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(11)ギルロイ

 魔法捜査課が、上から頼まれてもいない捜査を例によって勝手に進めているのと並行して、重犯罪課のカッター刑事の聞き込みは、意外な展開を迎えていた。定時を過ぎてなお、同課の捜査員達はリンドン市内をかけずり回る事になったのだ。

「レッドフィールドの奴のカンがまた当たりやがった」

 カッターはかつて、アーネット・レッドフィールドが重犯罪課に所属していた時代にも、相棒の妙なカンの鋭さを不気味に思う事があった。出来すぎているような推測が、蓋を開けてみると、まるで目を閉じて撃った銃弾が的のど真ん中を撃ち抜いていたように的中しているのだ。

「カッター刑事!」

 バタバタと、若手の刑事2人が夜の舗道を駆け寄ってきた。

「こっちは手応えなしです」

「そうか。じゃあ、少しだけ休んだら今度は、8番街のホテルだとかを当たってみてくれ」

「了解!」

 カッターの指示を受け、2人は暮れてゆく街の中に消えて行った。カッターも疲れた脚を街灯下のベンチで休め、煙草に火をつける。

「まさかだろ」

 街灯の光にたなびく紫煙を見つめながら、カッターは今起きている事を整理した。まず、カッターはアーネットとの推測を、デイモン警部に伝えた。そして、どのみち捜査が袋小路にはまっていた状況だったので、カッターは件の、モーラス戦争の第7歩兵連隊に所属していた、死亡した指揮官オズワルド・マッソンの母方の従兄弟、ディアス・ミンターの邸宅を訪れたのだ。ディアスは終戦後まもなく、脚の負傷を理由に退役し、褒賞金を元手に酒屋を始めて、現在は輸入販売にも手を広げ、それなりに成功していた。

 だが、ディアスの邸宅に聞き込みに向かい、すぐにカッターは驚きの報せを受ける。二件目の狙撃事件が起きた直後、ディアスは会社に最低限の指示を残したあと、どこへともなく姿をくらました、というのだ。

 行先を告げずに出かけるような人間ではないので、邸宅の人間や、社員も困惑しているという。それはまさに、アーネットとの会話で”推測”した、ディアスがオズワルドの謀殺に関与していた可能性を意味するのではないのか。

「もしそれが真実だとすると、ディアスを狙う動機がある人間はそう多くはない」

 カッターは、状況を整理するようにつぶやいた。オズワルド死亡時にそれぞれ16歳、3歳だった息子と娘。当時29歳で、その後再婚はしていないオズワルドの後妻も、可能性としてはゼロではないが、自身で犯行を行えるとは思えない。

 ただし、これはオズワルドの謀殺説が真実だった、と仮定しての話だ。またそれが真実だったとしても、ディアスが関わっていたという確証はない。まだ、様相は暗中摸索のままである。


 それでも、この状況で突然行方をくらました元軍人というのは、明らかに不自然である。被害者2名と同じ部隊に所属していた、ディアス・ミンターの行方はまだ掴めていないが、姿をくらますというのは、当然ながら見つかりたくないためだ。それはつまり、命の危険を察したためではないのか。

「くそっ」

 停滞していたと思っていた捜査が、唐突に忙しくなってしまった。そもそも、もうすでに市内どころか、メイズラント国内にいるかどうかも怪しい。でなければ最悪の形、つまり死体で市内にいる可能性もある。

 さらに言うなら、オズワルド謀殺が真実だった場合、謀殺に関わった、あるいは知っていて見過ごした人間全員が標的になるかも知れないのだ。もはや猶予はない。当時の第7歩兵連隊のすべてを洗う必要がある。

 この結論に、アーネットの助けを借りなくては到達できなかった自分を不甲斐なく思いつつ、その点は元相棒に華を持たせると割り切って、カッターは再び街灯がきらめく街に駆け出した。


