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濡羽と萌木は月下に舞う  作者: 阿月美貴
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第二話 かれは呪いの花がごとく 5

 本鈴が鳴って、時間を失念していた二人は一瞬焦ったが、すぐに気持ちを切り替えた。ごみを処分するなり暗示をかけるなりして、何事もなく終わらせる。遅刻の方も。


 こういう時、呪術に精通しているのは便利だ。小夜は活用せず放置しがちだが、透は円満な学校生活のため、術の行使は厭わない方だった。というより、透は精霊神であるからして、術を使うことは手足を使うのと等しく、使わない方が不便だ。


 夜になると、小夜は数日振りの見回りに出た。

 日課ではきつく、間を開けると面倒事が増えるそれは、数日の間隔で行っている。天候の悪い日は無理をしないので、見回るのはだいたい晴れた日だ。言い換えると、晴れているならたとえ昼に何かあったからといって、一度決まった夜の見回りを休む理由にはならなかった。


 風が吹く。ここ数日に比べて、涼しい風だった。十三夜の月は、明るく闇夜を照らしている。負の感情を刺激する澱みは見当たらず、夜は静かに終わりそうだった。


 見回りを終えた小夜は、帰る前に自動販売機で飲料水を買い、喉を潤した。

 小夜の休息の間、透は暇潰しに眼の輝度を調整して地球照を見た。


「透、帰ろう」

「分かっ、眩しっ」


 短い休息を終え、小夜は透に声をかけると、彼の返事は何故か悲鳴だった。輝度を直さず明るい部分を見てしまったので、グレア現象で目を焼いたのだ。


「何をしたら月を見ていていきなり眩しく……?」


 まさか視覚に入る輝度を調整しているなど思わない小夜は、怪訝に透を見遣った。


「いや、地球照を見ようと思って、輝度を上げてたもんだから……」


 思いもよらない単語に、小夜は首を傾いだ。

 地球照はまだ分かる。地球が反射する太陽光を月がさらに反射したものだ。読んで字のごとく、地球に照らされた月の姿を地球照。

 しかし、輝度の方は、分かるようで分からず、うまく言葉が繋がらない。


「キド……?」

「輝度。照度、光度、ルクスとか明暗とかそっちの輝度」

「輝度……」


 今度は理解したが、それでもおうむ返しに呟いた。

 古き神の口から出てくる単語とは思えなくて、小夜は何度もその言葉を頭の中で反芻した。


 どうも聞いている限り、透はわざわざ視覚情報を調整しているようだった。彼が行ったのは術でも何でもなく、身体機能の一つだとでも言っているような。


「え、まさか、普通にそういう調整が出来るっていうの? 術とか関係なく?」


 未だ呻いている透は、俯いたまま頷いた。

 突拍子の許容範囲すら飛び越えて、小夜は何と言ったらいいか分からなかった。


「…………流石、神様?」


 間をおいて、少女はそう飲み込んだ。


「そうだな、まだ試したことはないが、いざとなれば桿体細胞のロドプシンの分解を止めるとか合成の促進とかも出来ると思うぜ」


 これによって、暗視力を保つのである。神である透に必要であるのかはさておき。


「待って、何それ。神名帳に載るほどの一柱が言う科白じゃないと思います。あ、いや、載るほどだからこそ?」


 小夜は焦って思わず待ったをかけたが、途中で混乱した。


「はっはっはっはっはっ」


 唐突に、ざらついた笑い声がした。


「本当に帰ってきてたんだねぇ、月木」


 小夜は、民家の屋根に降り立った猫又を見た。妖の気配は把握していたが、ここで足を止めるとは思っていなかった。大きな化け猫だ。


「おー、ジーコじゃねぇか」


 透ももちろん旧知の存在に気付いていて、鷹揚に顔を上げた。すっかり立ち直って、もう目を痛めている様子はない。

 猫又ジーコは、にやりと笑みを浮かべた。


「聞いたよ、闇槌の子と契約したんだって? 本っ当に、お前さんは物好きだねぇ。私ら猫族にも負けない自由気ままさだよ。――で、その娘がそうなのかい?」

「ああ、そうだ。別嬪だろう」

「ふんふん、確かにね。良い母胎じゃないかい」

「そっちじゃねぇよ。殺すぞ」


 毒吐きつつ、透は小夜を振り返った。


「ジーコっつてな、見ての通り長老級の猫又だ。こいつ自身は最悪だが、親戚にすっげー無茶苦茶いい奴が居る」

「やだねぇ、照れるじゃないか」


 ジーコはてれてれとにやけた。どうも他人のことでも我が事のように受け取る猫又らしい。


「にしても、娘。お前はあの女によく似ているねぇ」


 猫又は小夜を無遠慮に観察した。


「あの女?」


 心当たりがなくて、小夜はやや首をかしいだ。両親すら覚えがなく、親戚の一人も知らない少女に思い浮かべられる人物は居ない。


「闇槌の女さ。二百年前、皇家を政から引き下ろした闇槌家当主のことだよ。私は何度か見たことがあってね。先祖返りって奴かねぇ、実によく似ている。匂いもね」


 言いながら、ジーコは己の笑顔を底意地の悪いものにした。それを見て、経験則から透の神経がにわかにささくれ立つ。


「しかし、損な娘だね。民草はお前の一族に感謝すれども、疎ましがることもなかろうに。月木も知っているだろう。あの当時は反帝感情が強かった。それなのに、誰も彼も、闇槌の末裔に恩を仇で返していることに気付いてないとくる」


