その3 悪意に満ちたネタばらし
今回までが序章となります。
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ディルは突然、知らない場所に転移させられて戸惑っている様子だった。
彼は混乱した様子でキョロキョロと周囲を見回した。
そしてすぐに自分の背後に巨大なモンスター、ギガント・サイクロプスが立っている事に気が付いた。
ディルの顔に驚愕と恐怖が浮かぶ。
「ギャハハハハ! ドッキリ大・成・功ー! いいよいいよその表情! 最高かぁ?!」
ディルは腰砕けで逃げ出そうとするが、その背中にギガント・サイクロプスのこん棒が振り下ろされる。
巨木の幹のような太いこん棒に叩き潰され、彼は地面に赤い染みを残して死んだ。
「うはっ! ポイント高いわ、なに今の死に方、ダッサ! 背中からベチーンだって、ギャハハハ! コイツは仲間にバカウケ間違いなしだわ! いやあ、ディル最高ー!」
高い木の上から、惨たらしい殺戮現場を見下ろしながら、お腹を抱えてゲラゲラと笑っているのは、一人の老婆。
少年の祖母、ドロテアである。
今やドロテアの口は耳まで裂け、大きく開いた口からは犬歯の伸びた乱杭歯が覗き、肌の色はおぞましい灰色に染まっている。
そう。彼女は人間では無い。邪妖精と呼ばれるモンスターだったのである。
邪妖精ドロテアは手に持った水晶を覗き込むと、軽く魔力を流した。
するとそこには、先程、ディルが殺された光景が映し出された。
どうやらこの水晶は、ハンディカメラのように録画機能を持つ魔道具のようだ。
邪妖精ドロテアは、先程の光景を最初から再生させながら、ゲラゲラと下品に笑った。
「うんうん良く撮れてる。いやあ、本当にいい拾い物だったよディルは。最後の最後までこの大爆笑。クククク。また私の動画が大人気になっちゃうなあ」
彼女達、フェッチと呼ばれる邪妖精達は、人間の赤ん坊をさらうのを娯楽としている。
いわゆる取り換えっこ――チェンジリングという行為だ。
さらわれた赤ん坊の代わりには、魔法で人間に似せた人型のモンスター等が置いて行かれる。
フェッチは、赤ん坊の家族が戸惑ったり悲しんだりする姿を見て楽しむのである。
ここまで語れば分かると思うが、ディルはこの邪妖精ドロテアが赤ん坊の時にさらって来て育てた、”取り換えっこ”である。
勿論、そこに善意はない。あるのは百パーセント邪悪な悪意だけである。
ドロテアはディルを育てながら彼に悟らせないように数々の悪趣味なイタズラを仕掛け、彼が苦しんだり悲しんだりする姿をこうして水晶に録画しては、仲間が集まった時に回し見して楽しんでいたのである。
ディルが病気になって寝込んだ時も、原因はドロテアが呪いをかけたせいだった。
ドロテアはディルが苦しんでいる様子を録画するだけでは飽き足らず、看病を失敗するふりをしてディルを苦しめたりもした。
また、ディルが喜びそうな物をプレゼントしては、うっかりを装ってそれを壊し、悲しみに沈むディルを見ては陰でゲラゲラと笑っていた。
それはイタズラなどと言う可愛い物では無かった。実際にディルはもう何百回も死にかけている。
彼が生きて十五歳の誕生日を迎えられたのは奇跡なのだ。
しかし、ここまでされても、素直なディルは欠片もドロテアを疑っていなかった。
それどころか、いつも自分を気にかけてくれている優しいお婆ちゃんだとすら思っていた。
その勘違いが、更にドロテアの笑いのツボを刺激していた。
こうした悪意に満ちた長い生活は、しかし、今日で終わりを告げた。
今日はディルの十五歳の誕生日。ディルは大人になったのである。
邪妖精フェッチの悪趣味な娯楽の対象は、あくまでも人間の子供に限られている。
大人を育て続ける趣味は彼女達には無かった。
邪妖精ドロテアは、最後の最後に、長年自分達に上等な笑いを提供してくれたディルに相応しい仕掛けを用意して、彼の人生の幕を降ろしたのだ。
そう。あの女神アテロードもドロテアの変装だったのである。
