その2 水辺での出会い
僕は川の流れに身を任せていた。
・・・いやまあ、巨大こん棒に張り付いて、身動き一つ出来ない状態では、流れに身を任せる以外に何も出来ないんだけど。
この川に落ちてから、もう四日。
いや、そろそろ五度目の朝を迎えるから今日でもう五日目になるのか。
僕は何をするでもなく、こうして森の中を流れる川に流されていた。
周囲からは時折モンスターの鳴き声が響いて来る。
最初は恐ろしくて仕方がなかったけど、川を流れるこん棒を気にするようなヒマなモンスターはいなかった。
僕は今ではぼんやりとしながら川の流れに身を任せていた。
あの夜。巨人の縄張り争いに巻き込まれた僕は、崖から転落した。
そのまま僕は、たまたま崖下に流れていた川に落下。下流へと流されたのであった。
あの後、巨人達がどうなったのかは分からない。結構な距離まで彼らの叫び声が聞こえていたから、かなり長い間戦っていたのは間違いないだろう。
こうして僕は川の上の人(棒?)となった。
ちなみにこの四日間、森以外の景色は見ていない。
川はどこまで行ってもひたすらに森の中を流れていた。
冒険者の本では、この世界には草原とか砂漠とか、色々な場所があるはずなんけど・・・。
少なくとも、ここいらには森しかないようだ。
そういえば、僕がお婆ちゃんと一緒に住んでいたのも森の中だった。
あるいは冒険者の話は別の大陸の物語で、僕達が住んでいる大陸は端から端までずっと森しかないのかもしれない。
ずっと途切れない木の流れを見ていると、そんな気分になってくる。
最初は黒色だった森の色も次第に薄くなり、やがて僕が良く知る灰色の森になり、今では鮮やかな緑色の森になっていた。
緑色の森なんて、作り物めいていてなんだか面白い。
お婆ちゃんに話してあげれば、きっと喜んでくれるだろう。
川に流された事で唯一助かったのは、飲み水の心配をしなくて済むようになった点だ。
水自体は、何となく変な味のする、飲んでて胸やけのするものだったが、僕にとってみれば二日ぶりの水である。
僕はお腹がタプタプになるまで飲んだ。
最初は嬉しい川の水だったが、こうして四日も流されていると、流石にありがたみも薄れて来る。
今では川魚を見かける度に、「そろそろ魚も食べたいな」なんて考えも浮かぶようになっていた。
そうそう。不思議な事に、最初は飲みにくかった水も、今では美味しいとさえ感じているのだ。
僕の舌が慣れたのか、あるいは本当に美味しくなっているのか。
今では「今までに飲んだ事が無いほど美味しい水」と自信をもって言えるようになっていた。
そんなこんなで、川に流され始めて五日目の朝。
「川っていずれは海にたどり着くんだっけ。海ってずっと水しかないんだよな。そうなる前に何とかしないとマズいよね・・・ん? あれって」
僕は頭の先、進行方向を見つめた(この時の僕は頭を先に流されていたのだ)。
「あそこで木が無くなっている! そうか! 森が終わっているんだ!」
ようやく訪れた変化に僕の心は踊った。
そう。今までうっそうと生い茂っていた森が、少し先で切り取られたように無くなっているのだ。
ひょっとして海に到着してしまったのかもしれない。けど、もう四日も同じような景色の中を流されていたのだ。
それに僕は森の外の世界を知らない。
そう、あそこには僕の見た事のない世界があるのだ。
森の外には人間の町があり、そこには冒険者ギルドがある。
僕の憧れていた冒険者の世界だ。
こんな状況でありながら、僕は興奮を覚えてた。
「遂にここまで来たんだ! 僕は今から森の外に――って、あ、あれあれ?」
後ほんの少し、もう後ほんの僅かな距離で森の外に出られる。
そう思った瞬間、僕の体はスルスルと川の本流から外れて、すぐ脇の淀みへと流されていた。
「ちょ、ま、待って! そっちはマズいって! くっ! 動・・・かない! ぐぬぬぬっ!」
僕は慌てて川に戻ろうとしたが、巨大なこん棒(僕)は少し回転した程度で、流れに逆らう事は出来なかった。
「ぐぬぬぬっ・・・ぶはっ! はあはあ。だ、ダメだ動かない。ああっ・・・」
僕の頑張りも虚しく、僕の体(こん棒)は川の本流から外れ、葦の生い茂る淀みへと押し流されてしまった。
やがて僕の体はゆっくりと動きを止め、ピクリとも動かなくなってしまった。
「こ、ここまで来て、そんなあ・・・」
僕は愕然としながら空を仰ぎ見るのだった。
自力で動けない以上、どうあがいてもここからは脱出出来ない。
あるいは川の水が増水して、この淀みから僕を押し流してくれる可能性も無くは無いけど・・・
「どう考えても、そうなる前に僕の体がもたないよね」
巨人のこん棒に押しつぶされて張り付いて、今日でもう一週間目。
