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前編

 多くの敵兵が、城内になだれ込んでいた。

 高台に建つ城は、もうすぐ落ちようとしていた。


 いやでも、私たちは聖女だし、きっと殺されないよね。そう思っていたけど、世の中そんなに甘くはなかった。

 なんと、さっきまで救護していた味方の兵士によって城内の物置小屋に閉じ込められていた。


 しかも火を放たれて、焼死寸前だ。

 爆ぜるような音とともに焦げた臭いと黒い煙が室内に充満してくる。


「ひどい、敵兵に渡したくないからって」


 女たちが恨むのは、敵ではなく、自国の王だ。

 私たち癒しの力を持つ女たちは、聖女と呼ばれ、どの国でも貴重な存在だ。

 でも、国王は自分の亡きあと、敵国に使われるのが気に食わなかったから、聖女を殺せと命じたみたい。


 ほんとクズだわ。


 聖女たちは激しく咳き込んでいる。もう立っている女たちはいない。私も床に伏せて、息苦しさと戦っていた。


 意識がだんだん遠のいていく。最期に一目だけでもいいから、レイに会いたかった――。


 ところが、死を覚悟したとき、私たちは間一髪のところで救助され、九死に一生を得た。


 助けてくれた人たちは、敵国の兵士たち。その中でも、ひときわ立派な鎧を装備した兵士が、私たちに近づいてくる。敵国の軍将の一人だろうか。彼は顔を覆うような立派な兜をかぶっていたけど、私たちの前で面甲を跳ね上げて、私たちを見下ろした。隙間から見えた彼の目は、とても冷たい印象だった。でも、どこかで見た覚えのある気がして、思わず自分の目を疑った。心臓が止まるかと思うくらい驚いた。


 これが侵略軍将帥のマトルヘル侯爵との出会いだった。


「聖女たちか。我が国の捕虜となってもらう」


 そう彼が淡々と告げたあと、部下たちに連行するように命ずる。


「丁重に扱え。まさかとは思うが、手を出すなよ。首が飛ぶぞ。彼女たちが加護を失えば、助けた意味がなくなるからな」


 私たち聖女はこうして、敵国に仕えることになった。






 侵略国シルハーンの神殿では、私たち旧サルサン国の聖女たちは捕虜というよりは新たな仲間として親切に接してもらえた。そのおかげで、元々国王への忠誠心が低かった私たちは、一ヶ月後にはこの国にすっかり馴染んでいた。


 そんなある日、城から女官が王の使者として訪問してきた。


「えっ、私が結婚ですか?」

「ええ、そうです。ルミネラ様がマトルヘル侯爵の元に嫁ぐのです」


 彼女は応接室のソファに腰掛けながらうなずいていた。


「でも、私は聖女ですよ? それに、そんなに若くないですし」


 一般的に十五歳で成人とみなされるので、二十五歳の私は完全な行き遅れだ。妻としては、ありがたがられる存在ではない。


 王命を伝えてきた女官に思わず聞き返してしまった。


 稀に神々から愛され、加護を授かる人がいる。その人たちは神の御使いと呼ばれていた。その中でも愛の女神の加護を授かり、癒しの力を持つ者は別格で、聖女と呼ばれている。


 その癒しの力は人それぞれで、擦り傷を癒す程度から、死の淵に瀕した人を助ける奇跡レベルまである。


 私は腕の欠損までは治せたので、この国でも稀少な上級聖女として認定されている。旧サルサン国では、かつて筆頭聖女を務めていた。


 でも、その愛の女神の加護は特殊で、愛のない交わりによって失われるとされている。だから、聖女たちの貞操は無理やり奪われなかった。


「あなたは旧サルサン国で民に慕われた聖女です。分け隔てなく自国の民を助けた功績を国民たちは覚えています。その筆頭聖女だったあなたがマトルヘル侯爵のもとに嫁ぐことで、元サルサンの民の心証が良くなります。それにここだけの話ですが、サルサン国の王族は特に下々から嫌われていたので、王女を娶るだけでは足りないと陛下は思われたのでしょう」