いや、女神アテロードの存在自体が最初から仕込みだったのだ。
女神アテロード。逆から読めば、ドロテア。
ドロテアはいつディルが気が付くか、ワクワクしながら楽しんでいた。
「しかし、まさかあそこまであの子の【能力】が育っていたとは思わなかったね」
女神アテロードは――ドロテアは、ディルに【能力】を授けた訳ではない。というよりも、邪妖精にそんな力は無い。
彼女はディルを苦しめるために、幼い頃からずっと呪いをかけ続けていたのである。
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【呪詛】:拘束(呪) 筋力低下(強) ステータス低下(強) 回復力低下(強) 注意力低下(強) 命中率低下(強) 苦痛(強) 混乱(強) 不運(強) 精神遅滞(強) ストレス(強)
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十年以上もの間積み重なった呪詛は、今ではかなりの強度になり、ディルの【能力】の発現を押さえつけていた。
あの時、彼女はその呪いを解呪した。その反動でディルの【能力】が一斉に発現したのである。
「しかし、それでも”ど根性”なんて【能力】を、既に発現させているとは思わなかったよ。しかも”(極)”って。ホントに最後まで笑わせてくれる子だったよ」
おそらくは数々の【呪詛】に抵抗するために発現した【能力】だったのだろう。
そんな【能力】が発現する程の負担が、常日頃からディルの心と体にかかっていたと想像すれば、同情を禁じ得ない。
それとてもドロテアにとっては笑いのネタに過ぎないのだが。
ドロテアはひとしきり笑うと、ディルの最後を記録した水晶を大事にしまった。
この記録は次の仲間の集まりでも、大うけ間違いなしである。
ディルの記録動画は滑り知らずとして有名で、今では彼女の動画を心待ちにしている仲間も数多くいた。
「しかし、ディルも死んじまったし、代わりを見付けないとね。とはいえ、あの子の代わりになるような子供はなかなかいないだろうねえ」
ドロテアはブツブツと呟きながら、あらかじめ仕込んでおいた転移の魔法陣を発動させた。
目的地はディルと住んでいたあの小屋である。
転移魔法の光が消えると、ドロテアは一瞬にして住み慣れた家の中に到着していた。
そこで彼女は驚いて立ち尽くした。
小屋には既に先客がいたのである。
「老婆――いや、モンスターか。その姿、察するところ邪妖精だな?」
「なっ?! 人間だって?! お前は誰だ?!」
白銀の鎧を着たスラリと背の高い女だ。まだ若い。ウエーブしたオレンジブラウンの髪を肩の辺りで切りそろえている。
装備といい、佇まいといい、ただ者とは思えない。いわゆる”雰囲気を持った”女騎士であった。
女はまつ毛の長い切れ長の目でドロテアをねめつけた。
ドロテアは女騎士が手に持っている物を指差した。
「あっ! それは私の物だ! 返せ!」
先程から女騎士が覗き込んでいたのは、ドロテアが仕掛けておいた記録水晶だった。
ドロテアはこの水晶を回収に来たのだ。
水晶には少年の姿が――女神から【能力】を授かったディルが、喜んで家に帰って来た所で、転移のトラップを踏んで飛ばされる現場が――映し出されていた。
上げて落とすのは邪妖精が最も好むイタズラだ。
こんな場面でなければ、ドロテアはディルの慌てる姿に大爆笑していただろう。
女騎士は床の魔法陣を見下ろした。
「おそらくは転移の魔法陣といった所か。子供一人を引っ掛けるために、これほど大掛かりな仕掛けを施すとは。邪妖精というのはほとほと救いがたい存在だな。その魔術の知識を人間を苦しめるためにしか使えんとは」
スラリ
流れるような動きで女騎士が腰の剣を抜いた。
この動きだけで、彼女が恐ろしい腕前を持つ剣士である事が分かる。
ドロテアのこめかみに冷や汗が伝った。
「この少年は何者だ? どこに転移させた? 答えれば苦しまずに死なせてやる」
