいつは。俺に魔法なんか使えるわけねえだろ」
「そうじゃなくて!」
ブルーは、らちが明かないのでカッターの耳に杖を押し当てる。すると、杖から突然アーネットの声がした。
『カッター、聞こえるか!』
「うおおお!なんだ!」
ベテラン刑事が全身で驚いて仰け反る光景はなかなか面白いとブルーは思ったが、それどころではなさそうだった。
「驚くのは後にしてよ。魔法で遠隔通話できるの」
まだ一般人に魔法は理解しがたいようで、カッターが落ち着くまでは7秒ほどを要した。だがカッターは、アーネットからもたらされた情報に、魔法どころではない驚きを覚える事になる。
「…マジか」
『ディアス・ミンターの保護を急いでくれ。こっちの被害者の経歴はハッキリしていないが、今までの流れからすると、例の第7歩兵連隊所属だった可能性もある。第7歩兵連隊に所属していた人間から、さらに被害者が出るかも知れん』
「ちょっと待て!…ええと、つまり…なるほど」
カッターは、アーネットからの連絡内容を頭で必死にまとめると、深刻な表情で返した。
「わかった。お前はその女を追うんだな」
『ああ』
「しかしレッド、そうなるとひとつの疑問が浮かんでくるぞ。その女はなぜ、もと第7歩兵連隊所属の人間を殺害しなくてはならないんだ?」
緊急事態ではあるが、カッターはその点について問わずにおれなかった。なぜ、ベイルランドから来たと思われる女が、第7歩兵連隊の人間を殺害する必要があるのか。アーネットの答えは明快だった。
『そんなこと知らん。人が意図して人を殺す理由は5通りだ。ひとつは趣味、ひとつは利己心、ひとつは防衛、ひとつは仕事、そしてひとつは恨み。そして、女の動機がそのどれに該当しようが、俺たちの仕事はふたつだけだ。殺されそうな人間を守ること、殺す人間を逮捕すること』
他の事はそれが終わってからだ、とアーネットは答えた。まったく明快だ。重犯罪課時代から、まったく変わっていないとカッターは思った。
「そうだな。そっちは任せたぞ、レッド」
『ああ。それじゃブルーに代わってくれ』
そう言われると、カッターは怪訝そうに杖をブルーに返した。まだ魔法を受け入れ切れていないようである。
「もしもーし」
『ブルーか。注文が多くて悪いが、頃合いを見てこっちに来てくれるか』
「ええー?」
ブルーは本日二度目の悪態をついた。行けだの、戻って来いだのと忙しない。
『おそらく、女は魔法を用いて狙撃を行っている。それがどんな魔法なのかわからないが、今までにない魔法である事は間違いなさそうだ。お前の知識と力が必要だ』
「僕の知識だって限界はあるよ」
『いいから来い!リンドン博物館前の公園だ!』
それだけ言うと、アーネットは通話を切ってしまった。ブルーはブツブツと文句を言いながらカッターに適当に説明すると、脚に強化魔法をかけて一瞬でその場を走り去ったのだった。




