(12)温度差
ナタリーの手元に、ブルーの疑問に答えられる情報はなかった。赤毛の狙撃手ギルロイは、実在していたのなら、その後どうなったのか。
「あるいは、そんなふうに僚友が過去形で日記に記しているということは、戦死したのかも知れないな」
アーネットの推論は、それなりに納得できるものではあった。ディルケの記述によれば、ギルロイは混戦のさなか、敵指揮官を撃つために高台に上がったという。狙撃を達成した直後に、敵兵の的になってしまった可能性は高い。
「そいつの日記はそれだけなのか?」
「ディルケの日記はどこから出て来たのか不明だけど、保管状態は良くなかったせいで、かなりの部分は散逸してるみたい。あとは自身が撃たれた傷が化膿してる事だとか、上官への愚痴だとか、個人的な記述らしいわ」
名簿の上でも船上で病死、との記録があるため、病気はその傷が原因だったとも考えられる。名簿の記録と日記の内容が一致したことで、ギルロイという狙撃手の実在にも信憑性が出て来た。しかし、とアーネットは言う。
「問題はそのギルロイが今回の狙撃事件に関係するかどうか、だな」
「そうね。特殊なケースではあるけど、オズワルド謀殺説と直接関係があるのかどうか」
そこまで言って、ナタリーは時計を見た。
「アーネット、もう病院の面会時間じゃない?」
「おっ、そうだ、忘れてた。よし、カトリーン。手札を開いて決着つけてから、病院に行ってみてくれ」
カトリーンは抗議する。
「いいじゃない、もうゲームは終わり」
「そうはいかん。ブルー、やれ」
アーネットの合図でブルーが指をパチンと鳴らすと、念動力魔法が全員の手札を奪い取り、デスクの上にさらけ出した。
「あーっ!」
「完璧ブタじゃん!カトリーン、ひょっとしてカード弱い?」
たぶんひと回りくらい年下の少年の容赦無い罵倒に、カトリーンは唇を結んで睨みつけた。ちなみに一番役が強かったのはブルーである。
「負けた奴が3人分のサンドイッチを買う約束だ。じゃあ、そっちも頼んだぞ」
「あのさ、刑事がオフィスでギャンブルやってましたって私が交番に駆け込んだら、どうなると思う?」
「お前が明日の朝、テレーズ川に浮かぶ事になるだろうな」
とんでもない刑事だ、と悪態をつきながら、カトリーンはバッグを手にオフィスを出て行った。その仕草を見たアーネットが首を傾げる。
「どう見ても女なんだよな。ナタリー、お前から見てどうだ?」
「そうね。アーネットに言われるまでは、私も全く気付かなかった」
アーネットが気付いたポイントというのは、真っ赤な付け爪だった。化粧はさほど濃くもないのに、そこだけ入念なのは何故だろうと思い、手を観察していて男の指だとわかったのだ。
「あいつもあいつで謎だな」
というより、むしろ事件よりカトリーンの方が謎だ、と魔法捜査課の意見は一致した。事件の調査に来たらしいが、解決したらベイルランドに戻るのか、それともリンドンに居座るのか。そこで、ブルーが今更な疑問をぶつけた。
「そういえばカトリーンって、リンドン市内のどこで寝泊まりしてるんだろ」
◇ ◇ ◇
リンドン記念病院の”記念”が何の記念なのか、エディントン出身のカトリーンにはわからなかったが、ひとまず受付を通る事は成功した。
「市内のモリゾ探偵社の、ジリアン・アームストロングと申します」
まるで当たり前のようにそう名乗ると、眠そうな受け付けの中年看護婦は受付台帳を指で示してペンを差し出した。
「面会ですか」
「はい、赤い髪の女性の観光客が運び込まれたと聞いて、まさかベイルランド出身の、自分の家族ではないかと」
そう言うと、眠そうな表情が一瞬で冴えて、「お待ち下さい」と立ち上がる。
「婦長!婦長!」
