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(6)安楽椅子探偵

 それは全くの盲点だった。18.5ミリ弾は現在もメイズラントや近隣の国で流通していないわけではない。が、二件の狙撃に用いられた弾丸は、現在警察などで採用されている旧式のライフル用のものと異なるメーカーの、廃番製品だったのだ。

 警察で使われているライフル用弾丸は老舗のアンブラー社製、対して陸軍で主に採用されている狙撃用ライフルは、後発メーカーのゴールドスミス社のものだった。長距離の行軍に太くかさばる弾丸は不便なので、30年ほど前に陸軍は、新型で同等の威力を持つ12.7ミリ弾に切り替えた。いっぽう、警察ではライフルを持ち出すケースはそれほど多くないのと、もうひとつの問題でいまだ旧式のライフルが使われていた。


 これは、捜査のうえで決して小さくない見落としだった。鑑識の落ち度、と言ってもいい。軍の将校に指摘されるまで、その弾丸は現在も流通している製品だと鑑識は判断したのだ。

 つまり犯人は、すでにデッドストックが残っているかどうかも怪しい弾丸を、犯行に用いた事になる。30年も保管されていた弾丸で、神業とも言える二件の狙撃を実行する事は可能なのか。


 ドーソン氏らが退出し、遺体も検死に送られたあとの事件現場で、デイモン警部は苦い顔をして鈍色の空を睨んだ。

「警視総監さまさま、だな」

「どういう意味です」

 若い刑事が、デイモンの呟きに首をかしげた。警部は訊ねる。

「いまだに、警察では旧式の弾丸が採用されている理由が、お前はわかるか」

「さあ」

「性能で劣る、特定のメーカーの製品をわざわざ官公庁が採用し続ける理由。まあ、子どもが考えてもわかる話だ」

「…カネ、ですか」

 そこまで言ったところで、警部は若い刑事を睨んだ。

「不用意な事は言わん方が出世のためだな」

「警部が僕に訊ねたんじゃないですか!」

「刑事たるもの、常に周囲への警戒は怠るな。その生け垣の背後に、手帳片手に何者かが潜んでおらんとも限らん」

 言ったが早いか、警部はその年齢からは信じ難い身のこなしで、一瞬で生け垣の影に回り込んだ。

「あっ!」

 生け垣の影から、甲高い声がした。女性のような、少年のような声だ。その主は、ニッカポッカをブーツに入れた若い女性だった。左手には手帳、右手には鉛筆が握られている。その長い赤毛の女性に、警部はよく見覚えがあった。

