その15 宿屋・ブナの樹亭
窓口の男の人は、二枚の紙の片方を棚の引き出しに入れると、もう片方をミラに渡した。
「そちらを冒険者ギルド支店で見せれば契約が出来ます。紛失された場合、あちらの窓口で再発行出来ますが、その際にはまた大銅貨が一枚必要となりますので、失くさないように保管して下さい」
ミラは大事に紙を受け取ると懐にしまった。
こうしてミラの冒険者登録手続きは無事に終わった。
彼女は冒険者になったのだ。
「これで、私も冒険者・・・」
ミラは感極まって、つい自分の気持ちを口に出してしまった。
彼女は、受付の男の人が、自分を微笑ましい物を見る目で見ている事に気付いて、恥ずかしそうにうつむいた。
「おめでとうございます。ご活躍をお祈りしております」
「! ありがとう」
最初は冷たい感じに思っていた受付の人だったけど、あれは冷たかったんじゃなくて、仕事としてミラに対応していた――事務的な対応をしていた――だけだったみたいだ。
思い出してみると、何も知らないミラを相手に、随分と親切に応対してくれていた気がする。
町の入り口の衛兵の人達に、買取所のオジサン、それに冒険者の女の子マギナに、この受付の男の人。なんだかみんないい人達だった。
ちょっと現金な気もするけど、僕もミラも、早くもこの町が好きになりかけていた。
(最初は町の大きさやギルド本部の大きさに圧倒されて、不安ばかりが大きかったけど、ここでなら冒険者としてやっていけるんじゃないかな)
僕はそんな事を考えていた。
僕達がホクホク顔で本部の建物を出ると、そこにはとんがり帽子の女の子冒険者――マギナが待っていた。
「無事に登録が終わったみたいね。それであんた、今日、泊まる場所は決めてるの?」
泊まる場所? そういえば僕もミラもこの町に知り合いはいない。だったら、寝る場所も探さないといけないのか。
マギナは「やっぱり考えて無かったのね」と、ため息をついた。
どうやらマギナはミラを心配して待ってくれていたようだ。
「お金はあるんだから、安い妙な宿屋を選んじゃダメよ。私達がそういう場所に泊ったら、寝てる間に他の客に全部盗まれちゃうんだからね」
マギナが言うには、この町の宿屋はピンからキリまであるそうだ。
下は小銅貨一枚で素泊まり出来る安宿から、上は一泊だけで大銀貨が必要になる高級宿まで。
彼女が言うには、最低でも大銅貨一枚の宿屋じゃないと安全ではないそうだ。
「えっ。大銅貨・・・」
大銅貨と聞いてミラの表情が曇った。
苦労して手に入れた大銅貨が、一泊分の宿代に必要と聞かされて、ショックを受けたみたいだ。
でも、安い宿屋に泊ってお金を全部盗まれちゃったら元も子もない訳だし。ここはケチっちゃダメだと思うけど?
ミラはチラリと僕の方を見た。
まさかミラ――
「いや。このお金はディルの治療――「ミラ! それはダメだよ!」
「えっ?! 今の誰の声?!」
マギナはギョッと目を見開くと、キョロキョロと周囲を見回した。
彼女に僕の声が聞かれるのはマズいけど、それよりも今はミラを止めないと。
「僕との約束を気にしているなら、それは違うよ。そのお金はミラのために使うべきだよ」
「けど、治療代にいくらかかるか分からない。冒険者の登録にも宿屋に泊るのにも大銅貨が必要だった。なら、治療にはいくらかかるか想像も出来ない」
「だからだよ。僕の治療は後回しでもいいから、今はお金を大事に取っておこうよ」
「ちょ、誰?! ミラ、あんた誰と話しているのよ?!」
マギナはミラの肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
ミラはイラッとしたのか、空いている手で無理やりマギナの口を押さえた。
「――うるさい」
「むーっ! むむーっ!」
マギナは必死になってミラの手を振りほどこうとするが、ミラは”金剛力”の【スキル】の持ち主だ。
女の子の力ではびくともしなかった。
「ミラ。僕はこの町にやって来て知ったんだ。人間の町ではお金がないと、何をするにもどうにも出来ないんだって。
確かにミラは冒険者になった。でも、それで全てが終わった訳じゃないよね?
冒険者ギルド支部で契約するのにだってお金がいるかもしれないし、ひょっとして仕事を受けるのにだってお金が必要かもしれない。
君はついさっき、お金がなくて不自由な思いをしたばかりじゃないか。またあんな思いをしたいのかい?
それに、もうお金に換えられる薬草はないし、またマギナのように親切な人に出会えるかは分からないんだよ。だったら今、手元にあるお金は大事に取っておくべきだよ」
「でも・・・ディルはそれでいいの?」
ミラは申し訳なさそうにした。
「僕なら全然構わないよ。それにもし、治療費に残ったお金全部が必要だったら、元の体に戻った途端に僕達二人共一文無しだよ?
