(13)行方
カッター刑事は考える。自分が逃走するなら、どういうルートを選ぶか。
「ジャック、いいか」
資料を確認しているジャックを、カッターは呼び止めた。なんでしょう、と制服時代の仕草が抜けない様子でジャックは直立した。
「郊外に近い食料品店で、保存がきく食料を大量に買い込んだあと、市街地を出て行った徒歩の旅行者を見ていないか、手分けして当たってくれ」
「はっ?食料品店、ですか」
つい、ジャックも訊き返してしまう。どういう事ですか、と。カッターは答えた。
「そう難しい話じゃない。お前、これからどこかに逃げようっていう時に、夏場で観光客がごった返す乗り合い馬車の停留所とか、駅に行くか」
「…行かないと思われます。現在すでに、我々警官がそうした場所を張ってますから」
「そうだ。たとえば、あまり観光ルートと重ならないマイナーなルートを通って、比較的辺ぴな港まで逃げる事を考えるかも知れない。例えば以前の連続殺人事件で、港町マルターンまで逃げた犯人のようにな」
それは春の、煙突掃除夫が連続して殺害された事件の犯人の逃走経路だった。ジャックは険しい顔で頷く。
「つまり国外まで?」
「その可能性もあるが、海外だけとは限らない。国内だって、海を隔てたパークマスといった土地もある。陸路が遮断されれば、探すのは容易ではなくなる」
カッターの考える最も可能性の高いルートは、南の港町ブライトコートを通って、メイズラント本土とは海峡を隔てた島のパークマス市あたりに逃げる、というものだった。
「今言った条件で、各市警にも捜させろ。それとな、床屋も当たるんだ。人相を変えるために、ヒゲを剃って髪型も変えているかも知れん。足取りさえ掴めれば、推測も容易になる」
とにかく、立ち寄りそうな場所を手当たり次第に確認する。もう、それ以外ない。
「地下で寛いでる魔法捜査課の連中は駆り出せねえのか!」
誰にともなくカッターはぼやきながら、ジャックを伴って再び駆けて行った。
一方、デイモン警部は謀殺された可能性がある、オズワルド・マッソンの息子ゲイリー捜索の指揮を取っていたが、こちらに関してもカッター班と大差ない状況だった。だが、いかにリンドン広しとはいえ、2人の失踪者にこれだけ捜索の網を拡げても、まるで引っ掛からないのはなぜかと警部は考えた。
「何か、決定的な勘違いを犯しているような気がしてならん」
独り言のようにつぶやく警部に、若い刑事が訊ねた。
「間違いとは?」
「それがわかれば苦労はせん。お前はわしよりずっと脳みそが若いんだ、なにか閃かないのか」
「無茶苦茶言わんでください」
やけにガタイのいい短髪の刑事、バルテリは歩きながらぼやいた。それを言うなら、百戦錬磨のデイモン警部こそ年季の違いを見せろ、と。その期待に応えたのかどうか、警部は立ち止まると、煙草を取り出しかけてまた仕舞いながら振り向いた。
「モーラス戦争の終結時に何かがあった。それは、当初はあの二人の…カッターとレッドフィールドの推測というか想像だったが、事ここに至ってはそう考えざるを得ん。同じ部隊にいたうちの2名が狙撃され、1名が事件と並行して失踪、さらに死亡した元隊員の息子も失踪。何もない、と考える方がおかしい」
腕を組み、ガス燈の灯りのもとで考え込む老練の刑事の姿は、探偵小説の挿絵かとも思えた。
「そこまではいい。第7歩兵連隊に何かがあった。それが今回の事件の根っこにある。それは間違いない」
だが、と警部は言った。
「何かこう、引っ掛かる…根拠があるわけではない。喩えるなら」
警部は、鎧戸が締まっている雑貨屋か何かを指差した。
「入った店は正しいが、品物を間違えて買った事に気付かないまま、帰路についてしまったような、そんな感触がある」
「その喩え、上手いんですか」
バルテリの突っ込みは無視して、デイモン警部は空をあおいだ。
「わしの疑問はこうだ。仮に、オズワルド謀殺が事実だったとして、その可能性を、家族の誰一人として考えなかったのはなぜだろう、と。失踪した息子の妹も、母親もだ」
「そりゃあ、死んだ一家の主の謀殺に従兄弟が加担していたなんて、誰も想像しないでしょうよ。親も兄弟もみんな敵、が当たり前の、中世の戦国時代ならいざ知らず」
バルテリの言うこともいちおう、筋は通っていると警部は思った。まだ推測の段階ではあるため、謀殺の可能性についてはオズワルドの家族には伏せている。だが、警部の直接の疑問はそこだった。