「その潜伏の上手さは、重犯罪課に採用したいくらいだがな」

「どっ、どうも」

「記者会見以来だな、新聞社のお嬢さん」

 そう、それは最初の事件における記者会見でデイモン警部に質問した、ベイルランド新報とかいう地方紙らしい新聞社の記者、カトリーン・エスターだった。

「おっ、お前どこから入った!?」

 若い刑事は、慌ててエスター記者の襟首を掴むと、強引に立たせる。エスターは大いに憤慨した。

「いたたた!レディに対してなんて雑なの!」

「警官隊が封鎖してる現場に侵入して、堂々と聞き耳を立てるレディがいるか!さっさと出て行け!」

 すると、若い刑事をデイモン警部は制した。

「まあ待て。エスター記者だったか。今の話、どこまで聞いていた?」

「そっ、それはその」

 記者が怯んだ様子を見せると、警部はその手帳を鮮やかな手並みで奪い取って、ページをペラペラとめくって見せた。

「ああっ!」

「ふむ。まだ大して調べてはおらんようだな。ベイルランド新報のお嬢さん」

 わざとらしく恭しい手付きで手帳を返すと、警部は小さく咳ばらいした。

「お嬢さん、そのベイルランド新報とやらだがな。メイズラント版の購読はどこに申し込めばいいのか、教えてもらえるか」

「えっ!?」

 今度は、それまでとは違う種類の狼狽ぶりをエスターは見せた。

「ちょっ、ちょっとそのへんは…私は一介の記者なので、営業関係は管轄外でして」

「そうか。なら、あんたの所属を教えてもらえるか。政治部とか経済部とか、あるだろう」

 警部が一歩踏み出すと、エスターは汗を浮かべて後ずさった。人間は、追い詰められると本当に汗が出て来るものである。すると、観念したようにエスターは肩を落とした。

「…いつ見破ったんですか」

「記者会見のあと、オフィスに戻ってすぐだ。電話局の交換手に訊くだけでわかったよ。ベイルランド新報、などという新聞社はどこにも存在せん」

「はーっ」

 盛大なため息を吐くと、エスター"記者"はメモ帳をポケットに差して降参のポーズを見せた。若い刑事は目線で、どうしますか、取り押さえますか、とデイモンに訊ねたが、デイモンは手短に指示した。

「お前は狙撃地点割り出しの班に合流しろ。これ以上ここにいても何も見つからん」

「はっ、し、しかしこの怪しい女は…」

「直接訊きたい事が二、三ある。ああ、それとな。30年も経った古い弾丸が使用に耐えうるのかどうか、調べさせておいてくれ。報告はわしの所に回せ」

 わかったな、と言うと、若い刑事はエスターに「顔は覚えたぞ」という視線を投げつけながら、警部に敬礼して無言でその場を走り去った。


 結局、カトリーン・エスターはデイモン警部に新聞記者が虚偽である事を認め、自分は探偵だと言った。だが最低限、依頼主と依頼内容についてだけは明かす事はできない、と語調を強めると、警部は頷いた。

「なるほどな。わかった」

「ついでに、私は身分を偽った以外は、何の罪も犯していない事も考慮していただけると助かります」

「考慮しなかったら?」

「官憲横暴ということで訴えます」

 すると、警部はつい吹き出した。

「なるほど。そこらの男どもより、肝は座っているようだ」

「そろそろ解放していただけますか」

「それは肝心なことを訊いてからだ。あんたの依頼内容、もしそれが今回の事件に何らかの関わりがあるとしたら、解放どころか任意同行を求める事になる。そうでもなければ、わざわざ新聞記者を装ってまで、こうして警察の周りを嗅ぎ回ったりはせんだろう」

「うっ」

 図星とも何とも言えない顔で、エスターは視線をそらす。警部は続けた。

「お前さん、あの記者会見でこう訊いたな。今回、"魔法犯罪"の可能性はあるか、と。あれはどういう意味だ」

「それは…言ったとおりの意味です」

「言い方を変えよう。なぜ、わざわざあんな質問をした?」

 警部は内ポケットから煙草を取り出しかけて、一瞬渋い顔を見せたのち、仕方なさそうにまた仕舞うとエスターに向き直った。

「まるで、今回の件が魔法犯罪であって欲しい、とでも言わんばかりに思えたのは、わしの気のせいかな」

「名警部の推理を間近で拝聴できて光栄です」

「誤魔化すな」

 笑いとも、呆れともつかない様子でデイモン警部は、さっきまで将校たちが座っていた鉄製のチェアーに腰をおろした。

「わしの推理を聞きたいなら聞かせてやる。お前さんは、犯行そのものに関わっているのかどうかはわからん。だが今回の事件に"魔法"が介在している可能性を、何らかの根拠に基づいて調査している。違うか」

 今度こそ警部は煙草を取り出し、まるで誰かに見咎められるのを避けるような素振りで、マッチに火をつける。エスターは無言だった。

「正直に言おう。わしも今回の件、魔法の介在はあり得ると思っている」

「…どういった魔法ですか」

「それはわからん。それを調査できる専門の部署ならあるがな」

 エスターの肩が、ぴくりと反応した。

「これは推測だがな。お前さん、ひょっとしてもう、そいつらと接触したのではないか。そして、待機任務で動けない自分達の代わりに、正体は黙っておいてやるから捜査の状況を探って来い、などと言われたんだろう。安いチップでな」