受付を出た看護婦は、慌てて向かいのへやに駆け込むとそう叫んだ。ほどなくして、その婦長と思われる年配の看護婦が現れた。
「本当に困惑しておりまして」
床板が鳴る古い廊下を歩きながら、白髪が見える痩せぎすの婦長は言った。カトリーンはその後ろをついていく。
「意識はあるんですが、どうやら記憶を無くしているようでして」
「記憶喪失!?」
カトリーンは焦った。何か訊けるかも知れないと思っていたのに、そんな状態では話がまともにできるのか。
「どこで倒れてたんですか、その人」
「はい。テレーズ川沿いの、サンマルティノ旧教会近くの公園です」
「サンマルティノ旧教会!?」
その情報に、カトリーンは驚いた。そこは、二件目の狙撃事件の狙撃ポイントだとされる鐘楼が建つ、ベイルランド人でも知っている観光地だったからだ。いったい、どういう事なのか。
「体温が低下していた、と伺いましたが」
「ええ、はい。今は平熱に戻っていますが、運び込まれた時はまるで吹雪の中を歩いてきたのかと思えるほどでしたわ」
どうやら話は本当らしい。一体、この夏場にどうしてそんな事になるのだろう。
「お加減は大丈夫ですか」
角があちこち摩耗した扉を開けると、ベッドに少し痩せた、カトリーンと同じような赤毛のセミロングヘアの女性が半身を起こしていた。血色はさほど悪くないが、表情は沈んでいる。だが、カトリーンの赤い髪を見て、少しだけその表情に変化が見えた。
「こちらの方が、赤い髪の女性が運び込まれたと聞いて、面会に来られたのだけど。何か思い出した?」
ベッドの傍らで婦長がそう尋ねるも、女性は首を振った。
「ジリアンさん、お顔に覚えはございますか」
「いいえ、残念ながら私の知っている人間では…ですが、やはり私と同じ北方出身なのは間違いなさそうです」
暗に、婦長が出て行ってくれることを期待してのことだったが、幸いなことに婦長は気をきかせてくれた。
「そうですね。同郷の方とお話しているうち、何か思い出すかも知れません。ジリアンさん、すみませんがお願いしてよろしいでしょうか」
「はい」
カトリーンは心の中で胸を撫でおろした。もし立ち会うなどと言われたら、捜査に関する情報を第三者に聞かれてしまう。婦長が出て行ったのを確認すると、カトリーンはベッド横の椅子に腰をおろした。
「私はジリアン。お名前は思い出せない?」
語りかけながら、その容姿を観察する。年齢は20代半ばといった所だ。白い肌と透き通るような青い瞳は、北方人の特徴でもある。
「私はベイルランドから来たの。あなたも同じかしら」
「わからない…思い出せない」
瞳と同じく、透き通ったような声だ。それが演技でない事は、カトリーンにはわかる。どうやら本当に記憶を失っているらしい。
どうしたものか、とカトリーンは考えた。魔法を使えば記憶を取り戻す事はできるかも知れないが、意識に作用する魔法は厳重に禁じられている。その行為自体が、魔女にとっては犯罪なのだ。
カトリーンは、女性の持ち物らしいバッグの脇に、ローズガーデンのパンフレットがあるのを見つけた。
「ローズガーデンを観てきたの?もう、初夏のバラはシーズンが過ぎてたでしょう」
「……」
反応がない。なんだか、感情までもどこかに置き忘れて来たように見える。
その後も他愛のない話を切り出してみたが、反応は同じだった。そこでカトリーンは、自らの目に魔法をかけ、傍らに置いてあるバッグの中身を見る事にした。
見えた影はいくつかの衣類らしき布製品、化粧品や日焼け止め類と思われる小瓶、筆記用具などだった。特に目を引くようなものはない。それにおそらく病院の人間がすでに、個人を特定できる物はないか、中身は確認しているだろう。
