図書館ねずみの話
大きな図書館に一匹のねずみが棲んでいました。
ねずみは自分の棲み家をたいへん誇らしく思っていて、よそ者がこっそり隠れていないかどうか、紙魚が本を食い荒らしていないかどうか、毎日毎日、建物の一階と二階と三階と四階と五階と地下室の隅々まで、本棚ひとつ漏らさず調べて回りました。しかし、どんなに図書館をきれいに保っても、お客さんが訪ねてこないので、ねずみは遠い昔の誰とも知らない人間を象った石膏像や、天井の暗がりに巣を張る蜘蛛や、空想上のねずみを相手にして図書館を自慢しました。
図書館には古今東西のあらゆる知識が揃っていて、かつては勉強をしにくる学生や、調べものをしにくる人達や、暖を求めてやってくる宿無しや、猫に追われた街のねずみ達でいつもいっぱいでした。誰もがルールを守って静かに資料を閲覧し、静寂の中から新たな知が生まれてゆく、あの洗練された雰囲気が、ねずみは好きでした。
天空を不気味な赤のヴェールが覆った夜、膨大な知識を遺して、人間はほろんでしまいました。
ひとりぼっちになってからは、図書館だけでなく、街の建物すべてが、郊外の森の樹々すべてが、森の果てに広がる海の塩水一滴一滴が、夜空に輝く月と星々すべてが、ねずみの持ち物でした。ねずみは宇宙の王でした。けれどもやっぱり、自慢する相手はいなかったのです。巨大な建物も、人類の英知も、広い世界も、たった一匹のねずみにはまるで意味がありませんでした。ねずみは二度と読まれることのない無数の本に囲まれて、紙魚を食べ、排泄し、歩き回っては疲れて眠り、ふつうのねずみと同じように年老いて死にました。
知的で洗練された雰囲気に囲まれているうちに、自分自身も知的になったつもりでいたけれど、ねずみは結局ねずみでした。……たぶん、ねずみに文字を読むことができて、過去の偉人の言葉や、すばらしい空想物語や、より善く豊かに生きるための秘訣をたくさん覚えていたとしても、結末は同じだったでしょう。知識も幸せも、しょせん脳みそと一緒に腐って消えてしまうのですから。
おわり