「なるほど」


 この結婚は、政略が目的なのね。

 敗戦国の重要人を身内に取り込むことで、その国の民たちの反乱を防ぐ。

 要は人質だ。


「それに、聖女を娶るのですから、おそらく白い結婚でしょう。貴重な上級の癒し手を失うなんて、そんな愚かな真似をマトルヘル侯爵ともあろうお方がなさるはずがありません」

「そうですよね」


 私は女官からそれを聞いて、今度の婚姻では貞操は大丈夫そうだと、ひとまず安心していた。






「若い年頃の私ならともかく、なぜあなたがマトルヘル卿の妻に選ばれたのかしら? 年増のくせに」


 私と神殿の回廊で出会ったとき、挨拶もなしにとんでもないことを言い出したのは、旧サルサン国の王女エミリーヌ様だ。神殿の警備が厳しい最奥部で、私と同じように保護——もとい監視されている。


 神殿にいる聖女や女の御使いと同じように彼女もハイウェストのドレスを着ている。この神殿では、服装に身分の差はなかった。


 彼女はシルハーン国の王の側妃として嫁ぐことが決まっている。ここの国王は、私や彼女よりも年上で、親子ほど年が離れている。

 ところが、マトルヘル侯爵はまだ二十代前半と男盛りで、容姿も見目麗しいと評判だ。侯爵家の当主だと聞いているのに、まだ独身なのが不思議なくらい。


 王女として尊ばれ、一番条件の良い環境を与えられてきた彼女には、何人も妻を抱える男に嫁ぐより、見た目の良い独身男に嫁げるほうが良かったのかもしれない。

 私としては、シルハーン国が侵略してこなかったら、サルサン国王の後妻になるところだったので、亡くなった兵士は可哀想だが、腐敗した政治しかしない国王が殺されてむしろ大歓迎だった。


 私は亡き国王に貞操を奪われそうになっていた。聖女だから妾は無理だと言っても、愛があるから大丈夫と聞く耳を全く持たなかった。なんなら正式に妻にしてやると言ってきて、元いた正妃をでっち上げた不貞で処刑してしまった。