女騎士は落ち着いているのではない。怒りを爆発させないように堪えていたのだ。
ドロテアは女騎士から叩き付けられる強烈な殺気に、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた。
「エレオリーナ様、外には何も――なっ! その老婆は?!」
「しめたっ!」
「ちっ! 逃すか!」
小屋の入り口から大柄な騎士風の男が顔を出した。
ドロテアは女騎士――エレオリーナが一瞬そちらに気を取られた瞬間に、素早く窓に飛びついた。
その瞬間、エレオリーナの剣が瞬いた。
「トリプル・スラッシュ!」
一振りの間に三連撃を叩き込む【剣技】、トリプル・スラッシュ。
ドロテアは二連撃目までは躱したが、三連撃目がその腕を切り落とした。
「ギャアアアア! くそっ! くそっ! 私の腕が! この恨み絶対に忘れやしないよ! いつか必ずお前に復讐してやる!」
パッと赤い血が飛び散ると、ドロテアの姿は窓の外に消えていた。
「エレオリーナ様! あの者の姿は?! ――そうか、人間に化けた邪妖精!」
「どけ!」
エレオリーナは騎士を押しのけて、ドロテアを追って窓から飛び出した。しかし、そこには”魔境”の森が広がるだけで、邪妖精の姿は無かった。
「しまった・・・逃がしたか」
怒りのせいもあって、咄嗟に最大級の【剣技】を放ってしまったが、技の出の速い通常のスラッシュか、あるいはダブル・スラッシュ辺りに留めておくべきだった。
エレオリーナは凛々しい顔を歪めた。
いつにないエレオリーナの感情的な姿に、騎士風の男はハッと目を見開いた。
「まさか、あのモンスターが弟君の手がかりを持っていたのですか?!」
エレオリーナは、赤ん坊の頃にさらわれた弟の行方をずっと探している。
弟の代わりにトロールの赤ん坊が残されていた事から、犯人が邪妖精であるのは間違いない。
赤ん坊は取り換えっこ――チェンジリングの被害にあったのだ。
エレオリーナが女だてらに、この危険な”魔境”の森を探索しているのは、弟をさらったモンスターに対する復讐――それと、弟が生きているという一縷の望みに縋っての事だった。
「分からん・・・が、気になる」
エレオリーナはそう言うと、もう一度記録水晶の映像を再生させた。
そこに映っているのは、オレンジブラウンの髪の優しそうな少年。
そう。エレオリーナのオレンジブラウンの髪と同じ髪の色の少年だった。
(弟が――ディルタイト生きていれば、丁度この少年と同じくらいか。まさか・・・いや、そうであってくれ)
エレオリーナは立ち上がると騎士風の男に振り返った。
「全員を集めろ。この小屋の周囲を徹底的に調べろ。ヤツの痕跡を探すんだ」
「はっ!」
全員の懸命の調査にも関わらず、ドロテアの痕跡は全く見つからなかった。
天に消えたか地に潜ったか、邪妖精は煙のごとく消え失せていた。
「邪妖精は人間をたばかる術に長けるモンスターと聞きます。しかもここはヤツのテリトリーです。事前に何か逃亡のための仕掛けがしてあったのかもしれません」
「・・・そうか」
魔法陣の調査もエレオリーナを失望させるものだった。
チームの魔導士が調べた所、転移先は人類未踏の”魔境”の奥地、大魔山の麓に設定されていることが判明したのだ。
さしものエレオリーナも、そんな危険な場所に仲間を連れて行く事は出来なかった。
そして彼女に与えた最大の衝撃は――
「こ・・・これは」
ドロテアが落とした記録水晶。そこには巨大なモンスターに叩き潰された少年の最後が記録されていたのである。
希望から一転、絶望の淵に。エレオリーナは力なくガクリと膝をついた。
この場にドロテアがいればさぞ大喜びした光景だろう。
こうしてエレオリーナと彼女のチーム、冒険者チーム・イヌワシの瞳は失意の中、帰還の途に就く事となったのだった。
しかし、彼女は知らなかった。
彼女の弟は――少年ディルは、まだ死んでいなかったのである。
次回から物語の本編が始まります。
次回「プロローグ 新人冒険者チーム」