 ◇ ◇ ◇


 他方、ナタリーはその夕方、カフェで情報局のマーガレットと合流していた。あることを調べてもらっていたのだ。

「大した調査でもなかったから、このアップルパイの代金でいいわ」

 マーガレットは折りたたまれたメモを一片、ナタリーが食べるフルーツタルトの皿の下に潜り込ませた。マーガレットは「ただし」と、メモを指でひとつ叩いて付け加える。

「調べるのは大したことはなかったけど。この情報じたいは、ひょっとしたら何か重要な意味を持っているかも知れない」

「なるほど」

 ナタリーはメモを一読すると内容を全て記憶し、さり気なくバッグにメモを仕舞う。マーガレットはそれ以上何も言わなかった。実のところ法規スレスレというか厳密にはアウトなのだが、今まで何度もやっている事である。ナタリーは帰路、魔法でメモを焼却し、調べた事実は灰になって風に消えるというわけだ。

 考えてみると魔法捜査課はイレギュラーな存在で、直属の上司のオハラ警視監も、それを黙認しているふしがある。魔法捜査課が今回待機任務をさせられたのは、魔法捜査課のもとに否応なく情報が集まって来るのを、知ったうえでの計略だったのではないか。警視監は現役の刑事時代、なかなかの食わせものだったと聞く。

「あの自称探偵だか新聞記者の女の子、なかなか面白そうね。隠し事はありそうだけど、性根は案外真っ直ぐそう」

 マーガレットによるカトリーン評に、ナタリーは微笑んで相槌を打った。”彼女”の正体には、まだマーガレットも気付いていないらしい。マーガレットと別れるまで、その事実を明かすべきかどうか思案して、結局黙っていた方が面白そうだ、という事にした。


 ◇ ◇ ◇


 そのカトリーンとアーネットは適当なパブに向かう途中、重犯罪課の刑事が何やら難しい顔で歩き回っている事に気付いた。

「おい、ジャック。どうした」

 ジャックという、まだ若い金髪の刑事をアーネットは呼び止めた。ジャックは、いい所で会った、というふうな顔で駆け寄ってきた。

「レッドフィールド刑事!」

「どうした。なんかあったのか」

「何か、どころじゃないです」

 ジャックは、例のオズワルド・マッソンの従兄弟が、姿をくらました事実を伝えた。自身で推測を立てたアーネットも、さすがに驚きを隠せない。

「マジか。カッターのやつはどうした」

「カッター刑事も、他の刑事も、とにかく今は市内を捜索しております。ただ、警部もカッター刑事も、おそらく徒労に終わるだろう、と」

 そうだろうな、とアーネットは思う。仮に狙撃手から身を隠すなら、おとなしく市内に留まっているわけがない。

「だがそうなると、例のオズワルド・マッソンの遺族に容疑者がいる、という可能性も出て来る。そっちはどうなってる」

「すでにデイモン警部自ら向かわれました」

 さすが、老刑事とはいえ行動は早い。そうなると、もうアーネットが出る幕ではなさそうだった。

「なるほど。ディアス・ミンターの失踪の件、よその市警にも行ってるのか?」

「すでに連絡しています。詳細は伏せてますが」

「また、関係がこじれるってわけだ」

 発見しだい誰それの身柄を保護せよ、とメイズラント警視庁の名前で各市警に通達が行く。その理由はたいがい伏せているので、市警は面白くない。管轄が違うのに下っ端扱いか、と。いつもの事だが、このためにメイズラントヤードと地方警察とは折り合いが悪いのだった。

「ねえ、私いるのにそんな内情話していいわけ?」

 カトリーンが、多少呆れた様子で口をはさんだ。ジャックは、誰だという顔をしている。

「…レッドフィールド刑事、この人、魔法捜査課の人ではないんですか」

「こんな胡散臭い奴、採用するか。部外者だ」

 ジャックは、驚いて周囲を見回した。課の連中に聞かれてないか、と。カトリーンは眉間にシワをよせて抗議の視線を送っている。アーネットは苦笑した。

「安心しろ、こいつは捜査に協力してる探偵だ。そもそも例の、ベイルランドの不審な狙撃事件の情報を伝えてくれたのがこいつだからな」

「そっ、そうでしたか。失礼しました。本官はジャック・アントニーであります」

 まだ制服警官のクセが抜けないジャックは、直立して敬礼する。それが可笑しくカトリーンは笑い、アーネットは肩をすくめた。

「まあ、こんなんでもあと半年もすれば、重犯罪課の色に染まるからな。頑張れよ。ああそうだ、カッターの奴に、俺もだいたい事態は把握した、って伝えといてくれ」

「はっ、ご苦労さまです!」

 いちおうアーネットも敬礼すると、ジャックは若々しい弾むようなリズムで歩道を駆けていった。

「俺も10年前はああだったのかね」

「…アーネットって、若作りなわりに中身はしっかりオッサンだよね」

「お前、夜のテレーズ川に突き落とされたい?」

 なんだか会話の調子が、いま旅行中のモリゾ探偵社の所員、ジリアンに似ているなとアーネットは思った。中身が男だとわかった以上、多少デリカシーを無視しても気楽なものである。

