その1 氷と霜の国《ヨートゥンヘイム》より
本日二話目の更新です。前の話の読み飛ばしにご注意下さい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それはまるで怪獣同士の一騎打ちだった。
巨大な影が二つ。俊岳の麓、万年雪に覆われた雪山で死闘を繰り広げていた。
「ゴアアアアアアアーッ!」
「ギョエエエエエエエーッ!」
片や十メートルを超える、体毛が異様に尖った黒い巨大イノシシ。
光沢の無い煤のような黒い体毛は、高レベルのモンスターの証拠でもある。
対するは、こちらも十メートルに近い筋骨隆々な一つ目の巨人。
墨のような黒い肌には、ひび割れのような毒々しい赤い模様が走っている。手には巨大なこん棒。
この万年雪に包まれた急峻、氷と霜の国の支配者、ギガント・サイクロプスである。
巨人は全身から血を流している。
巨大イノシシの体毛は、組み合うだけでヤスリのように巨人の皮膚を削り、肌を傷付けているのだ。
一見、巨人にとって不利に見えるこの状況。しかし、実際に追い詰められているのはイノシシの方だった。
巨大イノシシが轟音と共に頭から巨人に突っ込んだ。
「ムン!」
太い気合と共に、巨人はこん棒を横薙ぎに払う。こん棒はルイノシシの巨大な牙に当たった。
ズズーン!
「グギャアアアアアッ」
大きな雪煙を巻き上げながらイノシシが転倒する。
永久凍土で凍った大地は、まるでコンクリートのように硬い。
衝撃で巨大イノシシの頭頂部はパックリと割れ、温かい血が白い雪を赤く染めた。
衝撃で軽い脳震盪を起こしたのか、イノシシはすぐには起き上がれない。
黒い巨人はこのチャンスを逃さなかった。
彼はイノシシの体にのしかかった。格闘技で言うマウントポジションである。
片手でイノシシの牙を掴むと、もう片方の手でこん棒を振りかぶる。
ドガッ! ドガッ! ドガッ!
「グッ! フグッ! グッ!」
こん棒の滅多打ちにイノシシの苦しそうな息づかいが響く。
イノシシはこのまま撲殺されるかと思われた。――その時。
「グア――ッ!」
巨人が大きな悲鳴を上げて脇腹を押さえた。
押さえた手の隙間から赤い血が流れ落ちる。
地球でも、カモノハシのオスは後ろ足に”蹴爪”と呼ばれる、鋭い毒針を隠し持っている。
どうやらこの巨大イノシシも足に鋭い針を隠し持っていたようだ。
しかし、結果としてこの攻撃は、巨人の怒りをかうだけとなった。
巨人の一つ目が怒りに充血した。
巨人はこん棒を投げ捨てると、両手で巨大な牙を掴んだ。
「グルルル・・・。 グウウウウ」
唸り声と共に巨人の両腕に力が入る。太い腕が更に太く膨らみ、たくましい広背筋が盛り上がると、イノシシの牙がミシリというイヤな音を立てた。
そのまま巨人はジリジリとイノシシの首を捻じり上げていく。
イノシシは全力で抵抗するが、巨人は意にも介さない。
「グッ・・・。フ・・・グッ・・・グ」
バキッ!
やがてイノシシの首から鈍い音が響いた。
イノシシの体からガクリと力が抜ける。
折れた骨が喉を突き破ったのだろうか。イノシシの口からドッと血が溢れ、温かい血が大地を濡らした。
巨人は全身を返り血で真っ赤に染めながら、両の拳を天高く突き上げた。
「ウオッ! ウオオオオオオオーッ!」
山々の間に、巨人のあげる勝利の雄叫びが響き渡るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ドガン!
僕は凍り付いた床に乱暴に放り投げられた。
巨大なこん棒はゴロゴロと転がり、石の壁にぶつかって止まった。
石造りの高い天井が見える。
幸い、体が上になる形で止まったようだ。
昨日は逆に下向きで止まったせいで、息苦しいやら、床に押し付けられて冷た痛いやらで、一晩中一睡も出来なかったのだ。
僕を放り投げた巨人は、ベッド代わりの枯れ枝の上に倒れ込むと、早くも大きないびきをかいている。
巨大イノシシとの戦いで、全身傷だらけで血まみれの酷いありさまだ。
人間なら大怪我間違いなしの状態だが、この巨人はモンスター。しかも僕が今まで見た事も無い高レベルのモンスターだ。
そうでなくともモンスターは回復力が高い。ましてや高レベルのモンスターともなればなおさらだ。
コイツにとってはこの程度はかすり傷で、一晩寝れば傷も塞がってしまうのだろう。
僕はモンスターの事なんてろくに知らないけど、コイツはあまり頭の良くないタイプのモンスターのようだ。
自分のこん棒に人間が――僕が張り付いているのを気にする様子もない。
というよりも、気付いてさえいないようだ。
このモンスターが細かい事を気にしない性格で良かった。
僕はホッと胸をなでおろした。
いや、僕の腕はこん棒に張り付いていて動かないんだけど。
今から二日前。僕は十五歳の誕生日に森で女神アテロード様に出会った。
僕は女神様から覚えきれない程たくさんの【能力】を頂いた。
女神様のおかげで僕は最高の冒険者――”Sランク冒険者”になる道が開けたのだ。
僕は急いでお婆ちゃんの待っている家に帰った。
そして家に入った途端、僕は謎の光に包まれ、なぜかこの場所まで飛ばされていたのだ。
多分、床に描かれていた魔法陣が原因だと思うけど・・・。今となっては確認のしようもない。