 小夜は静寂しじまを貫いていた。表情も凪いだままだ。

 気にせず、ジーコは面白げに体を揺らした。


「一族がこうして迫害の憂き目に遭うと分かっていれば、彼女も手を下しただろうかねぇ。神も妖も、第二皇子の逆鱗に触れようとは思わないから、闇槌一族の末裔は誰からの助けも得られず、こうして遂に一人となっている。嗚呼、なんて哀れな一族だろう」


「おい、ジーコ、それ以上は俺の契約相手を貶めているものと見做すぞ」

「透、問題ない。私は気にしていない」


 小夜は猫又の狙いを分かっていたのでまったく動じなかった。そも、動じる理由がない。既に終わっていることを掘り返す趣味がなかったから。

 ジーコは、途中までは反応がなくとも気にしなかったが、最後まで期待した結果が来ないことには鼻を鳴らした。


「ふん、つまらない。ここまで無反応とは、お前には恨みがないのかい?」

「恨んでどうなる。怨みを募らせて身を滅ぼした結果を、私は知ってる」

「こういうのは理屈じゃないんだよ。だからこそ、いたぶり甲斐があるんだが、感情が無いわけでもなかろうに」


 小夜に抑えられ下がっていた透は眉をひそめた。


「無闇にかき回そうとするのはお前の悪い癖だ」

「どこの誰よりも、我が道を往くお前に言われたくないね。安心しな、私がいたぶっていて楽しいのは人と人外の狭間に揺れ動く奴さ。この娘も、辛うじて人間の枠に居るようだが、それだけだ。既に道が決まっている者に割く時間はないよ」

「だと良いんだが」


 ジーコとは友人だが、お互い相手を慮るより自分の好奇心を優先している。過去にも、ジーコによって透の知人に被害が及んだことがあった。逆に、ジーコも透によって仲間が不利益を被ったことがある。


「ところで、月木」

「何だ」

「お前さん、その娘の傍にいて、どれだけ力が入らずにいる?」


 ジーコが話題を変えると、ピクッ、と小夜の肩がわずかに震えた。顔色もいささか悪い。もちろん、猫又は目敏くそれを捉える。


「第二皇子のことか? 俺がその程度で不調になるとでも?」


 透は呆れたが、ジーコは分かっていると言うように、これまたいやらしい顔つきをした。


「なるとは思いづらいね。けど事実として、不調になってるんだろう? 嘘はいけないよ。ほら、娘の顔が言ってる、平気だと言ってたじゃないかってねぇ……。ま、勝気なお前さんのことだもの、事実だろうがなかろうが、そう言うだろうけどね」

「じゃあ、根拠もなく言ってんのと一緒じゃねぇかよ」


 透のそれは下手な切り返しだった。本人も言った傍から舌打ちをしている。


「あっはっはっは!」


 ジーコは吼えるように笑い声を上げた。


「月木! みっともない強がりはよしな! 私を誤魔化せると思ってるんなら、それだけ自分が不調なことに気付くんだね! え? 教えてやろうかい。お前さん、槍の持ち方はどうした。腕と手の力の均衡が取れてないよ! あっはっはっは! 不格好なこと、不格好なこと!」


 見回りの間、透は槍を持っていなかったが、ジーコが現れてすぐに顕現させていた。

 ジーコの哄笑は遠慮がなく、透は苦り切って口を閉ざした。確かに、仕留めきれなかったり後手後手なことの多さを思うと、透は自分が思っている以上に問題があるかもしれなかった。


「あー、笑った笑った」


 ひとしきり笑い終えると、ジーコは次に小夜を見遣った。

 何を言われるのかと、小夜は表情こそ動かさないものの、その体には否応もなく緊張が走った。先程は動じなかったが、ジーコの慧眼を見るに、自分ですら分かっていない事実を突きつけられる危険性があった。

 猫又は、我が意を得たりと満面の笑みを浮かべ、また、悲しそうな表情もした。


「聞いた話なんだけどね、闇槌の娘。お前を守ろうとする者は悉く死ぬんだって? いやいや、私とてこいつが死ぬとは思わないけども、しかし、これこの通り、不調にはなってる。とくれば、またしばらくその面を拝めなくなりそうじゃないか。せっかく外津国そとつくにから帰ってきたっていうのにねぇ、すぐ寂しくなるねぇ」