「何やら急展開というところだが、さしあたり俺たちは、今日はできる事もなさそうだな。とりあえず、食って解散といくか」

「アーネットの知り合いに出くわすといいのに。絶対ウワサ立つよ、若い女連れて歩いてた、って」

「性別関係なく訊きたいんだが、お前、魔女コミュニティでもそんな調子なのか?」

 だいぶ真顔でアーネットが訊ねると、カトリーンはさらりと答えた。

「そうね。こんな調子だから、厄介払いみたいにこっちに送られた可能性はある」


  ◇ ◇ ◇


 翌朝、表面的には何もなかったような調子で、魔法捜査課の面々はオフィスに出勤した。ただ、部外者のはずの自称探偵魔女・カトリーンが、当たり前のように顔を出しているのが、ほんの1週間ばかり前までと異なる点ではあった。

 例のディアス・ミンターが失踪した件についてはアーネットが説明し、ナタリーとブルーはもちろん驚いてはいたものの、待機任務の身では何をどうする事もできなかった。カトリーンは例のジャマールからの情報による、行き倒れの女旅行者への聞き込みに行く予定だったが、まだリンドン記念病院の面会可能時間まで間があった。

「はーい、注目ー」

 ナタリーがパンパンと手を叩く。トランプに興じていたアーネット、ブルー、カトリーンは、手元のカードを隠したままナタリーを向いた。

「ちょっと情報局の古い資料を探ってもらったんだけど、面白いデータがある」

「どれくらい面白い?」

「いまのカトリーンの手札くらい面白い」

 そう言われて、カトリーンは手札をデスクの下に隠す。ナタリーは構わず話を続けた。

「例の、モーラス戦争の最終局面。第7歩兵連隊がどうやって敵の指揮官を討ち取ったのか、っていう、いろんな説が錯綜してる問題について」

「なんかわかったのか?」

 アーネットがカトリーンの手元をチラチラ見つつ訊ねる。ナタリーは、自分でまとめた大まかな内容を説明した。

「よく言われるのは、この間も言ったけど、単に混戦の中で、たまたま敵指揮官は流れ弾にでも当たって死んだ、という特に面白みもない説。そしてもうひとつは、子供の頃はみんな信じる、赤毛の狙撃手が800メートルの距離から敵指揮官を見事に狙撃した、という”伝説”」

 ほんの22年前の出来事なのに、アーネットがまだ10代の頃には、すでにそれがひとつの伝説として語られていた。そして大人になると、そんな事は不可能だ、事実はもっと地味だった、という話に置き換わってゆく。

「その、800メートルっていうのはともかく、敵指揮官を撃った狙撃手が確かにいた、という兵士の日記が見つかっているの」

「なんだと?」

「日記というか、簡潔にまとめた手記ね。そして気の毒なことに、それを書いた兵士はメイズラントへの帰路、海の上で病気にかかって亡くなっている」

「それはまた」

 せっかく戦争も終わったというのに、本当に気の毒だとその場の全員が思った。

「で、どういう狙撃手だったんだ」

「それがね、どうも私達が聞いてきた、例の伝説。あれを裏付ける証言となる日記らしい」


 情報局の資料にあった、兵士ディルケが最後に書き残した日記。それによると、確かに第7歩兵連隊には、”赤毛の狙撃手”が所属していたのだという。ディルケはファーストネームしか記述していないが、その名を”ギルロイ”といった。赤毛の長い髪が印象的で、若く、寡黙だが生真面目な兵士だったらしい。

 そのギルロイは泥沼の混戦の最中、ひとり狙撃銃を抱えて、俺が何とかする、後は任せたぞ、と危険な高台に登った。そして、彼の放った弾丸は見事に敵指揮官カルロスの側頭部を撃ち抜き、司令塔を失った敵ダスパニア第5歩兵連隊は総崩れとなったのだという。


