その6 初めての戦い
ガサリ
目の前の藪が大きく揺れると共に、大きな獣が姿を現した。
「ひうっ」
ミラが息を飲んだ。
戦うと決めたとはいえ、やっぱりそこは小さな女の子。モンスターを目の前にすると怖くて仕方がないのだろう。
草のような緑色の狼型のモンスターだ。
大きさは僕よりやや小さいくらい。丁度僕とミラの中間くらいの大きさだ。
良く見れば毛並みが悪く痩せている事と、後ろ足を軽くびっこを引いていた事に気付いたかもしれない。
多分、もっと森の奥に住んでいたモンスターが、縄張り争いに負けてこんな浅い場所まで流れて来たのだろう。
しかし、今の僕達にはそんな風に悠長に観察している余裕は無かった。
ミラは僕を構える事も出来ずに、固まってしまった。
「ハッハッハッハッ・・・」
緑色狼の荒い息遣いと共に、生臭い獣臭がここまで漂って来る。
正に絶体絶命の大ピンチ。
しかし、僕は自分でも意外なほどに落ち着いていた。
モンスター? この狼が?
いや、モンスターである事は分かる。何と言うか、漂う魔力でモンスターとそうでない生き物というのは、一目瞭然なのだ。
けど、数日前まで巨人モンスターのこん棒として使われていたせいだろうか? 僕はこの狼にどうにも危機感を感じられずにいた。
(というか、目の前の相手より灰色ウサギの方がよっぽど手強そうに感じるんだけど。一度巨人モンスターと対峙した事で僕の感覚が麻痺しちゃっているのかな?)
まあ、その灰色ウサギ相手にも、まともに戦って一度も勝てた事がないんだけど。
それはさておき。そんな事を考えていたせいだろうか。
僕は目の前の狼が一匹しかいない事実にすぐには気付けなかった。
さっきは二匹目の気配を感じていたのに。
「ミラ! 気を付けて! 狼はもう一匹いるはずだよ!」
僕の叫び声と共に、彼女のすぐ横の茂みが大きな音を立てた。
巨大な狼が僕達に飛びかかる。
やられた! 目の前の狼は囮だったんだ! 一匹がこれ見よがしに目の前に現われる事で僕達の注意を引き付け、その隙に攻撃担当の狼が回り込んで襲い掛かる作戦だったのか。
「!」
突然の襲撃に、ミラは悲鳴すら上げられずに立ち尽くしていた。
無防備な彼女に狼が襲い掛かる。
ダメだ! そんな事は――
「そんな事はさせるかあああああっ!」
僕はミラを突き飛ばそうとした。しかし、僕の体はミラの【スキル】”金剛力”の力で握られていて動かない。
もっとも、彼女に掴まれていなくても僕は自由には動けないんだけど。
僕は狼に向かって叫んだ。僕の声でヤツがひるめばミラは助かる。
お前なんかにミラを傷付けさせてたまるもんか!
その時、僕の頭に痛みが走った。
魔力が尽きた時に感じるあの痛みだ。
何かの【アクティブスキル】が発動した?
僕がそう思った、その途端。
「ギャン!」
ミラに飛びかかって来た狼が、空中で見えない何かにぶつかって跳ね飛ばされた。
何だ? 一体何が起きたんだ?
狼はバキバキと茂みをへし折りながら落下した。
打ち所が悪かったのか、すぐには動かない。今のうちだ。
「ミラ! ミラ! しっかりして! 僕を振り上げて! アイツを叩き潰すんだ!」
僕の言葉にミラはハッと我に返ると僕を大きく振り回した。
「うっ、うわああああああっ!」
ミラはメチャクチャに僕を振り回した。
さしものモンスターも命の危険を感じたのだろう。慌てて大きく距離を取った。
ドガン!