そして僕は、出会い頭にこの巨人モンスターのこん棒で叩き潰されて死んでしまったのだった。
――と思っていた。
「・・・それがまさか、こん棒と一体になってしまうなんてなあ」
そう。ぺしゃんこにされた僕は、それでも死んでいなかったのだ。
意識を取り戻した僕は、自分が巨人のこん棒に張り付いている事を知った。
ビックリしたかって? そりゃあビックリしたに決まってるよ。
なにせ体が真っ平になって、ピクリとも動かせないんだから。
我ながらこんな状態で生きてるのが不思議だけど、実際にこうして生きているんだから認めるしかない。
さて。巨人も寝たようだし、始めるか。
僕は「ぐぬぬぬっ」っと力を入れた。巨大なこん棒が少しだけ動いた・・・ような気がした。それだけだ。
自由に体を動かす事は出来ないし、こん棒から剥がれる事も出来ない。
この二日間、巨人の目を盗んでこうして何度もチャレンジしているけど、やはり僕だけの力ではここから脱出するのは難しいようだ。
僕はため息をついた。
「多分、女神アテロード様から頂いた【能力】のおかげで死なずに済んだんだとは思うけど・・・。ドロテアお婆ちゃん。心配しているだろうな」
僕がこんな体になっても死なずに済んでいるのは、直前に女神様から頂いた【能力】のおかげだと思う。というか、他に理由が思い付かないし。
問題は、どの【能力】が作用しているのかだけど、これについては手がかりが一切ない。一度に沢山貰い過ぎて覚えていないのだ。
唯一覚えているのは”剣術の才能(大)”。それと、僕が最初から覚えていたという”ど根性”。
あの時は女神様に笑われてしまったっけ。僕の消してしまいたい記憶である。
「ど根性ね。やっぱりこの”ど根性”で死なずに済んだのかな?」
それはそれでどうなんだろう、と思わないでもないけど、他に心当たりもない以上、一先ずそう考えるしかない。のか?
まあいいか。
「それより、これからどうするか。だよね」
生きていれば当然、お腹だって空く。なにせ僕はもう二日も何も食べていないのだ。
ドロテアお婆ちゃんは忘れっぽくて、昔から三日くらいのご飯抜きは割と普通だったから、空腹感の方はまだ耐えられる。
けど、飢えはともかく、そろそろ渇きは限界だ。
「体が動かない以上、誰かに水を飲ませて貰うしかないんだけど・・・」
僕は巨人の姿を横目で見た。
あれがモンスターでなければ――いや、モンスターでも、会話が通じるモンスターであれば、事情を説明して助けて貰う所なんだけど・・・。
「どう見ても話が通じる相手には見えないよね」
僕は巨人と巨大イノシシモンスターとの戦いを思い出していた。
巨人はイノシシの首をへし折って殺すと、イノシシの剛毛に傷付くのも気にせず、死体のはらわたに直接食らいついていた。
生臭い血の匂いと、ぐちゃぐちゃという咀嚼音に、僕はすっかり気持ちが悪くなってしまった。
空腹でお腹が空っぽだったから良かったものの、そうでなければ間違いなく吐いていただろう。
「と、とにかく、今の僕は無力じゃない。女神様から頂いた【能力】だってあるんだ」
問題はその【能力】を覚えていないって所なんだけど、こんな大きなこん棒に潰されたって死ななかったんだ。
だったら、今のピンチだって、きっとどうにか出来るはずだ。・・・多分。
「諦めてたまるもんか。僕はお婆ちゃんの待つ家に帰って、女神様から頂いたこの【能力】で、Sランク冒険者になるんだ!」
僕は声に出す事で決意を新たにした。
巨人を起こさないように小さな声で、だけど。
さて、体力温存のためにも今夜はもう寝よう。昨日は凍った床が冷たくて寝られなかったから、流石に眠いのだ。
僕がそう考えたその時、部屋の外からのしのしという足音が近付いて来た。
「あっ」
「ゴアッ?」
部屋の入り口から顔を出したのは、黒い巨人だった。同種の別モンスターが現れたのだ。
「ゴアアアアアアアッ!」
「グアアアアアアアッ!」
巨大モンスター同士のバトルが始まった。
二体はもつれ合うように建物の外に転がり出た。
どうやら巨人の住み家に、別の巨人が迷い込んで来たようだ。
縄張りを荒らされた巨人は激怒。新参者へと襲い掛かった。
ドガン!
巨人の振り回すこん棒(僕)が、新参者の巨人の脳天を捉えた。
悲鳴を上げて転がる新参者巨人。
うわっ。痛そう。
僕は痛くないのかって? 当たったっていう感覚は確かにあるけど、痛いという程でもないんだよね。
何故だろう? 空腹や冷たさは感じるから、感覚がマヒしているって事はないと思うんだけど。
そんな事を考えている間に、巨人が新参者にのしかかった。
昼間の巨大イノシシの時と同じように、馬乗りから首をへし折るつもりなんだろう。
しかし、新参者も黙ってやられているばかりじゃない。体を曲げると下から巨人を蹴り上げたのだ。
「グウッ!」
これがキレイなカウンターとなった。巨人はお腹の辺りを蹴られて大きく吹き飛んだ。
巨人の手からこん棒(僕)が転がり落ちる。
こん棒(僕)は大きな岩にぶつかると――
「あっ」
そのまま何も無い空中に投げ出された。
そしていつまでも続く浮遊感。
僕は険しい崖をどこまでも落ちていくのだった。
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次回「水辺での出会い」