 そんな彼に私への愛があるはずもなく、あっても下心のみだ。でも、きっと私が聖女の力を失ったら、国王への愛が足りなかったと処罰されていた。

 贅沢のために国民に重い税を課し、治安が悪化すれば厳しい刑罰を下して苦しめた。賄賂が横行し、民を守るための法が役に立たず、弱い立場ほど虐げられるだけだった。

 本当にシルハーン国万歳だ。助けてくれたマトルヘル侯爵には本当に感謝している。


「政略って聞いてますよ。陛下のご命令だそうです」


 私は関係ないよ。そう伝えたつもりだったけど、王女は表情を豹変させた。


「あなたにはサルサン国への忠義はないの!? なぜ私があの年寄りに嫁がなくてはならないのよ!」


 王女に体当たりされて、ドンと勢いよく壁に背中がぶつかった。


「そのみっともなく垂れ下がった大きな胸で父上に迫ったみたいにマトルヘル卿にも同じ真似をしたのでしょう?」

「ち、違う」

「おだまり!」


 王女に頬を力いっぱい叩かれた。


「私に反抗するなんて、許されないわ!」


 その後は、髪を掴まれて床に引きずり倒され、殴る蹴るの暴行の連続だった。

 こんなやつ、王女じゃなきゃ、やり返したのに。


「父上を誑かし、母上を殺したばかりか、敵国にも媚びを売るなんて!」

「おやめください!」


 王女を止めたのは、周囲にいた神殿の関係者だ。


「私は王女よ、無礼者!」


 王女はなりふり構わず叫ぶが、誰も彼女の命には従わない。私から引き離すように別の場所に王女を連れていく。


「大丈夫ですか、ルミネラ様」


 聖女見習いの女の子が近づいてきた。

 私の体に触れて殴られた場所を撫でてくれた。その手はほのかに光っている。温かい力が私から痛みを取り除いてくれる。


 凶暴な王女と二度と会いたくないけど、彼女が側妃になる以上、それは叶わない願いだった。





 あっという間にときは流れて、私と侯爵の結婚式が行われた。

 場所は旧サルサン国の改築された王城だ。マトルヘル侯爵は陛下より領地を賜り、統治を任されたようだ。

 両国の国民に祝福されて、問題なく城で披露宴も催された。


 そこに国王の代理として出席したのは、側妃となったエミリーヌ様だ。同郷のよしみだろうか。

 立食形式の宴の最中、側妃は新郎のマトルヘル侯爵に近づき、甘えるように彼の腕に自分のものを絡ませる。


「どうせ聖女はお飾りの妻でしょう? 一年経って陛下のお渡りがなければ、私をあなたに下げ渡すように陛下に望んでくれませんか?」


 側妃は、私だけではなく他の者にも聞こえるように彼に声を掛けていた。

 それから挑発するような凄みのある笑みを私に向けてくる。

 確かに聖女との白い結婚では、後継ぎを望めない。だから、彼が他に女性を望んでも仕方がなかった。


「側妃殿下は酒を飲み過ぎたようですね」


 マトルヘル侯爵は困ったように苦笑するが、側妃の腕を振り払わない。彼女を奥に下がらせて休ませることもしなかった。


「この城に来られる機会は滅多にないと思いますので、どうぞ好きなだけご滞在ください」


 侯爵の言葉を聞いて、側妃はますます嬉しそうに彼の体にしなだれかかる。勝ち誇ったような笑みを私にも向けてくる。


 もしかしたら、侯爵も側妃の提案をまんざらでもない想いで聞いていたのかもしれない。


 この領地は元はサルサン国だ。その王女を妻の一人にすれば、治めやすいと考えてもおかしくはない。


 披露宴が終わったあと、私は冷めた気持ちで自室に戻った。






 そして、ついに来てしまった。——問題の初夜だ。


 実は、私は処女ではない。だから、万が一マトルヘル侯爵に体を求められては困るのだ。

 相手がレイでなければ、恐らく加護を失う。なぜなら、私はまだ彼が好きだから。


 女官は白い結婚だろうと言っていたけど、不安だったため、念のために侯爵ご本人に尋ねたことがあった。

 二回ほど結婚前に会う機会があったからだ。


「あの、この結婚は、形だけですよね?」


 すると、彼はにっこり笑顔を浮かべて保障してくれたのだ。


「大丈夫だ。心配はない」


 そうはっきりと。だから、待たずに寝てもいいよね?


 そう思ってポテリと寝台に倒れたときだ。


「旦那様がお越しです」


 えっ、来るの?


