その24 長い一日の終わり
ここはブナの樹亭の二階。ミラが借りた部屋だ。
ベッドが一つと机と戸棚。窓の外には住宅街が見える。――といっても、外はもう日が落ちているのでポツポツと灯った明かり以外にはろくに見えないんだけど。
下の階からは、食堂の客の喋る賑やかな声が聞こえて来る。
暗い部屋の中、僕は窓から夜の町と星空を見上げていた。
ギイッ。
ドアの開く音がして、誰かが部屋に入って来た。
スタスタと足音が近付いて来たかと思うと、僕の体はクルリと回転して、ミラと正面から向き合った。
「ごめん。遅くなった」
「別に構わないよ。せっかく出来た友達だもんね」
今までミラは隣の部屋――友達のマギナの部屋に行っていたのだ。
宿屋に戻って来た当初、僕がどこに泊るかで。ミラとマギナの間でちょっとした口論になった。
「私の部屋で泊まればいい」
「男の子と一緒の部屋なんて、そんなのダメに決まってるでしょ!」
ミラは家でも家族と一緒に寝ていたそうなので、僕を泊める事に問題を感じなかったようだが、マギナは断固として彼女に反対した。
「他にも部屋は空いているんだから、ディルはそっちで泊ればいいじゃない!」
マギナの言葉に、ミラは「え~」という顔になった。
「何よその顔は」
「お金が勿体ない」
ミラの今の全財産は、小銀貨一枚と大銅貨一枚、穴開き銅貨一枚と銅貨三枚。それと銭貨が少々。
僕とミラの晩御飯で穴開き銅貨が二枚必要だから、それを引くと、大銅貨は一枚もなくなってしまう。
「ぎ、銀貨があるんだからいいじゃない」
「冒険者の仕事に出るにはお金がかかる。さっきマギナがそう言った」
「うぐっ・・・そうだけど」
そう。宿屋に戻る道すがら、マギナはミラに森で仕事をするために必要な道具をあれこれ説明していたのだ。
ここで宿屋のおばさんが二人に声をかけた。
「お金の話をしているなら、ウチは料金前払いだからね。明日も泊まりたいなら先に払っておいて貰わないと。後で他の客が来て部屋が取られても知らないよ?」
「やっぱりディルの部屋代は勿体ない」
「ディ、ディルはどうなのよ! 女の子と一緒の部屋でいいの?!」
そんな事を言われても。
「僕は一人じゃご飯も食べられないし、ミラが一緒にいてくれた方が助かるかな。それに部屋を借りてもベッドで寝る事も出来ないし」
ここの宿屋は知らないけど、流石に三メートルのこん棒が横になれるベッドがあるとは思えないよね。
「おばさん!」
「う~ん。ウチは連れ込み宿じゃないから、カップルは基本的にお断りだけど、ディルがこの子をどうこう出来るとは思えないからねえ・・・」
おばさんは「装備を持ち込んじゃいけないって決まりは作っていないし、ディルはこん棒だからいいんじゃないの?」と軽く返事をした。
「それより、もういいかい? そろそろ食堂に客が入り出す時間なんだよ」
「あ、待って――ああ、もう! 分かったわよ! こっちよ、ミラ! 部屋に案内してあげる!」
プリプリ怒りながらも、ミラの案内を忘れない所はマギナらしいと思う。
ミラはマギナに案内された部屋に入ると、僕を窓際に立て掛けた。
「マギナの部屋に行って来る」
「うん。怒らせちゃったからね。仲直りしとかないと」
ミラはコクリと頷いた。
僕は窓の外を眺めながら、ミラが帰って来るのを待つ事になったのだった。
その後、今度はマギナが訪ねて来て、ミラと二人で一階の食堂に晩御飯を食べに行った。
しばらくすると、二人は食事の乗ったトレイを持って部屋に戻って来た。
「ディルの晩御飯を貰って来た」
「わっ! 何そのご飯! 初めて見るんだけど!」
「何って、パンと煮込み料理じゃない」
見慣れない料理にワクワクする僕に、マギナは怪訝な表情になった。
ミラは机の上にお皿を置くと、僕の体を近くに寄せてくれた。
「変わった味がしたけど、すごく美味しかった」
「そうそう。私もここの料理は美味しいと思うわ」
ミラはスプーンを手に取ると、料理をすくった。
「あ、ミラ! そっちより先に、パンが食べたいな! 構わないかい?」
「別にいい」
「ディルったら、何興奮しているの? 普通のパンじゃない」
普通も何も、僕はパンそのものを見たのが生まれて初めてなのだ。
いろいろな本に当たり前のように出て来る料理なので、ずっと食べてみたいと思っていたのである。
けど、ドロテアお婆ちゃんは、「材料がないから」と言って作ってくれなかった。実はお婆ちゃんは料理があまり上手じゃないので、材料はあるけど自分では作れなかったのかもしれない。
僕はパンを本の挿絵で見て、「どんな味のする食べ物なんだろうなあ」とずっと想像していたのである。
「ええ・・・そ、そう。ていうか、あんたのお婆ちゃんはパンも焼けないかったの? 大変だったわね」
マギナに何だか同情されているみたいだけど、今の僕はそれどころじゃなかった。
憧れのパンが自分の目の前にあるのだ。
早速、ミラが一口大にちぎって僕に食べさせてくれた。
「はい、ディル」
「これがパン・・・パクリ。んんっ。何これ! 柔らかくて美味しい! 一体何で出来ているんだろう?! 凄く不思議な食感だよ! 野菜とも肉とも違う、ぱさぱさしてて変わった歯ごたえだよね。これでも火が通っているのかな? 口の中が乾く感じが何て独創的なんだろう。 ああっ! 噛めば噛む程甘くなって来た! うん、美味しいよ! これがパンなんだね!」
「・・・いや、私、パンでこれだけ感動する人を初めて見たわ」
パンの味を絶賛する僕を見て、マギナはドン引きだった。
あ。煮物も美味しかったよ。けど僕はドロテアお婆ちゃんの作ってくれる料理の方が好きかな。
美味しさで言えば、断然ここの煮物の方が美味しいんだけど、ホラ、料理って焦げてたり生だったりする中に、たまに美味しい部分があるのがだいご味じゃない?