「言いたいことはそれだけか。俺は警告したはずだぞ」


 低く唸る透は、両手を空にしていた。全身を脱力させたように、肩から腕をぶらぶらと垂らしている。さながら猛獣にならんとする人のような。


「その姿勢、まるで獣みたい」


 猫又のそれが、警戒したほどではなくてほっとしていた小夜は、彼を見て思ったことをそのまま口にした。


「それだ」


 透は自分が獣になれることを思い出した。


「シャーーーーーーッ!」


 ジーコが威嚇の声を上げた。猫又の眼前に、大いなる神なる山犬、即ち狼が現れたのだ。

 透だ。宙を浮いている。その姿は大型犬を優に超え、ジーコと同じくらいだった。銀色の毛並みが、月光を反射して煌く。


「ぐるるるるっ……」


 透が唸り声を上げた。


「キシャーーーーーーーー!」


 狼の姿には何かあるのか、ジーコはまた威嚇した。さっきまでの饒舌振りが嘘のようだ。


「失せろ、ジーコ。俺が貴様を喰い破らぬうちに」


 透が神々しく高圧的に言い放つ。


「シャーーーーー!」


 形勢が逆転したジーコは、毛並みを逆立てたまま徐々に後ろ下がっていくと、充分距離が開いたところで身を翻した。

 あっという間に暗闇に溶けていく猫又を見送って、透は山犬の姿のまま小夜の許に降り立つ。


「狼だったんだ」

「いや、これは俺の姿の一つに過ぎない。俺は神だから、大抵のことは完全に忘れることはないものの、長生きをしていると、やはり普段は思い出さない事柄が増えてくる。これもその一つだ。たった今思い出した」

「そう」


 小夜は、目線より上にある獣の背を撫ぜた。触り心地は良く、ずっと撫でていそうになる。


「で、その姿では、どれだけ力を出せる?」


 誤魔化しを許さない声音で問うと、獣の耳が気まずそうに動いた。


「ジーコの言葉など気にするなと言いたいところだが、まずまずだな。どちらもたいして変わらん。だが、お前との契約を不履行にするつもりはないし、不安にさせるつもりもない」

「……死人が出ているのは確かだけど」

「それがどうした。俺は俺の好きにする。今はお前を守ることがそうだ。お前も、いつも通りお前の好きにしたらいい」


 要は小夜の方で契約を破棄しようとも、透は自分の勝手で小夜を守ると。猫又の言う通り、自由気ままな精霊神だ。初日からそうだったが。今改めて、やたら憎らしく思う。

 小夜はため息を吐いた。


「分かった。いい加減理解した。透は大馬鹿だ。人の気も知らないで……」


 独り言ち、小夜は何か堪えるように俯いた。顔色は悪い。ちょうど目の前にふさふさがあったから、ささくれる気持ちのままに顔を埋めた。


「……さ、小夜。その、ちょっと、痛い」


 透は小夜のしたいようにさせていたが、肉を抓まれては流石に泣き言を吐いた。


「うるさい」


 小夜は一言で切り捨てた。

 そこに、夜の静寂しじまが覆うより早く、ひと段落ついた隙を突くようにして小さい黒い玉が投げ込まれた。


 透の死角からで、小夜が忍ばせていた苦無で咄嗟に切れば、それは七花八裂となって二人を取り囲んだ。

 透のものとはまた違う月の光を反射するその輝きは、カッターの刃だった。一枚一枚、細かく飛び散っている。なるほど影に潜む暗殺者らしく、足のつかない、そこら中に売られているお手軽な武器だ。


 透は一瞬にして人型に戻り、小夜に襲いかかる刃を朱槍で叩き落した。槍が弧を描いて、周囲に風を生む。萌木色の髪が風を孕み、琥珀色の瞳が爛々と光った。

 二人は第二波を警戒したが、攻撃はそれだけだった。透は逆探知に意識を向けていたが、かすりもしない。


「遁甲した様子はない。地脈も水脈も風脈にも痕跡はない」

「異界へは」

「ないな。こっちの出方を待ってるのか、ここでじっとしている可能性が高い。うまく同化している」

「なら、帰ろう。ここに居るだけ無意味」


 持久戦に意味はないと、小夜は警戒を解いた。

 ただ、さっきまでの会話が尾を引いているのか、空いている背はわざとらしい。勝手に守ると言った分、やってみろと言わんばかりだった。自分達が交わした契約の内容など、頭からすっかり抜け落ちているに違いない。


 珍しく幼さを感じさせる彼女の行動に軽く笑って、透は自分で言った通り、勝手にその背中を守った。



お読みくださりありがとうございます。

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