だったら、ミラが冒険者としてお金を稼げるようになるまで、我慢するくらいどうってことはないさ」
ミラも僕に言われるまでも無く、今回の経験でお金の大切さを思い知っていたのだろう。
申し訳なさそうにしながらも、どこかホッとしているようにも見えた。
「――分かった。ありがとう」
「どういたしまして。――あの、それよりそろそろマギナを離してあげたら? 苦しそうにしているよ?」
「あっ」
ミラが手を放すと、マギナは「痛いのよ! あんたどんな馬鹿力してんのよ!」と怒りながらほっぺたをさすった。
ミラはマギナを押さえていた手を見て、イヤそうな顔になった。
彼女の手は、マギナの唾でべっとりと濡れていたのだ。
ミラはしゃがみ込むと、地面に手をこすり付けた。
「ばっちい」
「ちょ! し、仕方ないでしょ! あんたが私の口を塞いだのが悪いのよ!」
マギナは真っ赤になりながら、口の端から垂れた涎を服の袖で拭った。
「それより今の声は何?! 男の子の声だったわよね?! なんだかそのこん棒の方から聞こえたみたいな気がしたけど・・・」
彼女はそう言うとこん棒をジロジロと眺めた。
ミラはマギナの質問には答えずに立ち上がった。
「どうでもいいから宿屋に案内して」
「どうでもいいって、あんたね! ――いやまあ、別に案内するのは構わないけど。私もこのブラッケンに来たばかりだから、自分が泊っている宿屋くらいしか知らないわよ?」
「それでいい」
新人冒険者のマギナが泊っている宿屋なら、ミラが泊るのにも相応しいだろう。
マギナは未だに納得のいかなさそうな表情で(そりゃそうだよね)ミラを睨んでいたけど、彼女が説明する気がなさそうだと分かると、大きなため息をついた。
「・・・空き部屋があるかは保証出来ないからね」
こうしてマギナは自分が泊っている宿屋に僕達を案内したのだった。
マギナが泊っている宿屋は、大通りから外れた住宅地の近くにあった。
「宿屋?」
「食堂にしか見えないって言いたいんでしょ? 食堂の二階を宿屋として貸しているのよ」
宿屋――というか食堂は二階建ての大きな建物で、一階部分が食堂、二階部分が客室になっているそうだ。
マギナは所属している冒険者ギルドの支部で、この宿屋を教えて貰ったそうだ。
彼女は入り口のスイング式のドアをくぐった。
「おばさん! おばさん! 部屋を借りたいって子がいるんだけど!」
ここが食堂か。
僕は初めて訪れる食堂に興味津々で辺りを見回した。
食堂はだだっ広い大部屋で、テーブルが三つずつ二列――合計六つ並んでいる。今は料理を出していないのか、それとも、たまたまお客さんがいない時間だったのか、部屋の中はガランとしていて誰もいない。
部屋の奥には横長の高いテーブル(カウンターと言うらしい)があって、その奥には二階へと上がる階段が見えている。真っ直ぐ奥の壁には大きな出入口があって、そこからはガチャガチャという音と共に、料理のいい匂いが漂って来ていた。
ミラは鼻をひくひくさせると、喉をゴクリと鳴らした。
そういえば彼女は、お昼ご飯を食べていないんだったけ。
彼女のお弁当はみんな僕のお腹の中に入ってしまったのだ。
「ハイハイ! ブナの樹亭にようこそ! おや? こりゃあ驚いた! 随分と力持ちの女の子じゃないかね!」
エプロンで手を拭きながら現れたのは、大柄な中年のおばさんだった。
おばさんはミラの担いだこん棒を見て、目を丸くして驚いた。
「この子はミラ。今日町に来て冒険者の登録をしたばかりなの。泊る所も決まってないって言うから連れて来たんだけど、空いている部屋はあるかしら?」
「ああ。丁度マギナの部屋の隣が空いているよ」
「四号室ね。ミラ。部屋は空いているみたいだけどどうする?」
ミラは迷わず「泊る」と告げた。
「お代は先払いで一泊大銅貨一枚。朝食付きだよ。夕食のメニューは三種類。値段はどれも穴開き銅貨一枚だよ」
「分かった」
ミラは巾着からお金を取り出そうとして、ピタリと動きを止めた。
ためらいをみせるミラに、マギナとおばさんは怪訝な表情を浮かべた。
「・・・・・・」
「どうしたの? お金ならあるでしょ?」
ミラはチラリと僕の方を見た。
「・・・泊るのは私一人じゃない。ディルもいる」
「どういう事? ディルって誰?」
ミラは僕の姿を覆い隠していた布をほどいた。
こんな状況だけど、僕はミラの服を巻かれていた恥ずかしさに、耳が熱くなって仕方が無かった。
「んなっ?! に、人間?!」
「ちょ、ミラ! あんたこれって何よ!」
ギョッと目を剥くマギナ達。
おっと、いけない。挨拶をしないと。
「デ、ディルです。よろしくお願いします」
「「しゃ、喋った!!」」
二人は手に手を取って「ひいっ!」と息を呑んだのだった。
次回「非常識の塊」