こんな風に美味しい所しかないっていうのは、邪道って言うか、ちょっともの足りないって言うか、料理として凄く不自然じゃない?
食事ってもっと苦労しながら食べるものじゃないかな。
その点パンはいいよね。口の中が渇いて喉に詰まりそうになるのを我慢しながら食べる所が、いかにも「食事をしている」って感じがして。
そんな話をしたら、マギナからは理解出来ない存在を見る目で見られ、ミラには呆れ顔をされた。なぜ?
「美味しい料理の方がいい」
「焦げや生の料理の方が好きって・・・あんた相当変わってるわね」
「そうかなあ。あっ。ひょっとして女の子と男の味覚の違いかも?」
「「それはない」」
二人に声を揃えて反対されてしまった。
味の点で言えば、僕はさっきの煮物よりもお昼に食べたミラの作ったお弁当の方が断然好みなんだけどな。
いつかまた、ミラが作った料理が食べてみたいものである。
食事が終わると、僕は廊下に出された。
代わりにミラは、お湯の入った桶を持って部屋の中に入る。
しばらくすると、体を拭ってさっぱりしたミラが、新しい服に着替えて部屋から出て来た。
「次はディルの汚れも拭く」
「あ、うん。お願いします」
ミラが一人で三メートルのこん棒を拭くのは一仕事だった。
彼女が手を動かしている間に、他の部屋の人達が帰って来たらしく、廊下を通り過ぎる音と共に、部屋のドアを開け締めする音が聞こえた。
「今の人達も冒険者なのかな?」
「ここの宿泊客は全員冒険者だって言ってた」
この宿屋の名前は「ブナの樹亭」。ブナの木の別名はどんぐりの木。ブナの木は栄養たっぷりのどんぐりを実らせ、森の生き物達の命を育んでいる。
僕は「この宿屋にピッタリの名前なんじゃないかな」と思った。
「――終わった」
「ありがとう。スッキリしたよ」
体をキレイにし終わると他にやる事も無い。
僕達は明日に備えて今日はもう寝る事にした。
「ディルはどうする? 横に寝かせておいた方がいい?」
「う~ん。どっちでもいいけど、そうしておいてくれる?」
最初から横になっておけば、もし、寝ぼけたミラに蹴っ飛ばされても、倒れて大きな音を立てる心配はない訳だし。
「・・・そんな事しない」
「はは。まあ、念のためだから」
僕はミラに頼んで入り口をふさぐ形で横にしてもらった。考え過ぎだとは思うけど、もしも、昼間の冒険者達が仕返しに来ても、僕が邪魔になってすぐにはドアが開かないようにしたのだ。
ミラが油皿の灯芯の火を消すと、部屋の中は真っ暗になった。
「おやすみ、ミラ」
「おやすみ、ディル」
今日は本当に沢山の事があったなあ。
まどろみの中、僕はぼんやりと考えていた。
今朝の僕は森の中の川をあてどなく流されていた。
これから自分がどうなるかは分からない。ただ、このまま海まで流されてしまったら不味いなあ。そんな事を心配していたはずだ。
それがミラに助けられてからは、森で薬草を採って、一緒にモンスターと戦って、生まれて初めて森の外に出て、貴族の女の子と出会って、町という場所に来て、ここで大勢の人間に出会って、ミラが冒険者になって、ギルドの東支部で凄い冒険者と戦って、宿屋の一室で一日を終えようとしている。
こうして改めて考えてみると、たった一日で本当に沢山の出来事があったんだな。
なんだか夢を見ていたような不思議な気分だ。
でも、きっとこれが”冒険”というものに違いない。
僕もいつかはミラのように冒険者になりたい。
僕はそんな事を考えているうちに、眠りの淵にいざなわれていったのであった。
次回「後始末。そして陰謀」