第二話 かれは呪いの花がごとく 2
小夜が学校に到着した時、早朝の救急車のことで話は持ちきりだった。
直接見聞きしたものではないとはいえ、四肢の捻じれた男が倒れていたのだ。事件性は抜群である。当然、噂はあっという間に広がっている。
学校の生徒達は、この時間には珍しい小夜の姿を認めると、驚きを露わにするとともに友人へ囁いた。噂の場所が、小夜が住んでいる区域だったのも大きい。
事実、小夜が当事者だ。
しかし所詮、噂は噂。四肢の捻じ曲がった男が運ばれたことと小夜との関連は誰も知らないため、それに関する噂などこれ切りだった。
代わりに広がったのは、別の男のことである。
給食後のことだ。昼休みの時間になって、朝の噂を生み出した張本人が姿を現したのだ。
「よう」
「……は」
自分に向かって手を上げる彼を、小夜は唖然と見つめた。
透だった。ご丁寧にも、二十代から十代の姿に変わっている。しっかり制服も着ていた。黒髪黒目。どこからどう見てもこの学校の男子生徒にしか見えない。
「誰? 転校生?」
「ていうか何で石動に声かけてんの……?」
新たな噂が生まれた瞬間である。
小夜は我に返ると、透の腕を掴んで屋上に向かった。生徒が立ち入らないよう鍵が掛かっているが、小夜の手に掛かれば鍵はあってもないのと同然だった。
「いったい、どういうこと?」
動揺を隠せない彼女の姿など滅多に見られるものではないのだが、昨日出会ったばかりの透は当然その珍しさを知らず首を傾げた。
「そう驚くことか? お前を守るって言ったんだから、近くに居るのは当然だろう」
「だったら、隠形でもすればいい話では? どうしてそこで実体化して、しかもわざわざ人間と同じ枠組みに入ろうというの?」
神の気紛れといえばそれまでだが、小夜はこれ以上、他人が原因で注視されるなど御免だった。
「そりゃ、この時代の十代っていうのは、今この時にしか味わえないからだな? せっかくお前と居るんだし」
自分は現世を楽しめて、小夜との契約を履行出来る、一石二鳥だ。
「理解不能」
小夜は深くため息をつくと、己の眉間に指を当てた。
「あなたも案外、若さに羨望があるの? もう充分若い見た目だと思うけど。永遠の二十代ではないの?」
「うーん」
透は後頭部を掻いた。
「俺に若さへの羨望なんぞ持ちようはないが、ただな? 俺がこれより若い頃は、つまり、生まれたばかりの頃と言っても差し支えないくらい昔の話になるわけだが、その頃の記憶ときたら、有ると言っていいのか、無いと言うべきなのかってくらい曖昧なんだよ。基盤となるのは成人した俺だ。十代を体験していないのも同じ。となれば、体験してみたくなるだろ?」
小夜は別段、記憶のない幼少期を体験してみたいとは思わなかった。
「で、病みつきになったと」
「病みつきにはなってないが、存外面白くてな、今回みたいに機会があれば躊躇わん」
「あなたが手慣れているのは分かった。こっちとしては、一番不思議なのが私の傍に居るのを許されていること。あなたが闇槌家のことを知っていて私と契約した物好きなのは昨日のうちに確認出来たから分かってる。だけど、向こうがそれを許すかどうかはまた別の話になる」
いくら八島神族に連なる者でないからといって、小夜が闇槌家の末裔だと分かった上で契約をし、後悔もしないなど、正直に言って、透はおかしな神であった。
だが、実のところ、それ自体はまだ問題ではない。精霊神が気紛れに学校へ通おうとするのだって、珍しいだけで済む。
とにかくおかしいのは、小夜と契約した精霊神が、公的機関を通した上で同じ学校に居ることだ。
人の世の間ではほとんど知られていないとはいえ、小夜はかつて皇族に仕え、そして裏切った一族の末裔なのだ。怨霊と化した第二皇子が浄化されるか、もしくは闇槌の血が途絶えるまで、この呪われた状況は続く。
八島政府は、第二皇子が齎す被害を看過しえず、故に監視を怠れないために、火に油を注ぎかねない神々や妖などの超常存在が闇槌の末裔たる石動家に近づくのを嫌っていた。つまり、公的機関を通せば、必ず邪魔なり何なりあったはずなのである。
しかし、小夜のそういう疑問に対し、透は肩をすくめるだけだった。
「別に何も、俺がこの学校で生活してみたいって思っただけだ。公的な事実は、そういうことになっている。神がそう言ってるんだから、それで十分なんだよ」
正しい事実を言うならば、裏側の事情を知っている者が居て難色を示されている。透はその声を聞く前にごり押しで話を進めてきたのだ。荒神らしく勢いよく、そして人間のことなど斟酌しない次元の異なる存在らしく。
どうせ小夜との関係はすぐに伝わる。力ある者同士の契約というだけではない、石動小夜という存在がまず監視対象になっている以上、既に見つかっているのである。
となると、相手より速く、初動が肝要となってくる。
小夜は頭を振った。
「だったら、尚更、言わせてもらう。今ならまだ考え直しても大丈夫だと思うから、」
「馬鹿を言え。なんで俺が第二皇子に忖度してやらなきゃいけねぇんだ。その程度のことで契約を破棄するんだったら、そもそも契りを交わさん」
「そうだろうけど……、そっちに何かあってからじゃ、こっちが困る」
「ははっ。安心しろ、あれ程度に俺は死なん」
傲岸不遜というには透の方が圧倒的に格上であったが、見下した相手は下に見られて黙っていられる存在ではなく、ピリッと空気が震えた。
屋上に風が吹く。つむじ風。強い風だ。怨霊が近くに居るのだ。
