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(9)伝説の狙撃手

 待機任務中の魔法捜査課が勤務時間中に外に出られるのは、むろん昼食時だけだった。重犯罪課も心得てきて、その日の昼は警視庁からいちばん近いカフェで、アーネットは元相棒・カッターと情報交換もかねて落ち合った。

「これほど身の入らん大事件もないな。以前のリンドン暴動事件に比べたら」

 ライ麦パンのサンドイッチをかじりながら、カッターはウンザリしたように首を振った。アーネットは笑いもせずコーヒーをかたむける。

「ウンザリっていうなら俺たちもだよ。地下室で待機任務の辛さ、わかるか。軍や警察に追われてる地下組織の気分だ」

「なんだって上は、お前らに待機なんてさせてんだ」

「知らねえよ。緊急時のため、だと」

 警視監に言われたとおりの事を、アーネットは答えた。サンドイッチを皿に置いてコーヒーカップを手にすると、カッターは訊ねる。

「ところでレッド、例の胡散臭い自称探偵だか新聞記者の女の情報だがな。ありゃ何だ」

「ベイルランドで起きた事件のことか」

「ああ。といっても、詳細は向こうの警察がすんなり教えてくれないおかげで、推測に推測を重ねるしかなくなるが…こっちの件と、関係あると思うか?」

 それはつまり遠くベイルランドと、ここリンドン市内で起きた合計四件の狙撃事件が、同一犯によって起こされたのか、という事だった。アーネットはカップを置くと、一呼吸置いて答えた。

「カッター、俺はな。事件が意味不明の様相を呈し始めた時、仮説や推測を”断定”に切り替える、っていう方法論を採るんだ」

「ほう」

「つまりこの場合、四件の狙撃は同一犯によるものだ、と断定してしまう」

 アーネットはテーブルの上を四箇所、指でトントンと叩いてみせた。

「なるほど。つまり、犯人はベイルランドで狙撃を行ったあと、メイズラントまで国境を越えてやってきて、またこっちでも狙撃をやらかした、って事になる。ずいぶん根性があることだ」

「カッター、そこだ。それほどまでの労力をはらう事を厭わないっていうのは、犯人にはそれだけの動機がある、って事じゃないか」

「つまり、二人の職人と貴族、軍人に対して、同様の恨みを抱えてたってことか?」

「そうだ」

 アーネットは断定した。カッターは一瞬面食らったが、アーネットのしごく真面目な態度に、冗談を返すことはなかった。

「なるほど。そこで、22年前のモーラス戦争が出てくるわけか」

「ああ。当時、同じ部隊に所属していた二人の人間が、恨まれる可能性とは何なのか」

「モーラス戦争の件は、重犯罪課も一応把握してはいる。そうだな、軍隊という性質を考えると…」

 その時、まったく偶然の事だったが、アーネットとカッターは同時に、同じキーワードが頭に浮かんだ。

「…裏切り」

「あり得るな」

 二人が考えた線はこうだった。当時、第7歩兵連隊に所属していたロブ・ミーガンとエドアルド・フォークは、上官に対して何らかの裏切りを行った、という可能性だ。アーネットは記憶を辿る。

「たしか、あの部隊の指揮官も死亡していたはずだな」

「ああ。だが、それは事実上戦争の決着がついたあと何日間か続いた、敵のダスパニア軍が敗走を始めたあとの混乱の中での事だ。詳細は不明だが、もし先に撃たれたのがこっちの指揮官だったら、敗走していたのはメイズラント軍だったかも知れない、というのはよく言われる話だ。歴史に”もしも”があれば、というやつだがな」

 軍事学者が時おり語る話題を、カッターは思い出していた。

「味方に撃たれる」

 アーネットは、指で拳銃の形を作ってみせた。

「軍隊じゃ珍しくもない話だ。横柄な上官、無能な指揮官が、共謀した部下に撃たれる。共犯者たちは口をつぐみ、遺髪と階級章、拳銃を遺族のもとに持ち帰って、指揮官はかくも勇敢に戦い名誉の戦死を遂げられました、と伝えるわけだ」

「哀れな指揮官どのは二階級特進。秘密を抱えた隊員の中には、国外逃亡をはかる者も出てくる」

「ところが、22年の時を経て、指揮官の遺族にその真実を知った者が現れて…」

 そこまで語って、アーネットは手のひらを向けて小さく息を吐いた。

「まあ、落ち着こう。ちょっと想像が過ぎた」

 地下室で推理小説を読みすぎた、とアーネットは苦笑したが、カッターは真面目だった。

「レッド、たしかに想像かもしれんが、辻褄は合っていると思うぞ。例えば、ベイルランドで殺された二人の職人が、それこそ身を隠すためにメイズラントを出た元隊員だったとすれば」