だが、本当に単なる行き倒れだろうかと思い始めた時、ひとつだけ、カトリーンは気になるものを見つけた。それは、バッグの中の片隅に筒状に丸めてある布だった。
はじめはスカーフか何かだろうと思ったが、その布は全体にひどく傷んでいるのが、透視魔法のぼんやりした影でもわかる。ハンガーにかけてある本人の服やバッグを見るに、身なりはいちおうきちんとしているのにも関わらず、なぜそんなボロボロの布を持ち歩いているのだろうか。おなじ”女性”として、カトリーンは気になった。
だが、それ以上は特に何も得られそうにないので帰ろうと思ったとき、突然カトリーンの杖が明滅しつつ振動を始めた。
「おっ」
どうやら、こっちの魔女が編み出したという”魔法の電話”だ。カトリーンは耳に杖をあてがう。
「もしもし」
『カトリーンか、今どこだ』
声の主はアーネットだった。カトリーンは廊下に出る。
「え?うん、例の女の人の病室。体調は元に戻ってるけど、どうも記憶喪失みたいなんだわ」
『なんだと?』
アーネットが訝しげに訊ねたので、カトリーンは彼女とのやり取りと、バッグを透視した結果を伝えた。
「特にこれ以上何もなさそうだし、事件とは無関係の、単なる一般の観光客なのかもね。低体温も、どっか大きな冷蔵庫でも見物して冷えちゃったのかも知れないし。バロウズ市場に、見学できる冷蔵庫あるでしょ」
それなりに観光ルートには詳しいカトリーンなので、思い付く範囲で推測を立てる。アーネットも何となく相槌を返していたが、ひとつだけ提案をしてきた。
『カトリーン、何もないかも知れんが、その女性に”ギルロイ”という名前に聞き覚えがないか、訊いてみてくれないか』
「”ギルロイ”?あの狙撃手だったっていうギルロイのこと?」
そのとき、ベッドが軋む音が聴こえたような気がして、カトリーンは部屋をのぞいた。だが、別に変わった様子はない。
『何もなけりゃ、それでいいさ。もし反応があれば、ひょっとして関係ありかもしれないだろ。ダメ元だ』
「なるほど」
『じゃあ任せたぞ。サンドイッチ忘れるなよ。あと、ナタリーのぶんも金は払うから買ってきてくれ、だそうだ』
忘れてて欲しかったなと思いつつ、カトリーンは通話を切る。もはや使いっ走りだ。部屋に入ると、変わらない様子で女性はうつむいていた。
「ねえ、あなた。”ギルロイ”っていう人に心当たりはある?」
何らかの反応を期待しつつ、答えを待ってみる。だが、女性の表情は変わらない。
「ギルロイ…いいえ、聞いたことありません」
「そう」
カトリーンは、手帳に走り書きをしてページをはじくと、サイドテーブルの上に置いた。
「何か困った事があったら、リバーサイドホテルの203号室、カトリーン・エスターに連絡しなさい。きっと力になってくれるわ」
◇ ◇ ◇
メイズラント警視庁・重犯罪課の面々は、オフィスに集合して緊急の捜査方針を確認し合っていた。というのも、事態は予想外に早く動きを見せたからだ。カッター刑事が、黒板にまとめた要点をチョークの先でカンカンと叩いた。
「オズワルド・マッソンの息子、ゲイリー・マッソン36歳!アパレル企業”マッソン衣料”代表取締役が、従兄弟のディアス・ミンター失踪と並行して姿をくらました!行き先は不明!」
カッターの、少し癖のある声がオフィスに響く。デイモン警部が険しい顔で怒鳴るように補足した。
「確証はないが今回の一連の狙撃事件は、過去のモーラス戦争での出来事に端を発する、怨恨殺人の可能性がある!仮にディアス・ミンターが同じ部隊にいたオズワルドを謀殺したとすれば、それを知ったオズワルドの息子ゲイリーが何らかの手段で、父親の仇を取ろうと考えた可能性は十分あり得る!」
