はち*
この日私はカールが持ってきた手紙を読み直ぐにレイの元に向かった。
記憶をなくした彼女は最初こそ取り戻そうとしているようだったが、最近はその様子はなく新しい生活形態を築いていた。午後のこの時間、その殆どを書庫で過ごしている。籍を入れたら私の手伝いをしたいと経済について学んでいるのだ。
レイは書庫の端にあるスペースで別の部下から指導を受けていた。
「ラニー」
私に気がついたレイは目を丸くした。
「急な用事が入ってしまって屋敷をあける。夜には戻るけど遅くなるかもしれないから先に休んでいて」
「そう、無理はしないでね」
「ああ、行ってくる」
バグをして軽く唇へキスを送り合ってから書庫を後にした。
「カール、もし入れ違ってあいつが来ても絶対に会わせるな」
「承知しております」
普段ならカールも伴うのだが、万が一に備えて置いて行くことにした。カールならばどんなことが起きても対応でも適切に判断ができるからだ。
訪れたのは街のホテル。フロントで問い合わせれば直ぐに降りて来ると言うのでラウンジで待った。
「やあ義兄さん、ちょうど今出る所だったんだ。来てくれなくてもこっちから行ったのに」
現れた男は目の前のソファに座り当たり前にコーヒーを頼む。
金色の美しい髪にグレーの瞳、人好きのする柔らかい笑顔。私とは随分と見た目の違うこの男は父親が外で作った腹違いの義弟だ。義弟と言っても一緒に育った訳じゃない。別々に育ち、ただ父親の子供、法定相続人として交流がある程度だ。
このホテルは父親の持ち物で義弟はこのホテルの一室に月の半分は滞在し自分の部屋の様に使っている。
「いつ帰ってきたんだ?」
「昨日。で、父さんから結婚が決まったって聞いたんだ。届いていた招待状も確認した」
「ああ」
「相手の人は? 屋敷で一緒に住んでるんでしょ? それで式の日さ、発表までの追い込みもあって参列が難しい。この後も直ぐに戻らなきゃならないんだ」
「そうか、それは残念だな。知っていれば、日にちをずらしたんだが、今からではそれも難しい。参列者達には説明をしておくよ」
知っているさ。知っていてその日にしたんだからな。
「……お相手の女性にご挨拶をと思って。これから学会まで忙しくなるから中々時間取れないからね。対して交流は無いかもしれないけど挨拶は必要でしょ?」
「落ち着いてからでもいい。いきなり来られても私にも予定がある」
「相変わらず仕事? まあいいけど」
「それはそうとレニアス、サンド商会のご令嬢と交際しているという噂は本当か?」
目の前の義弟はごく自然にカップに口をつけコーヒーを飲む。
サンド商会は医薬品を取り扱うための申請をしている。調べた限りではサンド商会に不備はなく、来月には薬店を開業する認可が降りるだろう。
「義兄さんがそっちに手を広げているのは知ってる。だからベサニーと付き合ったわけじゃないし、彼女とはそんな関係じゃないよ」
「当てつけで女を選ぶ間抜けだとは思ってない。そうだろ?」
「あ、ああ。そうだよ」
いいや、私は知ってる。
レニアスが愛人の子である事に劣等感を抱き本妻の子である私に仄暗い感情を持ってることを。
サンド商会は様々な分野に手を出している。製薬部門はその中の一つだ。
父親は義兄弟間の争いを嫌う。だから本気で私の仕事を潰すつもりは無いにしても邪魔はしたいだろう。
ブルック氏と私が密にやり取りをしているのは同じ研究施設内に務めているレニアスなら知っている。勿論どんな薬の研究を依頼しているのかもだ。
「良かったら今度ベサニーを紹介させてよ」
「特に必要性を感じないな、遠慮しておこう。妻に迎えると言うなら別だが」
「……はは、だよね」
王立薬学研究所に小さいながらも研究室を持っているレニアスはそれなりに優秀だ。出入りする業者は若く有望な研究員のレニアスに目をつけ近づく。上手く行けば莫大な富が手に入る。サンド商会の娘も同じだろう。そしてこの男がどのようにして研究室を得たのかを知っている。
私は義弟のした事を許せない。
他人の努力を踏みつけその上に立ったこの男が。
彼女の心を弄び追い詰めたこの男が。
「帰ってきたばかりで忙しいんだろ? 私も予定が詰まっているからもう行く。何かあればカールにでも言付けておいてくれ。どんな研究に携わっているかは知らないが成功するといいな」
「……ああ、ありがとう。義兄さん」