「それを確認するために、犯人はベイルランドまで行ったということか。そこで、父親なり祖父なりが、部下たちの計略で殺されたという情報の裏付けを得た」

「そこで、まず二人を殺害する。現場から逃走しつつ、メイズラントに戻る道中、父ないし祖父の殺害に加担した人間、全員への復しゅうを企てていた…」

 そこまで言って、カッターは紙幣をテーブルに叩きつけるように置くと、上着を肩にかけて立ち上がる。

「また連絡する!」

 走り去るカッターの背中を見ながら、アーネットは「まさかな」と首をひねった。

「出来すぎてるよな」


 ◇ ◇ ◇


 警視庁があるウッドワールドストリートからやや南に、移民系の人間が多く住むブロクストン通りがあった。以前はスラム街一歩手前の危険な一帯だったが、道路や区画整理などが進み、また一帯を裏で仕切るギャングの台頭もあって、表向きには治安は良くなっていた。

 それでも、やはり市街地とは違う独特の空気がそこにはある。ことに女性がひとり歩くのはあまりお勧めできない街だったが、カトリーン・エスターは何ら臆することなく、アーネットが言う屋台を目指して道路沿いの広場を見回した。

「あっ、あれかな」

 カトリーンの視線の先に、「ケバブ・ジャマール」と派手な看板がかけられた屋台があった。近寄ると、体格のいい短髪の黒人男性が、”私はスパイです”と書かれたエプロンをかけて仕込みをしていた。

 胡散臭い、と細い目を向けつつ近寄ると、ほんの一瞬鋭い視線を向けたあと、黒人の偉丈夫は野太い声で言った。

「いらっしゃい」

「あっ、えっと。…フィッシュ・アンド・チップスをフィッシュ抜きでお願いします」

 恐る恐るそう注文すると、即座に返答があった。

「うちはケバブだけだよ」

「じゃあ、それでいいです」

 そう答えると、ちらりと周囲に視線を走らせたのち、黒人男性は種なしの薄いパンに肉をはさんで手渡した。

「何を調べたい」

「あっ、はい。詳細はここにあります。レッドフィールド刑事から…」

 その名を出すと、黒人は指を立てて「しっ」と言った。

「わかった。それ以上は、あいつの名前は出すな」

 言いながら、カトリーンの差し出したメモと紙幣を受け取る。アーネットの書いた依頼内容を読み終えると、紙幣を売り上げケースに仕舞い、メモは即座に千切ってゴミ箱に放り込んでしまった。内容はすでに記憶した、ということか。

「わかった。勤務が終わったらここに寄るように伝えてくれ」

「あっ、はい」

「俺はジャマールだ」

「かっ、カトリーンです」

「カトリーン?」

 その名を聞いて、少し不思議そうに首を傾げたものの、ジャマールはまた元の、やや影のある笑みに戻って、紙コップのコーヒーをサービスしてくれた。

「カトリーンか。よろしく」

 

 ◇ ◇ ◇


「って言われたんだけど」

 魔法捜査課オフィスに戻ったカトリーンは、ジャマールの所でのやり取りをひととおり伝えた。アーネットは笑う。

「まあ、何者だろうって思うよな」

「何者なの?」

「ジャマールとうまく付き合うコツは、まずあいつ自身の事を詮索しない事だ」

 アーネットはそれだけ言った。カトリーンも何となくわかったのか、それ以上は特に訊かなかった。

「勤務後、って言ったんだな」

「うん」

「わかった。カッターのやつと落ち合うのは明日だな」

 時計を見ると、午後4時半すぎだった。あと少しで退勤時刻である。ふと横を見ると、ナタリーとブルーが何やら古い本をはさんで話し込んでいた。手持ち無沙汰になってきたカトリーンが覗き込む。