 それを言われたエスターは、半分飛び上がるほどの驚きを見せた。警部は笑う。

「変わっとらんな、レッドフィールドは。情報屋を手懐けるのは奴の常套手段だ」

 警部は、かつての直属の部下の若い頃を思い出し、苦虫を噛み潰したように笑う。裏社会の情報屋など、上にバレたらただでは済まない人間も何食わぬ顔で利用するのは悪い癖だが、実のところそれを教えたデイモン警部にも責任はある。問題は、それについて公僕としての良心の呵責が、いささか欠けている点だ。

「それで、あいつらは…魔法捜査課の連中は、今回の事件をどう見ている?特にあの少年刑事は」

「…今のところ、まだ彼ら自身、魔法犯罪という確信までは至っていないようです。春のジミー・ローバー下院議員狙撃事件とは別種の魔法、という推測も立ててはいましたが」

「ふむ」

 デイモン警部は、改めて狙撃の現場をぐるりと見渡した。

「エドアルド・フォーク参謀次長は、東側のチェアーに座って西側を向いていた状態で、生け垣越しに頭部を撃たれた。生け垣の高さは1.5メートル程度。座れば成人男性であろうと、水平方向からは頭は完全に隠れる事になる。使用された銃弾は廃番の、軍用18.5ミリ弾」

 そこまで言って、警部はわざとらしく沈黙してみせる。一瞬何事かと怪訝そうにしたエスターは、すぐに手帳を開いてメモを取り始めた。それを見て、警部は続けた。

「状況は前回の狙撃に極めて似ている。銃声を聞いた者はいないため、長距離の狙撃である事は間違いない。だが、木立ちに囲われた公園の外側から狙撃するという、困難な条件をわざわざ選択する犯人には疑問を覚える」

 またも、警部は沈黙した。エスターがメモを取り終えたところで、おもむろに立ち上がると、小声でつぶやいた。

「メモを取る素振りをしながら、悠然とついて来い」


 事件現場となった公園の周囲を、駆り出された気の毒な警官隊が、痛む足腰を押して出入口を健気に警護していた。まだ若い警官があくびをした所へ、赤毛の女性を従えたデイモン警部がやって来たため、慌てて姿勢をただし敬礼する。

「ご苦労」

「はっ、ご苦労様です!」

「聞き込みの班は、特に何もなければ定時で上がらせろ。夜の待機班には…」

 敬礼もそこそこに、警部は女性に何事かを指示しながら公園を出て行った。あんな女性を通したかな、と若い警官は一瞬考えたが、まあデイモン警部の部下らしいので問題はないだろう、と再び姿勢を崩した。


 平然と部外者を現場から連れ出したデイモン警部は、新聞記者を装っていた自称探偵のカトリーン・エスターを従えて、テレーズ川沿いの舗道を歩いていた。

「さて、今日の夕食はレストラン"ダニーボーイ"にでも行くかな。19時にもなれば席も空いてくるだろう」

 それだけ言うと、デイモン警部はエスターを放置してどこかに歩き去ってしまった。残されたエスターは、手帳を見ると小さく頷いて、足早にその場を移動した。



「なるほどな」

 魔法捜査課オフィスでエスターの報告を受けたアーネット・レッドフィールド巡査部長は、デスクにドンと脚を投げ出した姿勢で、少しばかり面白くなさそうな顔で頷いた。

「デイモン警部はカトリーン、君をこちらへの連絡係として指名したわけだ」

「ハッキリとそう言ったわけじゃないけどね。要するに私は安いチップで、魔法捜査課と重犯罪課の伝書鳩をさせられる事になった、という事」

 いよいよカトリーンの口調も、ぞんざいになってきた。今さらだが、カトリーンはナタリーよりもさらに若く見える。せいぜい22歳か、もっと下あたりかとアーネットは思った。すらりと背も高く、まあ一応は美人に入れてもいい。首に巻いた少し高級そうな革のバンドなど、それなりにファッションもこだわりはあるようだ。十年前の自分なら、今夜食事でもどうだい、と声でもかけていただろうか。