「仮に謀殺が事実で、従兄弟のディアス・ミンターの関与も事実だとしよう。では、息子はその事実を、いつ、どこで知ったのだ?」
「それはまあ…例えば、その従兄弟が誰かと、過去の事実について話していたのを聞いてしまった、とか。それで恨みを抱いた」
バルテリの想像に、警部はごく短い質問を投げかけた。
「それならなぜ、そのディアスを最初に殺害しない?」
「あっ」
バルテリも、そこは確かにそうだ、と思って頷いた。確かにおかしい。謀殺に何人加担していたのかは不明だが、父親の従兄弟のディアスは、息子ゲイリーにとってもっとも親しく、動向も把握しやすい人物のはずだ。それが、なぜ最初に殺害したのが、最も接近が難しい国会議員や軍人だったのか。
「そもそもレッドフィールドの奴からの情報だと、ベイルランドで極めて似た手口の狙撃事件が2件、リンドン市内での事件に先立って起きている。時系列で言えばそっちが最初の殺人になるはずだ」
「おかしいですね。仮にゲイリーが犯人なら、どうしてわざわざ、最初にベイルランドまで行ったのか」
「まずその、ゲイリーが犯人という可能性を完全に排除してみれば、どうなる?」
その問いに、バルテリは面食らった。それは、今の捜査の意味が変わってくる事を意味していた。
◇ ◇ ◇
「ゲイリーが犯人ではない?」
ナタリーは、ダイスを振る手を止めてアーネットに訊ねた。共用テーブルの上には、雑紙に急場に描いた、ダイスゲーム用のシートが敷かれている。ダイスを2個転がして、出目で競うシンプルなゲームだが、ルールは意外と複雑である。
「そうなると、今の捜査の意味が変わってくるわね」
けたたましい音をたてて、ふたつのダイスが転げる。3と6、合計で9。ナタリーが賭けた、紙をちぎって作ったチップは没収される。今度は向かいのカトリーンがチップを3枚置いてダイスを手にする。なぜ警察の部署にダイスが常備してあるのかは不明である。
「そうね。じゃあ、どうしてディアス失踪に合わせるようなタイミングで、ゲイリーも失踪しなくちゃいけないのか…」
カラカラ、とダイスが転げて、1と6が出た。
「やった!もーらい!」
「ちょっと待って、7で無条件勝利ってここいらのルールだった!?」
「見苦しいわね」
カトリーンが人の神経を逆撫でするような笑みとともに、チップをごっそり回収する。ナタリーが恨めしそうにテーブルを睨むところへ、アーネットが冷徹に言い放った。
「それは地域に関係ない共通ルールだ」
もういい、終わりだ、とアーネットは自分のデスクに退散する。それを合図に、ゲームはカトリーンの勝利でお開きとなった。勝者は本日の夕食を他の3人からおごってもらえる取り決めである。
「確かにそうだ。ゲイリーはおそらくディアスを追って出た、これは間違いないと思うが、仮に犯人でないなら、一連の狙撃を起こした犯人は別なところにいる事になる」
”今すぐできるカードゲーム・ダイスゲーム”というタイトルの本をめくりながら、アーネットは言った。
「ゲイリーの、事件が起きたふたつの時刻の動向を見る限り、どう考えても犯行を行えたはずがない。もちろん、殺し屋を雇ったなら話は別だが、もしそうならディアス失踪に合わせて自分が動く必要はない」
「そうだよね。殺し屋に任せて、自分は仕事してりゃいいんだから」
ブルーも同意する。そこへ、ナタリーが「そういえば」と口をはさんだ。
「ねえ、最初にロブ・ミーガン議員が撃たれた時、狙撃ポイントに指定されたギュンター商会ビルで、不審な男が目撃されてなかった?」
「ああ、そういえばあったな」
それは、捜査の初期段階で重犯罪課が聞き込みで得た情報だった。商社のビル内で、商人ふうではない風体の男を見たという、若干曖昧ではあるが興味深い情報だった。
「たしか人相書き、こっちにも回してもらったんだけど。どこやったかな」
ナタリーは小説や雑誌、菓子屋や服飾店のチラシで雑然となっているデスクをまさぐって、一枚の紙を取り出した。そこには、あまり上手くもないタッチで、見るからに怪しい男の姿が描かれていた。
さっきまで公務員がギャンブルをしていた共用テーブルにそれを置くと、他の3人もまた集まってくる。そこに描かれているのは、膝まである角マントを羽織り、首にはぼろぼろのスカーフかマフラー、脚は夏場に歩くには暑そうなブーツ、そして長いぼさぼさの髪が特徴的だった。あまり身なりが良いという印象はない。絵としては上手くはないが、特徴はきちんと捉えている、プロの刑事の人相書きである。
「浮浪者かな」