「おれたちは二班に分かれて捜査する!ディアス・ミンター捜索班は俺に、ゲイリー・マッソン捜索班はデイモン警部について動け!各市警との連携も怠るな!行動開始!」
カッターの号令で、重犯罪課の刑事たちは一斉に敬礼した。
「了解!」
とはいえ、実際のところ両名の捜査は始まったばかりで、各市警からもこれといった情報は寄せられていない。またカッターのマッソン一家への聞き込みでは、妹と母親、使用人、社員に至るまで、二件の狙撃事件発生時、ゲイリーは会社にいた事を証明しているし、ゲイリーがその時間に署名した書類などの物証もある。
そうなると、ゲイリーはいったい何のために失踪したのか、という話になってくる。
「一体何がどうなってやがるんだ」
歯ぎしりするカッターの前に、4名の若い刑事が整列した。
「班長、指示を!」
まだ混迷の様相だが、ベテランが若手の前で困惑していては示しがつかない。とにかく、できる事をやろうとカッターは考え、顔を上げた。
「ようし、まず辻馬車の御者や駅員などを中心に、ゲイリー・マッソンの目撃情報を探れ!単独で馬で移動している可能性もある、街道の出入り口もチェックしろ!」
「了解!」
もう、とにかく動いていれば何かに当たるだろう、とカッターは思った。そして一瞬だが、俺たちが忙しなく動いているときに、元相棒はひょっとして、地下室で紅茶でも傾けながら、ああでもないこうでもない、と呑気に語っているのではないか、とも考えたのだった。
◇ ◇ ◇
魔法捜査課の地下オフィスでは、重犯罪課の懸命な捜査活動などまるで知らないといった様子で、面々がサンドイッチをかじりながら、ああでもないこうでもない、と推理に花を咲かせていた。ブルーはサンドイッチに、少し苦手な香辛料が入っている事に気づいて眉をひそめた。
「ギルロイ、の名前には反応なしか。やっぱり、ただの観光客だったのかな」
「それにしたって、記憶喪失っていうのは普通じゃない。だいいち、二件目の狙撃ポイントと思われる、旧教会の付近で倒れてたっていうのも意味深だ」
アーネットはサンドイッチを豪快にかじる。
「けど、ライフルも何も持ってないんでしょ」
恐る恐るサンドイッチをかじって、ブルーは以前よりその香辛料を、嫌に感じなくなっている事に気がついた。どうやら味覚に変化があったらしい。
「魔法の万年筆の線も考えたけど、カトリーンが透視した限りでは、何もなかったのよね」
ナタリーはカトリーンと共用テーブルで、大衆向けの女性雑誌を開いていた。”自分で作るドレスアップアイテム”との見出しつきで、布の裁断の型が描かれている。カトリーンは、ヤケになって一緒に買い込んできたフィッシュ・アンド・チップスをつまみ、油のついた手で雑誌を触ろうとしてナタリーに叩かれた。
「いたっ!…ええ、それらしい物はなかったわね」
「つまり、魔法犯罪の線は消えたという事なのかしら」
そうなると、いよいよ本格的に魔法捜査課は存在意義がなくなる。だが、アーネットにはひとつ気になる事があった。
「カトリーンが透視した中にあった、ボロボロの布っていうのが引っかかるんだよな」
「単に物持ちがいい人なんじゃない?」
あっという間にサンドイッチを食べ終えたブルーは、優雅に紅茶を傾ける。今頃重犯罪課の人たちは大変だろうな、などと考えながら。アーネットは、顎に指をあてて首を傾げた。
「何か起こるような気がする。全く予想外の何かが」
「何かって、何?」
ブルーが問うも、アーネットはこれといった考えがあったわけでもないようで、ただ唸っているだけだった。ひょっとして今回の事件は、地下室であれこれ雑談しているだけで終わってしまうのではないか、などとブルーは考えた。