 そんな事を思っていると、ナタリーとわずかに目が合って、アーネットは小さく咳ばらいした。

「またしても狙撃は、何やら困難な条件というわけか」

「なんか記録でも競ってんのかな。狙撃が趣味の連中がいてさ。困難な条件であればあるほど、得点が高いとか」

 ブルーのだいぶ不謹慎なジョークだったが、待機で疲れているためか、アーネットもナタリーも咎める様子がない。エスターはデスク越しに、アーネットと手帳をはさんで言った。

「それで、名刑事さんの現在の所見は?」

「まあ、色々わかった事はあるがな。ナタリー、その旧式の銃弾について、君ルートで調べられるかい」

 訊かれたナタリーは、冒険小説「怪盗セルピーヌ・アレン」シリーズの第3巻を伏せて、少し考えた。

「カフェ"メアリー"にお昼に行くと、ボブカットで少し浅黒い肌の女の人が食事してると思うから、これを渡しておいて」

 ナタリーは手元の雑紙に何やら意味不明の文字を走り書きすると、立ち上がりもせずカトリーンに向かって腕だけを伸ばした。カトリーンは面倒くさそうに歩み寄ると、人差し指と中指で挟んで受け取る。

「何これ」

「誰にもわからない暗号」

 それは、情報局員だけの間で通じる暗号文だった。しかも仕様は定期的に更新される。ナタリーはその更新情報も、古巣から常に受け取っていた。

「アーネット。食事代くらいは渡しておいてもいいんじゃない?情報交換のたびに出費がかさむわよ。カトリーンがお金持ちだっていうなら、自腹切ってもらってもいいけど」

 容赦があるのかないのかわからないナタリーの提案に、カトリーンは仏頂面で答えた。

「おあいにくさま。日々の食事代ていど、困ってはいないわ」

「あらそう。やっぱり魔女がバックにいると違うのかしら」

 何気ないナタリーの問いに、カトリーンは今度こそ本格的に狼狽えた。一瞬、足元がおぼつかなくなり、ブルーのデスクに腿をぶつけると、うず高く積んであった小説の山が崩壊した。

「わあ!」

 ブルーの抗議も、カトリーンには聞こえていない。不安を圧し殺すように半笑いで、しかし震える声で言った。

「なっ…何を訳のわからない事を…」

「私達、もうこの地下室の安楽椅子探偵みたいなものでね。小説を読むか、今ある情報で推理に華を咲かせるかっていう生活」

 ナタリーは、座ったまま杖をクルリと振って、魔法で温められたティーポットを招き寄せると、カップに注いだ。もはや自堕落の極みである。

「でまあ、あなたの事についても色々考えたのね。それで、魔法犯罪に興味を持っているのは何故なのか、という疑問に行き着いた」

 ひと口飲むと、ナタリーは紅茶の縁のわずかに金色がかったリングを見つめる。

「そこで、ブルーが以前言っていた事を思い出したの。魔女と呼ばれる人々は、魔法犯罪という出来事について無視できない、という事実をね。魔女っていう人がどんな人達なのか。わりかし身近な約一名の女性を除いて知らないけど、その女性に師事しているある少女は、”魔女の制約”とかいうのに縛られない立場を利用して、私達の捜査に協力してくれているわ」

 それは現在旅行休暇でメイズラントをすでに発ったと思われる、モリゾ探偵社の面々の事を指していた。所長のカミーユ・モリゾ女史は、正体不明の”魔女”の一員だが、その組織的な実態についてはまだ詳しく説明できない立場にあるらしかった。

「ブルーに訊いたわ。魔女と呼ばれる人々は、メイズラントだけにいたわけではない。4つの連合王国で構成されるこの島のあらゆる土地に、それぞれの文化を持った魔女のコミュニティがかつて存在していた、と」

 ナタリーはカップを置くと、何時間ぶりなのかという様子で立ち上がり、カトリーンに向き直った。

「カトリーン・エスター。あなたは何らかの事件を追って、エディントンの魔女組織から派遣されてきた。違うかしら」

 その時ナタリーはカトリーンの眼差しに、初めて真剣な鋭さを見た。

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