その間、僕は一口も食べ物を口にしていない。
ドロテアお婆ちゃんと一緒に生活している時でも、こんなに食事を抜いた事は無かった。
今までは水を飲んでどうにか誤魔化していたけど、それもそろそろ限界だ。
「そもそも、今はその水も問題ありそうだし・・・」
僕は淀みを見下ろした。
流れの無い淀みにはびっしり植物が生い茂り、その周囲を小さな虫が飛び回っている。水自体も腐敗した動植物の匂いなのか、何だか微妙に臭い。
こんな水を生のまま飲んだらお腹を壊してしまうだろう。
「それでもいざとなれば飲まなきゃいけないんだろうけど・・・出来れば遠慮したいなあ」
このピンチをどうにか出来る可能性があるとすれば、女神アテロード様から頂いた【能力】しかない。
問題は僕がその【能力】をろくすっぽ覚えていないって事なんだけど。
今は”剣術の才能”は役に立たないだろうから、頼れるのは他に唯一覚えている”ど根性”だけとなる。
「”ど根性”か。――もうコイツに賭けるしかない!」
ど根性が一体どういう【能力】なのかは分からない。けど、名前から察するに、ピンチの時にこそ力を発揮してくれる【能力】に間違いない。そうでないと困る。
「どの道、今、頼れるのはこれしかないんだ! よし、やるぞ! 根性だ、根性! ど根性! うおおおおおおっ! ど根性おおおーっ!」
僕は全力で体を動かした。
実はこの数日、何度かチャレンジはしていたのだ。というか、川の上では他にする事もなくてヒマだったし。
その度に、何も起こらずに失敗していたのだが、さすがは”ど根性”。
やはりここ一番という場面で真価を発揮する【能力】だったようだ。
ジリッ、ジリッ、と僕の体が――こん棒が動き始めた。
「おおおおおおっ! ど、ど、ど根性おおああああっ!」
この淀みは結構広い。川の本流まではまだまだ距離がある。
僕にとっては無限に感じる距離――それこそ雲を掴もうと空に手を伸ばしているような感覚だ。
しかし、確実に動いている。僅かづつとはいえ近付いてはいるのだ。
「うぎぎぎぎっ! 僕は――僕は雲だって掴んでみせるぞおおおおっ!」
「・・・何言ってるのか分からない」
「――へっ?」
突然、誰かに話しかけられて、僕はマヌケな声を出してしまった。
体の動きが止まると――ゆっくり回転すると元の場所に戻ってしまった。ああ・・・そんな。
いや。今はガッカリしている場合なんかじゃないぞ。
僕は慌てて周囲を見回した。
すぐに川の縁に立ってこちらを見ている小さな姿を発見した。
人間の子供――多分、女の子だ。
背丈は僕の元の体の胸の辺りくらい。艶のある紺色の髪を頭の両側で結んでいる。
どこか小動物のような印象の可愛らしい子だ。
目の粗い麻の膝丈のワンピースに、厚手のチョッキ。――後で知ったけど、人間の村の子供の平均的な服装らしい。
女の子はちょっと眠そうな目でじっと僕の方を見つめていた。
「えっ? に、人間?」
「そうだけど、そっちは何?」
女の子はちょっとぶっきらぼうな感じで僕に尋ねた。
いやいや、「何?」って。見ての通り僕だって人間だよ。
僕はそう言い返そうとした所で、ふと今の自分の姿を思い出して、返事に詰まってしまった。
ええと、どう言えば伝わるだろう?
女の子は不思議な生き物を見付けたような目で、まじまじと僕を見ている。
――もしかすると、僕が知らないだけで、案外、僕に体に起きたような出来事ってたまにあるんじゃないかとも思っていたけど、この様子だとどうやらその可能性は低そうだ。
というか、今更だけど緊張して来た。
僕が今まで生きて来た中で話しをした事のある人間は、ドロテアお婆ちゃんただ一人なのだ。一応、女神アテロード様を含めれば二人になるけど、女神様を人数に入れてもいいんだろうか?
そもそも僕の言葉ってちゃんと通じているのかな?
「あの。人間の言葉って通じますか?」
「・・・馬鹿にしてる?」
ああっ! 違う! そういう意味じゃなくて!
女の子は不愉快そうに眉間に皺を寄せている。僕は彼女を怒らせてしまったらしい。
こうして会話が通じているのに、今更何を聞いているんだ、僕は。
「ご、ごめんなさい! あなたが人間なのは見て分かるけど、僕、今までお婆ちゃん以外の人と話をした事が無かったから!」
「お婆ちゃん?」
女の子は遠慮なくジロジロと僕を見まわした。
なんだろう。なんだか恥ずかしいな。
「お婆ちゃんもこん棒「お婆ちゃんはこん棒じゃないよ。人間だから。というか、僕も本当はこん棒じゃないからね。今はこんな姿になっちゃってるけど」
大事な事なのでそこはちゃんと否定しておいた。
今日も夜にもう一話更新する予定です。
次回「パッシブスキル」