 隣の控室から使用人の声が聞こえてきた。慌てて体を起こして、品よく座りなおす。


 すぐにマトルヘル侯爵がやってきた。


 思わずじっと彼の顔を見入ってしまう。やっぱり似ている。恋人だったレイに。それだけで、ドキッと胸が高鳴ってしまう。別に本当に彼がいるわけじゃないのに。


 目の前にいる整った顔は、あのとき別れた彼がそのまま年を重ねたようだ。茶色の短い髪、ちょっと鋭い目つきをしたところ。珍しいグレーブルーの瞳。


 似ているけど、孤児だった彼が、こんな立派な貴族なわけがない。

 マトルヘル侯爵家の若き当主メイアス。それが彼の名前だ。

 以前会ったとき、彼は語っていた。「故郷で生まれ育ったから、出兵するまで国を出たことはない」と。


 彼も夜衣に身を包んでいた。ゆったりとした襟口の隙間から見えた胸元は、筋肉で引き締まっていて、男の色気を放っている。


 引きはがすように慌てて視線を外した。


「こ、侯爵様、お待ちち、しておりました」


 思わず噛んじゃった。

 私のドジな挨拶に彼は何も動じず短く相槌をうち、隣に腰掛ける。

 それからすぐに私の腰に手を回す。彼の感触がするだけで、否応なしに緊張してしまう。


「あの、侯爵様。今日は何もしないはずでは?」


 すると、侯爵は目を細めて微笑んだ。


「私のことはメイアスと呼ぶように。夫婦になったのだから」


 そう話す声は、とても低くつややかで、彼にその気がないと思っているのに、ぞくぞくと背筋に電気が走ったような刺激があった。


「はっ、はい。メイアス様」


 メイアス様から漏れる色香にあてられそうになり、顔が熱くなる。ずっとレイ一筋だったのに、彼に似ているってだけで、こんな動揺するなんておかしい。


 もうちょっと落ち着かないと。そう反省したときだ。メイアス様の顔が近づいてきたと思ったら陰ができ、そのまま口同士が軽く触れ合っていた。驚いて距離をとろうと思ったら、さらに押し倒され――。


「ちょ、ちょっと待って! 私は聖女なんですよ!? あの、このまましちゃいますと、力を失ってしまいます! それは、国にとってまずいよね?」


 慌てて正論を言いながら、私に覆いかぶさろうとする彼を制止する。


「私は一言も白い結婚だと宣言はしていなかったはずだが? 妻の役目を果たしてもらおう」


 平然とした彼の返事に血の気が引いた。

 たしかに彼は大丈夫としか言っていなかったけど……。


「私、元は孤児なの。後ろ盾もないし、この結婚の意味がなくなっちゃいます!」

「大丈夫だ。もし力を失くしても見捨てたりはしない。安心したまえ」


 そんなとろけるような笑顔を向けられても――。

 私の決死の説得は、彼の口づけであっさりと封じられた。


 両手で必死に抵抗したが、その私の両腕は軽々と彼の左手で封じられた。


「抵抗は止めるんだ。初めてだから、できるだけ優しくしたい」


 私の反抗なんて、きっと彼にとって大したことではなかったのだろう。彼の態度には余裕があり、声は優しかったけど、恐怖を感じないわけなかった。


 だって私、処女じゃないし!


「どうしても、いたすのですね?」

「そうだよ」


 彼の熱を帯びた目は、飢えた獣のように私を見つめている。どうやら引き返す気はなさそうだ。


 女官はそんな愚かな真似をするわけないって言っていたけど、若い側妃の手を振り払わなかったくらいだし、メイアス様は私の見かけに篭絡された残念な一人だったようだ。


 自分で言うのもなんだけど、聖女だったのが残念と惜しまれるくらいの美貌と、魅惑的な肉体を兼ねそろえていた。

 まさに美の女神の加護を授かったと思えるくらいに。

 まことに不本意ながら。

 余計な虫がわんさか寄ってくるから、聖女でなかったら、とっくに男たちの慰みものになっていただろう。


 でも、彼には恩義がある。彼のおかげで、焼死から免れることができたから。


「分かりました。命の恩人であり、憎き国王を殺してくださったメイアス様になら、この身を捧げます」


 処女ではないとバレて不興を買っても、仕方がないと腹をくくることにした。

 元々差し違える覚悟で国王を殺そうとしていたのだから、最悪な事態になっても、結果として変わらないだろう。


 でも、かつて私を愛してくれた優しい彼を思い出して、一筋の涙が流れた。

 ごめんね。諦めるなって言ってくれたのに。






 レイと出会ったのは、私がまだ子どもの頃だった。


 貧しい農家の口減らしで、私は両親によって人買いに売られた。そのとき、私は月のものもきていない十歳の子どもだった。

 でも、田舎から大きな町に行く道中、私みたいな子どもを何人も積んだ馬車は森の中で盗賊たちに襲われた。彼らにひどい目に遭わされそうになったとき、偶然野犬たちが攻撃してきたので、その隙に私は必死に逃げ出した。


