第二話 かれは呪いの花がごとく 1
女の悲鳴で、小夜は目を覚ました。
うるさいなぁ、と心の片隅で思いつつ、重たい目蓋を持ち上げ、突っ伏していた枕からのそりと顔を上げる。朝の空気は清々しさに満ちていたが、女の悲鳴を皮切りに騒々しい気配が生まれていた。それにかき乱されて、少女は眉間の皺をさらに寄せた。
ちらりと見遣った先、開けっ放しの窓には透が掛けた禁厭がある。いわゆる神のご加護だ。
喧騒はその下にあった。救急車を呼ぶ声がする。
四肢の捻じ曲がった男が道端に倒れているのだ。昨晩に、アパートの二階にある小夜の部屋を窓から不法侵入しようとした男だった。この地域の夜の治安の悪さは女限定で非常に悪く、小夜が周囲から陰で囁かれる原因の一つだ。
血溜まりはないようで、不思議そうな声もする。
昨晩に小夜が言ったことを、透は忠実に実行してくれたらしい。
「再起不能にするだけでいい。血の穢れを負う気はないから」
夜遅くに帰宅した小夜は透も連れていたのだが、見鬼の才がなかった男は強姦しようとしていた少女の傍に神霊が居ると気付かず、こうして返り討ちにされたのである。
見鬼の才がないといっても、あれほどに強力な精霊神なのだ、人間が生来的に持ち合わせている心眼が曇っていなければ殺気立つ気配くらい感じ取れたはずである。かなり近くまで来ておいて何も気付いていなかったのだから、それだけ性根が腐り堕ちた生き物ということだ。小夜の中に同情の余地はない。
二度寝をしたかったが、開けっ放しの窓から聞こえるざわめきが煩くて敵わなくて、小夜はわずかに呻き声を上げながら、のっそりと起き上がった。時刻を確認して、朝食の準備に取りかかる。
時刻は、朝の六時だった。近くにゴミ置き場があるから、早朝のゴミ出しに赴いた主婦の悲鳴だったのだろう。時間があるのをいいことに、のんびりとご飯を食べる。
もっそもっそと食事をしながら、小夜は、やや寝惚けた頭で、玄関脇のごみ袋、目の前の台所、その隣にある冷蔵庫を、ぼうっと眺めた。
この部屋にあるものは、学校関連のものか生活必需品くらいで、中学生らしいどころか嗜好品の一切がない。殺風景なところだったが、少女の気にするところではなかった。
続けざま、何とはなしに制服と学校鞄のある方を見遣る。
昨日、透と契約を結んだ後、小夜は放り投げた鞄とスカートを回収していた。先にスカートを修繕し、学校鞄の埃を払う。透は小夜が言霊一つで修繕する様子に感嘆していたが、こんなもの、小夜からすればコツ一つでどうとでもなるものだ。
その透は男を追い払った後、これから行くところがあると言って夜のうちに姿を消している。
「…………ごちそうさま」
食べ終わった頃に、インターホンが鳴った。玄関前にある気配は見知ったもので、小夜はTシャツとハーフパンツの部屋着のまま玄関扉を開けた。
「お前、なんつーもんに助けられてる」
開口一番に言われた言葉に、小夜は瞬いた。
目の前にいるのは、久し振りに会う馴染みの私服警官だった。もさもさにぼさぼさした黒髪と、眠たげな印象を裏切る眼光の黒目。夏島陣という名の男である。
おおかた現場検証のついでに立ち寄ったのだろう。四肢の折れた男が倒れている上は、窓が開けっぱなしにされた一人暮らしの女の部屋である。
陣は周囲に要らぬ誤解を与えないためか、警察手帳を掲げていた。以前に、そんなことがあったのだ。
「……別に私から頼んだわけじゃありません」
小夜はそっぽを向いた。陣は歎息する。
「下の男は治療後、怨霊課の方に回される。が、まあ、神罰に該当するからな、呪も強力だし、解呪されず心的外傷の治療もされないだろう」
「神罰?」
「ああ、神罰だよ。あれは神が罰として与えている呪いだった」
「私、再起不能にするだけでいいって言っただけ……」
「よほど気に入られたんだな。とりあえず、そういうことだから。 いいか、お前、俺とあんまり会うなよ」
小夜は眉を顰めた。普段そっちから来ておいてこの言い様。
「すっごく誤解を招く言い方なんですけど。妖に言ってくれませんか?」
「俺が取り締まるのは人間の方」
「使えない」
舌打ちはしていないが、小夜の表情は舌打ちのそれであった。
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