知らずのうちに、小夜は息を詰めた。
皇家を裏切った一族を、末代まで祟らんとする者。だが、彼は小夜を捉えられない――。
「放っておけ。あれに俺をどうこうする力はないし、お前自身も、本来なら奴の呪いなんか、どうってことないはずだ」
本来は穏やかである琥珀色の瞳は今、冷たい色をしていた。しかしそれはわずかなことで、小夜に顔を向けると優しい色に戻った。
「奴を倒すのでもいいが、呪いを解く方法は必ずある。お前は後者の方が好みそうだな」
小夜は相手から向けられた穏やかな雰囲気にいささか戸惑うも、本人としては信じがたいことを聞いて、透を胡乱に見遣った。
自分にかけられている呪いが解けるというなら、先祖がとっくに解いているはずなのだ。
石動家もとい闇槌家は、古くはまつろわぬ民。従順を示して二千余年経った先に復讐を成し遂げた一族である。転んでもただでは起きぬ反抗心の塊だ。
「まさか、本当に可能だと思って言ってる?」
「当たり前だろ。お前、あれだけ深度のある言霊を扱っておいて、解決方法がないわけがない」
透は強く言い切った。
大八島が言霊の幸う国と言っても、限度がある。いくらスカートをスパッと綺麗に斬っていたからといって、縫合の糸もなしに修繕など不可能だ。しかし、小夜は不可能なはずの修繕をごくごく自然に為した。
代替手段はあるのだ。代替ならば。その一つが魔法である。ただ、魔法で同じようなことは可能でも、対価として魔力や霊力を消費する。
式を使った修繕方法もあるが、やはり、労力がある。
真実言葉一つだけで行うあれは、まさしく神の領域だ。
今のところ透に小夜の正体は掴めていないが、古の神の血が色濃く出ているのが関係あるのかもしれないと踏んでいる。第二皇子が天孫といえども、血を受け継いだ度合いによっては話も変わってくるものだ。
「ま、とりあえずはお前を狙っていた忍びだな。お前はどう考える」
透は話を切り替えた。
話を逸らされたようにしか見えなかったが、小夜は黙って透の移した話題に乗った。このまま食いついてもびくともせず、或いは暖簾に腕押しだったに違いない。
槍持てば凄烈にして荒ぶる戦神、こうして平時にあっては大樹の如くどっしりとして穏やか。それが花椿透、ないし月木という精霊神なのだろう。
現時点でいえば、神気を完璧に抑えた上で肉体を纏っている。その姿は徒人さながらだ。
「昨日にも話した通り、彼らの目的は、私を殺して政府や皇族に顔を覚えてもらうことだと思う。うまくいけば、彼らから恩寵を得られるかもしれないから。妖達も、私が極上だからだけじゃなく、石動家を襲うことで第二皇子に力をもらえるから私を狙ってくるわけで」
「ということは、あれらも第二皇子から力を得ている可能性があるんだな」
「恐らくは。怨霊の加護といったところかな。人間相手は流石に初めてだから、頼りにする」
「任せておけ。話を聞く限りには、昨日の夏至に止めを刺すつもりだったはずだ。今頃、新しい作戦を考えているところだろう。常と違うことがあったらすぐに言え」
「分かった」
「もしも相手が二重三重に罠を張っていたとしても、俺が傍にいる限り必ずお前を守る」
「それは頼もしいけど、ずっと受身だと、いつまで経っても終わらないんじゃ?」
「襲撃の分、逆探知する。向こうが焦れるか、こっちが先に奴らの居場所を突き止めるかだな」
小夜の基本方針として、血の穢れを負わない。
ここでいう血の穢れとは、同族殺しだ。つまり、人殺し。
それに準じ、敵は殺さず今後は小夜に害を為さないようにするというのを、二人は今回の話で決めた。透は別に敵を殺しても良かったが、小夜の方に誤って穢れが持ち込まれでもしたら謝っても謝り切れるものでもないので、自重した。
「じゃあ、そういうことで」
「おう。お前も、俺に遠慮するなよ。言葉遣いとか硬いままだし、俺のこと、お前って言ってもいいんだぞ」
斬り結び合い言の葉を交わした限り、小夜の本心は例えると夜の水面だ。静謐であり、冷酷であり。
感覚として、小夜の、あなたという二人称は礼儀であろう。透は心置きなく小夜と死合いたいがため、礼儀の壁は取っ払っておきたかった。とはいえ、気にしない時は気にしないから、これもまた感覚的な判断であるが。
「別に遠慮しているわけでも……。虚礼に見えたのなら気をつける」
「虚礼を廃せって言ってんじゃねぇての。慣れ慣れしく行こうぜって話だ」
「……馴れ馴れしいのは苦手だけど、考慮はしておく」
嫌だ、という顔を隠しもせず、小夜は言った。
「それより、これから学校はあなたのことでうるさくなると思うんだけど、透は私との関係を聞かれた時、どう答えるつもりなの?」
言葉通り、一応は遠慮を省こうと考慮された気配を読み取りつつ、透は瞬いた。
「友人じゃ駄目か?」
「それはいつから」
「昨日から。偶々出会って意気投合。転校生という話はしていなかったから、小夜は今日知って驚いている。意気投合した理由は、そうだな、お互い武術に精通しているからってのはどうだ?」
驚くべきことに、事実としてまったく何も間違っていない答案だった。意気投合という点は流石に違うが、それ以外は、まさしく。
しかし、意気投合していないと思っているのは小夜の話で、透の方は死合いを楽しめたのだから、それでいくと誇張でもなく確かな事実だ。
「あ、うん。何も、問題ないと思います」
驚きすぎたか、小夜は訥々と頷いた。
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