ブルーの率直な感想がそれだった。そう言われればしっくりくる。だが、口元はどうやら無精ひげなどなかったようで、それなりに身だしなみは一応整えてあるらしい。
「うーん、だがなあ。遠方から納品に来た商人かも知れないしな」
「けど、この大きな外套なら、中にライフルを隠すぐらいできそうじゃない?」
「なるほど。だが、こんな怪しい奴、捜査しなかったのか」
アーネットの疑問に、ナタリーは即答した。
「もちろん調べたそうよ。けど、目撃情報はその一度っきり、しかも見たと言ってる人は納品担当だか仲卸業者だかの一人だけで、他には誰も見ていないの」
「なるほど」
そうなると、単に少しばかり風変わりな服装の商人、という話だったのかも知れない。重犯罪課が捜索しても見つけられなかったのだから、もうとっくに用事を済ませて、リンドンを発ったのかも知れない、とアーネットは考えた。
「そういえば話は変わるが、カトリーン。例の倒れてた女性の旅行客、容態はなんともないんだな?」
「え?うん。体温ももう戻ってるみたいだし、記憶もそのうち戻るんじゃないの?たぶん」
何の根拠もない楽観である。
「いちおう、何か困ったら私を頼ってくれって書き置きしてきた」
「そうか。まあ、同郷かも知れない女性なら安心できるかもな」
「私、女性じゃないけど」
そういえばそうだった、と魔法捜査課の3人は思い出した。
その夜、魔法捜査課に夕食をおごらせて先日の借りを返したカトリーン・エスターは、いくらか晴れた気持ちで滞在先のリバーサイド・ホテルの部屋に戻った。
ランプを灯してデスクに座ると、本国の魔女コミュニティに報告するための、その日の進展をまとめる。といっても、進展があるような、ないようなまとめになった。
「面白い人達だよなあ」
口元に笑みを浮かべ、ペンを走らせる。メイズラントヤードの魔法犯罪特別捜査課の噂はすでに、メイズラントを含む連合王国の全ての魔女コミュニティに届いていた。だが、噂に聞くのと、実際に会って行動を共にするのは、天と地ほどの開きがある。
報告をまとめると、カトリーンは欠伸をして、ベッドにドサリと身を投げ出した。
「このままリンドンにいるのも悪くないな」
ふいに口をついて出た言葉だったが、すぐに少し寂しそうに笑うと、首を横に振る。仕事が終わったら、ベイルランドに帰って出来事を報告するのが今回の任務だ。
だが、もしも、という事もある。ひょっとしたら。そんなことを考えているうち、睡魔が襲ってきてカトリーンは寝入ってしまった。
カトリーンが目覚めたのは、扉をノックする音でだった。強くはないが、急かすような小刻みなリズムである。
「うーん…なんだ」
着替えもしないで寝てしまったことに、その時気づく。やばいな、と寝ぼけまなこで考えながら、ドアに向かった。
「はーい」
『エスターさん、朝早く大変申し訳ございません』
ドア越しに聴こえたのは、フロントのおばさんの声だった。
『リンドン記念病院の方がいらしておりまして…』
「えっ!?」
カトリーンは、慌ててドアを開けた。そこにはフロントのおばさんと、その後ろに控える外出用のコートをまとった看護婦らしき2名の若い女性が立っていた。
「カトリーン・エスターさんですね」
年の頃20代前半の、栗毛色の小柄な看護婦が、見覚えのあるメモを手にしてカトリーンに迫ってきた。いきおい、一瞬後ずさってしまう。
「はっ、はい、そうですけど」
「先日面会で病院に来られた、ジリアン・アームストロングさんがこちらのメモに書かれた方で、間違いありませんね」
「えっ?」
看護婦が示したそのメモには、”リンドン・リバーサイドホテル203号室 カトリーン・エスター”とある。昨日、あの行き倒れの女性の病室に置いてきたメモだ。
「ああ、はい。えっと、妹のジリアンから話は聞いてます」
病院ではジリアン・アームストロングの名を勝手に名乗っていたので、咄嗟に別人であることをアピールする。すると、看護婦は安心とも蒼白ともいえない表情で訊ねた。
「こちらに、当病院の患者の、赤毛の女性がいらしていませんか」
「…はい?」
その質問に、カトリーンは一瞬何の事だと思い、その直後に言われずとも事態を察して、自分自身が蒼白になった。
「ええと…ここには来ていません。何かあったんですか」
わからない様子を装ってそう答える。もう、看護婦が何を言うかはわかっていたが、カトリーンは黙って聞いていた。看護婦は答える。
病室の赤毛の女性は、夜中のうちに忽然と病室を抜け出していたのだ。




