トロッコ問題をHSC はこう捉える
『5人を助けるために1人を犠牲にすべきか、介入せずに5人を見殺しにすべきか。』
去年の今頃ではなかったかな…。とある小中学校でスクールカウンセラーが『トロッコ問題』を授業に取り上げ、不安を訴えた子どもの保護者が学校に苦言を呈したニュース。
あの時のヤフコメやツイッターでは、不安を訴えた子どもや苦言を呈した保護者に理解を示すコメントもあるにはあったが、
「思考実験は子供にとって大切」
「クレームに学校が屈してはいけない」
「考える機会を否定しては無菌培養の子どもしか育たない」
「不安は家で親が解消させればいいだけ」
という意見の方がずっと多くてショックを受けた。
「学校で受けた不安は家で親が解消しろよ」って言う人は、子どもが学校の授業の中で大怪我を負っても、学校は何もしなくていい。家庭でケアしろと言うのかな?心の傷も怪我と同じ。
私はトロッコ問題を学校で取り上げたことに賛否を言うのではなく、怖くなって不安になった子達はこう感じたんじゃないかな?という具体的な例を自分が感じた感想として挙げようと思う。
・線路に人が縛られて置かれているシーンが頭にリアルに浮かんできてしまう。その恐怖の被害者を自分に置き換えてしまう。
・人がトロッコに轢かれる阿鼻叫喚図を想像したくなくても頭に勝手に浮かんできてしまう。
恐怖に怯えた絶望の表情、断末魔の叫び声、スプラッタものの恐怖映画を観たくないのに無理矢理観せられてるように感じてしまう。
・自分が人の生死を握ることに耐えきれない。
・どう答えても後味悪い最後しかない。
子どもから死を遠ざけるのはよくないと言われるが、惨殺(人を線路に縛り付ける時点で殺人の意志アリアリ。)は大人でも逃げたいよ…。
一番の問題は、『不安を伴いかねない授業内容を、受けるか受けないかを選ばせてもらえなかったこと』だと思う。
長女の学校では戦争の語り部さんの話を聞くとき、事前に「参加されますか?他の部屋で自習にしますか?」と選ばせてもらえたので、迷わず「自習でお願いします。」と回避できた。
「長女さん以外にも怖がって自習にするお子さんもいるので大丈夫ですよ。」と言われたので、残酷な話に耐えられない子はそれなりにいるんだよね。
一度おきてしまった不安はなかなか消えてくれない。だから不安に思う前に手を打てるようにしてほしい。
長女の場合、一度不安になると
・トイレ、お風呂に一人で入れない。
・私がトイレに行きたいときも一人で待てず付いてくる←(すごく嫌!)
・寝るときも隣で「大丈夫だよ」と何度も言い聞かせないと寝られない。
・食欲がわかず1日に食べる食事がプリッツ5本だけ、たこ焼き3個だけという日々が1か月続いて激やせした。(その後不安が落ち着いたあとは体重がしっかり戻った)
一言で不安と言っても身体を危険にさらすほど強い不安もあるんだということが、世の中に理解されるといいな。