大きな音を立てて、僕の体が森の木に叩き付けられると――
ミシミシミシ・・・ズズーン
十メートル以上はある木が、乾いた音を立ててへし折れた。
なんて凄い力なんだ。
「ミラ落ち着いて! 落ち着いて良く相手を見るんだ!」
「うああああーっ! は、はあ、はあ、はあ・・・」
ミラは一時の混乱が収まると大きく肩で息をした。
しかし、狼はこのチャンスを狙っていた。
「グアッ!」
「ひっ!」
ミラの動きが止まった途端、狼は素早くミラに襲い掛かった。
咄嗟の事で彼女は反応出来ない。
狼は彼女の足に噛み付こうとして――
「ギャン!」
「痛たたた。頭痛が――。ミラ! 今だよ!」
「! わ、分かった!」
魔力の回復がギリギリ間に合った。
やっぱりこれは見えない壁を作り出す【アクティブスキル】だったんだ。
狼はさっきと同様、鼻面を見えない壁にぶつけて情けない悲鳴を上げた。
ミラは頭痛を堪える僕を大きく振り上げると・・・
ドガン!
狼の頭ごと上半身を叩き潰したのだった。
下半身だけになった緑色狼はピクリとも動かない。
完全に息の根が止まっているようだ。
仲間がやられて怖気づいたのだろう。いつの間にかもう一匹は姿を消していた。
ミラは「はあ、はあ」と荒い息を吐いて動けない。
こん棒の持ち手を握る手は、力が入り過ぎているのか指先に血が通わずに白くなっている。
巨人の使う丈夫なこん棒でなければ、持ち手を握りつぶしていたんじゃないだろうか?
彼女の様子は心配だけど、いつまでもここでこうしてはいられない。
「ミラ。急いでここを離れよう。今襲われたら危ないよ」
そう。いつ、さっきの狼が戻って来るか分からないのだ。
それに血の匂いにひかれて、もっと危険なモンスターがやってくるかもしれない。
この場は早く離れた方が安全だ。
「あ。は、剥ぎ取りをしないと」
「気持ちは分かるけど、止めておこうよ。それに半分はぐちゃぐちゃに潰れちゃって、使えそうなのは下半身だけだし」
僕も惜しいとは思うけど、今は安全な場所に移動する方を優先したい。
素材よりもミラの方が心配だ。
・・・それでもやっぱり惜しいかな。
どうにか持っていけないだろうか? こう、僕の手が伸びれば――
「あ、あれ?」
「消えた?」
僕達は驚きの声を上げた。
こん棒にスルリと吸い込まれるように、モンスターの死体が姿を消したのだ。
ミラは慌てて僕の体を持ち上げた。
こん棒は、モンスターを叩き潰した場所にべったりと血が付いているけど、それだけだ。
死体がくっついている訳でも、ましてや僕のように平面になって張り付いているわけでもなかった。
緑色狼の死体は跡形もなく消えてしまったのだ。
「モンスターはどこにいったの?」
「さ、さあ?」
なんにせよ、これでこの場に残っている意味はなくなった訳だ。
だったら早く移動した方がいい。
ミラは汚れた部分に触れないようにしながら、僕を肩に担いだ。
「・・・ディル」
「なに? ミラ」
「・・・・・・」
ミラは僕の名前を呼んだだけで黙り込んだ。
僕はミラの言葉を待っている。
なんだろう。他のモンスターが来るかもしれないから、出来れば早くして欲しいんだけど。
ミラは耳まで真っ赤になりながら、小さな声で言った。
「さっきはありがとう。その・・・嬉しかった」
ミラからそう言われた途端、僕の胸にソワソワする感情が芽生えた。
僕は自分の耳がミラと同じように熱く火照るのを感じた。
あっ。これって――
ひょっとして、これが”照れ臭い”って感情なんじゃないかな?
きっとそうだ。だってミラも僕と同じような感じだもん。
「う、うん。あの、ひょっとしてミラって今、照れてる?」
「! そんな事ない。私は普通」
ミラは少しぶっきらぼうに答えると、そっぽを向いて乱暴に歩き始めた。
ああ、違う違う。僕は今の自分の気持ちが”照れ”かどうか尋ねたかっただけなんだよ。
困ったな。どう説明すれば分かってもらえるんだろう。
一度へそを曲げたミラは、いくら僕が話しかけてもなかなか返事をしてくれなかった。
僕は言葉を尽くして彼女を説得して、どうにか許して貰えたのだった。
こうして僕達は、初めてのモンスターとの戦いで無事に勝利する事が出来たのだった。
次回「森の外の世界」