 森の中で運良く見つけた果物を食べて飢えをしのぎ、街道をひたすら歩いて町に着いた。もう少し町が遠かったら、拾った食べ物が尽きて、動けなくなっただろう。


 町は大きく、色んな家やお店があり、城もあった。雨をしのげるところを探せば、私と同じように親のいない孤児たちと出会った。

 その一人が、レイだった。

 彼は私と同い年で、この町で生まれ育ったらしい。母親が病気で死んで孤児になったと言っていた。彼は町の情報に詳しく、裕福な家が捨てる残飯や、店の売れ残り情報を知っていた。それだけではなく、彼の広い顔のおかげで、小間使いや日雇いの仕事も得て、私たちは辛うじて糊口をしのいでいた。

 でも、ギリギリの生活では、簡単に孤児の仲間は死んでいった。冬の寒さと飢えに耐え切れず亡くなった子もいれば、他は食べ物を探している最中に何者かに襲われて殺された子もいた。私が十五になったときは、残ったのは私とレイの二人になっていた。


「ねぇ、レイ。私も働きに行くよ」

「ダメだ」


 私の容姿は、目立ち過ぎた。成長したせいで痩せていても体つきは女性らしく丸みを帯び、男たちから邪な目で見られるようになった。だから、それを心配したレイは、私を守るために外へ出ることを禁じていた。


 だんだんと景気が悪くなり、孤児だけではなく、浮浪者までも道端に増えていた。食べるのに誰しもが必死だった。人さらいも多くて、道端を女子供が一人で歩くのは危険だった。


「俺がいないときに変な奴が近づいてきたら困るだろ?」

「でも、私も働いたほうが、お金をいっぱい稼げるよね?」

「俺がいやなんだ。ごめん、ルミはここで内職でもしていてくれ」

「でも……」


 内職の報酬は、外で稼ぐよりかなり少なかった。


「じゃあ、行くからな」


 そう言って彼は私の頭を優しく撫でて仕事に行く。

 その彼の背中を私は見送るだけ。このままでは、レイのお荷物だ。

 もっと稼いで彼の役に立ちたかった。


 そうだ。この長く伸びた髪を売ろう。私みたいな金髪は貴重だから高値で売れると聞いたことがある。

 女性は長い髪が常識だったが、いつも出掛けるときは、顔が見えないように長布をかぶっていた。だから、髪が短くなっても、誰からも変な目で見られる心配はない。


 でも、彼に相談したら、絶対に反対するから、帰ってくる前に切ってしまいたかった。

 売るなら綺麗なほうがいい。それなら川で髪を洗おう。そう思い、川沿いの橋の下に建てた掘っ立て小屋から私は出た。ここでレイと二人で住んでいた。


 でも、髪を洗っている最中、二人の男たちに見つかって絡まれてしまった。


「おっ、かなりの上玉じゃねぇか。金なら弾むからやらせろよ」


 私の腕を問答無用で掴み、引きずるように連れて行こうとする。


「止めて! 私、娼婦じゃない!」

「じゃあ、俺たちの女にしてやるよ」

「お断りよ!」


 下衆な笑いを浮かべて、私を好きにしようとしたとき、けたたましい鳴き声とともに何かが彼らを襲ってきた。複数の羽ばたきが聞こえ、黒い影が視界をかすめる。


 カラスたちだった。

 男たちに集団で意図的に襲い掛かっていた。私には目もくれない。

 私はその隙にその場から逃げ出して難を逃れた。


「レイ、助けて!」


 彼が雇われている場所に行き、彼に事情を説明した。


「襲った男たちが、また来るかもしれない。だから、住処を変えよう」


 彼は今までの職を失ってまで、居場所を変えてくれた。大きな町だったから、きっとあの暴漢たちともすれ違うことはないだろう。でも、場所が変わったせいか、今までよりも生活は厳しくなり、いつもおなかを空かせる生活が続いてしまった。私たちは確実に追い詰められていた。


「ねぇ、私も働くよ。これ以上、レイに迷惑をかけたくない」


 私がそう言うと、彼は崩れ落ちて泣き出してしまった。


「ごめん、ルミはお荷物じゃない。むしろ、役立たずは俺だ」

「どうしたの、レイ?」


 なぜ彼が謝るのか私には分からなかった。


「きっとルミは何かの加護を持っている。カラスが暴漢から助けてくれるなんてありえない。だから、すぐに神殿に行けば良かったんだ。俺はそれに気付きながら、黙っていたんだ! 今までごめん。嫌だったんだ。ルミがどっか行っちゃうのが! 俺が、ルミを独り占めしたかったから!」