「なに読んでんの」

「うん。例の、モーラス戦争のこと」

 ナタリーが表紙を見せてくれたそれは22年前に終結した、2年近くにわたる戦争の全記録だった。

「といっても、メイズラント視点の内容だからね。やっぱり、こっち側に都合のいい記述にはなってる」

「戦史なんて、どこの国もそんなものよ。俺達が正しくて奴らが間違ってる、だからこの戦争には正義があるし略奪も虐殺も神が許してくださる、ってね」

「まるでアーネットみたいな厭世家ぶりね」

 そこへ、アーネットが横から反論した。

「俺のどこが厭世家だ」

「現代の人間なんてたまたま民主主義を標榜してるだけの原始人だ、思想や信仰なんて厄介なものを振り回して人殺しをするぶん、石斧を振り回してた原始人よりたちが悪い、ってこの間言ってなかった?」

 ナタリーが過去のアーネット語録を引っ張り出すと、アーネットは肩をすくめて知らんぷりをした。誰だそんなひねくれた奴は。カトリーンは若干白い目を向けつつ、本に話題を戻す。

「なんか面白いこと書いてあったの?」

「ほら、例の終戦のきっかけになったっていう、伝説の狙撃手」

 ブルーがひとつのくだりを、指でなぞりながら読み上げた。

「”泥沼の様相を呈してきた最終局面ではあったものの、メイズラント側が優勢であるとは言えた。その中で、ダスパニア第5歩兵連隊の指揮官カルロスが、メイズラント第7歩兵連隊の狙撃手によって倒された事が、指揮系統の混乱と無秩序な敗走のきっかけになった事は間違いない”」

 それは、メイズラント人ならほとんどが知っている話だった。

「”その狙撃手は800メートルの距離を、木々の間をぬって相手側指揮官の頭蓋を撃ち抜いた、とまことしやかに言われるが、現実的に見てそのような事が、泥沼の混戦の中で行われたと見るのは難しい。その後何日間か続いたメイズラント軍による掃討戦の最中、運悪く流れ弾に当たって死亡したメイズラント軍の指揮官オズワルド・マッソン准将ではあるが、戦局全体としては彼の指揮が優れており、ダスパニア軍指揮官カルロスは単に激しい撃ち合いの中で撃たれた、と見るのが妥当だろう”」

 ひととおりブルーが読み終えると、大人3人はそれぞれ考え込んだ。

「子供の頃は、わりと信じてたけどな。赤毛の長髪の狙撃手が、800メートルの距離から敵指揮官を狙撃して、戦局は逆転した、って」

 アーネットがそう語ると、他の大人組も頷いた。カトリーンも記憶をたどる仕草を見せる。

「わたしエディントンとベイルランドで暮らしてきたけど、向こうじゃそれが定説になってるよ。”緋色の射手”がいたせいで、ダスパニアは南の大陸の領土を獲得できなかった、って」

「”緋色の射手”、とはまた風流ね」

「そう。鮮やかな赤毛のせいで、兵士たちの記憶に残ってたって言われてる」

「あなたみたいな赤毛ってこと?」

 ナタリーの指摘に、カトリーンの赤く長い髪の毛に視線が集中する。アーネットや、今いないジリアンも赤めの髪だが、カトリーンの髪はまさに、いま話に語られたような”緋色”といっていい赤毛である。ブルーは興味深そうにたずねた。

「それ、地毛なの?」

「もちろん。っていうか、ベイルランドや北の方に行くと、こんな赤毛は珍しくないよ。むしろその狙撃手はメイズラント人なのに、ベイルランド人兵士の記憶に残るくらい、赤い髪だったって事ね」

「ホントにいたら、の話だけどね」

 ブルーの指摘で、話は最初の疑問に戻ったようだった。”緋色の射手”は実在したのか、または単なる作り話だったのか。22年前となると、歴史というほどの昔ではない。そんな時代の話が事実か否か不明というのも、奇妙といえば奇妙だとアーネットは思った。

「そういえば、その戦闘終了間際に死亡したっていう、メイズラント側の指揮官。アーネット、あなたとカッター刑事は、彼が部下の共謀で殺された可能性がある、って見てるわけよね」

 ナタリーは、アーネットが持ち帰ったカッターとの会話における推測を持ち出した。アーネットは腕を組んで首をひねる。

「まあ、推測に推測を重ねた話だからな」

「カッター刑事は何を調べに行ったのかしら」

「そりゃあ当然、そのオズワルド・マッソン准将の遺族の動向を調べに行ったんだろう。俺たちの推測じゃ、遺族の誰かが今になって、謀殺の事実を知ったっていう事になってるからな」