「あとは”伝説”のとおり。ダスパニア軍は敗走し、メイズラント軍は追撃するも、最後の混乱の中で例のオズワルド・マッソンが戦死。それでも結果的にはメイズラント軍が戦争に勝利した、というわけね」

 ナタリーの言う内容はそれまでの議論の焼き直しにも思えるが、大きく異なる点があった。まず、伝説の”赤毛の狙撃手”に、”ギルロイ”なる明確な名前が付けられている点と、それを日記に書き残した兵士の名前まで判明している点だ。ブルーは訊ねる。

「その日記を書いた兵士は、実在してたんだよね」

「ええ。オリバー・ディルケ、調べたら名簿もあったそうよ」

「なら、狙撃手のギルロイっていう人の名前も名簿にあったの?」

 すると、ナタリーは首を横に振った。

「それが奇妙なのよ。ギルロイなんて名前は、当時の第7歩兵連隊の名簿にないの」

「どういうこと?」

 確かに奇妙な話だった。ディルケ隊員が間違いなく実在していた以上、その当人が言う、ギルロイという兵士も名簿くらい残っていそうなものだ。アーネットが首をひねった。

「その日記の内容は、確かに辻褄は合っている。そもそも、ダスパニア軍は兵力自体ではメイズラントに勝っていた、というデータもあるんだが、それなのに敗走に追い込まれるっていうのは、兵士たちに何か、心理的なショックがあったと見るべきだ」

「つまり、遠距離からのほとんど奇跡的な狙撃、といった出来事ね」

「そうだ。そんな狙撃が成功するということは、もう戦争の流れは敵にあるのだ、と悟らされるに十分だったんだろう」

 つまり、狙撃は伝説でも何でもなく、事実だった可能性がある、ということだ。だが、そこで当然の疑問が浮かび上がる。カトリーンが、手札をしっかり隠したまま言った。

「じゃあそのギルロイって兵士は、終戦後どうなったの?戦況を逆転させた兵士が、報奨も与えられず、名簿にも載ってないなんてこと、ある?」

「なにそれ、気味が悪いな。まるで幽霊みたい」

 ブルーの、少年らしい感想に異を唱える大人はいなかった。幽霊。確かにそんな印象である。アーネットが冷静に分析した。

「考えられる可能性はふたつ。ひとつは、日記を書き残したディルケという兵士による創作だった、という説。その創作が、のちに俺たちが聞いてきた”伝説”の元になった、という可能性はある」

「なるほどね。もうひとつは?」

 ブルーの問いに、ナタリーとカトリーンも一緒になってアーネットを見た。アーネットは、小さく頷いて答える。

「もうひとつは」

「うん」

「ギルロイという兵士は実在したが、何らかの理由で、その存在を抹消された可能性だ」

 どういう事だ、とブルーは訊ねた。

「これはあり得る話だが、そのギルロイっていう兵士は、鮮やかな赤毛だったんだろう、ナタリー」

「ええ。伝説でもそう言われてるしね」

「つまり、ギルロイはベイルランドやエディントンといった、北方からの移民兵士だったという可能性はないか?」

 その指摘に、全員がハッとして互いの顔を見た。メイズラントでは、そんな赤毛はほとんど見ないからだ。ナタリーは、少し渋い顔で推測した。

「…メイズラントとベイルランドは、今この時代でさえ、互いに反目し合っている人達がいる。つまり」

「ああ。ギルロイは、部隊内で民族差別を受けていたのかも知れない。特に、頭の硬い上官世代ならその傾向も強いだろう」

「嫌がらせで名前を名簿から削られてたってこと?」

 それは、あくまで推測ではあったが、十分すぎるほどあり得る可能性だった。つまりギルロイは、その活躍の記録さえ消されたのかも知れないのだ。アーネットはため息をついた。

「民主主義などと言ったところで、結局のところ人間の性根は変わらない。人種どころか、同じ白人同士でさえ、出身だの髪の色だので差別する。産業革命なんてのも現実には、奴隷をこき使わなきゃ成立しないさ」

 アーネットはその厭世家ぶりを遺憾なく発揮してみせる。空気が重くなったところで、雰囲気を変える意図があったわけでもないが、ブルーが当然の疑問を口にした。

「そのギルロイって兵士、死んだとは日記に書いてないよね。今どこにいるんだろ?」

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