 レイが苦しんでいるのが悲しくて、私は彼をすぐに抱きしめた。


「私だって、レイと離れたくないよ」


 神殿は金を持っている人間や貴族が入れるところだ。孤児の私たちには縁が全然ないところだった。そんなところに行ったら、もう二度と会えない気がした。


「ルミ……」

「これからも、ずっと一緒にいてもいい?」


 私がそう言うと、彼はますます泣き出していた。今度は感極まって。

 透き通ったような青い目が、私だけを見つめている。彼の手が私の体を優しく触れ、ぎゅっと愛おしそうに抱きしめてくれる。彼の存在にいつも救われていた。


「ああ、もちろんだ。ルミ、好きだよ」

「私も」


 彼と出会ったとき、私は腹ぺこの独りぼっちで、彼が温かく受け入れて食べ物を分けてくれなければ死んでいた。そんな彼に感謝こそすれ、彼と別れるなんてできなかった。


 私も彼のことが好きだったから。


 私を見つめるレイの瞳に熱が帯びている。高鳴る胸の鼓動を感じながら、自然とお互いの顔が近づく。初めて彼と口づけを交わした。

 それから相手を押し倒して肉体関係を強引に迫ったのは私だ。

 真っ赤だった彼が、とても愛おしかった。

 この日から、私たちは仲間から恋人になった。


 でも、彼の負い目は、ますます彼を追い詰める原因となった。

 私を飢えさせたくないと、彼は盗みに手を出すようになった。私に心配させまいと彼は新しい仕事が見つかったと嘘をついてまで。でも、足の速かった彼だったけど、ある日油断して、とうとうお役人に捕まってしまった。


 帰って来ない彼を心配して、私が彼の行方をやっと探し当てたときには、もう彼の判決は出ていた。


 盗人は利き手を切り落とされる。それがこの国の法律だった。

 私が処刑場に向かったとき、彼は檻の中にいた。見せしめのように丸見えの状態で。


 観衆がいる中、処刑人が大きな斧を振り上げ、台の上で固定された彼の手を無惨にも切り落とした。

 すぐに切り口を焼かれて止血されるが、あまりの非情な状況に私はただ泣き叫んでいた。


 処刑が済み、解放されたレイの元に駆け寄った。血の気を失った彼は、今にも死にそうだった。


「やだ! 死なないでレイ!」


 泣きながら彼の体に触れたとき、突然奇跡が起きた。私の手から光が放たれて、失ったはずの彼の手が元に戻ったのだ。


 大勢が見守る中での出来事で、その事実は到底隠せるものではなかった。


「腕が生えたぞ!」

「聖女だ。あの女は聖女だぞ!」


 彼の手が切り落とされたときよりも大騒ぎで、私はあっという間にお役人に捕まった。


「やだ、離して!」


 レイと引き離されるのが嫌で、必死に抵抗したけど、私は無力だった。彼は私を取り戻そうと近づこうとしたが、大勢の人が彼の体を押さえつけ、私たちを引き離した。


「レイ!」


 無情にも連行されていく私に彼は必死に声をかけてくれた。


「ルミ、諦めるな。どんなことになっても、お前を絶対に迎えに行くから!」


 その言葉は、私の心の支えになった。今は離れて辛いけど、いつか彼に会えると信じて日々を過ごそうと思えたから。


 神殿では生活は保証されたが、自由はなかった。保護の名の下、人が付き、常に監視されていた。

 聖女になって数年後。神殿内での生活にも慣れ、私の能力の高さから神殿内での地位が高まったので、それを利用して慈善活動を行い始めた。彼に会えるかもしれないと願って、貧民層への炊き出しや、治療行為を積極的に行った。でも、彼が一度として私に会いに来ることはなかった。