 事になっている、という言い方がもう、出来すぎた推論にほかならない。だが、引っ込みがつかないアーネットは言った。

「毒を食らわば皿まで、だ。マッソン准将の家族構成は?」

「ええと、ちょっと待って」

 ナタリーは本の終わりに近い方をめくって、わずかに載っているマッソン准将の遺族について調べた。それによるとマッソンは終戦当時44歳で、当時16歳の息子と、後妻との間に生まれた3歳の娘がいた。また、所属していた部隊には従兄弟のディアス、当時36歳も従軍している。

「従兄弟だと?」

 アーネットは興味深そうにナタリーを向いた。ナタリーは注意深く読んで内容を確認する。

「ええ。父親の妹にあたる女性の息子ね。遺髪と、階級章をマッソンの妻に手渡したのがこの人物だと書かれているわ」

「その人は今どうしてる?」

「ちょっと調べてないわね。カッター刑事は、マッソン家に聞き込みに言ったんでしょ?」

「おそらくな」

 あの会話の流れで、それ以外はあり得ない。マッソン准将がアーネット達の”推測”どおり謀殺されたのだとしたら、それを遺族が今になって、何らかのルートで事実を知った可能性がある。だがそこで、ブルーが恐ろしい推論を重ねてきた。

「その従兄弟も、謀殺に加担してたって可能性はないの?」

「…俺も考えないではなかったが」

 子供は恐ろしい推論も平然と口にするな、とアーネットは思った。

「だが、そうなるとその従兄弟も、間違いなく復讐の対象になる」

「復讐っていうけど、具体的には遺族の誰がそんな行動に出ると思うの?」

 ブルーはさらに訊ねてきた。アーネットは名探偵などと言われるほど推理力が高いことで知られているので、もう答えがあるとでも思っているような口ぶりだった。だが、アーネットはかぶりを振った。

「ブルー、何度も言うが、いまやってるのは推理じゃない。限られた情報から、辻褄の合うシナリオを”創作”しているに過ぎないんだ」

「毒を食らわば皿まで、ってさっき言ったじゃん」

 そう言われると、アーネットも仕方なくデスクに座りペンを取った。雑紙を敷くと、いま考えられる”シナリオ”をまとめていく。


【推測】

・22年前、モーラス戦争の最終局面で、メイズラント軍第7歩兵連隊のオズワルド・マッソン准将は、部下の共謀で戦死に見せかけて殺された。

・謀殺には同じ部隊にいたオズワルドの従兄弟も加担している。

・その従兄弟は何食わぬ顔で遺品を持ち帰り、マッソンの後妻に手渡した。

・謀殺に加担した人間のうち2名は帰国後、ベイルランドに移住して身を隠した。

・22年後の今日、遺族の誰かが謀殺の事実を知る。確認のためベイルランドまで行って、その事実を知っている元メイズラント兵士が土地で職人として暮らしている事が判明。

・そこでまず、その2名の職人を殺害。さらにメイズラントへの帰路、ほかの謀殺加担者の殺害計画を練る。

・帰国後、謀殺に加担していたロブ・ミーガンとエドアルド・フォークを殺害。

・ほかに加担者が何人残っているか不明だが、事件を受けて国内では厳戒態勢が敷かれ、動きが取れなくなったため、いったん行動は控える事にした。


「こんなところか」

 アーネットは、改めてその推論を眺めると、しかめっ面をして首をひねった。

「こりゃ刑事の仕事じゃなく、小説家の領分だな。マッソン准将の従兄弟を殺人者に、そしてマッソンの遺族も殺人者にしてしまったわけだ」

「じゃあ、事件を起こした遺族って誰?当時16歳の息子は、いま38歳。3歳の娘は20代半ばくらいかな。幼い頃に、遺髪になって帰ってきた父親の死の真相を、今知ったとしたら」

「復讐を考えても不思議ではない、か」

「そういえばアーネット、ジャマールには何を調べさせたの?」

 ブルーの問いに、アーネットは思い出したように説明した。

「ああ。最近、リンドン市内にベイルランド方面から、不審な人物がやって来た形跡はないかをな。何しろ殺人を起こすんだ、裏の奴らに接触して凶器を調達した可能性もある。まあ今の話と併せて考えると、例えばその、いま20代のマッソンの娘、という線もあるわけだが」

「ベイルランドから来た20代の女性、か」

 そこまでブルーが言ったところで、その場の全員が一瞬言葉をつまらせた。そして、一人の人物に視線が集中する。


 最近ベイルランド方面からやって来た、20代の女性。カトリーン・エスターは、目を見開いて絶句した。

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