 慈悲の聖女として民衆に親しまれるようになったけど、私は同時に絶望していった。


 レイはもうこの世にいないのかもしれない――と。


 盗人として処刑され、しかも聖女の私と一緒にいたのだ。彼が私を隠していたと誤解されていたとしたら、私がいなくなったあと、もしかしたら悲惨な目に遭ったのかもしれない。


 私は聖女として尊ばれるようになったけど、その裏で私を助けて愛してくれた彼は、一人きりとなったあと、一体どうなったのだろう。


 便りもなく、彼に一度として会えない事実が、私を不安で覆い尽くしていく。


 苦しい生活の中でも、彼がいたから、幸せがあったのに。私を優しく抱きしめてくれた彼はもういない。その事実に今頃気づいたけど、受け入れることはできなかった。


 さらに、愚王に妻として求められたとき、生きる希望さえも失いかけていた。

 あんな男に身を汚されるくらいなら、その前に殺してやる。そんな風に思い詰められるくらい、私は自暴自棄になっていた。


 ――諦めるな。


 もう彼の最後の言葉を信じられなくなっていた。


 そんなとき、突然メイアス様率いる軍隊がこの国に攻め入り、サルサン国はあっけなく滅びることになった。






 早朝、寝返りをしようとして、体のあちこちに違和感を覚えた。


 目を開ければ、私をこんな体にした夫は、もうすでに寝台にはいない。とっくの前に起きていたのだろう。

 昨日の出来事が嘘みたいに感じる。夢だったら良かったのに。


 上半身をのろのろと起こしながら、思わずため息が出てしまった。


 ああ、失ってしまった。女神のご加護を。


 愛のない同士の交わりは、愛の女神をがっかりさせてしまったに違いない。

 愛がある同士で結婚しても、片方が浮気をすると、それでもダメらしい。


 乱れた髪を手櫛で直し、寝台の隅に押しやられていた夜衣に袖を通す。


 じっと自分の両手を見つめる。

 試しに手を合わせて癒しの力を願ってみる。いつもなら手が光り、熱を持つはずだった。もう加護を失ったから、その不思議な現象は起きないだろう。


 そう思っていた。


「えっ?」


 ところが、祈った途端に手のひらに普段より過剰な熱がこもり、光を放ち始める。その輝き方が尋常ではなかった。


「奥様、お目覚めですか?」


 私の気配が部屋から漏れたのか、隣の控室から使用人が近づく音が聞こえてきた。


 私は慌てて光を消し去った。


 だって、聖女が愛のない性交をしても力を失わないって知られたら、他の聖女たちまでも権力者たちの餌食になってしまう。


 そんなことになったら、私はみんなに顔向けできないわ――!


 扉の向こうから小さくノックする音が聞こえてきた。応答すると、ドアが静かに開いた。


「おはようございます、奥様」

「あ、ええ、おはよう」


 入ってきたのは、年嵩の女性だ。


「お加減はいかがですか? もう起きられますか?」

「あの、まだ辛いから休ませてもらうわ。何か飲み物を持ってきてくれないかしら?」

「はい、かしこまりました」


 なんとか使用人と何事もなかったように対話できた。

 無事に誤魔化すことに成功したようだ。


 それよりも、他に重大な懸念事項があった。私は白いシーツに視線を落とす。今は破瓜の血を偽造しないと。初めて女性が男性に抱かれたとき、血が出ると聞いたことがある。実際に私の初めてのときもそうだった。


 決して怪しまれてはいけない。力を失っていなければ、処女であった方がいい。経験済みの女が力さえも失わなかったら、それこそ聖女の常識が疑われてしまう。迷惑を被る聖女が出てくるかもしれない。


 メイアス様もいない今がチャンスだ。自分の体に傷をつけて血を垂らそう。

 すぐに掛け布団をパッとめくると、信じられない光景が広がっていた。


 そこには、血痕があった。

 もしかして、久しぶりにした場合、出血することもあるのだろうか。

 私はシーツを見つめながら固まってしまった。


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